立ち上がれガイ(後編)
近づけば近づくほどその魔物の巨大さが分かる。体高はガイの身長の三倍、体長となると十倍はあるだろう。ガイが武器を振り回しても、せいぜい魔物の足の付け根までしか届かない。その太く強靭な足は、先ほどからフドの防衛戦力が矢を射かけたり魔法を衝突させたりしているがびくともしない。
魔物の長い尾が近づく者全てを薙ぎ倒していく。その威力は凄まじく、不用意に近づいた兵士の躰を真っ二つに引き裂き、血肉を平原にばらまいた。ガイもその二の舞になりかねない。
ガイはいよいよ最前線に到達した。ルシドたち騎士隊が機動力を生かしてつかず離れずの位置を維持しているが、魔物がまっすぐフドへ向かっている。彼らの焦りは相当なものだった。ガイの近くにルシドがやってくる。
「ガイ様! どうかご無理はなさらずに! その躰……、立っているだけでも辛いはず」
「大したことはないさ。それより、あの魔物は魔法に耐性があるようだ。無駄撃ちせず、魔法は防御にのみ使ったほうがいい」
ガイの言葉に騎士たちは狼狽した様子だった。いったいどうすればあの魔物を倒せるのか、助言を求めているようにも見えた。彼らからすればガイは数多くの死闘を乗り越えてきた魔物退治屋だ。
《おい、ガイ。奴らに尾の対処に専念するように伝えろ。尾の根元に集中攻撃を仕掛ければ動きを鈍らせるくらいはできるだろう》
(そのあと、俺たちが斬り込むというわけか?)
《メトならば強引に突っ込んでも平気だっただろうが、お前では無理だからな》
ガイは頷いた。そしてルシドたちに尾を攻撃するように伝える。ルシドたちは了承したが、
「ガイ様が斬り込むおつもりですか? ここはフドの騎士隊も共に……」
「俺が失敗したら続いてくれ。とりあえず最初は俺に任せてもらいたい……。余計な人死には出したくない」
ガイの言葉にルシドはしばらく逡巡しているようだったが、やがて頷いた。そして騎士隊に号令をかけて尾への集中攻撃に切り替えた。彼は騎士隊の中でも相当高位の人間のようだった。この現場を仕切っているのはルシドであり、彼の指示にギルドの人間も従っている。
ガイは騎士隊が隙を作るまで待機した。魔物は露骨に尾への攻撃を嫌がっており、足を止めて騎士隊を散らすように反撃をしていた。ガイは頭の中でどのように倒すのか考えていたが、妙案は思い浮かばなかった。博士に頼るしかないのだろうか。
「よう」
声がした。戦場らしからぬその気さくな声にガイは驚いた。そこにいたのは金髪赤眼の男――ネイグだった。鉱山地帯でガイたちに協力してくれた戦士だ。
「ネイグ! どうしてここに」
「言ってなかったか? 俺は“精霊の槍”の人間だったんだよ。本職は魔物退治だ。それよりガイ、単身で突っ込む気か? 馬もなしに?」
「ああ……、俺がやるしかない」
「良かったら付き合うぜ。こう見えても、ギルド内では一番の実力者で通ってる」
「しかし……」
「それに、まだ怪我が治ってねえだろ? 少し待ってろ、馬を借りてくる」
ネイグは魔物をちらりと見た後、駆けて行った。騎士隊は魔物の後背に回り込み続け、尾へ攻撃をし続けている。弓、石弓、銃、使える武器は全部投入する勢いで、巧みに魔物の攻撃をいなしながら攻勢をかけている。魔物の足は鈍重であり、騎士隊の機動力の前では思うように動けないようだった。鬱陶しそうにその場で旋回を続けては、尾を振り回している。
完全に魔物の意識が騎士隊のほうへ向けられている。そのときネイグが二頭の馬と共に戻ってきた。ネイグ自身も騎乗しており、馬具のついた主人なき馬をガイのほうへ走らせる。
「今更だが、馬術の心得はあるか?」
「いや……」
ガイは正直戸惑っていたが、戦場の空気で落ち着かない様子の馬が、急に大人しくなった。ガイの前でぴたりと止まる。
ガイはおそるおそる騎乗した。乗り心地はあまり良くなかった。馬に取り付けられた兵装が厳めしい。ガイが乗ると魔物から適度な距離を保つように勝手に歩き始めた。ネイグが感心するような声を発する。
「なんだ、達者じゃねえか。俺より上手いかもしれねえ」
ガイは困惑していたがやがて気づいた。
(博士、この馬を制御しているのはお前か?)
