怪僧と怪物(四)
「ナナシ。相も変わらずのマヌケ面だな。この旅で少しは成長したかと思ったが」
プライム博士は親しげに話しかけてくる。メトの右手に収まる博士は何も言わない。メトは冷や汗をかいていた。
「博士……、本物の?」
「もちろんだ。見てわからないか?」
分かってしまう。目の前にして、あまりにもそれが伝わってしまう。本物は目の前の博士で、偽物はこの手の中にいるこの呪われた武器であると、あまりにもはっきりしている。
「生きて……、いたんだ」
プライム博士はのんびりと頷いた。
「まあな。正直、危なかったがね。ジョットとディシアを中心に、旧研究所の戦力全てが暴走したときは、死んだかと思った。当時デイトラム聖王国で試作していたラグがたまたま迎えに来てくれていなければ、死んでいただろう」
「ラグ……、あの歌が上手な司教……」
メトの呆然としながら吐いた言葉に、プライム博士は笑った。
「彼女はフォーケイナの肉をたんまり食わせた贅沢品でね。戦闘力もクマドの猟犬の誰よりも優れている。美への執念で異形化も抑えられているのは大したものだ。だが、ラグの助けがあっても、旧研究所から脱出するのは至難だった。万が一の備えがあったとはいえ、さすがに目の前まで迫った“死”に恐怖したよ」
「備え?」
「ナナシ、お前の手に収まるそれだよ。もう一人の私だ」
博士が僅かに鳴動した。プライム博士はくっくっくと笑った。
「まさか、気づいていなかったのか? あるいは可能性に気づきつつも、信じたくなかったという感じかな。自分が複製品である可能性から敢えて目を逸らしていた。確かに、私にはそういう未熟なところがある。分かるよ、もう一人の私」
「博士……、プライム博士。私の手に収まるこの武器は、偽物なの?」
プライム博士は真面目な表情になり、はっきりと否定した。
「いや。その武器はな、私の研究の集大成ともいえるものだ。永遠の命を可能とする画期的な発明なんだよ。人格を複製し、自らの魂と思考を保存する。それができれば、永遠に私という存在はこの世界に残り続ける。たかだか人間一人の一生で費やせる時間は限られているが、人格が永続するなら、より偉大な研究を完成させることができるだろう。そういう意味で、そこにあるのも、本物の私だ」
メトは無意識にこの話の矛盾点を探した。自分でも驚きだったが、手中に収まる博士を憐れんでしまっていた。
「でも、プライム博士がここの所長だとすると、フォーケイナとゼロを買ったのは……」
「デイトラム聖王国の、とある貴族さ。最初は好き勝手利用しようと考えていたみたいだが、すぐに私に助言を求めてきた。何人か実験したのち、貴族の愛人だったラグにフォーケイナの棺を投与した。ラグには適性があったらしく、目覚ましい成果を挙げた。私は自らの研究所と、デイトラム聖王国の研究所で、並行して研究を進めた。旧研究所では人格複製の、新研究所ではフォーケイナとゼロを使った研究を主に進めた。人格を複製しそこの武器を作ったのは、貴族に助言を与え始めた頃だったから、もう一人の私としては、デイトラム聖王国にちょっとしたコネがある程度の認識だっただろうな」
話の筋は合っている。メトを聖都まで誘導したのは、実のところ、フォーケイナの棺の気配を察知した博士だった。プライム博士ならば、自らの複製品である博士の思考を追跡することは容易いだろう。なにせ自分なのだから。聖都まで誘導するのも簡単だったはずだ。メトは眩暈がした。本当に自分が憎むべきは、目の前の男……。この変形する武器は、複製品……。しかし、フォーケイナと確かな絆を構築しているこの男は、本当に自分が殺すべきなのだろうか? メトには分からない。
「プライム博士。これからあんたは、何をしでかすつもりなんだ」
メトの視線はまっすぐプライム博士に向けられた。彼は少し退屈そうに、くたびれた旅装の外套の襟を指で撫でて皺を伸ばした。
「それを聞いて私を殺すかどうか決める、というのか? 甘い女だな、ナナシ。お前たちは私に恨みがあるだろうに。問答無用で殺しに来たとしても不思議ではない」
「フォーケイナが、あんたになついているようだから」
