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オタク系推理少女☆為永春水 番外編――サマータイム・レクイエム

作者: 中ぴ連会長

挿絵(By みてみん)

 両親の七回忌が表面上はつつがなく終わり、私は高校の制服の左そでに着けていた喪章を外して、抹香の残り香が立ち込める本家を後にした。

 格子戸の外は、だいだい色の西日と全身をかすような熱気であふれ返っていた。それまで冷房の利いた室内で逼塞ひっそくしていた汗が、待ち構えていたかのように毛穴という毛穴から噴き出し、制服のシャツをあっという間に湿らせる。素肌にシャツがべっとり貼り付いて気持ち悪いことおびただしかったが、それは今現在、暴風雨が過ぎ去った後の地面よろしくぐしゃぐしゃな心理状態の自分にとっては、不思議と心地よく身体に馴染むものでもあった。

 くるりと振り向き、武家屋敷のように宏壮こうそうな本家の邸宅を視野に収めた私は思った。もっと暑くなればいい。このまま世界中が灼熱の炎のように暑くなって、御子柴みこしばの家も私自身も何もかも、灰も残さず綺麗さっぱり燃やし尽くせばいいんだ――。

「――麻琴まこと

 ダブルの喪服を身にまとった兄貴の耀一よういちが、どことなく危ぶむような声音こわねで私の名を呼び、それまで私の思考を包んでいた狂気の炎を振り払った。自我を取り戻した私は、己の中でマグマだまりのようにドロドロと対流している破滅的な衝動に対して、妙にめた第三者的な視点で苦笑した。自分で言うのも口はばったいが世間一般的には真面目な優等生で通っていて、デスペラードという単語とは縁遠い存在であろう自分の中に、かくも狂おしい感情が潜んでいたことが、思わず「エウレーカ!」と叫びたくなるくらいひどく新鮮に、そして可笑おかしく思えたのだ。

「大丈夫か」

 兄貴が、額に浮いた汗を白いハンカチでぬぐいながら尋ねてくる。何が《大丈夫》なのか――その意味するところは明りょうではなかったが、私をのぞき込んだ瞳が深い海のような色をたたえていることから推察すると、この暑さを気にしてのことでないことだけは確かだった。

「うん、大丈夫」

 短いため息と共にこたえると、何が大丈夫なものか――と、せせら笑うような心の声が語尾に被さった。

 実を言うと、御子柴の家の人間が一堂に会する今日の七回忌に顔を出すのはこの上なく気が重かった。欲の皮の突っ張ったハイエナ連中の侮蔑、憎悪、嫉妬などのマイナスの感情が詰め合わされた邪視の十字砲火に、法事の間ずっと身をさらすのは、いくら何度も同じ目に遭って耐性が付いたとはいえぞっとしないことに変わりはない。が、まさかにそんな理由で喪主の妹が法事を欠席する訳にもいかなかったし、私の自尊心はあんな奴らに屈することを許さなかった。

「そうか、ならいい」

 抑揚に乏しい語調で応じた兄貴は、こちらに鋭い一べつをくれた。私はついと視線をらそうとしたが、兄貴の眼力はそんな逃げ腰な姿勢を一蹴するような、炯々けいけいとしたつよさを帯びていた。その目から剄さが消えるまでの数秒間は、私にとって数万倍もの密度に感じられた。

「まだ、暗くなるまで間があるな」

 ふと視線を正面に戻した兄貴は、自分のヴィッツの停めてある方に向かいながら言った。

「これから妙巌みょうがん寺まで行くぞ」

 妙巌寺は本家から車で五分くらいの距離の御子柴家代々の菩提ぼだい寺で、父・誠次郎せいじろうが眠っている場所である。

「……七回忌のやり直しだ、二人きりで」




 途中、花屋に寄って墓前に供える花を買ってから妙巌寺に向かった。

 鈍色にびいろの玉砂利が敷きつめられた境内けいだいに車を停め、本堂と渡り廊下でつながっている庫裏くりの呼び鈴を鳴らすと、午前中本家で読経どきょうしてもらった住職の奥さんが応対に出てきた。私たちを見た奥さんは一瞬、金縁眼鏡の奥で胡乱うろんげな視線を走らせたが、すぐにおおよその事情を察したらしく、

