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剣の師弟(前編)


 ルジス山道は古き時代から幾度も整備され、旅人の足で踏み固められてきた、ルジス山脈の中央を貫くように伸びる道である。聖デイドラム王国の勢力下であり、魔物の発生を抑止する為に道の至る所に封魔の祠が祀られ、警備兵を多数置いている。本来なら安全な旅路が約束された場所であるが、雪の季節となると話が変わってくる。


 それほど標高の高い場所は通らない山道であるが、それでも雪の季節となると自然の厳しさが襲ってくる。気象学者の助言に従い、警備兵の常駐に危険があると判断されれば、山のふもと以外の詰所から警備兵がいなくなる。まるでそれを見計らっていたかのように、この季節となると魔物が山道に出没し、祠を破壊、先を急ぐ旅人に襲い掛かる。山道の入り口では注意喚起する警備兵がいたが、ひとたび山中に入ってしまえば、旅人を守るものは何もない。


 雪が降っていた。親切な警備兵たちがメトたちを引き留めて、迂回路として陸路と海路を提案してくれたが、三人はそれに謝意を示しつつも山道へと足を踏み入れた。今更急ぐ旅ではなかったが、ゼロを狙う刺客はむしろ人混みでこそ脅威となり得る。


 三人は山道を馬で越えようと黙々と進んでいた。道の整備はされているので馬での山越えは無謀というわけではない。雪が積もるとかなり危険だが、なんとこの山道には融雪用の設備が整っていた。道に埋め込まれている伝導石に炎魔法を撃つと、熱が道全体に伝わって、雪を溶かしてくれる。よほどの大雪ではない限り、雪に足が取られて困るということはないはずだった。


「ガイ、疲れたら私も炎魔法で雪を溶かすから言ってね。体力の消耗が命取りだから」


 メトは呼びかけた。ガイが自ら進んで融雪用の炎魔法を担当し、数分ごとに炎魔法を道の伝導石に撃っている。ガイはハッハッハと笑った。


「メトちゃん、魔法は魔法使いに任せておきなよ。魔法使いは軽い魔法ならいくら撃っても疲れない術を心得ているもんだ。それに、いざ戦いになったらメトちゃんに任せるしかないんだから、今の内に備えておかないと」


「私の体力は無尽蔵だから、気にしなくていいのに」


 ゼロは何も言わずに黙ってメトたちについてくる。彼女が何を考えているのかはわかりづらいが、彼女もフォーケイナを助けたいと考えているはずだ。でなければ聖都への旅に同道するはずがない。フォーケイナとゼロは二人揃って初めて能力を最大限発揮できる。となれば最近まで一緒にいたはずだ。聖都へ行くということは、自分を捕らえていた場所に戻るということで間違いないだろう。


 雪道が溶かされ、液体となった雪が斜面をさらさらと流れていく。それを何となく目で追ったメトは、雪道の傍らにうずくまる二つの塊に気づいた。


「あれは……。人?」


 雪で埋もれている人のように見えた。メトは慌てて下馬してその雪を掻き分けた。そこには互いに寒さを紛らわす為に抱き合う男二人の姿があった。凍死寸前。


「うわあ!? でもまだ生きてる!」


 メトは慌てて二人を道の真ん中まで引っ張り、伝導石の上に置いた。ガイが炎魔法を二発、立て続けに撃つ。熱でみるみる彼らの血色が良くなった。そしてハッと目を覚ました。


「あなたがたは……」


 髭面の男が立ちあがった。まだぶるぶる震えている若い男を起こす。


「――ここは雪のルジス山道、無理な山越えは危険ですぞ。それに魔物も出ます。引き返したほうが良いのでは?」


 メトとガイは顔を見合わせた。


「……今の今まで死にかけてた人に言われたくないんだけど」


 髭面の男は髭をこすって氷をこそぎ落とした。なぜか胸を張って堂々としている。自信に満ちている男だった。


「それは、そう。しかしこの先が危険なのは確かです」


 髭面の男はそう言って、改めて頭を下げた。


「私の名前はゴイタム。こちらの若いのはクィックといいます。我々は剣の道を極める為に世界中を旅している身でしてな……。この度、ルジス山道になかなか骨のある魔物が出没していると聞き、推参した次第で」


