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傷を負った少女(前編)

 魔物討伐にやってきた“魔遣りの火”は、都でも有数のギルドだった。こんな寒村の依頼を受けてくれること自体驚きだったが、派遣されてきた退治屋が六名もいたことが更に驚きだった。


「六名分もお支払いする余裕は、この村にはないのですが……」


 つい先日村長になったばかりのルーファが言うと、一隊の長らしき長身の男性が柔和に微笑み、


「二人分だけで結構ですよ。そういう契約ですし。依頼が少なく暇を持て余していたので、新人を研修がてら連れてきました」


「な、なるほど。どうかお願いします」


「ええ。今日中には終わらせますよ」


 ルーファは六名の狩人をちらりと見た。隊長の男以外に、屈強な男が三名、魔法武器に身を固めた女が一名、黒虎の獣人が一名。いったい誰が新人なのか分からなかった。それほど、全員戦士の風格が十分あるように思われた。


 一隊は魔物の巣がある山林へと向かった。村人はすっかり安堵した。ここ数か月の間、魔物に殺される村人が十余名、食われた家畜が数十頭おり、村を離れる世帯も少なからずあった。村長とその家族が魔物に殺された影響が大きかった。従軍経験もあった村長は腕利きの猟師でもあり、小さな魔物程度ならば魔法銃一本で撃退してきた。その村長が全く敵わなかった相手となれば、プロに頼むほかない。


 討伐隊が山林に消えて半日。村人は戦果を挙げて帰ってくる彼らを歓迎しようと、宴の準備をしていた。日が暮れかけていたとき、山林とは逆の方角から、一人の女が現れた。


 こんな辺鄙な村に旅人など滅多に来ない。たまに行商人が訪れるくらいだ。最初にその女を見つけたのは村長ルーファだった。夕闇のせいでその女の顔が見えなかったので、少し警戒した。


「久しぶり、ルーファさん」


 少女の声。女は魔法で光球を右手に浮かべ、その顔をあらわにした。ルーファはその女の顔に見覚えがあった。五年ぶりに見る顔だった。


「まさか……、メトか!?」


「そういえば、この村ではそんな名前だった。いいね……、私はメトだ」


 五年前、とある夫婦の間で育てられていた一人の娘が、突然姿を消した。魔物にさらわれたか、川に落ちて流されたか、山で遭難したか……。村人は大騒ぎしたが、娘の両親は全く取り乱さず、ただ淡々と捜索に協力して欲しいと村人に告げるだけだった。親が娘を異国の奴隷商人にでも売ったのではないか……。そんな憶測が立った。


「無事だったのか。いったい今までどこで……」


「無事、ね。まあ、元気ではあるかな」


 そこで初めてルーファはメトの出で立ちに注視した。栗色の長髪。灰色の瞳。彼女の光球に照らされてひときわ輝くのは、腰に差す直刀だった。鞘が様々な宝石で彩られ、灰褐色の柄には血が滲んでいる。大きな縹色はなだいろの外套で体形を隠しているが、伸ばした腕には年頃の少女には似つかわしくない厚い筋肉が張り付いていた。


「父さんと母さんは?」


 メトは少し声のトーンを落として言った。覚悟の要る質問だったのかもしれない。


「……一年遅かったな。去年の今頃、サリは病に伏して亡くなった。それを追うようにしてダヴェルドも……」


「いないのか。そっか。わざわざ挨拶に来たのも無駄だったね。墓参りくらいはするか」


 メトは寂しそうに笑った。ルーファは彼女の肩を掴んだ。


「そう言うな。私はまたお前に会えてうれしいぞ。今は、十六歳くらいか? 村に戻ってくるのか?」


「いや、一応手に職はあるんだ。今日は本当に挨拶だけ」


「職って、何をやっているんだ」


「魔物退治」


「魔物……。何の能力も持たずに生まれてきたお前が?」


 ふっとメトの顔に陰りが見えた気がした。そしてすぐに苦笑する。


「そうなんだよ。運命ってのは奇妙なものだね。私も予想してなかった」


 ルーファは思い出していた。メトが七歳のとき、王都からやってきた診断士に無能力であることを告げられた。この世界の人間は生まれながらにして何らかの能力を持つ。平均して四つか、五つ。多い者は数十個持つこともあるという。その能力に応じて将来の職業を決めることが多いのだが、稀に何の能力も持たずに生まれてくる者がいる。最近では後天的に能力を会得する方法も開発されているそうだが、多額の費用がかかる。貧乏人には縁のない話だ。


