悲劇の商人(前編)
港町ゲイドはデイトラム聖王国の玄関口と称される大都市であり、海路陸路問わず多くの旅人が訪れる交通の要衝だった。毎日陸揚げされる大貨物船の物資がデイトラム聖王国国民の生活を支え、長期間に渡って時化が続くと、聖都のモノ不足で物価が跳ね上がるなんてこともあったらしい。ただし近年では頑丈で魔法動力を持つ貨物船が一部運用されており、深刻なモノ不足は回避されている。
その魔法動力船が港湾に姿を見せている。メト、ガイ、ゼロの三人は港町ゲイドに到着し、宿を取った。部屋の大きな窓から港の様子が確認でき、せわしなく動く水夫や港湾作業員が貨物を下ろしているのが見えた。昼間は人々の活気で、絶えず雑音が窓から流れ込んできて、落ち着かなかった。時折道を走る魔法動力車は、搭乗者の魔力を利用して走る車で、乗っているのは漏れなく金持ちで専門の運転手を雇っているのだと、宿の主人が教えてくれた。どうやら宿を利用する旅人が魔法動力車を初めて見ることが多く、よく聞かれるらしい。
魔法動力車に博士はあまり興味を示さなかった。博士いわく、
《魔法を単純な動力に変換する方法など何百年も前に分かっている。魔法理論的には新しいことなど何もない。最近までああいった車が現れなかったのは、不安定な魔法動力を機械的に安定させる技術と、実用に耐えうる鉄工製造技術がなかったせいだろうな》
「移動するなら馬車でいいもんね」
メトの発言には博士は露骨に嫌そうな声を発した。
《それは違う。今後魔法動力車が交通の主役となることは間違いない》
その理由を博士が長々と述べたが、メトは聞き流した。動物を飼育し調教する手間がなくなること、安定性、工業品ゆえの拡張性、などを話していたと思うが、メトは途中で思考を閉じた。
聖都まではあと数日で着く予定だった。山道を越えてからは刺客とも遭遇せず平和なものだった。メトはゼロをガイに任せ、旅に必要なものを買いに市場へ出かけた。博士を携えて人混みの中に潜る。港町の市場は人とモノでごった返しており、市場の大きさも密度も他の都市とは段違いだった。
珍しい物品も多く、見たことのない異国の食べ物や工芸品を目にして、不覚にもメトは見惚れてしまった。人混みに紛れてスリ師も潜んでいたが、メトの懐に手を入れた男の手首をメトががっちりと掴み、関節を極めた。警官に引き渡そうかと思ったが、面倒だったのでそのまま解放してやった。そんなことが三度あり、博士は、
《よほどメトが田舎者で隙だらけに見えるのだろうな》
と愉快そうだった。メトは博士の軽口を無視した。
市場の熱気は体に毒だった。メトは結局買い物ができず、市場から少し外れた露店通りに出た。そこは主に行商人などが店を出している場所であり、人通りはかなり少なくなっていた。ここの品揃えもメトからすれば十分であり、ここで目的のものを買うことにした。
メトが衣料品を何着か調達し、のんびり露店の間を歩いていると、博士が鳴動を始めた。
「ちょっと、勝手に光らないでよ」
《お前が思考を閉じているからだ。聞け》
「やだよ。さっきから余計なことばっかり言って。博士と仲良くなるつもりないんだけど」
《フォーケイナの棺を売っている店がある》
「え……」
《もしかすると、ガンヴィでレッドにフォーケイナの棺を大量に売りさばいていた行商人がここにいるかもしれない》
メトは心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。
「でも……。フォーケイナが聖都にいることは既に分かっている。こっちにはゼロもいる。ここでその行商人を発見したところで、特に手掛かりになるわけでもない気がする」
《それはそうだが、ゼロから十分に情報を引き出せるとは限らないだろう。あの女はろくに言葉も紡げないし、私が思考を読み取ろうとしても、奴が拒絶すれば何にもならない》