「へえ。魔物退治のためにここまで来たんだ」


 ゴイタムは深く頷いた。


「ええ。魔物は雪の季節にならないと姿を見せないと聞き、雪が降ってきたのに合わせて入山したのですが、待てど暮らせど目的の獲物と遭遇せず……。私ども二人とも炎の魔法を扱えず、暖を取ることもできなかったので、こうして氷像になりかけていたのです」


「私たちが通りがかって良かったね。私たち、警備の人たちから入山をやめるように諭されたんだけど、強引に来たんだ」


「私どももです。いやはやお恥ずかしい限りですが、雪というのも魔物と同じくらい恐ろしいものですな」


「うん、これに懲りたら下山したら? 私たちは先を急ぐから」


 ゴイタムはいやいやと手を振った。


「少しお待ちを……。見たところ、年若い女性が二人、雄々しき戦士がおひとり。とてもこの地を支配する魔物に抵抗するには心許ないかと」


「私たちは引き返すつもりはないよ。残念だけどね」


「いえ、そうではなく……。私どもを雇いませんか? こう見えて、我々は剣には覚えがある。山を越えるまで護衛させていただきたく」


 メトとガイはもう一度視線を合わせた。ゼロを狙う刺客の存在もある。あまり同道者は歓迎できなかった。


「ありがたい申し出だけど、断る。私たちは三人で行くよ」


「しかし、魔物が怖くはないのですか」


 メトは大袈裟な手振りでガイを指し示し、


「彼はガイ。あの“魔遣りの火”のメンバー。ガンヴィで幾つもの戦功を挙げ、フドを長年悩ませていた行方不明事件を解決、フドの英雄と称えられる魔物退治屋だよ。彼がいれば、どんな魔物も敵じゃない」


 メトの言葉に、ゴイタムは目を見開いた。寒さで震えていた若者クィックも、しばし我を忘れたようにガイを見た。当のガイは苦笑している。


「なんと、そのような高名な方だったとは……。しかし」


 ゴイタムは怪しむようにガイを見た。武芸を嗜んでいる者からすると、ガイが武力に秀でていないことが、見るだけでなんとなく分かってしまうものなのかもしれない。


「……分かりました。どうかご無事で。しかし、我々も魔物を追う身。まこと勝手ながら、貴方がたの溶かした道を、後から利用することを許していただけませんか」


 メトは頷くしかなかった。ついてくるなと言う権利などメトたちにあるはずもない。


「まあ、どうぞ。お好きにしてくれて構わない。こっちは馬だから、あっという間に置いていくかもしれないけれど」


「ええ、どうぞお構いなく。我らは健脚ですので」


 メトは馬に乗った。メト、ガイ、ゼロの三人はこれまで通りの速度で山を進んだ。ゴイタムとクィックの二人は、大荷物を抱えて後についてきた。それほど馬の足を速めてはいないとはいえ、二人は馬の速度についてきていた。しばらく山道を進んだが二人の姿は降りしきる雪の向こうに確かに存在し続けた。