 普通、魔物退治は戦闘に適した能力を持っている者が行う。剣術であったり、魔法であったり。それがなければ人間が魔物に勝つのは難しい。適した武器や戦術があれば不可能というわけではないが、消耗が激しいだろう。能力なしの十六歳の少女に、魔物退治なんて職が務まるわけがない。


「運命か……。なあメト、話したくないのなら構わないが、この五年間で何があったか話してくれないか? お前はダヴェルドとサリに、売られたのか?」


「あまり言い触らすことじゃないけど、ルーファさんにならいいか。……そう、私は売られた。能力を持たない子供ばかり買いあさる、酔狂な奴がいてね……。私の他にも四人、同じような境遇の子供がいたよ」


「なに……?」


「辛いことはたくさんあったけど、楽しいこともたくさんあった。だから親も、私を買った奴も、恨んではないよ。わりと私って前向きな人間だしね」


 ルーファは一瞬どんな言葉をかけるべきか迷った。


「そう……、だったな。まあ、自分の能力を余すことなく生かしている者は、意外と少ない。人間、前向きなのが一番だな」


「励ましてくれているの? ふふふ、大丈夫だよ。自分の境遇に向き合う時間ならたくさんあった。それより、村の雰囲気がおかしい気がするけど、何かあったの? 不安と期待が入り混じったような、浮き足立った感じ」


「あ、ああ……。実は近くの山林に魔物が巣食うようになってな。都から魔物狩りギルドを呼んで、対処してもらっている」


 メトの形の良い眉がぴくりと動いた。


「ギルドに依頼したの? この辺だと、もしかして“魔遣りの火”?」


「そうだ。格安料金で請け負ってくれてな……」


「だろうね。あそこ、今大変だから」


「え?」


「二か月くらい前かな。主要メンバーの大半が戦死するか、戦線離脱してね。今、まともに動けるのは数人だけ。あとは普通だったらギルド加入を認めないような素人同然の新人しかいない。すっかり信用を落として、どんな仕事でも受けざるを得ない状況らしいね」


 ルーファは驚愕し、しばらく言葉も紡げず、意味もなく口を開閉した。


「なっ……、大半が……って、いったい何があったんだ」


「不相応な依頼を受けたんだよ。討伐に失敗した。まあ、業界では珍しいことじゃないかな」


「あれほど評判のギルドが、魔物討伐に失敗するとは。その魔物は他のギルドが討伐したのか?」


「どうだろうね……」


 メトは肩を竦め、踵を返してもと来た道を辿り始めた。


「ち、ちょっと待ってくれ。行くのか? もっとゆっくりしていけばいいじゃないか。墓参りはしていかないのか?」


「気が変わった。悪いね。たぶん、私がここに滞在したらろくなことにならない」


「なんだって?」


「またいずれ」


 メトは足早に去っていった。引き留めたかったがその足取りは確乎たるもので、追いかけても無駄だと悟らせるのに十分だった。ルーファはしばらくその場に突っ立っていたが、そうしている内にすっかり日が暮れてしまった。


 宴の準備もいよいよ整ったが、討伐隊は一向に帰ってこなかった。魔物退治が難航しているのか、あるいは魔物が討伐者の気配を察して逃げ回っているのか。村人は明かりを灯して、山林の方角から人影が見えないか注意を向け続けていたが、やがて夜が明けてしまった。


「討伐は順調なのかね……」


 無邪気な子供たちを除いて村の人間は誰もが不安を抱いていた。ルーファは討伐隊からの朗報を待ち望んでいたが、それと同時にメトの寂しそうな後姿を脳裏から拭い去ることができずにいた。やはりすぐに追いかけるべきだったのではないか。まだ十六歳の少女だ。孤独に耐えられるような年齢ではない。


