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フォーケイナの棺(前編)


前方から獣人。獣人の知り合いなんて一人しかいない。咄嗟に隠れようかと思ったが、近くには貧相な枝葉の低木が何本か生えているだけだった。見晴らしの良い街道。舗装された石畳の道には馬車の鉄輪が幾度も行き交ったことで硬いわだちが形成されていたが、大雑把な補修の跡があった。ドゥラ都市同盟が誇る“ドゥラの動脈”と称される交通網は、都市同盟の商人たちが雇う職人や傭兵によって管理されていた。商隊の行き来が盛んで、宿場町も発達している。


 メトは立ち尽くしていた。やがて困り顔のガイが目の前までやってきた。彼は何か言おうとしていたが息が整うまでに相当な時間がかかった。


「……水飲む?」


「あ、ありがとう……」


 メトが差し出した水筒に口をつけた彼は、中身を飲み干した後、律儀に口の周りを袖で拭いてから返してきた。


「……ふう」


「二日ぶり、ガイ。元気そうだね」


 ガイは勢い込んで話し始めた。


「酷いじゃないか、メトさん。何も言わずに行ってしまうなんて。それに、急いで馬車で追ったのにいつの間にか追い越してしまっていたなんて、もし気づかなかったらと思うとぞっとする」


「どうせ馬車に揺られながらいびきをかいていたんでしょう。あの芸術的な旋律に御者さんも聞き惚れたでしょうね」


 ガイは首をぶんぶんと振った。黒虎の獣人である彼の顔色の変化はメトには分からなかったが、きっと赤面しているに違いない。


「ね、眠ってなんか……。と、とにかく! 俺はきみに助けられておきながら、何も恩を返せていない!」


「恩? そんなの気にしなくていいのに」


 本心だった。いちいち細かい奴だなと思った。もしかして一緒に旅をするつもりなのか? と少しびくびくしていた。シャキアから何も聞いていないのだろうか。メトが普通の人間ではないということを。


「なあ、メトさん。きっときみなら、あの魔物も一人で倒せていたんだろう。俺は死にかけたがきみはピンピンしていた。俺が足手纏いだってことは重々承知だが、一緒に魔物退治をさせてくれないか」


「うーん……、せっかくギルドに所属しているのに、どうして? 頼りになる先輩だっているでしょうに」


「きみは天才だ。すぐに分かったよ、きみは特別で、それに比べれば俺は未熟もいいとこだって。しかし、きみはあまりに若い。戦闘経験はけして多くないだろう。いくらきみが強くても、これから色んな魔物と戦っていけば、窮地に陥ることはきっとある。そんなとき、俺も力になりたいんだ」


 力説するガイの身振り手振りにはいちいち迫力があった。見た目だけなら役立ちそうだが、実際の彼は三流魔法使いに過ぎない。


「仲間が欲しくなったら自分で調達するよ。今はそういう気分じゃない」


「しかし、きみは言ってくれたじゃないか。あなたはもう私の仲間だって。そっちのほうが面白いって」


 必死に記憶を辿る。覚えがなかったが、きっと言ったのだろう。


「……そんなこと言ったっけ?」


「言った! 間違いなく言った! 俺はそのとき衝撃を受けたんだよ。ああ、彼女の力になりたい、心の底からそう思えたんだ。そうしたら今まで出したことのないような巨大な火炎魔法を編めたんだ……」


「ふーん」


 あれが史上最大の魔法か……。やはり彼に魔法使いの才能はないようだ。


「俺がギルドに所属できたのは“魔遣りの火”が壊滅的な被害を受けた直後だったからだ。実力が評価されたわけじゃない。立派な魔物退治屋を名乗るには、修行が必要なんだ。だから……」


「私と一緒に旅をして、強くなりたい、と……」


「駄目か?」


「うーん、失格かな」


 手を交差してガイの前に突き出す。ガイは一歩後ずさった。


「し……、どうして」


「きみに一目惚れした。一緒に旅をして、寝込みを襲いたい。そんな感じのことを言ってくれれば、一緒に旅をしても良かったのに」


「は!? いや、それはどういう……」


 メトはガイの顔の前で指を振った。


「私と一緒に旅をしたら死ぬよ。これは別にあなたが弱いから言ってるわけじゃない。はっきり言って、私は傍から見たら狂ってるとしか思えないような旅の行程を辿る。それに……」


