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海賊船長マナ(中編)





 出航日。快晴、微風、波は穏やかで、魔物の気配も少ない。空気は透き通り地平線までくっきりと見渡すことができ、時折、マナが雇った水夫が気持ちの良い掛け声を交わしながら作業をする。


 ゆったりと揺れる海賊船の甲板の上で、メトはぼんやり座っていた。保存食の入った樽に腰かけた彼女は、同じく樽の上で胡坐をかくディシアが欠伸をするのを見て、欠伸が伝染した。


 二人の少女が揃って欠伸をし終わった後、ガイが船室から現れた。ガイは日差しを遮るもののない海上にあって、露骨に憂鬱そうだった。自身の毛むくじゃらの体を乱暴にさすった後、メトに顔を近づけた。


「メトちゃん、本当に大丈夫なのか?」


「何が」


 ガイはうつらうつらと樽の上で舟を漕いでいるディシアをちらりと見た。


「……ディシアと一緒に行くことになるなんて。想像もしていなかった」


「私も。だけど、ゼロがいると大人しくなるみたいだし……」


「絶対ではないだろ。いつ機嫌を損ねるか……」


「常時私が監視しておく。大抵の時間は眠っているみたいだから大丈夫だよ」


 メトはそう言ってガイを宥めた。しかしメト自身不安ではあった。ディシアは気まぐれな性格だし、いつ船員を攻撃してくるか分からない。気に食わないことがあったら躊躇することなく暴れ出すだろう。


 しかし、これは好機でもあった。メトはディシアと和解できればそれに越したことはないと考えていた。博士は共通的だが、メトの持つ博士は複製品であり、直接の憎悪の対象とは見做されないかもしれない。うまくそれを伝えることができれば、対立する理由がなくなる。


 ディシアが入り江の洞窟で魔物と一緒に眠っていたことには驚いたが、その後の行動は更に想像もつかないものだった。ゼロを前にするとにこにこして、凶暴性がなくなる。メトたちがタングスに向かうと知ると、一緒に行くと言い出した。とにかくゼロと一緒にいたいらしい。


 ガイはびくびくしていた。ガイとディシアは一度だけ会ったことがある。メトが重度の火傷で戦闘不能にと陥っているとき、ガイが魔物肉を調達する為に戦ってくれた。そのときに出会い、殺伐としたやり取りがあったらしい。ディシアの変化にまだ適応できていないようだった。


「……もし仲間になるのなら心強いが、理性的な行動は望めそうにないな」


「そうだね。ディシア本人は空を飛べるから、むかついたら船ごと沈めかねない」


「俺はろくに泳げないんだが……」


「そのときは博士を小さな舟に変形させてなんとかするから大丈夫。でも何人乗りまでいけるかな……。武器の大きさにも上限があるだろうし」


「れ、練習しておくか? いざってときのために!」


「やめておく。最悪の事態を考え過ぎても仕方ない。それに、あまり騒ぎになるとディシアを起こしちゃう。機嫌最悪になるだろうし」


「そ、そうか。分かった。俺は船室にいるから、何かあったら呼んでくれ」


 ガイは揺れる船によろめきながら去っていった。メトはディシアが相変わらず眠っているのを確認してから、海上の雄大で退屈な風景を見渡した。


 船旅は退屈なものになるだろう。乗り込む前、そう予想していた。それは正しかったが、ディシアという同船者がいることで、退屈で危険な旅へと様変わりした。ディシアは大体眠っていたので、退屈なのは変わりなかったが、これほど危険な同行者はそうはいない。


 日が暮れるまで甲板で過ごした。ディシアはずっと不安定な体勢で眠っていた。暗くなって、夜風がにわかに冷えてきたので、メトはディシアをおそるおそる背負って、船室に入った。


 船内の通路で、マナと行き会った。彼女はろくに眠っていないらしく、目の下のくまが濃かった。


「メト。……とディシア。仲睦まじいようで」


「冗談。酷い顔してるけど、寝てないの?」


「よく考えたら、私、船酔いし易い体質だったわ……。こんなに海賊船長に向いてない人もいないでしょうね」


「そうなんだ。でも船旅は順調そうで何より」


「そろそろ、魔物が出没する海域に差し掛かる。他の海賊船もどこをうろついてるか分からない。巨大な船が何隻も沈んでいるから、めちゃくちゃ警戒しないと」


「私、寝なくても大丈夫だけど、見張りしてようか?」


「いざってときに寝不足だと困る。見張りは私の部下に任せて、ゆっくりしてなよ」


「分かった」


 そのとき、ディシアがメトの背中で身じろぎした。ディシアは服を着たがらないので常に全裸で、行き交う水夫にじろじろと見られても意に介さなかった。そんな彼女が、きゃあっと少女のような声を発した。


