剣の師弟(後編)
ガイとゼロにはすぐに追いついた。ゴイタムとクィックが加勢してくれなければ、まだ魔物と対峙していただろう。その意味では二人に感謝していた。
しかし二人があまりにも簡単に人を殺すこと、そしてその常軌を逸した強さに、メトは不気味なものを感じた。命の恩人だと向こうが認識してくれているから当面は大丈夫だろうが、もし敵対すればタダでは済まない。メトはこの二人の思考が読めず、簡単に翻意するのではないかと懸念していた。
「世の中、何が起こるか分からんもんです。まさか再生する魔物がいるとは! あれほど全身を切り刻んでも復活するとは、いやはや私の全身を縛り付けていた常識という名の鎖を綺麗さっぱり取り払った気分です!」
「それは良かった……、のかな」
メトは適当に合わせた。ガイはどうしてこの二人と一緒なんだ、という目をメトに投げかけていたが、そんなことはメトのほうが聞きたかった。どうすればよかったのか分からない。
ただ、山道は終わりが近づいていた。山のふもとにある警備兵の大きな詰所が見えた。あそこを越えてしまえば開けた場所に出る。この閉塞感さえ感じられる山道から解放される。メトはほっと一息ついた。
《メト。考えるべきことが一つある》
(……なに、博士。一丁前に助言するつもり?)
《まあ、聞け。誰が先ほどの魔物にフォーケイナの棺を与えたのか、気にならないのか》
(刺客でしょ。ゼロを狙っている)
《それはそうだが、じゃあその魔物を飼い馴らしている張本人は今どこにいる? 私たちが入山する前、親切な警備兵たちは魔物に関する注意喚起をあまりしなかった。あれだけ特殊な生態の魔物が以前から山の中にいれば相当に目立つはずだ》
(確かに一部の警備兵は買収されていたけれど、全員そうだったわけじゃないもんね。つまり、刺客が魔物にフォーケイナの棺を与えたのは、私たちが入山する直前――ひょっとしたら入山してから、ってこと?)
《そういうことになる》
(でも、それって……)
メトははっとした。
《勘付いたか?》
(……魔物にフォーケイナの棺を与えると言っても、使役したいときにそう簡単に魔物が見つかるとは限らない。しかもルジス山道は全域が管理されていて、魔物が発生したらすぐに駆除されるようになっている。その上、私たちが入山する時期に魔物を用意するなんてことができるのは、ここの警備兵だけ)
《ああ》
(さっき、ゴイタムさんとクィックさんに殺された警備兵の中に……。ううん、それにしてはあまりにお粗末な結末だった。魔物を味方につけているのなら、それを生かした戦い方をするはず)
《敵はどこにいる》
(あの詰所の中にいる……)
《さてどうする。ゴイタムに皆殺しにしてもらうか? お前の手は汚れないぞ》
(冗談でしょ。自分で殺すのと変わらないよ)
《それならどうする。詰所の前を通過するとき、間違いなく襲ってくるぞ。何か理由をつけて、事情を知らない警備兵を巻き込んでけしかけてくることだろう》
(結局……。そうか。私は敵の為に動かなくちゃ駄目なのか)
メトは思案した。ゴイタムたちに敵を殺させない方法は三つある。一つは、ゴイタムたちを先に行かせる。敵はゼロだけが狙いなのだから、彼ら二人の剣士を素通りさせるだろう。だが、先ほどゴイタムは警備兵を虐殺した。魔法なり何なりでふもとまでその情報が行っていれば、メトたちとは無関係に、彼らとの間で戦いが勃発するかもしれない。
二つ目は、メトたちが先に行き、速やかに敵を排除する。ゴイタムたちに手出しさせなければ誰も死なない。ただしこちらは現実的ではない。ゴイタムたちが戦いの気配を察知できないはずはなく、彼らはメトたちに恩がある。加勢するなと言っても加勢するだろう。
三つめは、メトたちがゴイタムを倒す。何の恨みもないが、人殺しを看過するわけにはいかない。できればこれを選択したくなかった。そもそも勝てるかどうかも分からない。
どれを選択すべきか……。メトは悩んだ。ゴイタムは寡黙なゼロに話しかけ、無視されても快活に笑っている。クィックはゼロと同じくらい無言な男で、ちらちらゼロのほうを気にするように見ているのが気になった。ガイは物騒な二人の剣士に少し怯えているように見えた。
「この山道が終わったら……」
