剣の師弟(中編)
道中破壊された祠を見つけた。封魔の祠と呼ばれる、ルジス山道の随所に見られるこれらは、魔物の発生を抑止し近寄り難くする効果があるという。しかし雪が降ると途端に魔物が鬱陶しい祠を破壊しに来る。
「祠の効力は近くに人がいないと発揮しないんだ」
と、ガイが解説してくれる。
「警備兵が祠の近くに常駐しているなら、祠が人間の生気を使って、魔物を遠ざける結界のようなものを展開する。しかし天候が荒れて警備兵が下山すると、祠の効力が薄まって、魔物が真っ先に破壊しに来るのだと思う」
「こういうのって魔法使いの専門分野?」
「俺も詳しくはないけど、そうだな。魔法使いと一言で言っても分野は細分化されてる」
「ふうん……、あのさ、この周辺の祠が破壊されたってことは、さっきまで魔物がここをうろついてたってことだよね」
「そうなるね」
「祠を修繕している最中に魔物に襲われそうだよね」
「デイトラム聖王国はここの整備に相当力を入れているそうだから、修繕業者には多数の護衛がつくだろうな。……メトちゃん、そんなことを気にしてどうしたんだ?」
「いや、なに……。祠を壊した魔物を倒しておいたほうがいいのかなって思っただけ。デイトラム聖王国が問題なく修繕できるのなら、それでいいんだ」
「なるほどな。心配いらないと思うよ。祠が壊されるなんてよくあることらしいしな」
三人は山道を順調に下りて行った。すると途中、山を登る警備兵の一団と行き会った。登山用の重装備に身を包んだ彼らは、親し気にメトたちに挨拶をした。山中、祠の近くに詰所を設立している彼らは、山での生活に慣れている。普通の兵士とは雰囲気が違った。
「どうも。まさか雪の中を無理やり進んできたのかい?」
警備兵の一人が話しかけてくる。メトはその警備兵の佇まいに違和感を抱いた。しかしどこに不可思議な点があるのか、じっくり観察しても言語化できなかった。感覚が言っている、この警備兵は危険な匂いがすると。
メトはゼロを警備兵から遠ざけるように、馬を動かした。それから笑顔で答える。
「そう。もう今は止んじゃったから、少し待てば良かった」
「ははは、山の天気は読めないから、仕方ないさ。そんなに急いでどこへ?」
「聖都」
「巡礼かい?」
「いや。会いたい人がいるんだ」
メトの返答に警備兵たちは顔を見合わせ合った。
「……そうかい。じゃあ、お気をつけて」
ここで別れても良かったがメトの気が変わった。質問を繰り出す。
「すぐそこの祠、壊されてるみたいだけど、おたくらの中に修繕できる人がいるの?」
「いや、修繕に関しては専門の部隊がいるんだ。私たちは破壊された祠があることを報告するだけだな。いきなり山の中に部隊を投入するのではなく、我々が斥候となり、状況把握に努めるんだ」
「なるほど……。つまり、あなたたちが異変を報告するまでは、この山の中の状況は外部に漏れないってわけね」
「そうなるな。……何か気になることでも?」
「そうだね。どれくらい貰ったのか、教えてもらいたいな」
「ええと、どういう意味だい?」
「雪が止んだのを待ってから山を登ってきたにしては、速過ぎる。それに衣服が雪で濡れている。この辺で待ち伏せしてたんじゃないの?」
「言っている意味が分からないな。いや、本当に分からない」
「私も分からないな。それで本当に誤魔化せると思っているのか……。山道から外れて、何人か待ち伏せさせているね」
「うん?」
「それで、私たちとすれ違った後あなたたちが反転して、待ち伏せ組と挟み撃ちにしてやろうって魂胆か」
「いい加減にしたまえよ。何を意味の分からないことを延々と――」
警備兵たちの視線が厳しいものとなる。ガイはすっかり怯えてしまって、メトの近くまで馬を移動させ、裾を引っ張った。
「メトちゃん、きみの勘違いなのでは? これだけ話しても、襲い掛かってくる気配がないじゃないか」
「ガイ師匠はもう少し考えて。だっておかしいと思わない? 私たちはさっき、四人の刺客に襲われている」
「あ、ああ」
「しかも連中、相当怪しい風采だったでしょ。あんなのが山道に直前に入っていったら、山に入る前に警備兵の人たちが注意喚起して然るべきでしょ。山に入るのは辞めるように言っただけで、大事なことを話さなかった」
「気づかなかっただけでは? あるいは、俺たちが入ってきた方向とは別のところから入山したのかもしれない。それに、山の中で襲うつもりなら迂回路なんて提案しないだろう」