「どうした、ディシア」


「腹減った……。びっくりした。久しぶり過ぎて、空腹という感覚がこんな感じだったのを思い出した」


「私が用意した、魔物の保存肉があるよ」


「量が少なすぎるんだよ。腹いっぱい食わねえと満足できない」


「そうは言ってもなあ……。大量に持ち込んだら魔物肉の毒で船が駄目になるかもしれないし。ディシアは自由に飛べるんだし、調達してきたら?」


「そう言ってあたしを置いていくつもりだろう。ゼロから離れるのは嫌だ。魔物のほうから襲ってこねえかな」


 ディシアは乱暴にメトの肩を揺すった。メトはディシアを離し、自分の足で立たせた。ディシアは右手を鳥の羽根のような形に変化させ、自分の頬を撫でた。


「なーんか、魔物の気配が近いな……。おい、クソ博士は何も言ってねえのか?」


「……呼ばれてるけど、博士」


《魔物の気配など四六時中、海中からしている。いちいち報告していたらきりがない》


「……博士曰く、気配はする、とは言ってます」


「もしかして、この船を狙ってんじゃねえのかぁ? おいそこの海賊船長、魔物に対抗する武器なり兵隊なりはいるのかよ」


 マナはできるだけ気配を消していたが、仕方なく答えた。


「武器は大砲二門と、魔法小弾の銃座が八つ。兵隊は港で雇ったのが二人だけ。水夫たちもいざというときは戦うけど」


 マナの雇った兵隊二人は、ずっと積み荷のある船蔵にいて、まだメトたちと顔を合わせていなかった。どれだけの腕前なのか分からない。


「魔物が近づいているというのなら、兵隊に見張りさせようかな。メト、連れてきてもらえる?」


「分かった。そのまま一緒に警戒する。ディシアはどうする?」


 ディシアは欠伸を噛み殺した。


「……寝足りねえ。ゼロが危なくなりそうだったら起こしてくれや。他の用事で起こしたら頭かち割ってそいつの脳味噌の中に住むから覚悟しておけよ」


 ディシアなら、自分の体を小さく変化させることもできるだろうから、人の頭の中に住むことも可能だろう。単なる脅しとは限らないのが恐ろしいところだ。


 メトはディシア、マナと別れて、船蔵に向かった。薄暗い空間の中で二人の男がじっと座って待っていた。メトが光球魔法で辺りを照らすと、そこには見たことのある顔が二つ並んでいた。


「うおっ」


 髭面の男が素早く立ち上がる。その隣には若い剣士。メトは硬直してしまった。あまりにも意外な人物だったので、光球をもう一つ増やして、より照明を明るくしたが、やはり見間違いではなかった。


「……ゴイタムさん、クィックさん?」


 ルジス山道で会った二人の剣士。剣の師弟であるゴイタムとクィックがそこにいた。ゴイタムとは最後対立してしまったが、クィックはゼロが好きだと告白し、味方になってくれた。


「こんなところで何を……。密航じゃないよね?」


「メトさん。我々は海賊に雇われたのですよ。私とクィックは人斬りで有名でしてな。まともな職にありつけないのです」


「それはそうだろうけど……。なんつー縁だ」


 メトはクィックが緩慢な動作で立ち上がったのを見た。彼は甲板へ向かおうとする。


「……クィックさん?」


「俺たちを呼びに来たということは、荒事だろう。魔物か、他の海賊か?」


「あ、魔物の気配が近いから、警戒しようって話になったの」


「魔物の気配……。いったいどうやって察知を?」


「私の知り合いにはそれができる人が多いの」


 メト、ゴイタム、クィックの三人は甲板に出た。海上は闇に包まれていて、波が船体にぶつかる音や船体が軋む音が、絶えず聞こえてきていた。海上に出てから静寂というものがない。ゴイタムとクィックはそれぞれ右舷と左舷を見張り始めた。


 ゴイタムとクィックは相当な手練れだ。特にゴイタムは恐怖を感じるほどの剣豪だった。もう一度戦ったら勝てるかどうかは分からない。向こうもメトの武器について知った以上は何らかの対策を講じてくることは確実だ。二度とやり合いたくはなかったが、彼らは人斬り。もしかするとまた衝突することもあるかもしれない。


「……ねえ、クィックさん」


 メトは若い剣士の背後に立った。彼はぴくりと反応したが海上から視線を外さなかった。


「……なんだ」


「まだゼロのこと好きなの?」


「……あのときのことは忘れてくれ。血迷った」


「ゼロもこの船に乗っているんだけど……」


「そうだろうな。だが、俺にはもう関係ない」


「それならよかった。実はディシアっていうちょっと過激な女の子がいるんだけど、彼女がゼロのこと大好きみたいなのよ。クィックさんがゼロに言い寄ると、ケンカになるかもしれないって不安だったの」


