旧研究所(前編)
メトの故郷である村の方角から煙が上がっていた。炊事のものにしては太く黒い煙だったので、メトの心臓は早鐘のように激しく鳴った。メトは走り出そうとしたが、賑やかな人の声が遠くから風に乗って聞こえてきて、足が止まった。
「……宴だ」
メトは言った。空を見る。もうじき日が暮れるという時刻だった。美味そうな肉の匂いが漂っている。
帰郷するたびに、あの村は宴を催している……。ガイと出会ったあのときも、村は宴の準備をしていた。メトは苦笑した。それから一行を振り返り、目配せしてから、ゆっくりと村へと向かった。
「なんだかお祝い事をしてるみたいだ。一緒に騒いでく?」
四人は宴をしている村に到着した。そこでは何人かの男女を囲って、村人たちが盛大に祝っているようだった。ガイが素っ頓狂な声を上げて飛び出していった。
そこにはガイの上司であるシャキアがいた。ガイは“魔遣りの火”という魔物討伐ギルドの新人メンバーだった。シャキアはそこの副長を務めていた女性で、メトやゼロとも面識がある。
「シャキアさん。まだこの村にいたの?」
メトが言うと、シャキアは一瞬目を見開いて動きを止めた。それからちょうど食べようとしていた料理を置き、近寄ってきた。シャキアは様々な魔法武具を装備しており、その佇まいは若い女性とは思えないほど落ち着いていた。金色の短髪が、汗に濡れている。
「メト。お前……、戻ってきたんだな」
「うん。シャキアさんは元気そうだね」
「どうしたんだ、その髪……。随分バッサリいったな」
「シャキアさんの真似」
シャキアは手櫛で自身の髪を整えた。
「バカ。私は都の一流の理容師によるオシャレ短髪だ。お前のは、無造作に刈り込んだ後、適当に伸ばしている感じじゃないか」
「そうだったんだ……。ちょっとあってね。全身燃えたんだ」
メトの言葉にシャキアは目を見開いて驚きを表現したが、そこは深く追及してこなかった。
「そうか……。で、どうして村に戻ってきたんだ」
「自分の故郷に戻ってくるのに理由が必要?」
シャキアはメトの首根っこを掴んだ。ぐらぐらと揺らされる。
「必要だ。お前、お尋ね者になっているぞ。ガイとゼロもな」
「こっちでもか……。事情があって、追われてるんだよね」
「フォーケイナの棺の件か」
「……どこまで知ってるの?」
シャキアはメトから手を離し、慎重に言葉を選びながら言った。
「最近、この近辺でもあの秘薬は話題になっているからな。あの秘薬がもてはやされているのを知っても、私たちはタングスの研究所でフォーケイナと話したことがあるから、悪い想像しかできない。正直、情報を欲している状況さ。もしフォーケイナが酷い目に遭っているなら、助けてやりたい。そう思っているよ」
「……そうなんだ」
メトはシャキアになら全てを話してもいいと思った。彼女はメトたちが研究所で実験を受けていた頃からの知り合いだった。
メトは博士の件も含めて、全ての事情を話した。あまりに長い話になったので、宴で用意していた食事や酒に手をつけながら行った。メトたちの旅の顛末も合わせて話すと、彼女は思案する顔になった。
「そんなことがあったのか……。よく生きてここまで来られたな。クマドの猟犬と言えば、最近、大陸に名を轟かせている超人部隊だ。噂でしか聞いたことがないから実在するのか疑問視していたが、そうか、フォーケイナを利用して強化された集団だったか」
「もしかすると、私たちを追って来るかもしれない。一般の人には手出ししないと思うから、心配しなくていいと思うけどね」
メトは言い、水を一口飲んでから、
「そろそろシャキアさんのことを教えてよ。どうしてこの村で宴なんてやってんの」
「ああ……、実は最近、この村の周辺で魔物が出没しているという報せを受けてな」
メトは周囲を見回した。村人たちはあらかた集まっている。しかし村長のルーファの姿がない。
それまでメトは何も感じていなかったが、急に不安になり始めた。
「魔物……。それで、村人が襲われたの?」
「襲われたのは一人だけだった」
「その一人って……」
メトは絶句した。村長のルーファの姿を、もう一度探した。あまりにもメトが不安そうな顔をしていたのか、シャキアがメトの肩を掴んで揺さぶった。
「変な想像をするな! 襲われたのはルーファさんだが、命に別状はない。今は都の病院で怪我を看てもらっている」
「あ……」
メトはほっと一息ついた。それから照れ隠しに隣で座っていたガイの肩を突き飛ばす。
「痛い! メトちゃん、いきなりどうした」
「にやにやしないで」
「してないよ……」
ガイはしょんぼりしながら食事を続けた。申し訳ない、と思いつつも、メトはシャキアに向き直った。
「……それで、“魔遣りの火”が魔物を駆除しに来たんだ?」
「そうだ。随分苦労したが……」
「フォーケイナのに棺で強化された魔物だったんじゃない?」
シャキアは拳で何度も自分の手の平を殴る素振りを見せた。
「そうだな。何度殺しても復活したので気が滅入ったが、最終的には討伐できた。ギルドの主力が戻ってきていなかったら危なかっただろうな」
研究所が崩壊したときの騒動で、“魔遣りの火”の主力がごっそり抜けてしまっていた。しかし今では戦力が充実しているようだ。シャキアと一緒にいたギルドメンバーはいずれも強者の風格があった。
「そうなんだ……。また村が襲われる可能性があったんだ。討伐してくれてありがとう」