クィックが突然言葉を発した。一同は彼に注目した。
「おや、クィック、おぬしが『メシ』と『寝る』以外の単語を知っているとは思わなんだ。どうした、我が一番弟子よ」
「……この山道が終わったら、ゼロさん、あなたと別れてしまうので、今の内に言っておく。俺はあなたのことが好きだ」
一同は唖然とした。メトの頭の中は戦いのことでいっぱいだったので、クィックの呑気な発言に虚を突かれてしまった。
ゼロは無言だった。クィックの僅かに赤らんだ顔を馬上から見下ろしている。
「返事を頼む。一目ぼれなんだ。魔物と戦って心の昂ぶりが治まるかと思ったが逆効果だった。どうにも治まらない」
クィックの言葉に、ゴイタムがガッハッハと笑った。
「クィック、おぬしにそんな純情が眠っていたとは! あっぱれ! しかし色恋沙汰にうつつを抜かしている場合ではないぞ! 我々は剣の道を極めんとする者!」
「分かっている、師匠。ゼロさん、俺のことをこっぴどく振ってくれ。それでいい。見ず知らずの男に突然告白されてさぞ気持ちの悪いことだろう。本当に済まない。だが、俺の中でどうしても清算しておかないと、この後剣の道に没頭することができないと思ったんだ」
ゼロはしばらく無言だった。やがてメトのほうをちらりと見る。
メトはここで正気に返った。ゼロは明らかに困惑している。どう返事すればいいのか分かっていない。だがクィックはゼロから直接返事を貰わないと納得できないだろう。
さっきまで戦いのことで悩んでいたのに、いきなり繊細な恋愛話に思考を持っていかれるとは。ダメ元で博士に呼びかけたが完全に沈黙していた。ガイも何も言えずにいる。メトは仕方なくクィックに話しかけた。
「ええと、クィックさん。ゼロは極端な口下手なの。今すぐ返事をするのは無理だと思う」
「それなら、はいかいいえだけでいいんだ」
「ええと……。ゼロ、いいえ、って言ってあげて」
メトの言葉にゴイタムが意外そうな顔をする。
「おっと、断る前提ですかな!? こういうのは当の本人の気持ちが大事ですぞ! それに、私が思うに、クィックはなかなかの色男。強さも申し分なし。相手として不足なしだと思いますが!?」
剣の道を極めようとしているんじゃないのか。師匠がノリノリでどうするんだ。メトは苛立ちながらゴイタムを睨んだ。
ゼロとクィックはじっと見つめ合っている。無表情で困惑するゼロと、返事を待つクィック。ここだけ時の進みが遅い気がした。メトはさっさと行かなければならないのにこんなところで足止めを食らっている現状にうんざりしていた。
「人斬りゴイタムとクィックだな」
山のふもとのほうから声がした。警備兵が数十名、ぞろぞろと姿を現した。メトは戦慄した。向こうのほうから来てしまった。大虐殺が始まるかもしれない。さっさと逃げろと警備兵のほうへ言いたかった。
ゴイタムは抜剣した。早々にやる気のようだった。やはりこの男はどこかおかしい。
クィックのほうは、さすがにすぐに戦闘態勢に入れないようだった。しかしゴイタムが弟子の肩に触れ、警備兵のほうへ押すと、渋々といった様子で剣を抜いた。
「人殺しは……」
ゼロがか細い声で言った。はっとクィックは振り向いた。
「……嫌。殺さないで」
クィックはしばらく硬直していた。剣の師匠が脇腹を小突いても、それを鬱陶しそうに振り払う始末だった。
「おいどうしたクィック。こんなに多くの人間と斬り合える機会はそうそうないぞ! 剣の道を極める好機!」
クィックは師匠のことを完全に無視して、ゼロだけを見上げていた。
「……人殺しをやめたら、俺の妻になってくれるか?」
それを聞いたゴイタムが口をあんぐりと開けた。ゼロは首を振った。
「それは無理」
「……ふ、そうか。それはそうだ」
クィックは剣を抜いた。そしてゼロに背を向ける。ゴイタムは不安そうな顔だったが、ここで笑みを見せた。
「ゼロさん、クィックのことを袖にしてくれて礼を言いますぞ! 奴には剣しかないのです! こんなところで道を絶たれるわけにはいかんのです!」
クィックは警備兵の群れに飛び込んだ。メトは思わず目をつぶった。次の瞬間には人間の生首が地面に転がっていると思ったのだ。しかしそうはならなかった。その代わり、警備兵が数人、白目を剥いて卒倒した。息はあるようだった。