「済みませんなぁ、宅の住職も副住職もお通夜でよそに出とりまして。どうぞ上がってつかあさい、今お茶でも出しますけえ」

 と、ことさらに人のよい表情を作って私たちを客間に通そうとした。が、

「いえ、お構いなく。墓をもうでたらすぐおいとましますんで」

 兄貴は先方の申し出を丁重に断り、私たちは早々に庫裏を辞した。

 本堂を右手に折れた先が墓地になっており、夕空をすっぽり覆うようなくすのきの古木に囲まれた中に、オベリスクのように長い陰を伸ばした御影石が整然と並んでいた。檀家だんか総代を務める御子柴家代々の墓は、墓地の中央の一等地を占めている。

 墓を水で清め、花を供えて両親の冥福を祈る。

 合掌している間、私は薄目を開けて兄貴の様子をうかがっていた。兄貴の立場からしてみれば父はともかく、母に対しては亡くなって六年経った今でも相当複雑な思いを抱いているだろうから。




 私と兄貴は異母兄妹きょうだいである。

 兄貴の母親の令子れいこさんは蒲柳ほりゅうの質で、私が生まれる二年前に心臓の持病が悪化して他界している。旧堂上華族の出の令子さんと父は、親同士が決めた文字通りの政略結婚で結ばれたので、兄貴が生まれた後の夫婦仲はすっかり冷え切っていたという。ある日、酒に酔った兄貴が能面のような無表情でぽつりとこう言ったことがある――俺が物心付いた頃から二人は既に寝所を別々にしていた、と。

 恐らく父は、令子さんが亡くなる以前から私の母・由紀乃ゆきのと相当親密な関係にあったのだろう。でなければ、令子さんが亡くなってわずか一年で私の母と再婚はしないだろうから。

 この結婚には当然、厳格な為人ひととなりだったらしい祖父を始めとして御子柴家の一族郎党がこぞって反対したが、父は実家と半ば絶縁状態になってでも母との結婚を選んだ。

 父と知り合うまでは繁華街の表町おもてちょうでホステスをしていたらしい母は、本家からは父をたぶらかしたいかがわしい女として白眼視され、父と一緒に交通事故で亡くなるまで――否、生前のみならず亡くなった後も一族として認められることはなかった。それは、この御子柴家代々の墓の下に眠っているのは父と前妻の令子さんで、後妻の母は遠く離れた故郷の浜松に別に葬られているという事実が、何よりも雄弁に物語っている。

 それにしても――と、思考回路を暑さにやられたせいか、私は普段なら識閾しきいき下に押し込めておくことについ考えを巡らせてしまった。

 兄貴自身は、私の母についてどう考えているのだろう。

 人てに聞いた話を総合すると、令子さんは子供の頃の兄貴を過保護と称しても差し支えないくらい可愛がっていたらしい。夫に振り向ける必要のなくなった愛情のストックを、その分兄貴に回したのだろう。

 だから、多感な少年期に自分の世界にかなりのウェイトを占めていた存在を失った兄貴が、その存在の後釜に収まった私の母に好意を抱いていたとは到底考えられない。実際、東京の大学に進学してから兄貴は実家とはほとんど没交渉だったし、幼い頃の私が兄貴に遊んでもらった記憶は皆無に近い。母と同様、半分しか血の繋がっていない妹の私も、あの当時の兄貴にとってはうとましい存在に過ぎなかったのかも知れない。

 しかし両親の死後、警察庁のキャリア官僚という輝かしい将来を約束された地位をかなぐり捨ててまで、私の保護者の役割を務めるため実家に戻ってきた兄貴は、そんな様子を毛ほども私に感じさせなかった。両親の死後の親族との不毛ないさかいを通して、多少は世間ずれした今になって改めて考えると、己に課した義務として頼もしい保護者を巧みに演じていたと換言出来るかも知れないが。

 これに関しては感謝こそすれ、当時の兄貴をネガティブな視点で《偽善者》と思う気持ちは少しもない。偽善も善のうち――むしろ、浜松の叔父夫婦に引き取ってもらうという選択肢もあったろうに、よくも自分のの感情に上手く折り合いをつけて、私なんかの面倒をよく見る気になってくれたものだと、今更ながら感心する。