「それに?」


 魔物の肉を食べる自分の姿を見たら、きっと裸足で逃げ出すだろう。我ながらおぞましい存在だ。少しだけ憂鬱な気分になって足元を見ると、既にガイは裸足だった。


 不意打ちを食らって吹き出すと、ガイは首を傾げた。


「い、いったいどうしたんだ。急に笑って」


「ぐ、ご、ごめん。靴履いてないんだね、ガイ……、ふふ」


「ああ、歩くたびに爪が出たり引っ込んだりするもんでね。それに合う靴がないんだよ。別に地面を走っても痛くないし」


「へえ、普通の人間の足とはまるで違うんだね。そりゃそうか、そんだけもふもふなら」


 一緒に旅をしたらそのもふもふの躰を触らせてくれるのかな……。少し興味が出てきたところで、車輪が激しく石の道を削る音が聞こえてきた。蹄が割れんばかりの勢いで二頭立ての馬車が駆けてくる。


「おっと、脇にどかないと轢き殺されるよ」


「あ、ああ……。ん? あれはさっきまで俺が乗っていた馬車だな……。引き返してきたのかな?」


 馬車が二台すれ違うだけの道幅はあったが、念のためメトとガイは街道から下りて馬車が行き過ぎるのを待った。尋常ならざる速度で馬車が進むが、勢いを出し過ぎたのか、車輪の一つが軸から外れて道の上を滑った。それでもしばらく荷台は均衡を保っていたが、このまま進めば馬車全体が崩壊すると判断した御者が、なんと馬から曳具を外し、馬に飛び乗った。そしてもう一頭の馬と馬車と乗客数人を残したまま猛然と走り去ってしまった。


 メトとガイはそれを唖然と見ていた。乗客たちは衝撃から立ち直ると、完全に停止した馬車を見限って、残ったもう一頭の馬に自分こそが乗って逃げようと揉めた。一人は馬に頼らず自分の足で逃げると決めて転びそうになりながら走り去っていった。


 彼らが何に逃げようとしていたのか、やがて明らかになった。街道をその巨大な脚で駆けるのは馬型の魔物だった。たてがみが青い炎となり、その黒い蹄が地を蹴るたびに魔力を帯びた青い炎が立ち上る。黒い眼が狙うのは馬車の乗客たちだった。口から黒い煙が漏れだしているその魔物の表情は、心なしか怒りに満ちているように見える。


「魔物……!」


「メトさん! 退治するのか! 俺も加勢する!」


 先日倒した大蛇の肉がたんまりと入っている鞄を一瞥したメトは、


「備蓄は十分だけど、やってやるかあ。だけどガイ、炎魔法以外は使えるの? あれに炎魔法はほとんど効果ないと思うよ」


「見くびるなよ! 水魔法も風魔法も岩魔法も使える!」


 意気揚々のガイを置いて、メトは再び街道の上に立った。乗客の一人が馬争奪に勝利して飛び乗ろうとしたが、その前に気が立った馬が走り出してそれに引きずられるようにして消えていった。残った乗客は一人だけだった。中年の男で、もみくちゃになったときに出来た顏の青痣が痛々しかった。


「そこの人。自分で立って歩けるなら、そこの木の陰に隠れてて」


「お前は……!?」


「通りすがりの魔物退治屋」


 中年男性は怪訝そうにしていた。メトがまだ少女であることを見て取って、魔物退治屋だとまるで信じていないようだった。むしろ慌てて街道に上がってきたガイのほうを期待の眼差しで見た。ガイは見た目だけなら相当強そうに見える。


 なるほど、これから魔物退治の依頼を受けていくなら、少女である自分よりガイのほうが信用されやすいのか……。その視点はなかった。メトは感心しながら抜刀した。


《あれくらいなら助言する必要も、変形する必要もないな》


「あー、やっぱり?」


《ただし肉は美味そうだ》


「あんたまだ味覚あるの?」


《味の分析はできる》


「ふーん」


 猛然と突進してくる魔物に向かってメトは歩き始めた。まともにぶつかれば轢き殺されるだろう。近づけば近づくほど馬の巨体が明らかになってくる。ガイはびびって街道の上に立とうとしなかった。脇に退いて魔法を構えている。