「何をしている、クィック」
ゴイタムが怒気を含んだ、冷たい声を発した。さっきまで陽気だった男が、今は人が変わったように鋭い眼をしていた。
「師匠、俺はもう人を殺さん」
「何を言っている! ゴイタム流剣刀術は、殺生の中にこそ活きる、殺人剣! 殺生なくして剣の道はありえない! 剣とは命を奪う為の道具だ!」
「破門してくれて結構だ。俺はゼロさんに嫌われたくないんだ」
「無理、と言われたぞ!? 脈なしだ! あんな美人がお前なんか相手にするものか! 田舎者め! 人殺しをやめたとて、彼女がお前になびくことはない!」
「それでも、だ。あんたに教わった殺人剣は、魔物相手にのみ発揮することにする。幸い、ゴイタム流剣刀術は人を殺す為の技術ではあるが、魔物相手にも応用できるから、無駄にはならん」
「許さん」
ゴイタムの躰が数倍にも膨れ上がったように見えた。それほど怒りで迫力が増した。殺気に満ちている。
クィックは会話の間にも、警備兵を剣の平で殴り倒していた。まるで相手にならなかった。圧倒的な実力差を前に、警備兵たちは遠巻きになりつつある。
「師匠、俺を殺すつもりか?」
「まさか。お前は私の可愛い可愛い一番弟子。いずれは我がゴイタム流剣刀術を継ぐ者。殺すのは――」
ゴイタムの目が妖しく光った。馬上のゼロを睨む。クィックが目を見開いた。
「師匠!」
「ゼロさん! 御免! 弟子の正気を取り戻す為だぁ!」
ゴイタムが剣を振り上げた。ここでメトが下馬して体当たりをかまさなければ、本当に彼はゼロを斬っていただろう。
体勢を崩したゴイタムを、メトは見下ろした。ゴイタムは剣の切っ先を、メトの首元に向けた。
「……失望したよ、ゴイタムさん。こんなことになるなら、あなたは凍死しておくべきだった」
「申し訳ない。しかし、剣の道に優るものは何もない。たとえ命の恩人であろうとも、道を阻む者は全て斬る。そう決めたのです」
「あなたの弟子は幾らかマシっぽいけど。クィックさん、そちらの警備兵の皆さんは全員気絶させておいて。あなたならできるでしょ?」
クィックは剣先一つで警備兵を牽制しつつ、
「師匠と戦うのは俺だ。殺されるぞ」
「心配いらないから、言うとおりにして。こんなおっさん、私の敵じゃない。なーにがゴイタム流剣刀術だよ。ただの人殺しじゃん」
メトの言葉にゴイタムの怒気は最高潮に達した。メトが静かに刀を構えると、余裕を取り戻すためにぎこちなく笑ってきた。
「メトさん、といいましたか。さっきは棍棒を使っておられたが、あなたも剣士でしたか」
「剣士じゃないよ。あんたより圧倒的に強いけどね」
「挑発はやめてくだされ。殺すのはゼロさんだけで十分だ。あなたまで殺したくはない」
「悪いけど、ゼロは私の幼馴染でね。一緒に苦境を乗り越えた仲なんだよ。彼女を見捨てることは絶対にない。……本当に残念だ、ゴイタムさん」
「何が残念ですか」
「剣士のあなたは私には絶対に勝てない。こうやって相対して、確信したよ」
「ふっ……、小娘が!」
雷のように素早いゴイタムの踏み込み。メトの超人的な動体視力を持ってしても、その動きを捉えるのが精いっぱいで、体が反応しなかった。おそらくまともに戦ったら万が一にもメトの勝利はない。
しかしメトの武器は普通ではなかった。博士の武器変形は一瞬で完了する。メトが刀を振り上げるより先に武器が変形しゴイタムの剣の軌道を塞いでいた。いびつに変形した博士は、まさにゴイタムの剣を抑え込む、たったそれだけに特化したものになっていた。剣を振り切る前に弾かれたゴイタムは、驚愕の表情になった。
「その武器は……!」
「さっき見たはずなのに、把握してなかったの? 私の武器は変幻自在なんだよ」
「邪道だ――邪道だ!」
「何を言ってるんだか。私は剣士じゃないって」
メトが踏み込んだ。動揺したゴイタムはそれをまともに受け止めてしまう。鍔迫り合い。しかしそうなれば変形する武器に勝てる者はいない。剣が変形しゴイタムの腕を切り刻む。悲鳴を上げたゴイタムは後退した。
「私の腕が……! け、剣を握る手に力が入らない! なんてことを……」
「ゴイタムさん! 私はあなたと敵対したくない! さっさと退け!」
