傷を負った少女(後編)
「どうして噛まれたことをさっさと言わないの!?」
獣人の顔色なんて、良いか悪いか分からない。ガイが黒蛇に噛まれて毒で瀕死になっているということに、メトは全く気付かなかった。ガイは草むらで横になり、力なく笑った。
「メトさん、きみは蛇に何度噛まれても平気そうなのに、俺は一匹に噛まれただけでこのザマだ……。軟弱過ぎて泣けてくるよ俺……」
「私が特別頑丈なだけで、普通は死ぬ毒だよ! ああ、くそ、薬なんて持ってないし、私に解毒魔法のような高度な魔法は使えないし」
腰の直刀も何も言わない。専門外だから仕方ないが、手当の助言くらいくれてもよさそうなものだ。腹いせに鞘を小突く。
足元には黒い蛇がうろちょろしている。頭を踏み潰して蹴散らすがキリがない。大半は金色の大蛇と共に焼け死んだが、まだ相当数が生き残っていた。魔物としての脅威はほぼなくなったが、それでも大挙して村に押し寄せれば対処に苦労するだろう。さっさと一網打尽にするべきだった。
「ガイ! 生きていたのか!」
女の声。メトは顔を持ち上げた。山林のほうから、小柄な女が走り寄ってくる。
シャキア。“魔遣りの火”の副長だった。魔法武器で武装した彼女は、明らかにメトに警戒心を抱いていた。
「――お前は……」
「しばらくぶり、シャキアさん。色々話したいことはあるけれど、見ての通りおたくの新人が死にかけてる。解毒薬か何か持ってない?」
「当然用意している。魔物の特徴は、事前に聞いていたからな……。しかし」
解毒用の丸薬をガイに飲ませながら、シャキアは大蛇の死骸を見つめた。
「あれを……。貴様がやったのか?」
「ガイと一緒にね。おたくの新人さん、火力調節が得意みたいだよ。良い感じに炙れた」
シャキアは怪訝そうに瞼を痙攣させたが、疑問を喉の奥に引っ込めたようだ。
「……礼を言う」
「別に礼を言われる筋合いはないよ。自分の故郷を守る為だし」
「故郷? あそこの村が? そうか、妙な縁があるものだ」
ガイは眠りに落ちたようだった。獣面の大きな口から涎を垂らしながらいびきをかき始める。
メトはやっと落ち着いて、近くの岩場に腰かけた。
「しばらく下手に動かさないほうがいいよね」
「……ああ。ガイを見ていてくれるか。残りの魔物は私が駆除する」
「任せたよ」
シャキアが背中の武器から青い柄と刃の斧を引き抜いた。地面に突き立てると、冷気が伝わり、黒い蛇の動きが緩慢になった。斧をそのままに、金槌を取り出して、蛇の頭部を破砕していった。メトは自分の膝に頬杖をついて、ほーん、と唸った。
「そうやって退治するんだ。勉強になりますねえ」
「……私を恨んでいないのか」
シャキアが感情を押し殺すような声で言う。メトは肩を竦めた。
「それはこっちのセリフだけど。シャキアさんこそ、私たちのことを恨んでないの。“魔遣りの火”が壊滅したのは、私たちの所為でしょ?」
シャキアは淡々と黒い蛇を叩き殺しながら、
「恨むなんてとんでもない。……随分ときな臭い任務だった。いくら団長の知己からの依頼だったとはいえ、非人道的な振る舞いに加担してしまった責任を痛感している。……お前から恨まれても文句は言えない立場だと承知している」
「メト。私の名前はメトだよ。そう名乗ることにした」
シャキアは一瞬目を見開き、
「誰が名を付けた? 自分でか?」
「両親だよ。元々の名前がそうだった」
シャキアの表情が緩み、
「思い出せたのか」
「薬の効果が切れたのと、ルーファさんが呼びかけてくれたおかげで思い出した。それと同時に村での思い出が一気に蘇ってきて、ちょっと混乱しちゃったよ。それまでは村の風景さえおぼろげだったのにね」
「……表情が柔らかくなったな。記憶が戻った影響か」
メトはガイのいびきの旋律に指揮を振る動作をしておどけてみせた。
「そうだねえ。研究所でシャキアさんと会ったときは、実験の最中だったし、余裕はなかったかも。でもさ、私って結構あの中だととっつきやすいほうだったと思うけど」
「それは、確かに。他の子どもたちは危うかったな。まともに会話が出来たのは、お前――メトと、フォーケイナだけだった」
メトは思い出していた。自分と同じ境遇――生まれつき無能力であったがゆえに親に売り飛ばされ、博士のもとに流れ着いた子どもが数十人。五年間の実験生活で一人、また一人と死んでいった。恐らく、今生きているのは五人だけだろう。
「知らなかった」
シャキアが絞り出すように言う。
