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奴隷(前編)


 道はどんどん険しくなっていった。山岳地帯に入り、行く手を倒木が塞いでいることが何度もあった。そうしてようやく正規の道から外れていることを悟った。


 持っていた地図を確認すると、どうやら次の街であるフドへの道とは別に、鉱山地帯への道があるようだった。いつの間にか迷い込んでいたらしい。しかしここまでほぼ一本道だったはずなので腑に落ちなかった。


 嫌な予感がした。引き返すべきだと本能が警告を発していたが、他に道が見当たらなかったので、どこまで戻るべきかも分からない。大幅に時間を無駄にすることになる。多少遠回りになるが、この道を通ってもいずれはフドに到達するので、メトとガイは相談の上、鉱山地帯を突っ切ることにした。


 この判断は誤りだった――少なくともこの後、メトとガイは悔恨に苛まされることになる。鉱山地帯は開拓された道がまばらにあった。渓谷に架かった吊り橋に差し掛かったところで、博士が警告した。


《人の気配がする》


「どこにも人影はないけど。警戒する必要ある?」


《わざわざ連中が姿を隠している意味を考えろ》


 確かに……。メトは吊り橋を渡る前に周囲の様子を観察した。ガイは渓谷の深さに怯えつつも、なぜか少し楽しそうに吊り橋を渡り始めた。


「メトちゃん、もしかして怖いのかい? カワイイところがあるじゃないか」


「ちょっと待って、ガイ。こっちに戻ってきて」


 しかしガイはメトが本気で怖がっていると勘違いして、むしろ意気揚々と橋を渡ってしまった。彼の能天気さに呆れつつも、メトは周囲の警戒を怠らなかった。ガイが半分ほど橋を渡ったところで、彼らは姿を現した。


 半裸の蛮族。最初の印象はそれだった。髭面の男が五人、メトの近くに現れ、橋の向こうでも同数の男がぬっと藪から顔を出した。


「ガイ! こっちに戻ってきて!」


 しかし霧が深く、ガイは異常事態に気づくのが少し遅れた。メトの叫び声に対して緩慢な動作で応え、そしてそれが命取りだった。男たちは何かを投擲した。それは空中で大きく展開し、鉄網となって、橋の上で孤立しているガイを捉えた。


「うわあああ、なんだ!?」


「ガイ!」


 メトは抜刀した。メトの近くに立っていた髭面の男たちはにやにや笑っていた。


「お嬢さん。無理な抵抗はおよし。大人しく捕まれや」


 そのだみ声に寒気を催しながらもメトは背筋を伸ばして相対した。


「博士。可能な限り殺傷能力の低い武器になって」


《さっさと片づけないとガイが殺されるぞ? いいのか?》


「私は殺人はしない。ただでさえ化け物の私が、人を殺し始めたら、本当の意味で人間じゃなくなる」


《ふっ、まあいいだろう」


 直刀が刃のない丸棒のような形状になった。男たちはそれを見て少し驚いたが笑みを深くした。彼らは鉈であったり短槍であったり石弓であったり、様々な武器を持っていた。


 はっきり言って相手は素人同然だった。武器を使わずとも制圧できたに違いない。メトが踏み込んで一撃。振り返りざまにもう一撃。体当たり同然のただの踏み込みで、五人の男は地面に転がった。メトの怪力の前には赤子同然だった。やり過ぎて死んでしまったら大変なので手加減したが、これ以上ないほど迅速に勝利することができた。


「メトちゃん……!」


 橋の向こうから、ガイが歩いてきた。後ろ手に縛られ、拘束されている。髭面の男たちは地面に転がっている仲間たちを見てけらけら笑っていた。


「なに遊んでやがるんだよ、お前ら。こんなガキ一人捕まえられねえのか」


 メトにやられた男は怯えた声を発した。曲がってはいけない方向に腕が曲がっている。


「きっ、気を付けろ、この女、人間とは思えねえ力してやがる」


 仲間の様子を改めて確認した男たちはふっと笑みを消した。互いに顔を見合わせる。


「多少腕に覚えがあるようだが……。おい、ネイグ」


 男たちの呼びかけに、草むらから金髪赤眼の男が現れた。この男は他の連中とは別格だった。身にまとう殺気からして職業戦士であることは明らかだった。手には斧が握られている。メトを見るなりつまらなそうな表情になる。