「手がかりは多いほうがいい、か……。まあ一応覗いてみるか。場所は分かる?」
《目の前だ》
博士が示したのは小さな露店だった。薄汚れた天幕の中に、ろくに商品も陳列せずに突っ立っている女が一人。客を呼び込むこともない。
メトは緊張しつつも近づいた。女は目線を上げた。まだ若い女だった。メトのことを正面から見据える。
「……ここのお店は何を売っているの?」
メトが話しかけると、女は無表情のまま、
「……雑品」
答えるつもりはないようだった。メトは天幕の中をちらりと見た。木箱が数個見えたくらいで、中はがらんとしていた。
「フォーケイナの棺……、とかは売ってないの?」
女は身じろぎしなかった。じっとりとした目つきでメトを見つめる。
「何それ?」
「秘薬、とか呼ばれてるんだっけ? いくらで売ってるの」
「何を言っているんだか分からない」
「お得意様にしか売らないってわけ? 一応言っておくと、私はこの街の兵士じゃないし、あんたをどうこうしたいってわけじゃないんだよ」
「……メト、でしょ、あんた」
思わぬ言葉にメトは驚愕した。メトを名乗り始めてまだ日が浅い。いったいどこを経由してその名前を知ったのか。
「えっ……」
「やっぱりそうだ。数日前から、ゲイドで私たちの間で注意喚起がされたんだよ。メト、ガイという旅人が商品について探ってくるかもしれないから気を付けろって」
「は……」
メトは驚きつつも、この女の発言に違和感を覚えた。
「そんなこと、私に話していいの?」
「もちろん、適当にあしらった後、さっさと実働部隊に話をするつもりだったけど。思っていたより若い子だったから……」
「不憫になった?」
「……命が惜しかったらさっさとゲイドから出な。この街には恐ろしい連中が集まってる」
「ついでだし、その恐ろしい連中とやらのことも教えてよ」
「私まで殺される」
「ここまで話したのに?」
女は観念したようにため息をついた。
「……大陸全域に勢力を持つゼイジ傭兵団。西方で絶大な実績を誇る賞金稼ぎ。港湾商会が擁する暗殺部隊。話によると、続々と名うての暗殺者を各地から招聘しているらしい。全てフォーケイナの棺について探ろうとしている人間を排除する為だ」
「私たちを相手するためだけに、随分大がかりなことだね」
「メト、ガイの二人は確かに要注意人物に数えられてる。けど、それだけじゃないよ」
「私たち以外にも、あなたたちの組織に歯向かう連中がいるの?」
「ガドレガを名乗る怪僧が、各地の拠点を潰して回っているらしい。圧倒的な強さで、目下のところ、組織の頭を一番悩ませているのはその男だ」
「ガドレガ……」
忘れるはずもない。ドゥラ街道での魔物退治において、メトが持つ博士の正体に気づき、破壊しようとしてきた怪僧だ。敵の敵は味方というが、あの怪僧が自分たちの味方になるとはあまり思えなかった。
「なるほどね……。その怪僧とは面識があるけど、確かにやばい男だった。情報ありがとう。報酬は私の笑顔でいいかな?」
「さっさと消えな。……ったく、まだ若いだろうに、組織を敵に回すなんて命知らずな……」
しかしメトは察知していた。露店通りに突如現れた不穏な気配に。もしかすると、フォーケイナの棺を取り扱っている店に盗聴魔法でも仕掛けていたのかもしれない。メトは後悔した。この親切な女店主まで巻き込んでしまったかもしれない。
メトの表情の変化に気づいた女が心配そうにする。
「どうしたんだい?」
「逃げたほうがいいのはあなたかもね……、本当に申し訳ない」
メトは毅然と歩き出した。できるだけ早足で。追手が足早についてくる。博士に呼びかけた。
「できるだけ人気のないところはどこかな」
《返り討ちにするつもりか? 言うまでもないが、全員フォーケイナの棺を服用しているようだ。戦闘能力が大幅に強化されている上に、再生能力まで有している。そんな奴が、7,8人まとめて襲い掛かろうとしている》
