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怪僧と怪物(二)


 ガドレガは僧衣を脱ぐ。それぞれが分厚い生地で出来ていたが、それを10枚近く重ねて着ていた。僧衣は中にあるものほど汚れていた。何の汚れかは分からない。何かのシミだ。血のようにも見えたがそれだけではない。


 やがて服を全て脱いだ。現れたのはガドレガの鍛え抜かれた裸体――しかしそれはこの世のものとは思えない邪悪なものだった。ガドレガの腕に人の顔が埋まっている。血の涙を流しながら、何かを訴えている。叫んでいる。


 足。腹。肩。背中。ありとあらゆる箇所に、人の顔が埋まっている。いずれも泣きながら、許しを乞うている。ガドレガの全身から呪詛があふれ出る。それはこの世の地獄だと形容しても足りないほど凄絶な光景だった。


 ガドレガは最後に頭巾を脱いだ。そこにあったのは無数の獣の眼だった。頭部をびっしり眼球が占めている。一応口と鼻と耳はあったが、そこにも眼球が侵食していた。


「なんなんだお前……!? なんなんだよぉ!?」


 ガイは叫んだ。ガドレガは指をそっと唇のもとへやった。


「処置の邪魔をしないように。急がなければなりません」


 レゴリーの頭部を持ち、それを自身の胸に押し当てた。すると皮膚にずぶずぶと埋まっていき、すぐに見えなくなった。ガイは見た。皮膚からレゴリーの顔がすぅっと浮かび上がり、そして、目を見開いた。最初、レゴリーは自分がどういう状況に陥ったのか理解できないようだった。しかし耐え難い苦痛が襲ってきたのか、口を大きく開けて叫び始めた。 


「ぎゃああああああ!」


 鳴り響く音楽を貫通して轟くレゴリーの悲鳴。ガイは戦慄した。


「成功ですな」


 ガドレガはほっとしたように息を吐いた。


「処置には、精神を集中しなければならないので、いったん衣服を脱ぐ必要があるのです。吾輩も、この肉体が人々の嫌悪感を惹起させるものだと理解しているつもりですが……。しかし仕方ないことなのです」


「何を言ってる、お前……」


「呪いを祓うためなのです、ガイ殿。彼らは尋常な方法では贖えないほどの罪を背負ってしまった。だからこうして、徳を積み悟りの道に没頭する吾輩の肉体に同化させることで、邪気を消滅させなければならない。でなければ彼らは救われない」


「は……?」


 ガイに目の前の光景が理解できなかった。ガドレガは無数の獣の眼をまばたきさせながら、平然としていた。


「彼らは生きています。生きて、罪を贖い続けているのです。なんとも健気ではありませんか。吾輩はとことん付き合いますぞ。これまでに33人の罪人をこの肉体に収容しています。クマドの猟犬を名乗る彼らは特別罪が深く、全員ここに収容せねばならないでしょう」


「ガドレガ……。お前が普段、よく分からん音楽を流しているのは、肉体に収容している人々の顔が、泣き叫んでいる声をかき消すためか」


「ええ、まあ」


「過剰なほどの香木の匂いを振りまいているのは、その腐った肉体の臭いを誤魔化すためか」


「腐ってはいませんが、まあ。どうしたのです、ガイ殿。目が怖いですぞ」


 ガイの声は震えていた。だが、怒りが彼の恐怖を塗り潰した。


「どうして平然としていられるんだお前は! こんな残酷なことを、何でもないことのように……。殺人よりも恐ろしい、こんな所業……!」


「聞き捨てなりませんな、ガイ殿。そういえば吾輩を破門したミア教の高僧も、似たようなことを申しておりました。今はここにいますが」


 ガドレガは自分の股間を指差した。ガイはそこにある顔を確認する気も起きなかった。


「ふふふふはっははは! 毎日毎日訴えておりますよ。彼らの声は吾輩に漏れなく届くのです。高僧曰く、お前が正しかった。だから終わらせてくれ。今すぐ殺してくれ。私が悪かった。許してくれ。……だそうです。しかし、吾輩はけして人を殺さないと誓っておりますので、かなわぬことですな。まあ、呪いが消えるまで、この状態を解くつもりはないのですが」


 この怪僧に何を言っても無駄だろう。ガイはそう思った。根本から人の道を外れている。メトやゼロを改造した博士よりも業が深いかもしれない。


 ガイは首を失ったレゴリーの死体を見た。おそらくレゴリーも相当な強者だったのだろう。しかしガドレガはそれを完全に圧倒していた。クマドの猟犬がどれだけの総戦力を誇るのか知らないが、この怪僧に勝てるとは全く思わなかった。