「こんなガキ相手に俺を呼び出すんじゃねえよ。殺すぞ」


「久しぶりの若い女だ。傷つけずに捕まえろ」


「こんな色気のねえガキを抱く気か? 素直に娼館に通ってろよ」


「いつもカネがあるとは限らねえだろ」


 ネイグと呼ばれた男はため息をついた。そして無防備に近づいてくる。


「おいガキ、大人しく捕まってくれや。悪いようにはしねえから――」


 メトはネイグに鉄棒を突き入れた。ネイグはそれを機敏にかわし、棒を掴んだ。ぐっと引き寄せられる。凄まじい力だった。生まれつき戦士の素養のある人間なのかもしれない。それなのにやることは山賊行為か。メトはその場に踏みとどまって逆に鉄棒を引き戻した。メトの予想外の怪力にネイグは驚愕し、素早く体勢を整えた。


 ネイグは斧を構える。


「……ガキぃ、お前、名前は?」


「メト」


「メト……。聞いたことねえな。こんな強いガキがいたら、世に名を轟かせていてもおかしくはねえんだが。抵抗するなら殺すしかねえぞ」


 ネイグは斧を構えたままじりじりと近づいてきた。メトは鉄棒を前に構えたが、博士が警告する。


《メト。このネイグという男は凄まじい手練れだ。こちらも殺す気でいかなければ殺されるぞ》


「人間を殺すことはない」


《自分が死ぬことになっても、か?》


「死なない。博士を殺すまでは」


 ネイグが地面を蹴った。メトは彼の動きを呼んでいた。細かくステップして距離を保ち、相手の勢いが緩んだところを踏み込んで鉄棒を突き入れる。ネイグは軟体動物のように上体を逸らし、凄まじい膂力で斧を振りかぶった。稲妻のような鋭い軌道を描いた斧がメトの肩に激突した。


 普通の人間なら片腕を失っていただろう。しかしメトの躰はあまりに頑丈だった。肩を脱臼し、激痛が走ったものの、切断まではいかなかった。


 思わず武器を取り落としたメトに、ネイグは勝ち誇るどころか不気味そうに少女を睨んだ。


「お前……。本当に人間か……?」


 ネイグはけしてメトに近づこうとしなかった。何も知らない男たちがメトを取り囲み、縄できつく縛り上げる。さすがに肩を脱臼し、力が入らないように縛られた状態では、逃げ出すことはできそうになかった。武器と荷物を取り上げられる。


「すまない、メトちゃん。きみ一人なら逃げることも簡単だっただろうに」


 ガイが情けない声で謝った。メトはぶんぶんと首を振った。


「謝るのはこっちだよ。助けられなくてごめん」


 賊たちは二人を囲むように布陣すると、山道を足早に進んだ。メトとガイは目隠しをされた状態で歩かされた。整備されている道ではなく、何度も躓いて転んだが、そのたびに蹴り飛ばされるので賊たちの導く方向へ進むのに必死だった。ガイはメトの十倍は転んで、ひどく痛めつけられたが、目的地に着いた後、賊は感心したようにメトを褒めた。


「目隠しされた状態でお前ほど器用に歩く奴は初めてだ。体つきもゴツゴツしているし、幼い頃から訓練しているクチか?」


 不躾に尻を触られ、けらけら笑われたが、メトは何も答えなかった。目隠しされた状態で建物の中に入った。そして目隠しと縄を外された。そこにはメトとガイの他に大勢の男女がひしめき合っていた。メトはひどく驚いた。建物内に人の気配はあったし、目隠しされていてもそれは感じていたが、想像よりもずっと人数が多かった。彼らは怯えていて、ほんの少しの物音も立てないようにじっとしていた。


 奴隷だ……。メトはそれを察した。しかし連れてこられてまだ日が浅いと見える。中には肥満の者もいる。奴隷待遇となれば脂肪を蓄える余裕などないはずだ。


 メトとガイは彼らと同じく大人しくすることにした。物音を立てた者は問答無用で鞭を打たれるので、ガイと相談することもできなかった。


 散発的に、建物に新たな奴隷が連れてこられた。その数は多く、結局建物内には100名近くの男女が押し込められることとなった。やがて恰幅の良い男が現れた。ネイグや武装した男を伴っている。


「おはよう諸君。お察しの通り、きみたちは捕虜となった。ただし奴隷などではなく、私の経営する採掘業の、熱心な従事者となってもらいたいと考えている。いわば就職だ。分かるかな?」


