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六花の祭壇(前編)


 海賊船は帆いっぱいに風を受けて進む。詳しい原理はメトには分からなかったが、進みたい方向への風が吹いているワケではなくとも、帆の操作である程度は進行方向を決められるようだ。しかし水夫たちは船上作業で汗だくで、魔法動力船とやらと比べると、やはり安定した航行とはならないようだった。


 天気が多少荒れることはあっても、船旅は比較的平穏だった。魔物はディシアが同化したイカの魔物が全て平らげてくれる。夜の闇の中で見たのでイカの魔物の全容が分からなかったが、昼間見てみると意外と愛嬌のある顔をしていた。水夫たちはできるだけ目を合わせないようにびくついていたが、メトは手を振るとイカが足を振り返してくるのですっかり愛着が湧いていた。


 数日間、船は洋上を順調に進んだ。このまま何事もなく進めばいい……。メトはそう思っていたが、博士はそう簡単ではないことをしきりに訴えていた。


《ゲイドで港が封鎖されていた理由を思い出せ。魔物に関してはもう恐るるに足らんかもしれんが、他に問題があっただろう》


「あー……、なんだっけ。海賊と、えーと……」


 メトは言いながら甲板の隅っこに腰かけた。腰の博士の柄に手をかける。


《異常気象だ。このところ順調のようだが、この先こうはいかんだろうな》


「でも、そうなると、私じゃあどうすることもできないんじゃ。マナや水夫さんに頑張ってもらお」


 メトは欠伸をしながら言った。水夫たちが帆を張ったり畳んだりしているのを目を擦りながら眺めていた。


《特に理由もなく、そんなことが起こっていると思っているのか?」


「はあ? どういう意味?」


《鉱山地帯で、グゥラという幻術遣いと戦っただろう。覚えているか》


 邂逅したのは一瞬だったが、忘れられるわけがない。


「もちろん。実質負けちゃったし」


《あの男は生まれつき、幻術に長けていたわけではないだろう。あの規模の幻術は人間の能力を大幅に超えている。恐らくはフォーケイナの棺で能力を強化した結果だ》


「ふうん……、で、それがどうかしたの」


《ああいった能力者が、特にデイトラム聖王国に関わりのある地域では増えているだろうということだ。あの港湾が封鎖されて得をする人間が気象を操っている可能性がある》


 メトは腕を組んで考えた。


「うーん、それは考え過ぎじゃないの? 天候が荒れることなんて、たまにあることじゃん」


《もちろん、それ単体なら、特別疑わしいことではない。しかし、港湾を爆破するような事件が起こった後だ。何か人為的なものを感じないか》


「さてね……。博士は天候を操作している人間に心当たりがあるの」


 博士の返答が少しだけ遅れた。


《いや……。しかしこの海域で何かしでかそうとする人間の意図が垣間見れる》


「私たち以外の海賊とか?」


《海賊なら、むしろ貨物船が消えることで食い扶持がなくなるではないか》


 メトはぽんと手を打った。


「それもそうだ。うーん……、よく分からないなあ」


《単純に考えるなら、デイトラム聖王国へ打撃を与えたいと考えている者の仕業だ。フォーケイナの棺の恩恵を受けておきながら、な……》


 どんな国でも、敵なんていくらでもいるのではないか。メトは一瞬だけ考えようとしたがやめた。


「たくさん敵いそうだからなあ、あの国。じゃあ、そうなると、私たちとは必ずしも敵対しないね?」


《だといいがな》


「やっぱり、心当たりあるんじゃないの」


 メトの質問に、博士はつっけんどんに答えた。


《ただの憶測だ》


「それを心当たりと言うのです。言ってみなよ」


《やめておく。当たったところで何にもならんからな。ただ、一つ警告しておきたかった》


「なによ」


 博士は自身を鳴動させ、警告するように柄を握るメトの手にやんわりと衝撃を与えた。


《このまま平穏な旅にはならん、ということだ》


「はい、はい。油断するなってことね。でもさあ、博士」


《なんだ》


「自分が複製品だって知って、もっとヤケになるかと思ってたけど、案外普通だ」


 メトの言葉に博士は穏やかな声を返した。


《覚悟していた。いや、この躰で目覚めてから、その可能性が高いと思っていた。あれこれ理屈をつけて否定しようと思ったが、無駄だった。今はむしろ、穏やかな気分だ》


「ああ、そう」


《お前こそ、私に対する当たりが柔らかくなったな。同情しているのか?》


 少し考えて、否定する。


「まさか……」


《言っておくが、私には研究所でお前やフォーケイナに非人道的な実験を繰り返した記憶がはっきりと残っている。確かに私は直接お前に実験を施したわけではないが、人格的にはプライム博士本体を完璧に模倣している。同一人物と言って差し支えないのだぞ》


「知ってるよ」


《それなのにお前は私に気安く話しかけるようになった》


「それはわりと前からじゃない?」


《そうか……?》


「私は能天気な人間なんだよ。結局、憎むべき相手を憎み切れなかった」


 博士はしばらく何も言わなかった。メトは潮風でべたついた顔をぺしぺし叩きながら、立ち上がった。


「もし、博士がまた過ちを犯すというのなら、私が阻止する。だけど、プライム博士本人は今も健在で、また何をしでかすかもわからない。彼を止められるのは、もう一人の博士しかいないと、私は思う」