 ただ、私はナーバスな精神状態の時にこう思ってしまうことがあり、それは私を、あたかも粘液に覆われた赤黒い内臓を素手で触るような、底知れぬ不快な感情の渦へと落とし込むのだ。


 ――兄貴は今も、心の奥底では私を血をけた妹として認めてないのではないだろうか――。




 樟から降り注ぐひぐらしの声を別世界のように遠く聞きながら、意を決した私は口を開いた。

「ねえ、兄貴……後悔してないの?」

「何をだ」

「こっちに戻ってきたことよ」

 ゴクリ、という音が脳の奥で大きく響いた。私が生唾を呑み込む音だった。

「後悔はしてないさ。あの頃は自分のいる場所や立場にはいい加減うんざりしてたから、ドロップアウトするいい潮時だったし」

 その飄々ひょうひょうとした本心をはぐらかすような物言いは、今の私にはたまらなく神経に障るものだった。私は身体の中心に真っ赤に熱せられた鉄の塊を入れられたような感覚になり、こめかみの血管が大きく脈打つのと同時に、感情を司るスイッチが激情に切り替わった。

挿絵(By みてみん)

「……嘘、よ」

 自分でも滑稽こっけいに思うくらい、私の声は震えていた。

「嘘に決まってる。必死で努力して勝ち取った地位でしょ、後悔してないはずないじゃないっ。それに私知ってるんだから、それが原因で当時の婚約者と別れたってこと!」

「また、本家の連中からおかしなことでも吹き込まれたか」

 さすがに兄貴の顔が若干気色ばんだが、ほんの数秒でいつもの冷静さを取り戻す。が、その自己抑制的な態度は、私の神経に生じたささくれをより一層酷くさせただけだった。

「あれはお互いにとって最善の選択をした結果、ああなったまでのことだ。第一、部外者のお前がとやかく言うことじゃない。少し頭を冷やせ」

 哀れむような表情すら浮かべた兄貴は、穏やかな口調を一ミクロンも崩さずにたしなめる。それが、自分がこの上なく矮小わいしょうみじめな存在であることを見せつけられているようで……耐えられない。

 次の瞬間、私は沸騰する感情に全てを委ねていた。

「兄貴はいっつもそう。嫌になるくらい冷静沈着で、頼もしい保護者を気取ってて……じゃあ、これは私に関係あることだから、はぐらかさないでちゃんと答えてくれるよね。何で半分しか血の繋がっていない厄介者の私を養育しようなんて思ったの?」

 言ってしまった、ずっと心の中に閉じ込めていたのに。

 今まで熱を帯びていた身体が瞬時に冷却化していく。後悔の念が津波のように押し寄せるのは火を見るより明らかだったが、それでも口にせずにはいられなかった。

 なぜ?

 太陽がまぶしくて不条理な殺人を犯すカミュの『異邦人』の主人公ではないが、私がこんなことを口走ってしまったのも、この身も心もがすような暑さのせいだろう。小説の最後――死刑判決を受けた主人公がギロチンで公開処刑される際に、見物人たちから罵声を浴びせられるのを唯一の希望としたのと同じ心境で、私は下唇を歯型が付きそうなくらいギュッとんで兄貴の言葉を待った。が、

「……約束、したからな」

 兄貴の反応は、私の予想とは全く異なるものだった。

「約束?」

 オウム返しにくと、兄貴は穏やかさと寂しさをない交ぜにしたような視線を向けて、おもむろに「ああ」とうなづいた。

「六年前の今日――親父と由紀乃さんが事故に遭った時、俺はたまたま大阪府警に出張で来ていたから、すぐ二人が搬送された病院に駆け付けることが出来た。親父は即死状態だったから臨終を看取ってやることは出来なかったが、由紀乃さんは一旦持ち直して意識も回復した」

 そして翌日未明、術後の予期せぬ大量出血で再び容態が悪化して、母は奇妙にカラフルな何本もの医療機器の管に繋がれたまま、最期に私の名を呼んで亡くなった――それは私の脳裏に鮮烈な記憶として否応なく刻み込まれ、血まみれの悪夢となって未だに私を責めさいなむ。

 兄貴は夕日であけに染め上げられた墓石に向き直り、供えた花束に視線を落として淡々と言葉をいでいった。

「あの時、由紀乃さんは既に自分の死を予感してたんだろうな……枕元に俺を呼ぶと弱々しく俺の手に取りすがって、涙を滲ませながら何度も何度もこう言ってたよ。耀一さん、どうか麻琴のことをお願いします――と。