 こんな男がメトを狙っている。ぞっとする話だった。まともにやり合うわけにはいかない。この男からは逃げるしかないだろう。この怪僧の秘密を知るまでは、もしかすると仲間につける道もあったかもしれない。だが、今となってはこの怪僧が味方になることは絶対にない。この男に嫌悪感を抱かない人間はいないだろう。


 ガドレガは僧衣を何枚か着た。しかしすぐに思い直したようで、全てを着ることはなかった。


「どうせすぐにまた脱ぐことになりますし、今日のところは着ないでおきますか」


 ガドレガの収容者たちの叫びが、音楽にかき消されることなく、はっきり聞こえる。普段は分厚い僧衣で大部分が外まで届かないようだ。しかし今はほとんど僧衣を貫通している。彼は頭巾をかぶった。


「……その顔は?」


「え? ああ、生きていく上で、食事は必須でしょう。吾輩は秘術により、人より少ない食事量で済むのですが、さすがに全く食べないというわけにはいかない。そこで、殺した獣の眼を、こうして供養しているのです」


「獣の眼を自分の顔に埋め込んでいるのか……」


「命に感謝。吾輩、野菜が嫌いなので肉を食うしかないのです」


 ガドレガはそこでハッハッハと笑った。そして聖都の中心部へ歩き出す。


 ガイは慌てて立ち塞がった。ガドレガは一瞬躊躇したが、目にも留まらぬ速度でガイの後ろを取っていた。


 生じた突風でガイは転んだ。ガドレガは困ったように頭をぽんぽんと叩いた。


「これは失敬。怪我はないですかな? 貴殿のような善良な方を傷つける意図は全くないのです」


 ガイはガドレガの足を掴んだ。すがりつくような恰好になる。さしものガドレガも驚いたようだった。


「おっと」


「ガドレガ、これ以上先に進むな。俺は確信したよ。お前が多くの人を不幸に至らしめると。ゼロさんの見た未来も、あながち間違っていないと思える。お前が多くの人を殺すかもしれないと分かったなら、俺は止めないといけない」


「ふむ。ゼロ、呪われた少女ですな。彼女も収容せねばならないと考えていましたが、近くにいるのですね。……ひょっとして、先ほどまでガイ殿と一緒におられた銀髪の少女のことですかな」


「それは……」


 余計なことを言ってしまったか? そもそもゼロのことは認知していたようだが。一瞬ガイは動揺してしまった。その隙にガドレガは足を抜き出して大股で歩き始めた。


「ははは、冗談です。ゼロ殿は吾輩の狙いではありません。もしそうなら、こうしてガイ殿との歓談に興じることもなく、さっさと追っていたでしょう! 呪いの気配は遠く離れていても顕著ですからな!」


 ガイは慌てて追いかけた。しかしガドレガの歩行速度は尋常ではなかった。ガイの全力疾走と、ガドレガの早歩きは、ほぼ同じ速度だった。


「逃げろ……!」


 ガイは走りながら声を上げた。


「逃げてくれ、みんな! この男は危険だ! 今すぐ逃げてくれ!」


 ガドレガは例の奇妙な音楽をまだ流していたが、彼の体に埋まっている哀れな収容者の叫び声は漏れて聞こえる。彼は無駄だと悟ったのか、音楽を鳴らすのをやめた。


 音楽が切れたことを、ガドレガの収容者たちが察知したのか、助けが来るのを願って、余計に声を上げ始めた。聖都に鳴り響くのは哀れな犠牲者たちの叫び声。その中に、新人のレゴリーの叫びも混じっている。


 ガイは叫んだ。逃げろ。この男に近づくな。聖都の人々は、ガイに言われるまでもなく、ガドレガを遠巻きにした。段々人が増えてきて、道を埋めるようになる。しかしガドレガはそれを全く意に介することなく、ときに人を跳ね飛ばしながら、先へと急いだ。


 やがてガドレガは大教会の前まで来た。合唱会はとっくに終わっていて、混雑は大分解消されていたが、それでもまだ多くの人がいた。すっかり日が暮れており、照明は十分ではあったが、怪僧の異様な姿は不思議と黒く塗りつぶされているかの如く、夜の闇に紛れて目立たなかった。