フォーケイナがプライム博士の隣まで歩き、メトに向き直る。二人が並んで立つその姿はまるで仲の良い親子のようだった。
「一応言っておくが洗脳の類はしていない。フォーケイナは私の研究に理解を示してくれたのだよ。世界平和と、全人類の幸福の実現に、自らの犠牲が必要だと分かってくれた」
「何を大それたことを……!」
プライム博士は指を振って笑った。
「ところが、そうでもないんだ。私は、他にも幾つか研究所を設立し、研究を進めているのだが、フォーケイナの棺を摂取することとはすなわち、フォーケイナの肉を他者の肉体に同化させることなんだ。つまり、人間だろうが魔物だろうが、その肉体の組成を変化させる力を持つ。人類を改造し、この世界に適応した形に進化させる。魔物を家畜化し、新たな労働力とする。研究が完成すれば、この世界は新たな段階へと進むだろう」
「いったいどれだけフォーケイナの肉を切り飛ばせばそれが実現する。地獄だそんなのは!」
メトの激高に、フォーケイナが首を振る。
「メトちゃん、僕はこの研究に同意したんだ。既に目ぼしい能力の抽出作業は終わったから、ゼロも役割を果たした。つまり僕だけが犠牲になれば、それで済む」
「フォーケイナ、苦しいなら苦しいって言え! 私はあなたの犠牲の上に成り立つ繁栄なんて見たくない! 全部ぶっ壊してやる!」
「メトちゃんならそう言うと思った。けれど、だからこそ、僕はきみと会いたかった。会って話がしたかったんだ」
諦めろ、と。メトは全身の力が抜ける思いがした。
プライム博士が咳払いをする。
「できれば手荒な真似はしたくない。ナナシ……、いや、メト。お前は聞き分けの良い子だと信じている。ディシアとジョットは説得不可能だからな。ゼロと共に、この世でつつがなく暮らせ。私の立場上、表立ってお前を贔屓することはできないが、遠く離れた地まで逃れれば、追手も届かなくなるはずだ」
体が震えている。博士を握る手に力が入らず、何度も握り直した。
「プライム博士……。もう一人の博士は、どうするつもり」
「好きにしろ。既に技術は確立している。何体でも複製できるはずだ。少々費用はかかるがな」
不思議そうにするメトに博士は付け加えた。
「いつ、私がくたばってもいいように、常に最新の私を複製する必要がある。既にそれは、作製して何年か経っている。だから私の保存という意味では、あまり価値がない。メト、お前に馴染んでいるようだから、それはお前にやる」
手の中の博士は何も言わなかった。まるで自我を失い、ただの物言わぬ武器になってしまったかのように反応がなかった。
ここで駆けてくる足音が聞こえた。
「所長! 大教会前にガドレガが出没しました。ラグから救援要請が」
現れたのはクマドだった。呆然と立ち尽くすメトを忌々しげに見る。異形の顔が歪んだ。
所長は目線でクマドを牽制しながら、
「クマドの猟犬全員で当たれ。メトについては任務を放棄して良い」
「……分かりました。それと、レゴリーが殺されたようで」
「ふむ、まだ伸びしろのある逸材だったが……。仕方ない。もう一兵たりとも欠かすな」
クマドは頷き、退出した。メトはまだ動揺から復帰できずにいたが、フォーケイナが肩に手を置いてきた。
「メトちゃん」
「……フォーケイナ」
間近に見るフォーケイナの顔は記憶の中のもの、そのままだった。それだけに彼の正気を確信してしまう。
「行くんだ。もうここには来る必要はない」
「……でも」
「僕も、寂しいよ。きみと会えなくなるのは。でも、いつか来るよ。何の気兼ねなく笑い合える日々が。たぶん僕もきみも長命だしね」
「わ、私は……」
フォーケイナは笑顔で手を振った。その顔を見て、メトは別れが必定であることを悟った。目の前に復讐相手がいるのに、もう戦意がまるで湧かなかった。
部屋の扉が閉じる。しばらくその扉の前で立ち尽くしていた。しかし感情の整理がつく前に、踵を返していた。メトは先へ行くクマドの猟犬たちの背中を追って地上を目指した。ギャルムが振り返り、目が合った。さっきまで死闘を繰り広げていたのに、今はすっかり休戦状態だ。
《メト》
手の中の博士が言う。メトは動揺した。
(博士……?)