「あっ、討伐隊の帰還だ!」


 見張りの男が声を上げる。村人はその雄姿を拝もうと走り出した。勝利の凱旋かと思ったのだ。


 しかしそうではなかった。六人いた部隊は二人に減っていた。隊長の男と、魔法武器で武装した小柄な女。この二人だけ。そして魔物を討伐したと示すような何かを持っているようには見えなかった。


 村人がヒソヒソと話している間、ルーファは冷や汗を止めることができなかった。隊長の右腕の肘から先がなくなっている。雑に処置されており、包帯は黒い血で固まっていた。


「お怪我をされていますね……。あ、後の四人は……」


「村の方々にお話があります」


 ルーファの問いに直接答えることなく、隊長の男は言った。負傷のせいか、顔色が悪かった。


 村人を広場に集めたものの、隊長の男は活力を失っていた。代わりに魔法武装した小柄な女が兜を取って、村人の前に立って話を始めた。金色の短髪が汗に濡れ、朝陽で輝いている。彼女は余力を残しているようで、はきはきとしていた。


「改めまして、村の方々にお話があります。残念なことですが、想定以上に魔物が強力かつ数が多く、討伐に失敗いたしました」


「し、失敗……」


 なんとなく、そんな雰囲気はあった。村人のざわめきが小さくなってから女は続けた。


「まこと申し訳ございません。失敗しただけならこのように皆さんをわざわざ集めることはないのですが……、魔物を刺激した結果、魔物の群れがこの村に向かってくる可能性が高まっています」


「え!?」


 今度のざわめきはなかなか収まらなかった。女を指差して文句を言う者もいる。女は毅然として動じなかった。


「なんとお詫びすればいいか、言葉も見つかりません。非常に心苦しいのですが、皆さんには一刻も早く避難していただきたい。私どものほうで増援を要請しますが、到着は早くとも三日後。皆さんを魔物から守る手段が、現状ありません」


 ルーファは村人の怒りと絶望を感じ取った。前村長の死、雇ったギルドの敗走、生まれ育った村から逃げなければならない屈辱……。ルーファは女の前に立った。


「……どれくらいで村に戻ってこられるようになるんです? 畑や家畜は、大丈夫なんでしょうか?」


「魔物がこの村にやってきた場合、被害は免れないでしょう。家屋は破壊され、水源は汚染、土壌も毒を含むことになるかと」


 村人たちは静まり返った。怒りの声を上げる気力も湧かないようだった。ルーファは小さく震えていた。最も恐れていたことが起こってしまった。


「魔物が村に来ない可能性もあるんですね?」


「一応は。しかし、我々が関与する前から、村には魔物の被害が出ていたんですよね? この村を素通りしてどこかまた別の場所へ移動する可能性はほぼ皆無かと」


「そうですか……。分かりました。避難の準備をします」


「私が何とか魔物の進行方向を逸らせないか、粘ってみます。時間稼ぎになるかどうかも分かりませんが」


「どうか無理はなさらずに。お仲間を亡くして、お辛いでしょうに」


「……ええ」


 女は俯いた。それから隊長に何か告げると、一人山林の方向へ歩き去った。


 隊長は村人のしんがりを守るつもりのようだったが、重傷を負っている彼を頼りに思う村人はおらず、急いで荷造りを進めた。ルーファの家は妻が既に荷造りを終えていた。避難を拒否する村人が数人いたのでその説得に回った。


 村人が荷を持って広場に集まりつつあった。縄につながれた家畜が飼い主の不安を感じ取ったか、いつも以上に甲高い声で鳴いている。ルーファはがらんとした村内を見回っていったが、ふと、メトの生家の前で立ち止まった。


 去年、夫婦が亡くなってからは空き家になっていた。人が住まなくなった家は急速に傷んでいくものだが、ここはそれが顕著だった。雨樋が割れて垂れ下がり、壁板が剥がれかかっていて黒く汚れている。ルーファはそれをじっと見つめた後、その場を離れようとしたが、ふと家の中から寝息が聞こえてきた気がした。