「うおおおおおおおおおおおおぉ!」


 超人レゴリーが、他の収容者とは別格の叫びを上げた。それは普通の声ではなかった。魔力を乗せた、遠くまで響き渡る魔法の詠唱に近いものだった。


「おや、レゴリー殿。肉体を失ってなおそんなことをするとは、やりますなあ」


 そう言ったガドレガはレゴリーの顔がある部分を拳で殴った。レゴリーの悲鳴が聞こえ、そして何も聞こえなくなる。


「イタタ……。レゴリー殿、貴殿を殴ると吾輩も痛いのですからな。もう二度とこんな真似をしないと誓ってくだされ」


 ガドレガはハハハと笑った。そんな彼の周囲は完全に人がいなくなっていた。彼から発信される人の叫びと、臭いと、闇に浮かび上がる不気味な風采に人々は恐れをなしたようだった。ガドレガから逃げようと、人の流れが加速している。


「レゴリー……、そこにいるの?」


 一人の女がふわりとガドレガの前に降り立った。空を飛んできたようだった。見たことがないほどの美人で、その姿は闇の中にあっても輝くようだった。彼女が聖都の人々の心の拠り所であるラグ司教であることはすぐに分かった。


 ガドレガはぐふふふと声を漏らし、棍棒を振りかぶった。


「これはこれは! 貴殿があの高名なラグ司教! あまりに呪われている! その美しさを得る為に、いったいどれだけの罪を重ねたのです? 貴殿がここに入れば! きっと他の罪人の心は大いに慰められるでしょう! 吾輩も鬼ではありません、それくらいは許しましょう!」


「狂人さん。わたしの可愛いレゴリーをいったいどうしたの?」


 ラグの言葉ひとつひとつに魔性の魅力があった。ガイは思わず引き込まれそうになりながらも、ガドレガへの恐怖で正気に返った。


「彼は立派です。吾輩と共に罪を贖う道を歩み始めたのですから。どうか貴殿も誉めてあげてください」


「……クマドの猟犬を全員ここに集めて。この怪物はここで仕留める」


 ラグはそう言うとふわりと浮かび、後退した。ガドレガは追いかけようと一歩踏み込んだが、そんな彼に激突してきた大男がいた。


「俺はクマドの猟犬、司祭ニース! レゴリーをどこにやった!」


「クマドの猟犬はいちいち名乗わなければならないしきたりがあるのですかな? 彼ならここです。特等席です」


 ガドレガとニースの戦いが始まった。今度は一方的な戦いにならなかった。ニースの一撃一撃があまりに重く、ガドレガですらそれをいなすのに一苦労のようだった。ガイは遠く離れた位置でそれを見ていながら、その巨大な衝撃に身がすくんだ。


 数分間、ガドレガとニースの格闘戦が続いた。その間に、彼らの周囲を王国兵が囲んでいた。ガイは王国兵の囲いのすぐ外側に立ったが、彼らは戦いに夢中で、お尋ね者のガイに全く気付かなかった。


 やがて別のクマドの猟犬が続々と登場した。大教会から姿を見せる。それをガイは確認し、そしてクマドの猟犬に紛れてメトが現れたことに驚愕した。驚き過ぎて二度見してしまったほどだ。