 メトは駆けだした。馬の魔物はメトの姿が目に入っていないようだった。駆ける勢いを少しも落とそうとしないし、警戒もしていない。その目は馬車――それも乗客の男性にだけ向けられているように思える。


 いったいこの魔物は何に対して怒っているのだろうか。ただ単に腹が減っているから馬車を襲っているとは思えない。魔物の思考に合理性なんて期待しても無駄だろうが、殺気を放つメトを無視しているのは不可解だった。


 メトは跳躍した。馬はそのままメトに突進してくる。直刀が馬の太い首の周りで弧を描いた。血管の浮き出た馬の頑強な首の筋肉が一瞬萎れたように見えた。血の線がくっきりと浮かび上がった。鼻面をメトが蹴り飛ばすと、見事に首と胴体が分離され、馬の躰は勢いそのままに馬車に突撃して幌と荷台の骨組みをめちゃくちゃに破壊した。


 地面に転がった馬の首は鼻息荒く、しばらく周辺を跳ねまわっていた。首を失った胴体も、幌の布に巻き付いて横転し、脚が宙を蹴り続けていた。


 メトは納刀しその場から離れた。腰を抜かしている中年男性の腕を掴むと、安全な場所まで退避した。


「格安で次の宿場町まで護衛するけど」


 メトが穏やかに言うと、男性は相場の三倍の値段でメトとガイを雇った。




   ※




 宿場町に着くと、男性はしきりに礼を言った。見るからに高級そうな宿屋にメトとガイを招き、宿泊代を持つと言ってくれた。ガイは両手を上げて喜んだが、メトは気が進まなかった。きっと豪勢な食事つきなんだろうが、メトには無用なものだった。食べたふりをして後で吐くくらいのことはできるが、基本的に通常の食事はメトにとって毒だった。吐けば大丈夫だったとしても、自ら進んで毒を口にはしたくない。


 食事がつかないような安宿で、ひっそりと保存加工済みの魔物の肉を食べたい。メトは男性の誘いを固辞した。男性もしつこくはしてこなかった。それがありがたかった。


 男性と別れて、別の宿を取った。床板という床板が全て軋むような古い宿だった。腐った壁紙やら埃のかぶった照明器具やら、これでもかというほど客を不快にさせるモノで溢れていたが、宿屋の主人はなかなか愛想が良く、奇妙な感じだった。


 部屋に荷物を置き、寝台に腰かけて少しの間ぼうっとしていると、隣の部屋に別の客が案内される物音を聞いた。じっと耳を澄ませてみると、部屋の中を歩き回る足音と気配で、誰がそこの部屋を取ったのか分かってしまった。


 もふもふの天然吸音素材に身を包んでいなければありえない音。ガイだ。メトは呆れてしまった。


 間もなくメトの部屋の扉にノックがあった。


「どうぞ」


「着替え中とかではないよな?」


「残念だけど、さっきまでと一緒の恰好だよ。お色直しする前に来るんだもん」


 言葉とは裏腹の怒気を感じ取ったらしいガイは、ひどく怯えた表情で扉を開けた。


「まるで変質者だな、俺……。きみに付きまとって」


「自覚あるならわざわざ隣の部屋に泊まることないでしょ」


 とはいえ、ガイがあまりに申し訳なさそうだったので、メトの怒りはすぐに消えてしまった。既に怯える彼の表情の変化を観察するだけの時間になりつつあった。


「それは、偶然なんだ。きみに話があって……。同じ宿の中なら自然に話しかけられるかと思ったんだが」


「一緒に旅をしたいっていう話なら、お断りしたはずだよね」


「その話もあるんだが、それだけなら、わざわざ高級宿屋の素敵な一夜を放擲してまで追いかけてこないさ。……入ってもいいかな」


「どうぞ」


 ガイは部屋に入り扉を閉めた。部屋の入り口に突っ立ったまま話をする。


「失礼します。……宿場町まで護衛してあげた男性がいるだろう?」


「うん。金払いの良さから言って、相当な金持ちだね。この辺の権力者かも」


「そうなんだよ。ドゥラの有力商人の一人で……。今日は視察に来たと言っていた」


「視察? 自分の店舗の?」


 ガイの表情が険しくなった。


「いや。魔物だ。この街道付近に複数の魔物が出没して、商人を襲っているらしい。商圏のギルドに魔物退治の依頼を出しているそうだが、なかなか討伐には至らないらしくてね」