 最初は勘違いかと思ったが、家に近づいて戸の前に立つと、よりいっそうはっきりとそれは聞こえてきた。


 戸を開ける。ちょうど朝の陽ざしが家の中に入り込み、外套と毛皮にくるまって寝息を立てている少女の顔を明るく照らした。そこにいたのはメトだった。直刀を抱える恰好でよだれを垂らしている。


「メト……!? この村を去ったんじゃないのか?」 


 目をぱっちりと開けたメトは、床を叩くようにして起き上がった。男勝りの胡坐姿。太腿の太い筋肉とそれを包む白い肌が印象的だった。彼女はふわあと欠伸をする。


「見つかっちゃったか。なに、近くに泊まれそうな家があるのに、わざわざ野宿するのもどうかと思い直してね。別に構わないでしょ?」


「それは、もちろん。しかし言ってくれれば晩飯をごちそうしたのに」


 メトは瞼をこすりながら、もう一度欠伸をした。


「ああ、お気遣いなく。魔物は討伐できた?」


「いや……。討伐は失敗した。ここに魔物がやってくる可能性が高いので、村人を全員避難させる。お前も私たちと一緒に逃げるんだ」


「失敗しちゃったか……。そっか。今の“魔遣りの火”じゃあ、仕方ないのかな」


「早くしろ。時間稼ぎをすると言って一人がまた魔物のもとへ向かったが、それをアテにはできん」


 メトは顎に手をやり、考えを巡らせる様子を見せた。


「まだやる気なのがいるんだ? ふうん……。もしかしてそいつ、ゴテゴテした魔法武器をたくさん持ってる、小柄な美人さんじゃなかった? 金色の長髪の」


「確かに小柄な女性で金髪ではあったが、髪は短かったぞ。“魔遣りの火”に知り合いでもいるのか」


 メトは軽く首を振った。


「ふー……、知り合いというかなんというか。しかしその人には心当たりがあるんだよ。なんというか、最近の私の巡り合わせから言って、この村で会うとしたら彼女なんじゃないかって」


「よく分からんが……」


「だろうね。よし、決めた。その人に加勢するよ」


 ルーファは飛び上がらんばかりに驚いた。


「は!? 何を言ってる。名うてのギルドが六人がかりで討伐できなかった魔物だぞ。お前一人加勢したところで何になる」


「でも、このままだと村人は無事でも村は破壊されるでしょ? さすがに生まれ育った村が跡形もなくなるのは、目覚めが悪いよ」


「お前が今度こそ本当に死んでしまうほうが、目覚めが悪いよ。せっかく再会できたのに」


 メトはふふふと笑い、


「そんなことを言ってくれるのはルーファさんくらいだよ。ありがとう。報酬はその言葉だけでも十分過ぎるくらいだ」


「お、おい、本気なのか?」


「大丈夫。これでも私、結構強いんだ」


 メトは立ち上がった。女性の中ではやや大きな体格と言えるだろう。しかしそれだけだ。能力も持たずに生まれてきた彼女が魔物に対抗できるものか。


 だが、ルーファは自信ありげに立つ彼女の姿に、希望の光を見た。悲壮感は全く感じられなかった。信じてしまいたくなる不思議な魅力があった。


「……昔から、お前は不思議な子供だったな。能力を持たずに生まれてきたと言って、お前の両親はひどく落ち込んでいた。しかし当のお前はけろっとしていた。子供だから事態の深刻さを理解していないだけだと思っていたが……。その顔、この五年で何かを得てきたというんだな?」


「さすがルーファさん。察しがいいね。まあ、心配はほどほどでいいから、村人と一緒に避難しててよ」


「無理はするなよ」


「それは私の信条に反する。なんてね。大丈夫だよ」


 ルーファは家から出た。それから避難を始めていた村人の列の最後尾についた。それを確認した隊長が、周囲を警戒しながら避難者の列についてくる。 


 ルーファは遠目でメトが山林の方向へ向かうのを見た。隊長がルーファの視線に気づいて振り返ったが、メトの姿を確認できなかったようで、すぐに目線を他に向けた。


 ルーファはふと、隊長に、


「メトという名前の魔物退治屋を知りませんか」


 と尋ねた。隊長は首を傾げて、知りませんと言った。

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