 メトはすぐにガイに気づいた。どうしてこんなところにいるんだ、という顔をしたが、すぐに切り替えて、指で合図をした。ガイは頷いた。


 ガイとメトは少し離れた場所で落ち合った。メトは少し疲れた顔をしていたが、怪我はないようだった。


「無事でよかった、メトちゃん。フォーケイナは……」


「中にいた。けれど、連れ出せなかった」


「警備が厳重だったか。でもまあ仕方ない。クマドの猟犬ががっちり守っていたんだろうからね」


 メトは沈痛な表情だった。しかしどこか吹っ切れたような顔でもある。


「……いや。そうじゃないんだ」


「え?」


「クマドの猟犬が守っていたのは本当。奴らのボスであるクマド司教とも会ったよ。でも、フォーケイナを連れ戻せなかったのは、別の理由だ」


「それは……」


「フォーケイナ自身があそこにいることを望んだ」


「そんな……。どうして」


「とにかく、今は聖都を脱出しよう。次の目的地が決まったから」


 メトは既に前を向いていた。この街にはもう未練がないことは、彼女の目を見れば分かった。


「……えっと、話についていけていないんだが、本当にいいんだね?」


「あとで詳しく話すよ。今はとにかく急ごう」


「あ、ああ。分かったよ」


 ガイとメトは走り出した。クマドの猟犬はガドレガへの対応で手いっぱいだろう。今なら聖都からも簡単に抜け出せるかもしれない。


 倉庫まで戻ってきた。中に入ると、拘束された傭兵たちしかいなかった。


 しかし、傭兵たちに近づくと、すぅっとゼロとマナの姿が目に入るようになった。ゼロがレゴリーからの追跡を撒くために使った隠匿魔法の効果だろうか。かなりの効力だ。


「ゼロ、マナ、無事で良かった。聖都から脱出するよ」


「フォーケイナは?」


 マナの質問にメトは無理やり口角を持ち上げて笑った。


「駄目だった。とにかく今は脱出だ。……マナ、子どもたちは大丈夫だった?」


「ああ、心配いらない。全員無事だ。報酬もきちんと払っておいたよ」


 四人は、倉庫の扉を開け放したままにしていずれ傭兵たちが街の人々に発見されるように仕向けてから、聖都に乗り込んで来たときに使った魔法動力車に乗った。てっきりマナとは別れると思っていたが、途中まで同道すると言って、運転手になってくれた。


 車の後部座席で、メト、ゼロ、ガイの三人はいつでも隠れられるようにそれぞれの場所に位置していながら、話をした。メトはガイがどうして大教会前にいたかをしつこく知りたがった。ガイはゼロの未来予知の件を含めて、覚えていること全てを話した。


「聖都で大虐殺……。そんな未来があったんだ。そんなこと起きなければいいけれど」


「ああ……。思うに、ゼロさんが俺を伴って聖教地区前まで行っただろう。それでレゴリーという名前のクマドの猟犬が俺を発見して、尾行し、ガドレガに食われた。結果、クマドの猟犬がいち早くガドレガと対立することになり、群衆に被害が出なかった。もしゼロさんが行動を起こしていなかったら、ガドレガがどんな行動に出たか、分かったもんじゃないよ」


 メトはガイの言葉を頭の中で反芻しているようだった。そして舌を出して首を振る。


「まさかガドレガがそんな化け物だったなんて……。今後関わり合いにならなければいいけれど」


「あの男はフォーケイナの棺に関わった人間を呪われていると言っていた。俺たちが聖都から離れれば、あいつとも距離を置けるんじゃないかな」


「そうだね……」


 ガイはメトが落ち着いた様子であることを確認して、


「メトちゃん、次の目的地が決まったと言っていたが、どこに行く気なんだ? 大教会の地下で何が起こったのかも教えてくれ」


「ああ、うん。もちろん話す。けど、今は疲れた。少し休んでもいいかな」


「ああ。そうだよな、すまない、気が利かなくて」


「ううん。次の目的地だけ話すよ。私と、ゼロと、フォーケイナと、ディシア、ジョットが過ごした、研究所。あそこへ向かう」


 ガイは腕を組んで動力車の天井を睨んだ。


「研究所……。ということは」


「ガイの所属していた“魔遣りの火”がある都だね。タングスという名前だったっけ」


 旅の出発点である、メトの生まれ故郷に近い、工業都市タングス。ガイの生まれ育った村とも近い位置にある、馴染み深い街だ。


「ということは、これまでの旅をそっくりそのまま折り返してなぞることになるな。しかし研究所なんて、焼け跡があるだけだぞ。資料も何も残っていないはずだ」


「うん。どうしても、行かなくちゃいけなくなった。博士の件で」


「博士……、ね」


 ガイはふと、ゼロが細かく震えていることに気づいた。車の震動のせいかと思ったがそうではない。


「……ゼロさん?」


 ゼロは傍にいるメトの腕を掴んだ。メトが驚いてゼロを見る。


「ゼロ?」


「聖都の人々が、死んでいく……。未来が見える。消えない。消えないよ……」


 ガイは慄然とした。これから聖都に何が起ころうとしているのか、知ることはできない。しかしここから離れなければ、クマドの猟犬か、ガドレガが襲ってくるだろう。


 そのとき大教会の方向から爆音が鳴り響き、衝撃で車体が一瞬浮いた。ガイは唖然としたが、マナは車の速度を上げた。


「どうした、マナさん!?」


「なんか知らないけど、王国兵が軒並み倒れてる! これ以上ないほど好機だからさっさと進むよ!」


 いったい、何が起こっているのだろう。ガイは混乱していたが、怯えるゼロを慰めているメトの目は、これ以上ないほど決意の色に染まっていた。彼女から悩みが消えている。それを感じ取ったガイは、改めてメトの旅に同行することを心に決めた。車は聖都を脱出し、味気のない街道をしばらく最高速で走り続けた。



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