「もしかして、ガイに魔物退治の依頼を出してきた?」


 ガイは苦笑混じりに頷いた。


「そう。さっきメトさんの実力を見ていたはずなのに、きみよりも俺のほうを雇いたいらしい。どうかしていると思わないか」


「どうかしているのは、魔物退治依頼をほいほい受ける獣人のほうだと思うけど」


「え、どうして俺が依頼を承諾したと分かった!?」


「その申し訳なさそうな態度を見れば分かるよ」


 黒虎の獣人は姿勢を正しては自信なさげに俯く、という行為を何度か繰り返した。


「な、なるほど……。確かに。どうだろうか、メトさん。俺と一緒に魔物退治に噛んでみないか。他のギルドとの共同作戦という形になるが……。出没地を記した地図は貰って来た」


 メトは考えるフリをした。本当は自分の中の答えは決まっていた。


「ふーん……。路銀が心許なくなってきたところだし、ここで一気にどかんと稼ぐのも悪くないけど。他のギルドとの共闘はあまり気が進まないかな」


「ど、どうしてだ!? 俺なんかとは違って、経験豊富な戦闘員が揃っているはずだ。シャキア副長のような」


「あなたねえ……。シャキア並の戦士なんてそうそういないよ。仮にその水準の戦闘員が揃っていたとしても、一緒に行動したくない」


「な、なぜ?」


 メトは悩んだ。自分の体質について話すべきだろうか? 都合のいい嘘を思いつければよかったが、忘れっぽい自分が過去のの発言との整合性に難儀してしまう未来が見えた。


 嘘はつけない。面倒だし、自分を追い込むかもしれない。それにガイなら話しても周囲に言い触らさないだろうという最低限の信頼があった。


「……こっち来て」


「え?」


「大声では話せない。いいからこっち」


「は、はい」


 メトはガイを隣に座らせて、できるだけ小さな声で、自分が魔物の肉しか食べられない特殊体質だと話した。博士に改造されたからだという点は伏せた。あくまで食事のことだけ伝えた。


 ガイは簡単に信じた。


「そ、そんなことがあるものなのか……。魔物の肉しか食べられないなんて」


「この安宿を選んだのも、普通の食事を摂れないから。できるだけ一人だけで旅をしたいのは、魔物を食べてる不気味な女とは誰も一緒に旅をしたくないだろうから。理解できた?」


 ガイは椅子に座り直し、メトを正面から見つめてきた。


「きみの言い分は理解はした。が……、特にそれが不気味だとは思わないな」


「え?」


「だって、俺も普通の食事は無理だからな。獣人にはよくある話だが、この身に宿した獣の力に準じた食事になりがちなんだ。人間用の食事も、一応可能ではあるが」


「ガイの場合は……」


 ガイは牙を剥き出しにして笑った。


「俺は虎の力が強いから、まあ、生肉だな」


「生肉……」


「偏食同士、気にする必要はないよ。それにメトさんは立派な魔物退治屋だ。俺がきみを尊敬する気持ちには変わりない」


「偏食同士って……。一緒にしないでよ。ははは」


 自然と笑いがこぼれた。笑うと前向きな気分になる。結局魔物退治の依頼は受けた。小さなことに悩んでいるな、と自分を客観視したのもあったし、ガイという協力者がいれば、食事用に魔物の肉を調達するのがぐっと簡単になると気づいたからだった。


 翌日、二人は魔物退治に向かった。報酬は出来高だった。報告されている魔物は全部で八体。とりあえず最も近くで暴れているという魔物のもとへと二人は急いだ。






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