「都のど真ん中に鎮座していたあの巨大な研究所の地下で、あのようなおぞましい実験が行われていたなんて。なんとも間抜けなことに、私自身、何度も被験者の子どもと顔を合わせていたのに。子どもたちは無能力に生まれて苦しんでいる、その能力開発のために研究所にいるんだと説明した博士のことを、微塵も疑わなかった……」
「ある意味、その説明は嘘ではないんだよ」
メトはガイの傍に近づいてきた黒い蛇をひょいと持ち上げ、頭からそれを丸かじりした。
「無能力の子どもを集めて、後天的に能力を与える研究を、博士はしていた。それは嘘じゃない。魔物と子どもを融合させたり、禁呪とされるような魔法で子どもの魂に干渉したり、やばいことをたくさんしてたけどね」
「前々から博士の行いを批判する者もいた。研究の為とはいえ、生きた魔物を捕縛させ、それを研究所内で飼うなんて危険過ぎる。そんな声もあったんだ。あの日――研究所が崩壊した日、私はただ単に、飼っていた魔物が暴走し人を襲っているだけだと思っていたんだ」
「それは仕方ないよ」
「研究所から抜け出した魔物を退治してくれ――あの日“魔遣りの火”はそう依頼を受けた。私は都民を避難する役回りとなり、直接彼らとは対峙しなかったが……。研究所から抜け出した魔物とは、博士に無残にも改造され、正気を失った子どもたちだった。私たちはそうとは知らず、何の罪もない子どもたちを手にかけた……。そして、怒りを買った」
メトは思い出す。大通りに出現した炎の渦。火に焼かれて一瞬で炭化する人々。研究所から解き放たれてその能力の全てを発揮する魔人。
「……“成功品”の彼らにやられたんだね」
「見た目は普通の少年と少女だったらしい。もちろん保護対象だった。しかしすぐに討伐対象となった。都民を無差別に殺戮する彼らは、見た目は人間でも、誰よりも魔の瘴気に囚われていた。“魔遣りの火”の手練れたちが果敢に挑んだが、そのほとんどが死んだ。手傷を負った彼らは退いたそうだが、被害は甚大だった。もはやギルドとしての体裁を繕えないほどに」
「大変だったね」
「結局、研究所内で実験体となっていた子どもたちの中で、まともに保護できたのは一人だけだった。メト、お前だけ。すぐに病院から脱走してしまったが」
「食事が合わなかったものでね」
メトはため息をついた。
「研究所では、能力開発の為に様々なことをさせられたよ。博士は試行錯誤を繰り返してた。私の場合、消化器官と味覚を改造させられて、魔物の肉しか受け付けなくなった。他にも様々なことをさせられたけど、一番影響のある改造がこれだった。魔物の肉が主食になってから、みるみる体質が変化して、博士は喜んでた。比較的正気は保っていられたし、人前にも出せるってことで、博士のお気に入りみたいになってたかな」
シャキアは何度も頷いた。彼女の駆除は迅速で、黒い蛇の死骸が山となりつつあった。
「……メト、お前は博士の行方について、心当たりはないか? 博士に恨みを抱いていた子どもたちが博士を消し炭にしてしまった、なんて言っている奴もいるが、私にはそうは思えない。実験体の危険性を熟知していた彼が、自らの身を守る術を持たないなんてことは考えられないからだ」
メトは直刀の柄に触れた。指先で強く圧す。
「行方ね……。私も、博士には復讐したいと思っているよ。けどまあ、のんびり故郷帰りしてる。それが答え、かな?」
「そうか……。メト、お前はこれからどうするんだ。村に戻るのか」
「魔物退治をしながら世界を旅するつもりだよ。路銀は、まあ、魔物退治の礼金か何かを貰えればなんとかなるんじゃないかな」
シャキアが振り向いた。
「魔物退治屋か。ギルドには?」
「所属しない。集団行動は苦手だし」
「そうか。私もお前の力になってやりたいが……」
「いいよいいよ。シャキアさんは“魔遣りの火”を立て直さないと。副長なんでしょ?」
腰に手を当てたシャキアが天を仰ぐ。
「上がほとんど死ぬか、重傷を負ってしまったからな……。何人か戻ってくれば、多少はマシになるだろうが。……なあメト、もし行き場がないなら、私たちのところに来てもいいんだぞ。お前の怪力は十分武器になる。見事魔物を討ち取ったようだし、戦力としては十分過ぎる」
「ありがたい申し出だけどね。博士への復讐の旅って意味合いもあるし。魔物の肉を食べる私の存在は、ギルドにとっては悪評になりかねないと思うよ」
「事情を知れば、みんなお前のことを受け入れてくれるさ。気が向いたら、いつでも頼ってくれ」
メトはくすくすと笑った。
「ありがと。……さて、私もそろそろ魔物の駆除を手伝いますか」