《魔物の制御を実現する為に、前段階として、動物の実験も無数に行ってきたからな)
そうやって得た知見を用いて、メトの意識も乗っ取ろうとしていたわけだ。人間の意識を奪えるくらいなら動物相手なら完璧に制御するのは難しくないのだろう。ガイは複雑な心境になりつつも好機を待った。ネイグと共に魔物の周囲をうろつく。
ふと、尾の射程範囲が狭くなっていることに気づいた。どんどん勢いが減り、尾の一撃で吹き飛ばされる者がすっかりいなくなる。赤黒い血が魔物の尻に目立つようになり、今にも尾が千切れそうになっているのが見えた。徹底的に攻撃を仕掛けた上、魔物自身が尾だけで攻撃を続けていたので負荷がかかり過ぎたのだろうか。
《そろそろだ》
「ああ」
ガイはネイグに目配せした。そしてガイは合図として赤い光球を天に向けて発射した。それを見た騎士隊の動きが一変した。ルシドの采配によって高度に統率された騎士隊は、それまで遠隔攻撃に徹していたが、突如魔物に突撃をしかけた。煙幕魔法で魔物の視界を遮る。突撃を見た魔物は、猛然と方向転換し、尾の攻撃をやめてその長い脚で騎士を蹴散らすべく突進を始めた。
騎士隊は散開と合流を繰り返し魔物を翻弄した。その動きは見事の一言であり、突撃してからの彼らの犠牲者は皆無だった。ガイは一安心し、ネイグと共に魔物へ接近した。
魔物の意識は騎士隊に割かれている。難なく最接近し、ガイはそこで初めて小刀を――博士を引き出した。みるみるその武器は変形し、柄の長い大剣へとなった。普通の剣ではなく、馬具に接続してその重さの大半を馬が引き受けてくれるように設計されたものだった。
(博士、これは……)
《馬の勢いを使って斬れ。これならお前でも相当な威力の斬撃が振るえるはずだ》
大剣の柄から伸びた複数の鉄の腕が鞍と繋がり、水平方向にのみだが振れるようになっている。ガイは感心しつつも、馬の負担が気になった。馬の息遣いが途端に苦しそうになっている。恐らく長時間の戦闘はできない。
ネイグが先に魔物に到達した。その長い脚に斧を叩きつける。刃が食い込むことはなかったが切りつけた箇所からは血が滲んだ。ネイグが魔物を追い越し、舌打ちしながら旋回して戻ってくる。
ガイは馬上で腰を浮かせた。馬の速度が上がる。魔物が脚を下ろした絶好の機会に、博士が馬の速度を合わせ、ガイは渾身の力で大剣を振るだけで良かった。全身が悲鳴を上げて、息もできないほどの苦痛があったが、大剣は魔物の脚を面白いように容易く切り裂いた。魔物の脚一本、膝下辺りを切断し、魔物は奇声を上げながら体勢を崩した。それを見た騎士隊が歓声を上げた。ネイグも片手を高々と上げてガイを感心したように見た。
「あんた本当にスゲエな! あんな頑丈な魔物を……。さすがメトの師匠だ!」
大剣が小さくなり、途端に軽くなったおかげで馬が転びそうになった。博士が制御して事なきを得たが、ガイは激しく息をついていた。一撃加えただけで、もうまともに体を動かせそうにない。ガイは馬から落ちそうになるのを必死に堪え、ネイグの横に並び立った。
魔物は三本足で立っていたが、その巨体を支えるのは難しそうだった。ゆっくりと頭を垂れ、そして倒れ込む。脚を激しく動かして抵抗したが、騎士隊は魔物の攻撃が届かない位置から剣や槍で攻撃を始めた。なかなか攻撃が通らない様子だったが、魔物は出血と共に衰弱し始め、討伐は時間の問題だった。
「思っていたよりすんなりいって、拍子抜けだが……」
ガイは息を荒くつきながら言った。ネイグはハハハと笑った。
「何言ってやがる。フドの人間だけだったらやばいことになるところだったぜ。お前はもっと誇っていい」
「ああ。自分でもよくやったと思うが……、まだやるべきことがある」
ガイのその言葉と共に馬が走り出す。魔物の肉を調達しなければならない。博士もそこまでは協力してくれるようだ。切断された魔物の脚に近づく。筋肉質で骨張っているが、巨大なだけに可食部分は相当あった。メトの食事はこれだけで何十日ももつだろう。
(これだけやれば魔物討伐はもう完了したも同然だ。魔物肉を獲れるだけ獲ったら、先に帰ってしまおう)
《いいだろう。だが、気になる点が一つある》
(なんだ)
《魔物が弱過ぎる。ディシアは私たちを試している節があった。これだけあっさり決着がつくのは想定外だった》
(それは俺も思ったが、実際魔物はもう虫の息だ)