「デイトラム聖王国は相当な人員をかけてルジス山道の管理をしているから、気づかなかったというのは考えにくい。それに、四人の刺客は軽装だった。炎魔法で暖を取っていた気配もない。山の向こう側からこっちに来たというのは不自然。私たちと同じ方向から入山し、待ち伏せしていたと考えるほうが自然。山に入る前、警備兵が迂回路を指示したのは、そっちのほうが襲いやすい環境だからかもしれない。山の中だとこっちも全力でいけるし、少しでも人影が見えたら、それだけで警戒するしね」
ガイは黙り込んだ。メトはこの場にいる警備兵の数を数えた。十七人。これだけの数の兵士に襲われたら、かなり危険だが、全員が買収されているわけではないことは察知していた。何か理由をつけて、買収されていない警備兵を巻き込んで、山中に留まっていたのだろうか。
「さっきから何の話をしているんだ」
警備兵たちの間でも不穏な空気が漂い始めている。メトはこの場から逃げるべきか考えた。どうせ追手はかかる。もしかすると死傷させてしまうかもしれない。そうなったとき、何も知らない警備兵が、買収された警備兵の傷ついた姿を見たらどう思うか。メトたちが一方的に襲ったと考えてもおかしくはない。その瞬間、メトたちはデイトラム聖王国にとって捕まえるべき犯罪者ということになってしまう。
フォーケイナとゼロを博士から買った組織は、相当手広く根を回している。もしかすると聖都に辿り着いても周囲には敵しかいないかもしれない。しかしそれでも、この場で公然と警備兵全体を敵に回すのは愚策に過ぎる。メトは悩んでいた。
「お困りですか」
声が降ってきた。山の峰の方向から、ゴイタムとクィックが降りてきていた。二人は血まみれだった。その異様な姿に警備兵たちが一斉に警戒を強める。
「だ、誰だお前ら」
警備兵の一喝に、ゴイタムが首を傾げる。
「はて。ゴイタム流剣刀術最高師範ゴイタム。……と名乗ればよろしいか? こちらは我が一番弟子クィック」
「そんなことを聞いているのではない! その返り血はなんだ? 魔物か?」
「魔物が大半だが、人のものも混じっている。旅人を襲う山賊が四名おったので」
馬鹿正直にゴイタムが言う。警備兵たちの間で動揺が広がった。この山中で殺人が行われたとなれば、もちろん捕縛対象となる。状況によってはその場で処刑することもあるだろう。
「お前ら……。どこかで見たことがあるな」
警備兵の中に、ゴイタムを指差す者がいた。
「思い出した。剣の修行だと言って、魔物退治ギルドの縄張りを荒らした挙句、注意したギルドマスターの指を綺麗に斬り落としたならず者……。ゴイタムとクィックか!」
「だからそうだと言っておるのだが」
ゴイタムが呆れた様子で自分の髭をひねっている。
「しかしクィック、私たちも有名になったものだ。一般人諸君にも名前を叫ばれるようになったか」
「バカが! お前らには懸賞金がかかっているんだよ!」
警備兵たちがメトたちを無視して、ゴイタムたちだけに狙いを定めた。もしかすると、ゼロをさらうことによって得られる報酬より、ゴイタムとクィックの首に懸かっている賞金のほうが、高額なのかもしれない。
「今の内に行こう」
メトはガイとゼロと共に、警備兵の脇をすり抜けていった。警備兵たちはメトたちを追いかけてはこなかった。早速二人の剣士と警備兵の交戦する音が聞こえてきた。ゴイタムとクィックはかなり好戦的な性格のようだ。メトたちと対立することなく別れられそうで良かった。
途中、待ち伏せしていた警備兵数名が姿を現した。メトの予想は当たったようだ。しかし彼らは増援が現れないことに困惑し、戦いを仕掛けてこなかった。悠然とゼロが通りかかるのを恨めしそうに見ていた。追ってくるかと思ったがそのまま見送ったようだ。
元々、ここの警備兵として配属されている人間を買収しただけで、ゼロを追う組織の直轄の人間というわけではないだろう。無理はしてこない。このまま山を下りれれば良かったのだが、また遠くで魔物の遠吠えが聞こえてきた。例の猿の魔物の声にも聞こえる。ゴイタムとクィックが仕留めたわけではないのだろうか。
《メト》
博士が話しかけてくる。メトは直刀の柄を握り込んだ。
(なに)
《魔物が近づいている。手負いのな》
(ゴイタムさんたちが仕留めそこなったやつ?)
《そうだが、おそらく連中は自分が仕留めそこなったことに気づいていないだろう》
(え……。まさか、フォーケイナの棺を……)
《そう考えるのが自然だ。超再生能力を得ている魔物は厄介だ。しかも、我々を狙うように調教されている可能性が高い》
(私たちを襲うのはいいけれど、ゼロまで食い殺されたらどうするの。そんな細かく指示できるわけ?)