「あの二人、相当に強いね。特にあの髭面のゴイタムさん」


 メトが言うと、ゼロが頷いた。ガイは首を傾げる。


「そうなのか? 死にかけてたのに」


「魔法が使えないんじゃあ、この雪の山道を踏破するのは難しいだろうから、仕方ないよ。まあ、登る前から分かり切っていることだから、無謀極まりないけどね」


「ふむ。となると、一緒に行けば心強かったかもな」


「でも、刺客の件もある。一緒には行けないよ」


「確かに、無関係の人間が、万が一ゼロさんを狙う連中に傷つけられたら、やり切れないな」


「それもあるけど……。あの二人がゼロを狙う刺客って可能性もあるでしょ」


 ガイは目を丸くした。


「まさか、そんな。ありえない。俺たちが通りがからなかったら、死んでいたような人間だぞ?」


「私もそう思うけど、可能性は排除できないよ。カネで旅人を雇って私たちに襲わせる可能性が十二分にある。あの二人が腕の立つ剣士だというのなら、なおさら注意が必要」


 ガイが振り返った。ゴイタムとクィックはつかず離れずの位置を維持している。


「……そう聞くと、あの二人が俺たちを虎視眈々と狙う曲者に見えてきた……。いけないいけない」


「もちろん、ただのマヌケな旅人って可能性のほうが高いとも思うけどね。死にかけてたのは事実だし」


 三人は雪をものともせず進んだ。峰を二つほど越えたところで、魔物の遠吠えを遠くに聞いた。山道からは離れている。


 メトは馬を止めて振り返った。もし二人の剣士が魔物を狙うならこの遠吠えを聞いて、道から外れるはず。反応が見たかった。


 ゴイタムとクィックの姿が消えていた。ついさっきまで後ろについていたはずだが、いなくなったことに気づかなかった。


 魔物を探して行ってしまったのか。普通に考えたらそうだ。しかしメトには嫌な予感がしていた。少し先をガイとゼロが行っている。メトは馬を進ませた。そのとき。


 山道の脇から突然人影が躍り出てきた。奇声を上げながらゼロに向かうその男は、物騒な棍棒を持っていた。馬の足に向かって棍棒を振り下ろす。


 ゼロが見事な馬術で後退し、攻撃を避けた。ガイがちょうど伝導石に炎を足すところだったので、その炎を棍棒男に向けて放った。男はそれを食らい、悲鳴を上げながら雪の中に飛び込んだ。


 メトは馬から下りて、その男の首根っこを掴んだ。男は寒さと恐怖でガタガタ震えていた。


「――あんた一人か? それとも仲間がいるの?」


 メトが話しかける。男は首を振った。しばらく黙り込んでいたが、メトが襟首をつかんでぶんぶん揺らすと、あっさり吐いた。


「は、離してくれ……。な、仲間がいるよ……」


「何人? さっさと答えないと胃袋いっぱいに雪を詰め込むよ。体の中から凍らせて保存食にしてあげる」


 もちろん実践する気のない脅しだったが、男は本気にしたようだった。


「俺を含めて、四人……! か、カネで雇われただけなんだ、殺さないでくれ……!」


 随分な根性なしだな……。よくもまあ入山してきたものだ。メトは男を離した。どこかの木に括りつけたいところだったが、そんなことをしたら凍死するし、殺人も同然だ。武器を取り上げて逃がすしかなかった。


 男は何度も振り返りながら去っていった。他に三人の仲間がいるのか……。まるで相手にならないほど弱かったが、勢い余って殺してしまうかもしれない。それが懸念点だった。向こうがこちらを殺す気で襲ってくるなら、意図せず返り討ちにしてしまうかもしれない。


 ふと、遠くで男の悲鳴が聞こえてきた。ついさっき逃がした男のものだ。


 魔物に襲われたか、足を滑らせたか。いや、最も高い可能性は……。


 鼻につく血の匂い。それが近づいてきていた。それも、前と、後ろ、両面から。


 前から歩いてくるのは若者クィックだった。両手に人間の頭をぶら下げている。切断された首からはまだ新鮮な血が滴り落ちている。クィックは無言でそれを道の片隅に放り投げた。


 そして後ろからは髭面のゴイタムが来ていた。やはり二つの生首を持っていて、メトがそれを目視したのを確かめると、道端に捨てた。


「いやあ、あなたがたを狙う不届き者がいたもので! 恩返しをせねばということで、成敗いたしました。どうかご安心ください!」


「……誰もそんなこと頼んでない」


 メトは低い声を発した。刺客の生き死にに注意を払っていた自分が馬鹿らしくなる。


「おや、殺生は好みませんでしたか。これは失礼。とはいえ、この山中で下手に痛めつけても、そのまま凍死する可能性が高い。一思いに片付けたほうが慈悲深いとは思いませんか?」


 ゴイタムが近づいてくる。クィックも。メトは緊張した。二人の剣士は刺客ではないのかもしれない。だが人の死に慣れ過ぎている。それが気に食わなかった。


「行くよ、ガイ、ゼロ。二人を無視して行こう」


 メトが呼びかけた。ガイは頷いたが、困惑した様子だった。


「メトちゃん……?」


「これみよがしに生首を見せてきたのが気になる。私たちの信用を得ようとしているのかも」


「それはつまり……」


「刺客か、山賊か、それとも何が何でも護衛の仕事にありつきたい貧乏人か。いずれにせよ相手してる場合じゃない」


 メトの言葉で三人はそのまま進むことにした。クィックとすれ違いざま、彼はゼロのことをじっとりとした目つきで観察していた。しかし何事もなく三人は先に進むことができた。