「問題ない。彼女は俺を振ってくれた。未練など……」


 ここでクィックが硬直した。メトが振り返ると、船室からゼロが姿を現したところだった。


 月夜とあって多少は明かりはあるが、それでも暗い。そんな中でもゼロの美しい顔と銀髪は光り輝いて見えた。まるでその美貌が見えなくなるのは勿体ないと神が特別な配慮を施したかの如く、彼女の顔はくっきりと見えた。


「うっ……」


 クィックは顔を逸らして悶えた。メトはゼロがぼうっと突っ立っているのを見てから、


「クィックさん、クィックさん、大丈夫!?」


「やはり、駄目だ、俺は……。こんな辛い思いをするくらいならいっそ、こんな薄汚い陽物なんて切り落としてやろうか……!」


 クィックが脂汗をかいているのを見てメトは本気で同情した。なんて不器用な人なんだ。そしてゼロを見る。


「ゼロ! 危ないから中に入ってて! 魔物が出るかもしれないの」


 ゼロはふわふわとした足取りで船室のほうへと戻っていった。寝ぼけていたのかもしれない。するとにわかにクィックはしっかりと立ち、凛々しい顔つきに戻った。


「……クィックさん?」


「何も言うな、メト。俺のことは放っておいてくれ。仕事はきっちりする。だから、頼むから、もう何も言うな」


「……了解」


 ここでグハハハハとゴイタムが笑った。


「剣の道に邁進するのに女など不要! と愛弟子に諭しておりましたが、たまに買うくらいはさせてやったほうが良かったですかな、メトさん!?」


「知らないけどさ」


「あまりにも経験がないのも考え物でしたかな! かくいう私も、若い頃は随分やんちゃを……」


「聞いてないから」


「メトさん、よろしければこの青二才に一つ、ご教授いただけませんか? どうせメトさんも大した経験はなさそうだからちょうどいいでしょう!」


「黙れ殺すぞヒゲ達磨」


 もっと口汚くゴイタムを罵ってやりたかったが、ゴイタムと一緒にクィックを煽っているような感じになるのも嫌なのでこの辺で勘弁してやることにした。


 三人は夜の海を見張った。博士曰く、魔物の気配は近づいている。しかし距離が掴めない。そもそもこの船を狙っているかどうかも分からないという。しばらく平穏だった。ゴイタムが欠伸を噛み殺し、クィックが船のへりに凭れて戦闘態勢を崩したところで、メトは異音を聞いた。


 海の中から、何かが回転する音。泡が海面で弾ける。船の下に何かがいる。


「なにがいる、博士?」


《巨大な魔物が、船底に近づいている……。まさか》


 船が大きく揺れた。ガガガガガという何かが切断される音。メトは甲板の上を派手に転がったが、ゴイタムとクィックは特殊な体術を習熟しているのか、その場に留まり続けた。


「船底に何かがいる! 浸水させようとしているのかも!」


 それを聞いたゴイタムが服を脱ぎ捨てた。


「クィックは船底へ! 私は水中に潜り魔物を成敗する!」


「了解だ」


 クィックは船内へと駆けて行った。メトは上着を脱いで、その上に帽子を置いた。最低限の衣服だけを纏う。


 ゴイタムもほぼ裸になっていた。背中に刀を縛り付けて潜る準備を整えている。


「メトさん、あなたも水中に?」


「どうせ船が沈んだら泳ぐことになるんだし、行くしかないでしょ」


「がははは! 違いない! それでは行きましょうぞ、海中へ!」


 ゴイタムは躊躇することなく海へ飛び込んだ。メトも博士を手に握ったまま飛び込んだ。飛び込んでから、塩水で錆び付きやしないだろうなと博士を見た。博士は潜水に適応するため、円盤のような形状となり、重りの役割を果たした。手足を必死に動かして潜るゴイタムの隣で、メトは博士を手に持った直立状態のまま沈んでいった。


 夜の海中は真の闇に包まれていた。メトの放った光球一つでは、視界は確保されなかった。水質が比較的澄んでいたのが救いだった。


 博士が照明を補充する――無数の光球が海中を照らした。魚たちが驚いて泳ぎ去っていく。そんな中、船体にしがみ付くイカのような魔物が露となった。無数にある足の先端は細く尖っており、まるでもりだった。それで船底をザクザクと突き刺している。あれでは浸水待ったなしだ。


 ゴイタムが水中とは思えぬ速度で接近する。刀を振りかぶり、易々と足を一本切り落とした彼は、しかしすぐに浮上していった。息が続かないらしい。


(博士……、久しぶりに魔物の血を浴びせてあげるよ)


 海中に滲む魔物の紫色の血を見ながらメトは言った。博士は何も答えなかった。重さを増した博士に導かれてメトは更に沈む。船底近くで金色の瞳を輝かせる魔物の顔を拝んだメトは、博士を巨大な槍に変えて、不敵に笑った。






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