ガイは振り返った。魔物に殺到する騎士隊の頭上を、有翼のディシアが飛翔していた。騎士隊は魔物の動きに注意が向いていて、頭上の全裸の少女に気づかない。
《いったい、何をするつもりだ、ディシア……》
博士が呟く。ガイも同じことを思った。魔物の動きがどんどん小さくなり、いよいよ討伐完了というとき、ディシアは急降下した。魔物に向かって少女が黒い弾丸のように突撃する。騎士隊もようやく彼女の存在に気づいたが止める手立てはなかった。
少女が魔物の背中に激突した――と思ったら、まるで水面に雫が落ちて静かに波紋を広げるかの如く、魔物の肉体に彼女の全身が同化した。びくんと痙攣した魔物は、血を撒き散らしながらみるみる変形する。
切断されたはずの脚が再生する。騎士隊の攻撃による無数の傷が塞がり、ディシアを取り込んだ魔物は跳ね上がるように立ち上がった。破裂したはずの赤い目も復活していた。光を宿していないその狂気の眼球はまっすぐガイを見据えていた。
大地を揺らすように猛然と魔物が走り出す。ガイは息を大きく吐いた。明らかに狙いはガイだ。それ以外は眼中にない。瞬時の判断が求められる。
「ネイグ! 逃げろ!」
「ガイ! お前はどうするつもりだ!」
「いいからどこかへ行け! あいつは俺だけを殺すつもりだ!」
ネイグが舌打ちしてガイから離れた。ガイは馬の腹に手を当てて馬に語り掛けた。
「すまん、もしかすると俺の巻き添えでお前まで死ぬかもしれない」
馬は、当然だが返事をしなかった。博士の制御で、魔物の突撃を怯える様子もない。博士は動物に話しかけるガイに呆れているような声で、
《……どうする気だ? 相討ちにはできるが、あの勢いでこられたらお前は恐らく死ぬぞ》
(博士はあいつを倒すことだけ考えてくれ。さっき話しただろう。俺が生き残れるかどうかは俺次第だ)
《ふっ。そうだったな。いいだろう》
魔物の突進で、数十秒後には自分は死ぬかもしれない。ガイは覚悟した。馬が走り出し、両者の激突は不可避だった。ガイは馬上で中腰になりながら、魔物の顔を正面から見た。眼球の中にディシアの顔がうっすらと浮かび上がっているのを見た。あの少女は最前席でガイがバラバラになるのを観戦するつもりだろうか。
メトちゃんとは大違いだ。なんて歪んだ性格の持ち主――ガイは思った。しかし博士の犠牲者であることは間違いない。あの子を憎むことはガイにはできなかった。
ならば見せてやろう――メトの師匠としての戦い方を。ガイの頭の中にはたった一つの考えしかなかった。
馬が速度を上げる。魔物の足の運びは不規則で、今にも倒れそうだった。再生したとはいえ先ほどまで死にかけていたので、ガイとの激突の後、攻撃しなくとも自滅するかもしれないが、もちろん逃げるつもりはなかった。
正面からぶつかる。博士が再び大剣へと変化したが、今度は振れる角度が変わっていた。水平方向へ魔物の脚を斬るのではなく、斜めに斬り付けられるようになっている。
魔物が頭を低くして、ガイを轢き殺そうとした。その瞬間、馬が跳躍した。ガイは馬にしがみつきながら、舟を漕ぐような動きで馬具に取り付けられた大剣を振り回した。魔物に大剣が叩きつけられる瞬間、刃部分だけが一気に巨大化し、魔物の強靭な筋肉で守られた首を、その切れ味と重さで一気に切り落としにかかった。
魔物とのすれ違いざま馬の腹が魔物の前足に激突し、風船が割れるようにあっさりと馬は引き裂かれ、内臓が飛び出した。それを申し訳ないと思う暇さえなく、ガイは空中に放り出された。その手は大剣を離さなかった。
魔物が咆哮を上げる。それは途中で絶たれた。喉に大量の血液が流れ込んだのか、溺れるような鳴き声を発した魔物は、間もなくして首を失った。大剣にしがみついていたガイだったが、魔物との衝撃は凄まじく、地面に叩きつけられる。
博士が巨大な空気を含んだ布状となり、地面に落下するガイを優しく受け止めた。それでも衝撃はあり、ガイはしばらく動けなかった。
《貴様……》
博士が怒りのあまり声を震わせている。
《私を勝手に変形させたな……。それも、このような脆弱な形態に》
「……お前が原理上、どのような姿にでもなれるのは分かっていた。しかし金属製の武器にしかならなかったのは、自らが傷つくのを恐れていたからだろう。質量も形状も自在なのに傷つくのを恐れている理由はよく分からないが、俺だってお前を変形させることは可能なんだ。利用させてもらった」