 二人の剣士はその後、メトたちについてくることはなかった。姿も気配もない。


 雪が止みかけていた。天候は回復しつつある。視界は良好で、刺客や魔物からの不意打ちの可能性が減ったところで、ガイが言った。


「あの二人、ゴイタムさんとクィックさん。悪い人じゃなかったかもなあ」


「どうしてそう思うの?」


「恩返しをしたかっただけじゃないかと思うんだ。剣の道を極める為に旅をしている、と話していただろ? つまり剣以外のことには無頓着で、俺たちを襲った人間を殺すことでしか、報いる方法を知らなかったんじゃないか」


「それはガイの想像でしかないよね。残念だけど、あの手の人間と関わることはできないよ。物騒過ぎる。たとえ死んだのが悪党だったとしても、人間の死体なんて私は見たくない」


「それは俺も同意だが。そう冷たくすることもないんじゃないか、と」


 そのとき、遠くでまた魔物の遠吠えが聞こえてきた。少し近づいたかもしれない。あるいは雪が止んだことでそう感じただけかもしれない。いずれにせよ、あの二人はどう動くか。


 しばらくは平和な進行となった。ときどき休憩を取り、食事を摂った。ゼロの食事は普通で、魔物肉を食べるメトを興味深そうに見ていた。ガイが炎魔法を撃つ頻度が減り、ぐんと進みやすくなった。心なしか馬の足取りも軽くなった。


 最後の峰を越えて、あとは山を下るだけとなった。雪が完全に止んだので、警備兵が上がってくるかもしれない。本来なら山道の要所に警備兵が控えて、旅人を魔物や賊から守ってくれるはずだった。分厚い雲から日が差してきて、最も難しい局面を通り過ぎたと一安心した。


 風がなくなる。一瞬、山全体の空気が凪いだように思った。そのとき、この山の淀んだ空気が、メトに窒息にも似た感覚を与えた。


 魔物の声。もう遠くはない。すぐ近くにいる。


 メトとガイはゼロを守るように馬を寄せた。茂みの向こうに魔物がいる。いつ飛び出してくるか分からない。メトは博士の柄を握り込んだ。


(どの辺にいるのか、分かる?)


《戦う気か?》


(先手を取られるよりマシだから)


《連中に任せたらどうだ。やる気のようだぞ》


 突然魔物が道に飛び出してきた。灰褐色の岩の鎧をまとったかのような、巨大な猿の姿をしていた。異常に発達した腕を振り回して暴れている。


 そんな猿の魔物に相対したのは、若きクィックだった。髭面のゴイタムは少し離れた位置から見守っている。


 二人がかりで戦うのではなく、若いほうに任せるのか……。弟子の戦いを見守る師匠なのか。いつでも助けに入れるように身構えているように見える。


 クィックの動きは非常に緩慢だった。魔物が威嚇をしても、その反応が最小限。構えている剣は大きくも小さくもなく、標準的なもの。対人用としては十分でも、巨大な魔物相手に有効とは思えなかった。


 魔物が突進してくる。クィックの動きはやはりゆっくりだった。危ない、とメトは思った。殺される。


 しかし、まるで魔物は、自ら進んで殺されにいくかのように、クィックの剣の軌道に巻き込まれていった。その平凡な一振りは魔物の急所に入った。肩口に傷を負った魔物は道の上を転がり、それから雄たけびを上げながら山の中へと逃げ込んでいった。


「追いかけるぞ。手負いの魔物は何をしでかすか分からない」


 ゴイタムが叫んだ。クィックは頷き、二人は道を外れて山中に消えた。


 それを見たガイが振り向いた。


「どうする、メトちゃん。加勢するか?」


 無視して先に行くのが普通だった。だが、もしゼロがいなければ……。メトとガイの二人旅だったら、恐らく加勢していた。魔物退治はこの旅の目的そのものだったからだ。


 メトはほんの一瞬迷ったが、決然と答えた。


「先を急ごう」


 三人はルジス山道の終わりが近いことを感じていた。下り坂ということもあって馬の速度も上がる。速度を抑えるように馬を操りながらも、魔物を追った二人の剣士の姿が脳裏から消えずにいた。





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