 屋内はしんと静まり返っている。男はうんうんと何度も頷いた。


「俺のことはカシラとでも呼べばいい。きみたちにやってもらいたい仕事は三つ。採掘、精錬、警備だ。この鉱山には金や銀、銅、他の金属に加え、魔法金属も採れる。鉱石には様々な種類のものが混ざっているから、精錬して、きちんと売れる形にしないといけない。それから鉱山付近には魔物が出没することがある。腕に覚えのある者は警備の手伝いをしてもらうことになる。もっとも、新入りが警備を任されることはないがね。信頼関係が必要だ」


 わずかにざわついていた。鞭を持った賊が睨みを利かせるが、カシラがそれを制し、ふふふと笑う。


「ここにいるほとんどは採掘業に勤しんでもらうことになる。大丈夫、メシは出すし、寝床は用意する。働き者には妻や夫をあてがってやるし、何なら、個別の住居を建ててやってもいい。そんな悲観することはないぞぉ。うちはまっとうな業者だ。希望があれば何でも聞く。待遇改善に尽力することを誓おう。今日はゆっくり休むといい」


 カシラはにっこりと笑んで、立ち去った。休むといっても建物内は過密状態だったし、声を発した者は鞭で叩かれた。部屋の隅では熱を出して唸っている老人がいたり、どこからか排泄物の臭いも漂ってきていた。食事は用意されておらず、メトもガイも腹を空かしていた。


《厄介な連中に見つかったな。皆殺しにしても、誰も文句を言わんぞ》


 博士が言う。鞘は失っていたが博士本体は極小の針状にして耳の上に潜ませていた。ただの鉄棒としか思われていなかった為に関心を持たれず、武器を取り上げられて地面にうち捨てられた後、うまくごまかして持ち出すことができた。


 メトは口には出さずに頭の中で言葉を紡いで博士と会話できた。メトが許せば博士はメトの頭の中の思考を読むことができる。もちろん普段は心を閉ざすようにしている。


(人殺しはしない)


《ここの連中は大量に人を捕まえて無茶な採掘業務をやらせている。いったいどうやって捕虜を大量に捕えているのかは知らんが、毎日のように奴隷が死ぬことになる。今、お前がここの連中を殺してやれば、罪のない人々を無事に家に帰すことができるだろう》


(何か別の方法を考える。それに、肩が痛む。今の状態だとあのネイグとかいう人に勝てないだろうし)


《決断は早いほうがいい。お前の旅の連れも、頑丈なほうではない。翌日には死んでいるかもしれんぞ》


(うるさい。それより、脱臼した肩を入れ直す方法を教えて)


 脱臼した肩に触れる。自分で直すしかないがその心得はなかった。博士の指示通りに腕を揺り動かすがなかなかうまくいかなかった。声を必死に殺したが、少し漏れてしまった。鞭を持った男が近づいてきてメトに容赦なく振るった。


 一発は受け入れた。しかし立て続けに二発目を繰り出してきたので、咄嗟にそれを掴んでしまった。


「おい! 貴様!」


 男が叫ぶ。メトは荒く息をつきながら立ち上がった。


「医者はいないの? 肩が脱臼してて、少し難儀しているんだけど」


 男はメトを突き飛ばそうとしたが、地に根が張ったかのように、その場から動かなかった。男のほうがよろける始末だった。男はいよいよ激高して抜剣した。


「おいおいおい、働き手を失うつもりか」


 ネイグが男の首根っこを掴んで引き倒した。


「ネイグ! 引っ込んでろ!」


「負傷者は手当てするのが決まりだろうに。特に若い女は貴重だ。そうだろ?」


 ネイグが睨むと、男は黙り込んでしまった。ネイグはメトに目配せする。


「ついてこい。隣の部屋に医者がいる」


「……どうも」


 奴隷たちの間を縫うようにしてネイグとメトは進んだ。黒ずんだ扉の向こうに医者はいた。しかし医者もみすぼらしい恰好だった。彼も同じく奴隷のようだった。


「肩を脱臼してるらしい。直してやってくれ」


 ネイグが言うと、老いた医者はメトをじっとりとした目つきで見た。


「……上を脱ぎなさい」


 脱ぐ必要なんてないだろうと思ったが素直に従った。ネイグもまた、メトのことをじっくりと観察していた。ただしネイグの場合、医者とは違って性的な関心ではなく、斧の一撃を軽傷で済ませた奇跡の肉体に興味があるようだった。医者はメトの体を無意味にべたべたと触った後、肩を入れ直した。激痛が走ったが、なんとか堪えた。医者の腕は確かだったらしく、一発で入った。