《薄々、気づいていた。だから大丈夫だ。私こそが本物であると思い込むために、メト、お前に話さなくとも良いことを話したこともあったな。鉱山地帯で奴隷となったとき、私はお前にこう話した。魂を宿す為に、私自身を他の物質に置換する必要があった、と》
遠い過去のことのように思えた。メトは頷いた。
(うん)
《しかしそれは無理のある話だった。永遠の命を得る為に、自殺するようなものだ。はっきり言って、それが本当だとしたら、あまりにも愚かな行為だと言わざるを得ない。私は私がそんなことをするような人間だとは思えなかった。研究所崩壊の瀬戸際で追い込まれ、やむなくそうしたのだと思い込もうとしたが、私の意思は、研究所崩壊よりずっと前から確立し、長い時間眠っていた。それも、分かっていたのだ》
(うん)
博士の声はこれ以上ないほど落ち着いていた。これまで時折見せていた苛立ちや高圧的な態度が消えている。もしかすると、メトと出会ったそのときから、ずっと不安だったのかもしれない。本当に自分は自分なのか、と。
《だから、メト、お前は私を破壊すべきだ。私には復讐相手としての価値すらない。目の前の私……。本物の私を殺したいならそうすればいいが、今はやめておけ。クマドの猟犬に殺されるだけだ。私を破壊することで溜飲を下げておけ》
メトは上階への階段に差し掛かった。クマドの猟犬たちについていく。そうすれば途中で王国兵に見つかっても、とやかく言われないかもしれない。クマドの猟犬は独自の指揮形態で動いていて、王国兵も口を出しにくいだろうから。
(いきなり殊勝になって……。らしくないけど)
《だが、お前はこれからどうするつもりだ。フォーケイナを強奪しても、恨まれるだけだぞ》
メトは瞼を閉じた。そしてすぐ開く。
(博士……。私が博士を見つけたときのことを覚えてる?)
《なに?》
(炎の上がる研究所内で、不自然に頑丈な場所があった。そこに博士は大事に仕舞われてた。私が無事に研究所を脱出できたのは、博士の力を借りたおかげだ)
メトはあのときの光景を思い出しながら言った。何年も過ごした研究所内が無様に燃え上がるあのときの恐怖は、今でも鮮明に思い出せる。その中で炎に炙られても煤ひとつつかず健在だったのは、研究所内の最奥、とある部屋だった。
《それで?》
(たぶん、プライム博士は常に死を恐怖している。だから、どんなことがあっても無事なように、博士を頑丈で安全な場所に安置していた)
《だろうな。それが何か?》
(でも、博士だけじゃあ、何もできない。一人で動くこともできないし、研究を続けることもできない。無事に危機を乗り切ったとして、その後はどうするか? 聡明なプライム博士は策を講じていたはずなんだ)
しばらく博士は沈黙した。
《……メト、お前は私にこう言いたいのか? 旧研究所に戻り、研究を再開しろと》
(博士が安置されていたあの部屋が無事なら、研究資料も、器材も残っているはず)
《メト、お前の考えが分からない。私の研究を憎んでいるんじゃなかったのか?》
(プライム博士を超えられるのは、博士だけだ)
これには博士も間抜けな声を返した。
《は?》
(博士は悔しくないの。自分に、もう価値がないって言われたんだよ)
《何を……。言ってる》
メトは拳を握り締めた。猟犬たちの後を追って進む速度がどんどん上がっていく。
(プライム博士の研究に対抗できるのは、博士だけ。今の私じゃあ、プライム博士をどうすることはできない。フォーケイナも取り戻せない。クマドの猟犬にもたぶん勝てない。それを博士にはひっくり返してもらう)
《お前は、私に何を期待している。研究って、また人体実験をしろと?》
(逆だ)
《逆、とは?》
