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雨の聖都は美しい(後編)



 本来なら狭い空間では大きな武器を振り回すことはできない。しかし振るう武器が博士なら別だった。


 ギャルムの肉体は驚異的だった。素早く、力があり、頑丈で、魔法への耐性もある。少しでも間合いが開くと魔法攻撃で牽制してくる。しかし施設を破壊してはならないという制約でもあるのか、その攻撃には大胆さに欠け、メトが博士を使って攻め上がると、一方的に受けに回る場面も多かった。


 ギャルムはまだ余裕の構えだ。メトよりも圧倒的に強いという自覚があるのだろう。実際、攻め続けてもギャルムを崩せるとはあまり思えなかった。


《メト……。お前はよくやっている。私が思っていた以上にお前には可能性があった。しかしこのギャルムという男は、まだまだ余力を残している。全力からは程遠い。お前に勝ち目があるとは到底思えない》


「私もそう思う」


《ならばなぜ戦う。無意味なことはよせ》


「ここで退いても、いずれ捕まる未来しか見えない。私は掴みたい……。ギャルムを倒したとき、私はもう一段階上に行ける。ここで逃げれば他のクマドの猟犬にも逃げることになる。そうなったら未来はない」


《バカなことを……》


「……博士。考えがある」


《なんだ》


 メトは自分の考えを話した。博士はしばらく絶句していた。


《ふ、ふざけたことを……。到底受け入れられない》


「できるの、できないの?」


《……可能だ。だが、私にとっても危険な行為だ。本来ならぶっつけ本番でやることではない》


「どうせ、私が負けたら博士もろくなことにならないよ。実験動物並の扱いになるんじゃない?」


《だから私は逃げろと……。いや、もうどうでもいい。所詮私は道具。ふん、失敗しても文句言うなよ」


 観念したように博士が言う。メトは構えた。両手で博士を持つ。


 ギャルムが間合いを詰めてくる。メトの気迫に異常を察し、間合いを保とうと足を止める。しかし思い直したのか、一気に飛び込んできた。


 今。


 右手と左手を離す。それぞれに剣。博士を二分割。二刀流。


 ギャルムが目を見開いた。しかしそれくらいで動揺する男ではない。構わず強烈な蹴りと突きが飛んでくる。


 右手の剣は博士が制御する。左手の剣はメトが制御する。二つの思考がそれぞれ武器の形状を決める。そこで生まれるのは不合理な動きの組み合わせ。メト自身はギャルムの攻撃をいなすことだけ考えていた。ギャルムの肌は切りつけられても表面が削られるだけですぐに再生する。しかしこのときは意表を突くことに全力を尽くしていた。ギャルムの暴風のような激しい攻撃の連動に、僅かな緩みが生まれた。左手の武器の緩やかな変形速度と、右手の武器の瞬間的な変形速度に、意図せず緩急の変化が生まれ、ギャルムが対応しきれなかったようだった。


 博士が何段階も変形を繰り返し、メトの動きに合わせてギャルムの隙を咎める。腹部に剣が突き刺さり、ギャルムは素早く引いた。


 血が床に点々と落ちている。攻撃が通った。メトは二本の武器を一つに戻し、ゆっくりと構え直した。


「ギャルム……。あんた、戦いながら体の一部を硬質化させて私の攻撃に対応してたね。全身の硬質化もたぶんできるんだろうけど、そうなると動きが鈍る。固まってる隙に私に有利な位置を陣取られると、さすがに一方的に削られるから、それはできなかったみたいだね」


「……メトさん、きみは戦っている最中に、どんどん成長するなあ。感心するよ。僕と違って、頭の出来がいいんだなあ」


 ギャルムはそう言って後退した。姿を消す。傷が深いらしい。メトは追おうとしたが、膝に激痛が走り、しゃがみ込んだ。


「くっ……、無理し過ぎた」


《膝を破壊されているな。どうして今まで動けたんだ?》


「だから、気合いだよ。筋肉でカバーしてた。これ以上長引いてたらやられてたかも」


《ふっ、つくづく普通じゃないなお前は。そんなことが出来るとは》


「博士が私をこんな風にしたんだけどね。分かってる?」


《ああ……、だがどうするんだ。ゆっくり歩くことはできても走れないだろう》


「歩きながら治す……。治癒魔法を使って」


《できるのか? 高度な魔法だぞ。お前には魔法に対する耐性があるから効き目も薄いだろうし》


「今、教えて。やり方を」


 博士はしばらく黙った。そして大声で笑った。


《ははは! お前、そんなに面白い奴だったか?」


「やるしかないんだよ、博士。まだギャルムに勝ったわけじゃない。相当な深手だったから一旦退いたけど、あの男は傷を癒したらまた襲ってくる。他のクマドの猟犬も控えているかもしれない」