「……ありがとう。もう大丈夫」


 メトは軽く頭を下げた。医者は何か言いたげにしたがネイグが間に入って遮断した。メトとネイグは元の場所へと戻った。


「メトとかいったな」


 メトがガイの隣に腰かけると、ネイグがしゃがみ込んで話しかけてきた。


「……なに?」


「お前、明らかに普通じゃねえな。正直ここの連中がお前を御せるとは思えねえ。逃げたいならいつでも逃げていいぞ。俺は積極的にお前を捕らえようとは思わねえ。そして、俺以外の人間にお前がどうにかなるとも思えねえ」


「勝手に捕まえてきて、随分な言い草だね。私も先を急ぐ身だけど……。でも、ここには奴隷が何百人もいるでしょ?」


「奴隷……、ね。まあそうだな。今は大体400人くらいいるな。来週には、20人くらい減っているだろうがな」


「そんなに簡単に人が死ぬの?」


 ネイグは顔をくしゃくしゃにして無理矢理笑顔を取り繕ったような表情になった。


「ここの連中は採掘の素人ばかりだからな。よく落盤事故で人が死ぬ。精錬作業中に発生する毒でも死ぬし、徘徊する魔物に食われて死ぬ奴もいる。お前らは奴隷より待遇の悪い、使い捨ての人員さ。足りなくなったらまた捕まえてくればいいわけだからな」


「そんなに大勢の人を、簡単に捕まえられるの?」


「幻術で道を迷わせるのさ。驚くほど簡単だぜ。俺たちに狙われた旅人はほぼ助からねえ」


「ふうん……」


 メトは肩を回した。本当はしばらく様子を見るつもりだったが、毎日のように人が死ぬ環境ならゆっくりはしていられないかもしれない。


「どうした。逃げる気になったか?」


「ううん。あんたら全員ぶっ潰す。こんな阿呆みたいな商売、成り立たせるわけにはいかない」


 ネイグの顔から表情が消えた。声に怒色が混じる。


「やめておけ。どうしてお前にこんな話をしたと思ってる」


「はあ?」


「妙な考えを起こさせないためだよ。逃げるだけなら、手引きしてやる。だが、他の捕虜も全員助けようと思ってるなら、無謀な考えだ」


「どういう意味?」


「幻術遣いがいる。逃げようとしたところで、またこの拠点に戻ってくるように仕向けるか、あるいはお前らを魔物の巣に導いて、それでおしまいさ。かく言う俺も元は捕虜で、腕には覚えがあったが、幻術遣いには敵わねえ。逃げることは諦めて、ここで働くことにしたのさ」


 幻術……。メトが鉱山地帯に迷い込んだのも、そいつの仕業なんだろうか。メトは思案した。


「あんたも元は捕まった人なんだ。他の人もそうなの? だとしたら、ますます皆殺しにするわけにはいかないね……。その現術遣いはどこにいるの?」


「知ってたら今頃俺が殺してる。奴はカシラよりも立場が上らしいが、姿を見たことはねえ。この近くには住んでいないと思うぜ」


「ふうん」


 メトは立ち上がった。ネイグがぎょっとして距離をあける。


「やる気か? 逃げるなら段取りが――」


「お腹が空いた」


「食事の時間まで待て」


「ううん。案内してもらうよ。その幻術遣いとやらに」


 メトは堂々と建物の出口を目指した。当然、見張りの賊が立ち塞がった。鞭を振りかぶった彼らを鋭く睨んだ。


 耳に手をやる。抜刀。


 切断された鞭を見た賊は唖然としていた。


「武器を隠し持ってるぞ!」


 酷い騒ぎになった。メトは駆けだしていた。鉄製の扉に体当たりをし、壁の一部を剥ぎ取りながら薙ぎ倒した。それから外に出る。


「脱走だ! 殺しても構わん!」


 誰かが叫んだ。しかしメトは自分が常人に追いつかれるわけがないと知っていた。幻術遣いとやらの力を試したかった。やるならやってみろ。暗くなりつつある鉱山地帯でメトは走り続けた。




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