「いや、あとは私がやる。事前に魔物の情報は掴んでいたから対策用の魔法武器を大量に持参していたのだが、それが原因で警戒されてしまったな。結局魔物を倒したのはメト、お前だ。魔物の討伐報酬はメトが受け取ってくれ。私たちは何もできなかった」
メトは慌てて手を振った。
「は!? いやいや、要らないよ。依頼を受けてやったわけじゃないし」
「しかし……」
「それに、トドメを刺したのはガイの火炎魔法だよ。私は、その、手助けしただけ」
「ガイが?」
しょうもない嘘をついているな、でも全部が嘘ではないか、と思いつつ、
「そうそう。凄い威力だったんだから。私が大蛇の腹を掻っ捌いても、全然死ななくてさー。でもガイが頭を吹っ飛ばしてくれたから死んだの。いやー、もう、凄かったんだから」
「本当か? この男、魔法使いのくせに魔法使い向けの能力を持っていないんだぞ」
「そうなの!?」
驚いたが妙に腑に落ちる部分もある。魔法使いのくせに、メトの放つ魔法とさして威力が変わらなそうだった。
「ああ。性分は魔法使い向きなんだがな。しかし、まあ、メトがそう言うならそういうことにしておくか」
シャキアは蛇を踏み潰しながら、
「……あの研究所で生き残ったのは、ゼロ、フォーケイナ、ジョット、ディシア、そしてナナシのメト。五人だけだ。境遇を考えるとお前たちには仲良くしてもらいたいが、そういうわけにはいかないんだな」
「うん。ジョットとディシアは破壊衝動に駆られてるみたいだし。ゼロとフォーケイナは研究所が崩壊する前にどこかに運ばれて、行方知らずだしね」
シャキアは改めてメトに向き直った。
「何か情報を得たら必ず伝える。お前は一人じゃない。そのことは忘れないでくれ」
「ありがと。私ってわりと能天気だから、心配しなくても大丈夫だよ。楽しくやるさ」
「そうか。強いんだな」
「まあね」
腕を曲げて力こぶを作ると、シャキアが笑った。メトも気づかない内に自分が満面の笑みにを浮かべていることに気づき、シャキアと一緒に魔物退治をするようになったら、こんな風に笑うことがたくさんあるんだろうなと感じた。
しかし一緒にはいられない。聡い彼女なら必ずいつか気づく。メトの武器の異常さ……、その正体に。
《ジョットとディシア……。ああ、会いたいな。私の最高傑作》
声がした。腰に差す直刀から直接声が脳内に流れ込んでくる。
メトはシャキアに背を向けて少し距離を取った。低い声で呟く。
「黙れ」
《ゼロとフォーケイナも素晴らしい……。彼らは私の長年の夢を叶えてくれた》
「黙れと言っている」
《メト……。お前は本当に奇妙な女だ。非道を尽くした私を保護しようとするなんて》
今日の刀は饒舌だ。魔物との戦いで血を吸い、興奮しているのか。
「へえ、恨まれて当然だって自覚はあるんだ」
《当然さ。私はいたって常識人だ。常識に囚われているからこそ、その逸脱を常にはかっている。申し訳ないと思う気持ちがあるからこそお前に協力している。本来なら、意識を閉じて、物言わぬ武器となっても構わないのに》
柄を強く握り込んだ。
「ありがとうって言って欲しいの?」
《とんでもない。お前が私を振るうたびに伝わってくるよ。そのやりきれない感情。恨み。憎悪。ぞくぞくするね……。そしてジョットたちは、お前以上に私を殺したがっているだろう》
「そうはさせない」
刀は嬉しそうに、
《敢えて聞くが、何故?》
「お前の生き方を決めるのは、私だ」
直刀が鳴動した。笑っているのかもしれない。
《良い言葉だ。いいだろう。せいぜい、お前との旅を楽しむとするよ。この刀身が滅び尽くまで」
メトは握り込んだ刀の柄に爪を立てた。一気に引き抜いて、近くの樹木にめちゃくちゃに切りつけたい衝動に駆られた。しかしそんなことをしても無意味だろう。
博士が魔物と人間を融合させ、おぞましい化け物を造り出すのを間近に見ていた。そんなに魔物が好きなら、魔物の血を思う存分浴びせてやる。魔物の呪われた血で、その魂ごと穢してやる。緩やかに、穏やかに、死に向かわせてやる。
しかしメト自身は、魔物に苦しむ人々の為に戦うのだ。人助けの為にその怪力を振るうのだ。あくまで優しい顔で、声で、人を助けてあげる。報酬は最低限で良い。どうせ食事は魔物の肉しか食べられないし、野宿でも平気だし、衣服にこだわりなんてないし。
この心のどす黒い部分は自分だけが知っていればいい。誰にも知られることなく、この復讐劇は終わりを迎える。このおぞましい武器が折れ、魂が消えゆくとき、旅は終わる。そのとき自分がどこに向かうのかはメト自身も分からない。あまり興味もなかった。
ゆっくりと柄から手を離す。そしてぽんぽんと、鞘を叩く。
優しく。
何度も。
絡みつくように。




