六花の祭壇(中編)
メトが四名の兵士を連れて帰還すると、マナは歓迎した。人手はいくらあっても困らない。水夫たちからすれば思う存分扱き使える存在ができたわけで、意地の悪い目つきを新人に向ける者が多数だった。
新人四名は殺人的な働きを要求されたが、食事だけは他の乗組員と同じだけ与えられた。メトは自分が連れ帰った四人だけに、いじめられて死なれると目覚めが悪いので、事ある毎に話しかけて、不測の事態が起こらないように監視していた。反逆の気配がないかどうかも確かめていた。
「ねえ、あんたたち、ドゥラの海賊でしょ。いつもこの辺で海賊してるの」
メトは四人の新人一人ひとりに、質問をして回っていた。甲板作業や雑務の合間に質問するので、答えてくれないこともあったが、仕事を優先して構わないと伝えていた。ほんの少し余裕ができたとき、彼らは素直に答えてくれた。
「いえ、この海域で仕事をしたのは初めてです」
「ゲイドの港湾が封鎖されているのは知ってる?」
「噂では……。船の往来が極端に減って、いつもの場所では商売ができませんでしたね」
「だから別の海域に来た、ということ?」
「恐らくは……。船長や幹部の考えは、末端の俺たちには分かりません」
「私たちを襲ったのは、偶然? それとも狙っていたの?」
「なんとも言えないですね。マナ船長の船は、数日前から追跡していたんです。だから前々から狙っていたという可能性はありますが、この海域の船が極端に減っていたので、獲物を確実に仕留める為に機を窺っていただけかもしれません」
「本当に何も知らないんだね。じゃあさ、随分遠くから砲撃してきたけど、腕の良い砲手がいるの?」
「砲手の腕が良いのはそうなんですが、着弾地点に魔法で印をつけて、砲弾をそこへ誘導する技術があります。百発百中ですよ」
「ふうん……。いつもの海賊行為と異なることって何かあったりしなかった?」
「魔物がいつもより多く、警戒していたり、船の往来が少なく、船長が苛立っていたり……。そういえば、最近は機嫌がかなり良かったですね」
「それは、どういう……」
「どういう理由で機嫌が良かったかはわかりません。ひょっとすると、割の良い仕事を貰ったのかもしれませんね。俺たち海賊は貨物船を襲って物資を奪うのが仕事ですが、たまに海難事故を装って要人を暗殺してくれ、なんて依頼を受けることもあります」
「暗殺……」
「もっとも、目的の船を沈めた海賊に賞金をやる、と公布するような形で依頼が出回るんですがね。海上で標的の船を発見して襲撃するのは至難の業ですから。そういう船に限って、一般的な海路は避けるもんです」
「じゃあ、もしかして、私たちの首にも賞金が懸かってたりするのかな」
「心当たりがあるんですか?」
「あるような……。ないような。連中がどこまでするのか分からないんだよね。プライム博士は私に執着してないけど、クマドの猟犬は私やゼロを連れ戻したがってた」
「クマドの猟犬って……。あの? 聖都の守護神ですか? そんな連中に狙われているんですか?」
「知ってるの?」
「もちろん。というか、六花の祭壇というのを聞いたことがありませんか」
「六花の祭壇……? 有名なの? 私、世間知らずなんだよね」
「デイトラム聖王国が所有する軍船の一つの通称です。聖教の布教活動を目的として造られた船、とされていますが、度々ドゥラの海賊を蹴散らしては連れ去るので、恐れられているんですよ」
「へえ」
「たまにクマドの猟犬も軍船に乗っているんです。噂でしか知りませんが、クマドの猟犬を見かけたときは死を覚悟せよ、と我々海賊の間では有名ですよ」
「確かに、めちゃくちゃ強かったもんな……」
「メトさん、連中と戦ったんですか!?」
「ギャルムって人と、それから、ええと、なんか五人くらい。なんか名乗ってたけど忘れちゃったんだよね」
「ぎ、ギャルム……。死の司祭ギャルムですか。そういえば最近、助祭レゴリーが殉死したと聞きましたが、メトさんがやったんで?」