「むしろ再生能力があるほうがやりやすいよ。殺す気で戦えるもん」
《お前の場合はそうか。返り討ちにした後はどうする》
「この街を出る。のんびり宿で寝るわけにもいかないでしょ」
《最初からそうするべきだったのに、浮かれていたな》
「うるさいなあ。連中に見つかるかどうかなんてわからなかったし、仕方ないじゃん」
《ここを出たらその次は聖都、フォーケイナを所有している組織の本丸だ。はっきり言うが、そこに乗り込むことは死を意味する。あるいは一生実験体として飼われるか……。覚悟はあるんだろうな》
「博士こそ、オモシロ武器として実験の対象になるんじゃないの?」
《……組織の人間、特にとある幹部とは面識があるものでな。便宜を図ってもらえるかもしれん。私だけならな》
「それは人間だった頃の博士の話でしょ? あてになるのかねえ」
メトは半ば走り出しそうなほどの早歩きで移動しながら、
「ねえ博士。フォーケイナとゼロを買った組織について話したがらないけれど、ここまで来たら話してくれてもいいんじゃないの。どうせもうすぐ明らかになるんだし」
《……おそらくそうなのだろう。それに、お前の中で、ある程度の推測が立っているのではないか?》
「推測? まさか。考えても仕方ないことはいちいち気にしないよ。でも、それほどの大組織なんて、そうそう候補があるわけじゃないよね。たとえば、デイトラム聖王国そのもの、とか?」
博士はふっふっふと笑った。
《半分正解だ》
「なんだ。王国の要人が取り仕切ってる組織とか? そんなやばい組織なの?」
《無限のカネと人材が湧いて出てくる、この世に二つとない巨大な組織だよ。私の研究の他にも、力になるものは何でも買い取り、利用する。いつだったか、私は超越者が云々と話したことがあるな》
「あー、そんな話もあったっけ? ガドレガとか、ジョットとか」
《メト、聖都で待ち受けている戦力はそういった存在だ。逃げるなら今だ。はっきり言って、お前に勝算はない。所詮、研究の失敗作であるお前に連中との戦いを潜り抜ける実力はない》
「酷いことを言うね。でも、確かに、私は大した存在じゃない。逃げるのも手なんだろう」
《それでは……》
「でも、私の旅は私が生きるためのものじゃない。普通に生きられなくしたのは、博士、他ならないあんたなんだよ。とことん付き合ってもらう。私は私がやりたいようにやる」
《お前やゼロはともかく、ガイはどうする? あの男はお世辞にも強いとは言えない。間違いなく死ぬぞ》
メトは一瞬黙った。前々から考えていたことではあった。聖都に乗り込むのにガイを連れていくべきか。本人はメトから離れようとはしないだろう。
先ほど会ったばかりの女店主さえも心配してしまうような自分が、ガイの死の可能性を無視して行動できるかというと、不可能に近かった。
「……ガイは、私の師匠だ」
《そういう建前だったな》
「それだけじゃない。博士を変形する術を教えてくれたのはガイだ。私が死にかけていたとき、魔物の肉を調達してくれたのもガイ。もしかするとガイは足手纏いなんかじゃなく、枷でもなく、私の旅に必要な人なんじゃないかって、そう思うんだ」
《……あの情けない獣人を、随分信頼しているのだな》
「博士の何百倍もね。だから、彼が同意してくれるのなら、一緒に来て欲しい。ガイと一緒なら、どんな困難も乗り越えられそうな気がしているんだ」
《気がするだけだな。これからの戦いで、奴が役立つ場面など、まるでないだろう》
メトはとうとう走り出した。大都市にも人気のない場所はあるもので、入り組んだ路地の奥に朽ちた廃屋があり、そこで一戦交えるのに都合が良さそうな十分な空間があった。
メトが立ち止まって振り返ると、屈強な肉体を持つ男女が、思い思いの武器を携えて現れた。八人。いずれも殺気が漲っている。相当な手練ればかりだった。
しかし先日ぶつかったゴイタムと較べると、どれも小粒と感じた。問題なく戦える自信があった。メトの堂々たる振る舞いに、刺客たちは警戒を強めつつも散開した。