《さあな。フォーケイナの棺に細工を施すことで魔物に簡単な指示を下せることは分かっていたが、私の手から研究が離れて時が経つ。是非研究成果を共有したいところだが》
「ガイ、ゼロ! 魔物が近づいてるって!」
メトたちは馬の速度を上げた。前方にも祠があったがこれも壊されていた。今度は人為的に壊されているようにも見えたが、じっくり観察したわけではないから分からない。
魔物の遠吠えがいよいよ近づいている。否、もう既に、そこにいる。メトは魔物の姿を目視した。全身をズタズタに引き裂かれ、今にも首が落っこちそうになっている。例の猿の魔物だが、ゴイタムたちが徹底的に破壊したようだ。しかしそれでも生きている。ゴイタムたちもまさかこうまでなって生きているとは思わなかったのだろう。
猿の魔物が狼のような吠え声を披露しながら突進してきた。メトが受けて立つ為に馬から下りた。ガイに手綱を任せる。
「私を信じて進んで!」
メトが叫んだ。ガイとゼロはそれを受けて馬を走らせる。メトは馬よりも速く走り、魔物に突撃した。直刀が巨大な棍棒となり、魔物の横っ面を叩く。魔物は大きくよろけ、雪が多く残る茂みに落ちた。その横をガイとゼロが駆け抜けた。
魔物は威嚇をしながらメトに迫った。あまり攻撃が通っていない。かなり多くのフォーケイナの棺を摂取したようで、再生能力が尋常ではない。負傷した箇所がみるみる再生していき、切断されかけていた首も、徐々に正常な位置に戻ろうとしている。
「どう殺すのがいいかな」
《心臓を潰していくしかないだろう。見た感じ、心臓が七つほど増設されていたが、ゴイタムたちが三つほど意図せず潰していたようだ》
「じゃあ残り五つか」
さっさと倒してガイたちに追いつきたい。そう思い魔物に走り込んだ。時間がない。今も刺客がゼロを狙っているかもしれない。しかし魔物はあまりにも強靭で、なかなか急所に迫ることができなかった。何度か棍棒を振るって魔物の様子を窺ったが、間合いというものを理解していて、メトの思うように反撃してくれなかった。
「お困りのようですな!」
ゴイタムとクィックがいつの間にか近くまで迫っていた。ぎょっとしたメトは、彼らが五体満足であることに驚いた。
「警備兵たちはどうしたの? まさか全員殺したの?」
ゴイタムは首を振った。
「まさか。殺したのは半数ほどです。残りの半数の方々には、同僚の死体を持って帰ってもらわなければなりませんからな」
息をするように人を殺す彼らを、メトは恐ろしいと思った。魔物よりも怖いかもしれない。
「……ますますあなたたちは追われることになるね……」
「仕方ありません。我々は友好的にいきたいのに、彼らときたら私どもを牢に繋ぐぞと脅してくるのですから」
メトは仕方なく、二人の助勢を求めることにした。
「……私とは対立しないよね」
「もちろん! 命の恩人ですから! しかし面妖ですな、この魔物は先ほどクィックが殺したはずなのですが。同じ個体のように見えます」
「この魔物、普通の個体よりタフなんだよ。心臓も残り五つもある」
「心臓が……。そのような生物がいるのですか」
「魔物だし。いるでしょ。それで、協力してくれるの?」
「喜んで。今度は私も加勢することにしましょう。魔物退治は素人なのですが、どうにかなると信じて」
魔物が咆哮する。メトが先陣を切る。それに続くのはクィック。しかし、一番動き出しが遅かったはずのゴイタムが、いつのまにかメトよりも前に出ていた。
俊足なんてものではない。連続する破裂音はゴイタムが凄まじい勢いで地を蹴る衝撃音だった。疾風のように目にも留まらぬ速度で駆けたゴイタムの太刀は、魔物の頭部を真っ二つにした。メトは思わず立ち止まって、唖然としていた。
「なによ、あの人……」
《恐ろしいほどの剣の才能だ。ゼロに抽出してもらえば素晴らしい力を得られるかもしれんぞ》
「才能だけじゃないでしょ。どれだけ厳しい鍛錬を繰り返してきたか……」
《それに、メト、お前では抽出した能力を自分のモノにできないだろうしな。お前にはその方面での適性がまるでない。ガイのほうが良い線いくかもしれん》
「やなこと思い出させないでよ」
ゴイタムの連続攻撃で魔物がバラバラになっていく。メトは博士の指示で心臓の位置を見つけ、物言わぬ肉塊となった魔物に近づいて、棍棒で急所を叩き潰していくだけで良かった。
魔物はあっという間に片づけられた。クィックがつまらなそうに突っ立っている。ゴイタムはけらけらと笑った。
「いやはや、ゴイタム流剣刀術の極意、見ていただけましたかな!」
「凄いね……。あなたとだけは敵対したくないよ」
「ふふ……。そっくりそのままお返しいたしますぞ。私からすれば、あなたほど生命力にあふれた女性は、滅多に見ない」
「どうも」
「どうです、この後、軽くお手合わせでも」
「冗談! 命が幾つあっても足りないよ。それに、遊んでる暇はないの。さっさと合流しないと」
「これは失礼!」
ゴイタムは快活に笑う。悪い人間には見えない。それなのに恐ろしい。もしかすると、雪山の中で凍え死んでいたほうが世の中のためになったかもしれない。それほど強大な力を持った男だった。