(フォーケイナが、自分を犠牲にすることで世界に貢献できると盲信しているのなら、フォーケイナがいなくてもそれが可能であるということを示せばいい)
博士はしばらく沈黙した。困惑しているようだった。
《……第二のフォーケイナを作れ、と?》
(それも、人間以外を使って。そうすればフォーケイナは自分を犠牲にするのをやめる。プライム博士の言う世界平和だの、人類の進化だのっていうのは、正直ピンときていないけれど、フォーケイナがそれを素晴らしいと考えているのなら、その考えを否定することはできない。フォーケイナを取り戻すにはこれしかない)
博士は呆れたように笑った。
《ふふ……。馬鹿らしい。そんなことができるとは思えない。しかし、私はお前に使われるだけの存在だ。お前がどこかへ行くことを止められるわけでない》
(じゃあ決まりだ)
《お前、私を憐れんでいるのか?》
メトは首を振った。
(まさか。プライム博士の野望を打ち砕いてフォーケイナを救い出したら、お望み通り破壊してあげるよ。魔物を殺し続けることでね)
《……メトよ、あらかじめ言っておく。フォーケイナは奇跡の存在だ。あいつのような人間を幾らでも作り出せるなら、とっくに本物の私もそうしているだろう》
(だろうね)
《その上、人間を実験台にしないという条件がつくなら、不可能に近い。何百年かかっても無理だ。分かっているのか?》
メトは腕を組んでわざとらしく首を捻ってみせた。
(でも、たとえば薬も、動物とか植物由来のものもあれば、鉱石由来のもあるじゃん。人体に作用して影響を及ぼす鉱石みたいなものをちょいちょいと改造すれば、実現するんじゃないの?)
《ばかばかしい……。無知ゆえの暴論だな》
(そりゃどうも。無知といえばでお馴染みのメトです)
博士は考え込むように小さくうなった。
《……一つ可能性があるとすれば》
(うん?)
《いや。確証がないうちはやめておこう。そもそも焼け落ちた研究所に相応の資料や器材が残っていなければ、無駄な思索だからな》
(今はそれでいいよ。私は、フォーケイナに恨まれたくない。恨まれずに彼を救うには、第二のフォーケイナを生み出さないといけない)
メトの気分は少しだけ晴れやかになった。自分のやるべきことが明らかになった気がしたからだ。
《メト》
(はい?)
《もし、不可能だとはっきりした場合は、こだわる必要はないぞ》
(何に?)
《お前は、自由に生きていい。私も、本物の私も、お前に研究対象としての興味がないわけではない。それでも野放しにしているのは、人類の可能性を切り開く為の研究をしているという自負があるからだ。お前がどんな人生を歩むのか、その足跡に関心があるからだ》
メトは何も言えなかった。どういう感情でそんなことを自分に言っているのか、博士の考えが分からなかった。
(……それは……)
《お前は基本的には善人だ。だが、仮に悪の道を進もうとも、私はそれに道具として従うだけ。行いを非難することもない。お前は、朽ちたはずの研究所に縛られて生きている。お前の無茶な提案もそれが原因だろうな。だが、自由に生きていく上で、克服しなければならない障壁なのかもしれない》
(……博士にとってもね)
《ふ。確かに……。まだまだ旅が続くとは思っていなかった。私か、メト、どちらかは捕らえられると思っていた》
(プライム博士は私に関心があるのかもしれないけど、同じくらい、自分の分身である博士にも興味があるんじゃない? 記念すべき複製第一号なわけでしょ)
《……かもな》
メトは礼拝堂に出た。既に群衆は避難していて、がらんとしていた。気絶した王国兵が二人、そのままになっているのを見て、メトは舌を出して謝った。