《私が私自身を止めると思うのか?》


 メトは柄を強く握り込んだ。


「私が手綱を握っている限り、博士はそうせざるを得ないと思うよ。それに……」


《なんだ?》


「自分自身に複製品と呼ばれ、見下ろされているのは、気分が悪いんじゃない? どうせなら勝っちゃえば? これ以上ないほどの好敵手でしょ」


 自分が複製品で、人間ですらないなんて、どんな心地なのか想像もつかない。博士はしかし泰然としている。


《ふっ……。何をもっての勝ちかなんてわからないがな。私は、私自身の考えが読める。だからプライム博士本人を憎らしいと思うことはない。立場が逆でも、私は同じことをする。それが分かるからな》


「そっかあ。まあ、やる気が出ないなら仕方ないけど、フォーケイナを救うまでは付き合ってもらうよ、博士」


 メトは欠伸交じりに言った。船旅はやることが少ない。水夫の仕事を覚えて手伝おうかと思ったがマナに止められた。いざというときに頼りになるのはメトしかいない、とイカの魔物との勝負を見て確信したらしい。実際、あれをどうにかしたのは、ディシアなのだが……。


 メトは船のふちにもたれて、少し高くなりつつある波をぼんやりと見つめた。遠くの空に大きな雲があるのが見える。ふと見ると、水夫たちもそれを不安げに見ていた。


 メトはよくよく雲の大きさや形を確認しようと思った。それでじっと目をやっていると、砂粒ほどの大きさの船の影が、うっすらと見えた。


 それは時間が経つほど大きくなっていく。最初は何も思わなかった。しかしそれが魔法動力船で、こちらの船より遥かに機動力に優れ、そして急に方向を転換して砲門を向けてきたとき、勝手に体が反応した。


「伏せろ!」


 博士を巨大な武器に変形し、待ち構えた。凄まじい轟音と共に砲弾が飛んできて、それは一応目で追える程度の速度ではあったが、その質量と速度から、まともに受け止めたらただでは済まないことは容易に分かった。


 なんとか受け流す。メトは跳躍し、斜めに巨大な盾となった博士を構えた。盾の表面を砲弾が滑り、船からぎりぎりのところをかすめる。海面を叩いた砲弾は大量の海水を巻き上げ、衝撃で船が大きく揺れた。ひっくり返るかと思うほどだった。


「海賊船だ!」


 メトは叫んだ。しかし敵船はまだ遠い。遠すぎる。あんな遠くの距離から正確に砲弾を撃ち込んでくるとは。こちらも移動しているというのに。反撃するのは難しい。


 笛が鳴った。敵襲の報せだ。とは言っても、こちらは逃げることしかできないだろう。水夫たちがわあわあ言いながら甲板に出てきて、敵襲に備える。


 メトは腕が痺れていた。一発防いだだけでもかなりの疲労があった。ガイとゼロが甲板から出てきた。船室に戻れと言いかけたが、中にいても外にいてもあまり変わらないか。


「メトちゃん! 何があった!?」


「海賊に狙われたみたい。こっちも海賊だよって教えたら、諦めてくれないかな」


 メトが言うと、遅れてやってきたマナが、苦笑しながら首を振る。


「同業者だと知ったら余計鼻息荒く襲ってくるよ。ドゥラの海賊からすれば、自国の船を襲う不届き者だし、ゲイドの海賊船からすれば、競合相手だし」


「海賊同士仲良くしなよ……」


 ざばん、という大波と共に、イカの魔物が現れた。ディシアがイカの足の先から体を生やして、ふわあと大きく伸びをする。


「なんだなんだ。とうとう海賊行為に勤しむことにしたのかぁ?」


「そうじゃない。襲われてるんだ」


「襲われたぁ? じゃあ当然、報復するんだろうな」


「自衛の為に、こっちから攻撃を仕掛けるのは、アリかな」


「じゃあ、皆殺しにしてくるわ」


「ち、ちょっと待て!」


 イカの魔物を進めようとしたディシアに、メトは手を上げて制止した。


「私も行く。ディシアは手を出すな」


「あぁん? あたしに指図するなよ。ってか、あたしにお前を運べって?」


「頼むよ」


「知らねー。あたしは行くから」


 ディシアはイカの魔物の体内に潜り、姿が見えなくなった。イカの魔物が海面に体を出しながら進み始める。来たいなら勝手にしろ。ディシアからそう言われたと判断して、メトはイカの魔物の足に飛び乗った。そのままその足だけは海面に出し続けてくれていた。


 あれこれしている間に、敵船はぐんぐん近づいていた。魔法動力船の機動力は凄まじく、砂粒ほどだった敵影は、もうその構造を肉眼で詳しく観察できるほど大きくなっていた。


 遠距離から砲撃できるのに、どうしてわざわざ近づいてくるのか……。結局、物資を奪いたいなら、最終的には白兵戦に持ち込む必要がある。最初の一撃はこちらを半壊させ、戦闘能力を奪う為のものだろう。こちらの被害状況を確認する為に近づいてきたのだろうか。