《ああ、そうだな。ギャルムの腹に刺さった瞬間、剣先を変形させて、内臓をぐちゃぐちゃに掻き回してやった。あれだけやって死なないとは驚きだが、さすがに回復には時間がかかるようだ。教えるのに十分な時間はあるだろう》


「そんなことしてたの……」


 しかしそれくらいしないと、再生能力を持ったギャルムはそのまま平然と戦い続けただろう。メトは博士から治癒魔法を教わった。最初は難解過ぎて諦めかけたが、メトの超人的な肉体が対象だと、繊細な魔力の制御や小難しい理論を無視して大雑把にやっても問題ないと判明して、なんとか治癒魔法を自分にかけることができた。


《つくづく頑丈な躰だな》


「……それじゃ、いよいよ地下へ行こうか」


 血の跡が点々と続く階段を進んだ。薄暗かったが照明魔法を使うほどではない。階段の途中にも部屋があったがただの倉庫のようだった。長い階段をしばらく下り続けた。


 やがて広い部屋に出た。青い光の照明が照らすのは滑らかな金属の壁と床で、指で触れると僅かに温もりがあった。巨大な柱がある以外にはがらんどうの空間で、メトは博士の指示でフォーケイナのいるほうへと歩いていった。人の気配は全くなかった。


「誰もいない……」


《妙だな。あのギャルムとかいうクマドの猟犬だけが警備に当たっているというのもおかしな話だ。仮に警備の人間がこれだけだったとしても、研究員はいないのか? ここは研究施設ではないのか》


「フォーケイナはこの先にいるんだよね」


《いる。気配がする。間違いない》


 青い照明のだだっ広い部屋が延々と続いている。平滑な壁自体が明滅しているのはどういう趣向なのか。メトは周囲の気配を探りながらもまるで生きているかのように光を放つ壁をちらちらと見ていた。


 すると壁の様子が一変した。壁一面に聖都の様子が映し出されたのだ。雨が降っている聖都の遠景だったり、とある街角であったり、人々が合唱する様子であったり、広場に集まる人々の恍惚とした表情であったり、一定区間で壁が映し出す光景が変わった。


「これは……」


《どうやら聖都の様子を現在進行の形で映し出しているようだな。どういう仕組みかは分からないが……》


「外の様子を監視している、ということ?」


《普通に考えればそうだが、ここで外の様子を監視する意味が分からない》


「だね……」


 壁は延々と続いている。聖都の様子が逐一分かる。メトは周囲の気配を探るのをおろそかになるのを恐れて、意識的に壁から目を逸らした。


 薄暗い部屋の中で佇む男に気づく。全く気配がしなかった。博士も分からなかったようで、メトが猫のように飛び退いてから男の存在を認知したようだった。


「ふふ……、雨の聖都は美しいだろう? 見惚れるのも分かる」


 男は金属をすり合わせたかのような声をしていた。メトは目を凝らす。男は中肉中背、目と鼻と口があった。


 彼が人間らしい点はたったそれだけだった。虫を這わせたかのような頭部は造形が混雑しており、五歳児が粘土を適当に捏ね繰り回して作った、と言われても納得してしまうほどおぞましい顔をしている。腕と足は一応二本ずつだが、途中で分岐しているのか、衣服が妙なところで盛り上がっていた。


 ギャルムと同等か、それ以上にやばい雰囲気がする。メトは抜刀した。


「これらの景色は、研究所内でしか行動できないフォーケイナの心を慰めるためのものだ。特に雨の聖都は美しい。彼も随分気に入っていたよ。……そう警戒するな。メト、貴様の実力はギャルムとの戦いで把握した。恐るべき能力だ」


「私には能力なんてないよ。それが原因で売られた身なんでね」


「それは失敬。私はクマド。ここ聖都で聖教地区の司教の座に就いている。正直言うと神学は門外漢なのだが、ふとすると暴走しがちな暴力装置の安全弁のような役回りを演じている」


「あんたがクマド……。私が今一番会いたくなかった人物だ」


「それは褒めてくれているのかな? 所長はメトがここまで侵入してくると言っていたが、まさか本当に来るとは思っていなかった。あの人は本当に未来を見通せるかの如きだ」


「所長?」


「フォーケイナとゼロを買い上げ、ここの研究所を設立した、偉大な方だ。多忙な身ゆえ、滅多にここを訪れないがね。私は彼を心の底から尊敬する。彼が優秀だからではない、私より力を持っているからでもない。行き場のなかった我らに役目を与えてくれたからだ」


「ふうん……。それは結構だけど、フォーケイナはどこ? 取り戻しに来たんだけど」


「残念ながら、それは無理だ。彼の存在は我らにとっても重要だ。彼がいなくなると、非常に困る」


「そりゃそうだろうね。フォーケイナの肉体から削り取った丸薬をばらまいてるんだから。そんなバカげたことはもうさせない」


「私も、彼の処遇については、非常に心を痛めているよ。せめて鎮痛剤や睡眠薬、治癒魔法を色々と試して、苦痛を減らすよう努力しているが、あまりうまくいっていないようだ」