布が元の小刀に変形し戻った。ガイは地面に落ちて、小さく呻き声を発した。小刀になった博士は怒りで震えているように感じた。
《なぜ私をこの形に変えることができた? これは私が考案した形態ではない。魔法による命令では私を変形させることはできないはずだ》
「簡単な話だ。俺はメトちゃんがお前を使っているのを初めて見たときから考えていた。いったいどうやって武器を変形させているんだろう、とな。もちろんただの興味からだったが、間近で見続けてきた甲斐あって、簡単な変形ならできそうだという感触は得ていた。もちろん、武器のような複雑な形状のものを瞬間的に一から構築することは難しい。こんな風に、布切れのような均質で単純なものしか、咄嗟には作れないが」
《何でもないように言うが、お前、実際に私を変形させるのは昨日が初めてだろう》
「感心してるのか? 俺に言わせればお前の研究なんて、お前のしてきた非道と較べれば大したことじゃない。俺なんかが扱えるってことは、お前なんて特別な存在でも何でもないんだ。分かるだろ」
《ふっ。言うがいいさ。今は高揚しているだろうしな。……お前、私をメトに返すのか?」
「ああ」
《私が再びメトを乗っ取るかもしれないぞ。それでもか?》
「お前自身、言っていたじゃないか。もうメトちゃんはお前に乗っ取られることはない。自分の魂の守り方を覚えたからな。それに、武器の変形方法は俺が教えてあげられる。博士の協力がなくとも戦えるようになれば、お前が戦いたくないときでも、彼女自身の意思で戦えるようになる」
《……まあ、いいだろう。乗っ取りに失敗したのは痛手だが、まだ手はある。仮に私が死ぬとしても、私が蒔いた種は芽吹きつつある》
それきり博士は話さなくなった。ガイは相変わらず地面に転がったままだった。まともに動けそうにない。
ネイグが、魔物の巨体をしみじみと眺めながら、駆けてきた。下馬してガイの近くにしゃがみ込む。
「おいやりやがったな! 本当に一人で倒しやがった! お前本当にすげえぜ!」
「俺の力じゃない。フドの力を結集したおかげだろ」
「謙遜するなよ! ははは、さすがに骨が折れたか? まあいいさ、しばらくそこで寝てな。俺たちが街まで運んでやるよ」
心の底からそうしたかったが、魔物の肉を確保しなければならない。ガイは立ち上がろうとしたが頭を持ち上げるだけでも渾身の力が必要だった。立ち去ろうとしたネイグの足を掴んだ。
「お? なんだよ」
「頼みがあるんだ。魔物の肉を確保して欲しい」
「あ? 魔物の死骸は焼却するのが普通だろ。肉なんて毒があって食えねえし、どうする気だ」
「く、薬に使う。魔物除けの薬品として役立ちそうなんだ」
ガイは咄嗟にそう嘘をついた。
「それと研究も。今回の魔物は難敵だった。後学の為に解析したい」
「……本気で言ってんのか? どれくらい確保すればいい」
「可能な限り多く。骨や内臓はいらないから、肉だけで頼む。何なら俺はここに放置して、魔物の肉を優先して街まで運んで欲しいくらいだ」
「ははっ、どうやら本気のようだな。分かったよ、魔物の肉は俺とギルドの連中で運ぶ。お前は安心して寝てろ。怪我がまだ良くなってないんだろ?」
「恩に着る」
ガイはほっとした。すると昨晩から一睡もしていない事実を思い出し、猛烈な眠気が襲ってきた。きっとギルドの人間や騎士隊が保護してくれるだろう……。グゥラとの戦いの後に続いて、フドの人々には再びお世話になる。しかしあのときとはまるで心境が違った。
これでメトが助かるといいが……。瞼を閉じようとしたガイだったが、そのとき上空へディシアが飛び立つのが見えた。太陽を背にしているおかげでその表情は見えなかったが、満足げに翼を振ったように見えた。
博士は彼女のことを恐れているが、ガイには彼女がメトの敵になるような人物には感じられなかった。なかなか恐ろしい能力を持っているし、彼女が人々に危害を加える可能性は十二分にあるが、特別メト個人と敵対することはないだろう。やはり博士を中心に因縁が巡っているように思う。
ガイは瞼を閉じた。するとあっという間に眠りに落ちた。すぐ近くに魔物の血と肉が転がる殺伐とした場所で、悠々と昼寝に興じる獣人の姿は、豪傑として語り継がれるだけの風格があっただろう。結局、翌日の朝になるまで彼は眠り続けた。