 しかしそれにしても、あの砲撃は正確過ぎた。メトが受け流さなければマナの海賊船を粉砕していた。下手をしたらあっという間に沈没していた。それでは物資も奪えないのではないか……。


 敵船はまっすぐマナの船に近づいている。イカの魔物が近づくと、少し速度を緩め、そして横っ腹を見せた。


 砲門の奥で影が蠢くのが見えた。


 来る。


 メトはイカの魔物の足を叩いた。メトの意思を汲んだのか、足が水中に引っ込んだ。メトはその動きに合わせて海に飛び込んでいた。


 砲撃が三連。全て海に激突し、煙突のように高い水しぶきをあげる。


 メトはすぐに海面に浮上した。敵船はメトのすぐ脇を通り過ぎようとしていた。海面から敵船の甲板までは高さがある。さすがのメトも、立ち泳ぎからそこまで跳ぶのは不可能に近かった。


 博士を変形。敵船の砲門近くに引っかけた。そのままよじ登る。


 登っている最中に、敵船の兵士に気づかれた。短銃を向けられる。メトは舌打ちして跳躍した。そして、甲板に降り立つ。


 既に敵船の甲板には武装した兵士が十数人、控えていた。マナの船に白兵戦を仕掛ける準備をしていたのだろう。メトの登場に度肝を抜かれたようだった。


「降参してくれない?」


 メトは何でもないように言った。


「今から、とんでもなく凶悪な女があんたたちを殺しに来る。なんとかそれは避けたいんだよね……。どう?」


「ふざけるな!」


 一斉に兵士が銃を構える。何人かは剣を持って突っ込んできた。メトは怪鳥のように飛び回り、敵の銃弾をかわし続けた。


《おいメト。どうする気だ。一人ずつ気絶させて回るつもりか?》


「そうするしかないでしょ」


《敵は全員銃を持っている。弾幕を形成されると近づけんぞ。いくらお前でも銃弾を食らいまくったら死ぬ》


「あんな軽い銃の弾、博士を盾にすれば近づけるでしょ」


《もたもたしているとディシアが船ごとひっくり返す》


「……そうなったら、私にはもうどうしようもできないよ」


 メトが言い終わったとき、敵船が大きく揺れた。兵士たちが慌てふためく。銃の狙いなんて定まるわけもなく、メトは近くにいた兵士の頭をゴンと博士で殴って倒した。


「なんだ!? いったいどうした!?」


「魔物だ! 見たこともない巨大な魔物が、船に絡みついている!」


「船底に穴が開いた! 浸水している!」


 船上は大混乱だった。メトはもう戦う気が起きなかった。大きく揺れて船の上を転がる兵士たち。なおもメトに攻撃しようとする強者もいたが、散発的な攻撃にメトが遅れを取ることはなかった。


 メトは船から海に飛び降りた。イカの魔物からにゅっとディシアが生えてきて、立ち泳ぎをするメトをつまらなそうに見ている。


「……何しに乗り込んだんだ、お前」


「だって、ディシアが皆殺しって言ったから……」


「船を揺すってよぉ、そこからぽろぽろ人が落ちてくのが見てて面白いから、そうすることにしたぜ。それにあたしたちは海賊なんだろ? 金目のものは全部奪わねえとな」


「あ、そう……」


 イカの魔物が船を揺すり上げ、そうしている内に浸水が進み、兵士たちは武器や鎧を捨てて海へ避難した。小舟が三艘、浮かべられ、そこに兵士たちがぎゅうぎゅう詰めになっている。それに乗れなかった裸の兵士たちが、メトの近くに何人も浮かんでいたが、彼らは完全に戦意を失っていた。むしろメトに縋るような目を向ける者もいた。


「あんたたち、海賊?」


 メトが立ち泳ぎをしながら訊ねると、彼らは頷いた。


「ふうん……。ディシア、溺れそうになってる人たちを掬い上げて、私たちの船に連れて行こうよ」


「はあ? 何を言ってる」


「だって、私たち海賊なのに、本物の海賊が一人も乗ってないじゃん。それでなくとも、マナが人員募集してたでしょ?」


「マナって誰だっけ。……別にいいけどよお、お前、あたしを便利な奴として認識してないか? 今ここで、殺し合ってもいいんだぜ」


「ゼロを無事に送り届けるまでは自重してよ」


「ふん」


 イカの魔物が、小舟に乗り損ねた兵士を四名ほど拾い上げた。彼らは絶望の悲鳴を上げて助けを求めたが、三艘の小舟は全速力で逃げていった。それを四名の兵士は見送るしかなかった。


 敵船はいよいよ沈没が進み、船首が持ち上がり始めた。大きな渦を生みながら、船が垂直になり、そして轟音と共に沈んでいった。ディシアはそれを興味深く見ていて、完全に沈み切るまで観察をやめなかった。その間、兵士たちは自分の死を確信して、情けない悲鳴を上げ続けていた。



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