 今だから白状するが、俺は生前の由紀乃さんを家族として認めたことは一度たりともなかった。お互い冷戦状態、というのが正直なところだった。それは由紀乃さんも充分に認識していただろう。溺れる者は藁をもつかむ、じゃないがそんな俺に頼むということは、よっぽど由紀乃さんはお前のことが最期まで心残りだったんだろう。そして俺は、必死の想いで掴まれた手を払いのけるなんて無情な真似は、自分の信条として出来なかった――つまりはそういうことだ」

 私たちの間を不意に生温い風が通り過ぎ、青紫色の夜の袖にかき抱かれ始めた樟のこずえかすかに鳴らした。

「それと理由なら、もう一つ」

 再び口を開く、兄貴。

「通夜の打ち合わせでお前を連れて本家に行った時、あの連中は幼いお前に対して随分酷いことを言っていたな」

 私の頭の中で、あの時連中に投げ付けられた悪罵がリフレインする。

 御子柴の財産目当てで誠次郎さんを上手くたぶらかした、いかがわしい女の子供。本当に誠次郎さんのたねか判ったもんじゃない――。

「覚えているか……あの時お前は、それまでろくすっぽ顔を合わせたこともなかった俺の喪服の袖をぎゅっとつかんで、震える声でこう言ったんだ」

 兄貴がその言葉を口にした時、私は思わず息を呑んでいた。

 今の私は絶対に兄貴をこうは呼ばない。でも、あの時はあの言葉が、誰に教えられた訳でもないのに生まれてすぐ立ち上がる動物ののような自然さで、自分の唇からこぼれ落ちたのだった。

「だから俺は思った、お前は俺が守らなきゃいけないと。そして、お前は正真正銘血の繋がった俺の妹だと」

 身体のしんが再びゆっくりと熱を帯び始める。が、その熱は先ほどまでとは異なり、私を温かく包み込むようなものだった。

 いつしか、空には明星がまたたいていた。

「……ああ、だいぶが傾いてきた」

 兄貴は独りごちるように言うと、きびすを返して歩き始める。

「真っ暗になる前に帰るぞ、麻琴」

「うん」

 言葉少なに頷いて、私も兄貴に歩調を合わせて歩き始める。その在りし日の父のように広い背中をじっと見つめながら、私は心の中であの言葉を繰り返し繰り返し、てのひらの中でこの上なく希少で美しい宝石を転がすようにつぶやいていた。


 あの時、私は確かにこう言ったのだ――。

 お兄ちゃん、と。

 くだくだしくなるので本文では敢えて説明しませんでしたが、若干補足をば。

 庫裏というのは寺に付随する、住職さんと家族の人たちが日常生活を送る住居のことです。また、堂上華族というのは戦前まで存在した特権階級である華族のうち、公家を出自とする家のことです。


 この掌編の執筆動機は、小説の三つの大きなパートである会話・説明・描写のうち自分が一番書いてて楽しい《描写》をみっちりやりたかった――それに尽きます。あと、直前に高村薫の『照柿』読んでそれに触発されたといのもあるかも(笑) ですから、意図的に本編とは打って変わってヘビーな文体を心がけました。タイトルはロックの古典的名曲からのパクり。

 今だから白状しますが、『フランス人の手紙の冒険』を書いていた頃は、御子柴本家の関連の設定は一種のマクガフィンに過ぎず、細かい設定は全然考えてませんでしたし、御子柴兄妹が腹違いという設定もありませんでしたが――この掌編でかなりの物語のバックボーンが固まってきた感じですね(他人ひと事みたいな言い方)

 それにしても、麻琴はヤンデレの素質充分ですな。自分に一番近いキャラクターなので愛着もひとしおです。

 では、ここまで目を通して下さって本当にありがとうございました。




                  今日届いた『うみものがたり』のDVDを観ながら――中ぴ連会長

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― 新着の感想 ―
[良い点] 全体を通してきちんと夏の暑さを感じられる、読みやすい話でした。 主人公のわだかまり、兄貴の思いなどもシンプルでわかりやすく、共感できるものでした。 「描写に特化した」とありましたが、僕とし…
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