「なに、依頼を受けただけだ」
「でも、もしかしたら、私に脅しをかけるために、ドゥラの商人が意図的に魔物を配置した可能性があるんだよね。だから、私のせいだ」
「それが心配で村に戻ってきたわけだろう? 私たちが来なくても、メト、お前ならどうにかしただろうな」
シャキアは深く息を吐き、それからメトの全身を見た。
「……メト、確かにお前は難儀な身の上になったな。自由気ままに生きることもできず、命を狙われ、守りたいものもある。研究所の跡地にお前が求めるものがあるのか知らないが、良かったら協力させてくれないか」
「え?」
「お前はこの村が襲撃されないか心配なのだろう。ならば、私たち“魔遣りの火”が、お前の留守の間、この村を守る。これくらいのことしかできないが……」
メトはしばし絶句した。酸欠の魚みたいに口をぱくぱく動かす。
「どうして、そんなこと……。やってくれるの?」
「贖罪さ。私も、お前たち五人の子どもが地獄の苦しみを味わっているとき、呑気にプライム博士を賞賛していた。いわば、共犯者みたいなものだ。その罪を償いたい」
「私は、シャキアさんのことを恨んでなんかいないよ。それはお門違いってものだ」
本心だった。恨むはずがない。そんな発想さえなかった。
「それでも、私が気にしているんだ。お前が断っても勝手にやるぞ。みすみす村人が危機に瀕するのを見過ごすわけにはいかないだろう」
「……でも」
「どうせ襲ってくるのは魔物なのだろう? 専門家に任せておけ。仮に傭兵が斬り込んできても、“魔遣りの火”の精鋭が後れを取るはずはないさ」
メトはシャキアの自身ありげな顔を見た。ふうと息を吐く。
「……いつまで続くか分からないよ。報酬も払えない。それでもいいの?」
「どんなにお前が気にしても無駄だ。勝手にやる。もちろん、途中で責任を放り出すこともない」
メトは観念して頭を下げた。お願いします、と言うとシャキアがメトの頭をくしゃくしゃに撫でてきた。
「それにしても、だ。以前出会ったときに全て話してくれればよかったのに。プライム博士の複製品がその武器になっている、なんてことも」
「言っても仕方なかったでしょ。それに、当時は本物の博士だと思ってたし……」
「極悪非道の男が今も健在なのは少し気になるがな。いずれ、決着をつけるつもりなのだろう?」
「まあ、ね……。でもまずはフォーケイナを救うのが先決かな」
メトたちはその後、他愛のない話をかわした。レッドは近くで肉をモグモグ食べながらそれを静かに聞いていたのだが、不意に、
「私もここで待機していたほうが良さそうですね。どうせしばらくガンヴィに戻れそうにないですし」
「レッドさん。レッドさんも協力してくれるの?」
「盗み聞きするつもりはなかったのですが、あまりにも無防備に全て事情を話されていたので……。ガイ先生が本当はあまり強くないと知って、傷心です」
レッドが言うとガイは咳き込んだ。メトはくすくす笑った。
「事情を知った以上は、私なりにどちらが正義で、どちらに加担したくなるのか、何となく心が動くというものです。まあ元々、フォーケイナの棺を独占しようとする商人連中とは対立せざるを得なかったのですが、問題はもっと大枠にあると知って、なんだか気分が良いです。利益を追求しようとする商人たちのつまらない行動原理に、憐れみさえ抱いてしまいますね」
「レッドさんがここにいてくれるなら、それは安心だけど……」
「それに、ここの食事は素晴らしいですし。ガンヴィとは違って、山野や川が近くにあるおかげで、新鮮な食事に困りませんね。素晴らしい」
メトはレッドにも頭を下げた。そして隣のガイに向き直る。
「ガイ、あなたもここに留まって欲しい」
「え? 俺はメトちゃんと一緒に行くよ。ゼロさんと二人だけというのも困るだろう?」
「そうじゃないんだ。私、あまり、ガイに見られたくないんだ」
「え?」
「考えたんだけどさ……。私たちが生まれ育った場所……。あまり良い思い出がない場所。私が私でいられないかもしれない。取り繕うのが難しいと思う」
曖昧な説明だったが、ガイは納得したようだった。不本意そうに頷く。
「分かった……。じゃあ俺も、シャキア副長と一緒に、この村を守るよ。メトちゃんとゼロさんの二人で、研究所に行っておいで」
「うん。一旦すぐに戻ってくるよ。……ゼロ、私と一緒に来てくれる?」
ゼロは頷いた。メトは村人たちと軽く会話をかわしてから、夜の内に村を出立した。ゼロもそれに従う。
タングスまではさほど苦労する道ではない。メトとゼロの健脚ならなおのことだった。
夜の風は生暖かかった。歩きながら少し汗をかいていた。振り返るとゼロは涼しい顔をしていた。彼女はいつもこうだ。
「ねえゼロ……。ゼロはこいつについてどう思う」
メトは博士を持ち上げた。ゼロは僅かに視線を落とし、それからメトに目を向けた。
「私はさ、よく分からないんだよね。本物のプライム博士が存在して、その上でこの複製品にどんな感情を向けるべきなのか……。私って能天気だから、問答無用でこれを壊したいって感情が薄らいできてて」
「壊すよ」
「……え?」
「メトは、それを、壊す……。未来が見える」
ゼロは絞り出すように、かすれた声で言った。メトは頷いた。
「あ、そうなんだ……。良かった」
良かった? メトは自分の言葉に首を傾げた。
二人は静かに、迅速に、夜の山道を抜けていった。