「いや。私は殺人はしないけど……。レゴリーって人とはやってないな」
「聖都は大混乱らしいですね。爆破事件があったとか……」
「聖都でも?」
「ええ。知らないんですか?」
そういえば、聖都を脱出するとき、妙な音を聞いた気がする。ゲイドの港湾でも爆破事件が起こっていた。この二つは関連があるのだろうか……。
マナの海賊船は順調に進む。しかし天候が日に日に悪化していた。緩やかに、しかし着実に悪くなっている。天気が急変しないだけマシだと水夫たちは言っていたが、まるで後戻りできない混沌とした世界へ向かっている心地がして、メトは気分が悪かった。
波が高く、船の横腹を叩くような波濤が何度も襲ってきた。雨が降ったり止んだりして、風も強かった。しきりに方向が変わるので、帆は畳むしかなかった。段々と天候が悪化し、嵐の中に突入したようだった。
船が軋む音にメトは不安になった。こんな嵐の中で放り出されたら命はないだろう。メトはガイとゼロと共に、同じ船室に籠っていた。外にいても躰が濡れるだけだ。
「この船も結構大きいから、嵐くらいへっちゃらだろうけど……」
「魔物に襲われて船底が損傷しているからな。影響があるかもしれない。補修はしっかりしたはずだが」
ガイは巨体を窮屈そうに自分の寝台に押し込んでいた。
「ただでさえ退屈な船旅なのに、こうなるともっとやれることが少なくなるね」
「メトちゃんは退屈でいいんだよ。メトちゃんが働くときは、敵に襲われたときだからな」
「そうかもね。……ふう、ディシアは大丈夫かな」
「あの子は魔物の躰の中にいられるんだろう? 海中なら嵐なんて関係ないだろうし、魔物が海中にいる限り、安心だ」
「普通の嵐なら、そうなんだろうけど」
「うん?」
「いや、なんでもない。ただ、嫌な予感がするってだけ」
船の揺れは激しく、巨人が船を持ち上げてぶんぶん振り回しているかの如きだった。いつ船が砕け散って海に放り出されてもおかしくないと思った。そうなっていないのは奇跡みたいなものだ、と船の柱にしがみ付きながらメトは思った。
「だ、誰か来てくれ!」
水夫の誰かの叫びが聞こえてきた。メトは素早く行動した。ガイが呼び止める間もなく船室を出て、甲板に向かっていた。
「どうしたの!?」
メトが出てくると、不安げに身を寄せ合っていた水夫がほっとしたように息をついた。そして海上を指差す。
「あれだ」
「あれだけは見たくなかった」
「そういえば、噂ではいつも嵐の夜に姿を現すというな……」
そこにぽっかりと浮かぶのは巨大な船だった。嵐の夜にあって天空から照明を当てているかのように輝いている。扁平な船体の上に、六つの花弁が連なって雪の結晶のようになっている塔が乗っかっている。メトはあれが六花の祭壇と呼ばれるデイトラム聖王国の軍船であることを理解した。
軍船はぐんぐんマナの海賊船に近づいている。メトは嵐の中、顔を伏せながら艫に向かった。船尾からよくよく六花の祭壇の様子を見ようと思ったのだ。
船尾に見慣れぬ男が立っていた。雨に濡れて佇んでいる。この船の乗組員ではない。この強風の中、激しく揺れる船の上で、ふらつくことなく、ただ立っている。メトは腹の底から冷えていく感覚を覚えた。聖都で会ったクマドの猟犬たちの名前と顔を思い出そうとする。
「……間違ってたらごめん。クマドの猟犬の、カルド助祭?」
「よく覚えていたな」
「そりゃあ、あんたの頭の中をぐちゃぐちゃにしちゃった負い目があるからね。こんなところで再会するなんて、奇遇だなあ。ちゃんと職場復帰できたみたいで、何よりだよ」
メトは用心深く間合いを保った。精神を集中させると、船の揺れにもよろめかずに済んだ。
「クマドの猟犬にメトとゼロの奪還任務が下りた。真っ先に志願したよ……。お前を殺す為にな」
「私って実験台になるんじゃなかったっけ? 殺しちゃっていいの? 丁重にもてなす準備はできてないわけ?」
「抵抗激しく、遺骸を持ち帰るのが限界だったと報告する」