メトの四方八方に刺客が位置する。全方位を警戒しながら戦うのは至難の業だったが、博士の協力があれば問題はないだろう。博士は呆れた様子で、
《もし、私が協力しなかったら、お前はここをどう切り抜けるつもりなんだ?》
「逆に問う。私が博士をあっさり手放したら、その後自分がどうなると思う?」
《ふん。出来の悪い娘がどこまでやれるか見届けたい気持ちもある。協力はするが無茶ばっかりするんじゃないぞ》
「約束はできない」
メトは抜刀した。それを見た刺客が八人、一斉に襲い掛かってきた。まずは銃を持った女が二人、銃撃で狙ってくる。博士が瞬時に盾に変形して弾いた。別の刺客が短槍を突き入れてくる。それを交わした先に、剣士が二人突進してきて、逃げ道をまた別の刺客が塞いでいる。
見事な連携だった。メトは姿勢を低くした。刺客を盾にして射線を潰し銃撃できなくする。突進してきた剣士とまともにぶつかり、蹴り飛ばした。盾を曲刀に変えて一人の腕を斬り飛ばした。悲鳴が上がり、一人離脱したが、断面がすぐに再生を始めたのを目の端で捉えた。やはりフォーケイナの棺を使っているようだった。
メトはここで覚悟を決めた。曲刀を極限まで小さくする。そして跳躍して刺客の頭上へ踊った。超人的な動きに刺客たちは反応できなかった。体を大きく捻って振りかぶり、腕を振った瞬間武器を大きく変形する。突如として現れた大剣が刺客たちの手足をまるで草を払うかのように容易くへし折った。
メトの悪魔的な戦法に刺客たちは手も足も出なかった。攻撃しても身体能力だけで避けられる。メトの攻撃は変幻自在で、回避どころか防御もままならない。再生能力はあっても痛みが消えるわけではないらしく、彼らは戦士らしからぬ悲痛な面持ちでメトとの戦いに恐怖した。
メトの気分は最悪だった。やはり人間同士で戦いたくはなかった。八人全員叩きのめし、体を寄せ集めて慈悲を乞う彼らの姿は、部屋の隅に吹き溜まった埃のようにみすぼらしく惨めなものだった。
「さっさと行きなよ」
メトは言った。
「二度と私の前に現れないで。次は殺す」
メトの言葉に彼らは声もなく退散した。メトは空き地に残った血と肉片を見て、吐きそうな気分だった。
《殺す、か。口先だけの脅しだな》
「あの人たちはそう思わないでしょ。普通の人だったら死んでいるような怪我だった」
《皮肉なもんだな。連中もフォーケイナの棺で強化されなければ、メトが手出しできず、もしかしたら勝てていたかもしれないのに》
「そのときは逃げるだけだよ」
メトは言い、博士をその場に放り投げた。そして空き地の隅で胃の中のものを吐いてから、返り血のついていた上着を捨て、露店で買ったばかりの服を着、博士を拾い、宿へと戻ることにした。すぐに出発しなければならない。
《水で口をすすげ。歯がぼろぼろになるぞ。お前の胃酸は普通の人間のものよりも強力だ》
「そうなの?」
《知らなかったのか? お前の目も耳も鼻も、内臓も筋肉も、全て人間の最高水準を軽く凌駕している》
「なのに歯は普通の人間と変わらないんだ?」
《言われてみればそうだな。次に改造するならそこか》
「私を改造なんてできない。武器のまま博士は死ぬんだから」
メトは吐き捨てるように言った。宿までの道が遠く感じられた。人通りが増え始め、港町の喧騒が戻ってきても、ついさっきまでののんびりした気分には戻れなかった。刺客たちの悲鳴と血と肉が脳裏に残っていた。
メトは予感していた。フォーケイナを救出し、ガイとゼロを守り通す為には、従来の自分では通用しないだろう。最低でも、敵の命を取る覚悟が定まらなければ、味方を失うことになる。ガイについてくる覚悟があるのか問う前に、自分自身に戦う意思があるのか問う必要がある。メトは戦いの後すぐに着替えた服にも返り血が残っている気がして、何度も服を指の腹でこすった。