「心を痛めてるならさっさと逃がしてあげなよ」


「それはできない。フォーケイナの棺は人類の可能性を押し広げる光だ。研究が進み、魔物の強化や調教にも使えることも分かった。彼の肉片は非常に強靭であり、摂取された後も増殖を続ける。増殖したフォーケイナの肉は魔物の体内で意思を持ち、魔物の行動を制御する。どのように制御させるかは魔法で操作できるように調整できる。こんなことが可能になったのも、フォーケイナの肉片を大量に切り取り、無数の実験を繰り返したからだ」


「魔物なんて制御してどうするっていうんだ」


「本気で言っているのか? 人間が魔物に襲われることをなくすことができる。あるいは、戦争を魔物に代理させ、人命が失われることもなくなるかもしれない。大変な労苦を伴う仕事を肩代わりさせることもできるかも。今はまだ研究段階だが、フォーケイナの棺にはまだまだ可能性が眠っているんだ」


「ふうん……、確かにちょっと面白そうだね。ただ、フォーケイナにとっては地獄の日々だろう。可能性なんてくそくらえだ」


「分かっていたさ。メト、貴様がそう言うことはな。悪いが貴様も実験対象だ。わざわざここまで侵入されたのも、できるだけ傷がない状態で捕獲する為だ」


「罠だったってこと?」


「そうだ」


「もし、私が乗り込んでこなかったらどうしてたの」


「そうなるように仕向けていた。信じられないかもしれないがな」


 メトは自分の行動を振り返った。仕向けられていた、と言われてもピンとこなかった。メトの行動を予見していたわりには、紙一重の場面が多かったような気がする。


「どうでもいいや。あんたを倒して、フォーケイナを取り返す」


「残念だが、それはできない。仮にメト、貴様が私より強くとも、万が一の可能性もないんだ」


 薄暗い部屋の中で揺らめく影が三つ、四つ、五つ……。メトの周囲を異形の男女が囲んでいた。その中にギャルムの姿もある。メトは刀を構えたまま姿勢を低くしたが、四方八方から押し寄せてくる圧に体がすくんでいた。


「紹介しよう、我がクマドの猟犬の面々を。貴様の正面から時計回りに、ギャルム司祭、アメド司祭、ヴェーナー助祭、カルド助祭、ペルマン助祭だ。他にも何名かいるが、今は地上の警備に回っている」


「ご丁寧にどうも。私はメト。実験動物です」


「大人しく捕まってくれないか。勝ち目がないことは分かっているだろう?」


「……一つ、どうしても聞きたいことがある。どうしてゼロを逃がした?」


「逃がした? 管理不足だった。所長からもこっぴどく叱られたよ。ゼロもまた、我々の重要な実験対象だったからな」


「所内に協力者がいたはずだ。ゼロ本人もそう言っていた」


「……さてな。私は知らない。所員の待遇は所長が独断で決めている」


「よぅく分かったよ。あんたも下っ端だってことが」


 メトの言葉にクマド司教はぴくりと反応した。怒ったのかもわからない顔をしているが、彼は表面上冷静だった。ゆっくりと手を振る。


「……やれ。肉体はどうせ再生できる。手足をもいで私の前まで持ってこい。五分以内だ」


 クマドが背を向けてその場を去った。五人の猟犬を前に、メトは不敵に笑った。正面に立っていたギャルムが首を傾げる。傾げたまま飛び掛かってきた。


 この場所は広い。五人の猟犬は存分に能力を振るってくるだろう。ここが正念場だ。五人相手ならこっちも武器を五つにする。博士は反対したが、メトはそれをやった。右手に博士。左手に一振りの剣。左足の足先、右足の膝、そして額に刃を固定する。博士が変形できるのは、右手の本体だけ。あとの四つの変形はメトがやらなければならない。


《お前には無理だ。そんな高度なことは》


「でも、やらないと負ける」


《つまり負けるってことだ》


「グチは勝った後で聞くよ。好きなだけ言っていい」


《ちっ……。お前が泣き叫んで命乞いをする姿を見ても、心が痛まない自信があるよ」


 雨の聖都の遠景を前に、五人の猟犬と一人の少女の戦いが始まった。メトは戦いに夢中でしっかりと確認したわけではなかったが、目の端に、合唱をする群衆の間で大きな混乱が生じている様子が見えた。


 子どもたちの陽動が効き過ぎているのか、地上警備のクマドの猟犬を見て人々が怖がっているのか、ガイが見つかったのか……。そのどれでもなかった。しかし生きるか死ぬかの戦いの最中で、メトはそのことについてじっくりと考えている暇はなかった。






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