メトは肩を竦めた。
「不良だねえ。もっとマジメに仕事しないと、上司の覚えが悪いよ?」
「黙れ。どうせこの船は沈める。しかしその前にお前だけは俺が殺す」
「確実に殺したいってこと?」
「いや。私怨だ」
メトは嘆息した。嫌な展開だ。
「今度は殺すよ。私だって、あんたみたいな強敵と何度もやり合ってたら体がもたない」
「好きにしろ。戦いの末に敗れて死ぬのなら文句はない」
「ところで、あんたが志願したことについて、あのクマド司教は何か言わなかったの?」
「司教猊下なら……。ここに俺がいることは知らんさ」
「ふうん」
メトは嵐の中、イカの魔物が海面に頭を出したのが見えた。それから、声をより大きくして尋ねた。
「一応聞くけどさ、ゼロのことは丁重に扱ってくれるのよね? 私を殺した後、彼女まで殺すなんてことしないでしょ」
「どうでもいい」
カルド助祭は喚いた。
「どうでもいいんだ。実験なんて。酔狂なプライム博士が何を目指しているかなんて興味がない。ゼロは研究において、もう役目を果たしたのだろう? だったら殺しても構わないはずだ。抵抗するようならさっさと殺す。面倒ごとはごめんだ」
「だってさ、ディシア。どう思う」
メトの言葉にカルド助祭は目を丸くした。そして振り返る。
「ディシアだと。あの化け物がここに――」
イカの魔物が足を振り上げる。カルド助祭に襲い掛かったが、機敏に飛び上がった彼はそれをかわした。そればかりか体に炎を纏い、足一本を吹き飛ばしてしまった。イカの足が燃え上がり、みるみる炭化していく。
湯気を立ち昇らせたカルド助祭は、メトを鼻で笑った。
「奇襲失敗だな。なんと浅はかな策だ」
「……残念だよカルド助祭。戦いの最中油断してしまう悪癖は直せてないんだ。ギャルム司祭も呆れてたしね」
イカの足から飛び出し、カルド助祭の背後に回っていたディシアが、彼の首を掴んでいた。カルド助祭は悲鳴を上げたが、万力のように締め上げるディシアの膂力に勝てるはずがない。
「……殺すぜ?」
ディシアの眼には遠慮も躊躇もなかった。メトは俯いた。
「ああ……、彼は強過ぎる。怪我もたちどころに治すし、拘束しても超人的な力ですぐに抜け出すだろう。随分恨まれちゃったから、ここで見逃しても何度も襲ってくる。今度はガイやゼロに危害を加えるかもしれない」
メトはひとつひとつ、噛み締めるように言った。カルド助祭は締め上げられて顔色が赤黒くなっている。声を出すこともできない。
「……だから殺すしかない」
「ふっ、心配すんなよメト。こいつはとっくの昔に人間じゃなくなってる。あたしからしたら、あたしと同類――人間と魔物の中間だ」
「そんなこと……」
「言い訳にならない、ってか? お前は人殺しを嫌っているな。しかし、そんなんじゃ守りたいもんは何も守れないぜ」
ディシアが力を入れた。ブチブチという音と共に、あまりに呆気なく、カルド助祭の首と胴体が分離した。甲板に首が転がる。メトは目を背けた。噴き上がる血は、甲板を流れる雨水があっという間に洗い流してしまう。
イカの魔物にカルドの胴体を投げ、それを食わせたディシアは、こちらに距離を詰める六花の祭壇を睨んだ。
「どうする、メト。今度は軍船相手だが、派手に暴れるか? クマドの猟犬だっけ? まだ乗ってるかもしれねえぞ」
「そうだね……。今度は殺さずに済めば……」
「……はぁ。メト、お前がそんな軟弱なままなら、お前を殺して、ゼロはあたしが連れていくぜ。分かってんのか?」
「軍船は沈める。それでいいんでしょ」
「ふん。この前の海賊船とはワケが違うぞ」
メトはイカの魔物の足に飛び乗った。ディシアはイカに同化し、軍船へと向かう。六花の祭壇は軍船らしく、多くの火器を備えていた。嵐の中なのでまだマナの船は無事だが、間もなく射程距離に入る。
一刻を争う。メトは覚悟を定めた。緊急時用の小舟をたくさん備えていてくれ。そう願いながら軍船へ剣を向けた。