ゴイタムはメトのその言葉が慈愛からくるものなのかそれとも非情の通告なのか必死に考えているようだった。やがてがむしゃらに剣を振り回す。握力がまるでなく、剣先がぶらんぶらんとブレる体たらくだった。
「め、メトさん。私は負けていない! その武器に後れを取っただけだ!」
「いいから行けっておっさん! 弟子にも呆れられるぞ!」
ゴイタムは強い。間違いない。しかしメトの武器は、対人戦において反則級だった。剣豪ゴイタムが相手でも、人の理を逸脱したメトの戦術の前では赤子同然だった。最初の一撃さえしのいでしまえば、メトの勝ちだった。
ゴイタムは腕を抑えながら、泣きそうな顔で山の中へと姿を消した。このとき既に、クィックは警備兵全てを戦闘不能にしていた。
クィックは衣服の埃を払うと、ゼロを意味深に見つめた。しかし何か言うことはなく、静かに師匠の後を追って消えた。
師匠と弟子の関係が崩れてしまったかもしれない。あるいは二人の絆は思っていたよりも太く強いかもしれない。この後二人がどうなるかは分からないが、メトには関係のないことだった。
三人は卒倒した警備兵たちを置いて、先を急いだ。詰所にはまだ何人かの警備兵が残っていて、その中にフォーケイナの棺を魔物に与えてメトたちを襲わせた人間がいたのかもしれないが、数十人の警備兵をものともせずに突破してきたという事実を前に、改めて襲撃を仕掛けてくることはなかった。
三人は無事にルジス山道を突破することができた。もし迂回路を選択していれば、数倍の時間がかかり、なおかつ正体を見せない刺客の危険に晒されていたことだろう。結果的にはこちらが正解だったと言える。
しかし神経を使う道程だった。メトはほとほと疲れてしまい、山道のすぐ近くにある小さな宿場町に着くと、すぐに宿を取ることになった。
もちろん宿でも完全に休めるわけではない。メトは寝台に横たわっていても半覚醒状態で、周囲に気を配っていた。
「メト……」
隣の寝台で眠っていたゼロが体を起こしてこちらを見ていた。メトは瞼を開ける前からその気配を察知していて、我ながら気を張り過ぎだと苦笑した。
「どうしたの?」
ゼロは静かに博士を指差した。どうやら博士を介して会話をしたいらしい。
メトは立ち上がって彼女の寝台に腰かけ、直刀を差し出した。ゼロはその鞘に触れる。
《……ゼロが思っていることをお前に伝えればいいのか?》
「できれば彼女の美しい声から聴きたいところだけど仕方ない。彼女は会話が苦手だから」
《……山道ではありがとう。守ってくれて。と言っている》
「わざわざそんなことを言うために起こしたの? ははは、別にいいけど」
《……クィックさんが嫌だったわけじゃない。私は怪物だから》
「え?」
《もし、またクィックさんと会ったら、伝えてあげて欲しい。私の見た目が普通の人間と変わりなくとも、私はあまりにも特別で、クィックさんとは相容れない。落ち込まないで、と》
「ゼロ……。こう言っちゃあなんだけど、あのクィックって人も相当変だから、気にしなくていいのに。振ったことに心を痛めてるわけ?」
博士は何も言わなかった。ゼロが会話を切り上げようとしている。メトは博士を放り出し、
「あなたの見た目からして、男から言い寄られることなんてしょっちゅうだと思ってたよ。もしゼロがそういう気になったら、遠慮なんてしちゃ駄目だよ。ゼロは怪物なんかじゃない。私は子供の頃からゼロと一緒だから分かってる。博士に改造されただけで、元は普通の子どもだったんだから」
《くくく……》
放り出された博士が笑っている。メトは振り返って睨んだ。
「博士は会話に入ってこないで」
《ゼロの奴、面白いことを言っているぞ。クィックは好みじゃない。もし結ばれるならガイさんみたいな人がいい、とな》
「ふぇ? ガイなんかがいいの?」
二人がそれほど仲の良い様子には見えなかった。メトは予想外の言葉に思わず唸ってしまった。
「……嘘ついてないよね、博士」
《ゼロに直接聞いてみたらどうだ》
「いや……。別にいいや。でもさあ、もしガイとゼロが良い仲になったら、私気まずくない?」
博士は何も答えなかった。ゼロも既に瞼を閉じて寝息を立てている。メトは自分の寝台に戻った。さっきまでとは別の意味で眠れなくなった。長い夜だった。




