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8話:殺すひと、殺されるひと

「――はぁ、はっ、はあ、ぅ……」


 急勾配の坂なんて無かったのに、大通りに出た時には息があがっていた。

 鎌倉の時と違って、荒い息を堪える必要なんてないから、情けないけど呻きまでする……ふとすれ違ったサラリーマン風の男が、僕に怪訝な視線を向け、すぐに逸らす。

 一歩先を歩くシンヤは居ない。


 大通りを歩いて行くと、ちらほら通行人を見かける。

 殆どがかっちりとしたスーツ姿で、これから向かう職場もそこで着席するタイミングも最初にこなす仕事も全て決まっているような風だった。

 皆が皆きちんとした出で立ちだから、現金とスマホは確実に持っているだろう。


(……声、かけて……)


 警察の位置を聞く。

 教えてくれる人は居るだろうが、行ってどうなるのだろう。

 良いところ電車賃を借りられて、実家やシンヤのアパート前に行ける、ただ、それだけ――


(それだけで、いいじゃないか)

(だって、あそこ(BABホテル)は間違いなく、まともじゃない——)


「――ぁ、の」


 心臓がやけにバクバク鳴って、絞り出したような声が出た。

 すれ違うところだったスーツ姿の若い男は、足を止めイヤホンを片耳だけ外した。


「あの、えっ、と」


 お金を借りる? 場所を聞く? 警察署に連れて行ってもらう?


(――全部、夢かもしれない)

(全部、全部夢で、あのアパートに入ったらシンヤが笑顔で迎えてくれる、かも)


「――あの。鎌倉で若者の死体が発見されたとか、そういうニュース知りませんか。死んだ人の名前は、近衛ユウグレか宮崎シンヤのどっちかで」

「知りません」


 若い男はすぐにイヤホンを両耳に戻し、小走りになって通り過ぎた。

 足を止めてしまった己を恥じるような、ああ、損した、みたいな表情だった。


(……全部、夢なのかも)

(変な夢を見ていて、いや、今だって夢の中で——)


 それだったら、どんなにか良いだろう。


 全面ガラス張りのまだ暗いビルに、自分の姿がぼんやり映る。

 ゾンビみたいな顔だったらまだ良かったのに、ただただパッとしない、覇気のない、いつもよりほんの少しだけ目尻が下がって眠たげな……単なる、僕。


 近衛ユウグレ、十九歳、浪人生。

 けれど今、僕を僕だと、近衛ユウグレだと決定付けているのは僕しか居ない。


 だって連絡先が入ったスマホも保険証もクレジットカードもないし、僕をユウグレだと言ってくれる旧友と会う手段はない、シンヤはもう居ない、父親にも会いたくない――


(——そうだ。夢だ。夢だよ。こんなん)


「なんだ、……変な夢――っ、ふ……はは、はは、ははははは、……」


 なんだか笑いが込み上げてきて、必死に呼吸の仕方を探すような声を漏らした。ますます息が苦しくなった。


「じゃあ、夢から、醒めないと――……」


 無理して言葉を絞り出すと、胸が潰れそうなくらいに痛んだ。吐き気もする。

 あんなカップラーメン食べなきゃ良かった。


(どうすれば、夢から醒めるんだ――)


 頬をつねる。叩く。何回も、何回も、痛いくらいに叩く——

 小綺麗な格好をした女性が、僕を見てギョッとした顔で踵を返した。


(——ダメだ、この方法じゃ)


「何か……何かして、夢から、醒めないと……」


 僕は再び、走り出す。

 ほとんどパニックに近い勢いで、動き出し始めた朝のオフィス街を疾走する。


(誰か、何か、どうにかしてくれ、助けてくれ、話しかけてくれ、これは夢だって言ってくれ、醒める方法を教えてくれ、お節介なオバサンとか同じ年頃の子どもが居るスーツのオジサンとか、通りすがりの他人でいい、単なる気まぐれでいいから、誰か、誰か。……誰か……!)


 そもそも殆ど人を見かけないのに、そんな世話焼きの人間と出会う筈がない。

 世界は僕に無関心で、夢の中だとしても皆が皆それぞれの暮らしで精一杯で…………


 僕は、たった一人だ。


(……誰か。誰か、終わらせてくれ。……お願い、お願いだから……)


 朝焼けの街に、煌々と輝く明かりが見えた。


 近付くと、木目の看板にアルファベットが書いてある。

 扉は全面ガラス張り、清潔なオープンキッチンが入ってすぐに広がっている――食い入るように、中を見つめた。


 エプロン姿の男が一人、長い包丁を使い何かのブロック肉を切っている。

 作業に集中しているらしく、扉のすぐ外に居る僕には目もくれず、黙々と赤い肉塊を解体している――


(……。包丁だ)


 扉に入ってすぐ、店の中に入って数歩進めばたどり着く位置に、無造作に、何本も包丁が置かれていた。

 刃の切っ先から握るところまで銀色で、よく切れそうで、すぐに僕の持ち物になりそうな、――


 試しに手をかけてみると、あまりにも簡単にガラス戸が開いた。


「は、――……ッ!?」


 顔を上げた男の表情が、歪む――僕はもう、包丁を掴み、踵を返したところだった。


「っ……ま、待てえっ!! どっ、ドロボー……!」


 背後から聞こえる間抜けな声は何とも滑稽で、金属製の柄の冷たさは、僕をいくらか冷静にした。

 すぐ裏路地に入ってジグザグに曲がった。

 包丁は大きくてとても隠すことなんて出来ず、ああ、一線を越えてしまったなと思う。

 もちろん罪の自覚はある。でも、どちらにせよ店には戻れない。夢から現実に戻る為には、仕方ない。


(どこかで、どうにかして、今を、終わらせないと……)


 走る、走る、僕は当て所もなく滅茶苦茶に走る。


 時折ふっと感じる視線を振り切るように、走る。


 捕らえられたら意味が無い、ただ、ただ、走って、走って……


「……りなさい、そこ! 止まれ!! ……」


 きっとこのままじゃ、長続きしないと気付く。

 足もとっくに棒みたいで息継ぎ出来なくて、呼吸もとっくに限界で、――裏通りをなるべく選んでいた筈がまた大通りに戻り、曲がったところの建物が、ぽっかりと口を開けていた――

 駐車場だ。


(駐車場なら、上手く隠れられる、かも)


 ホテルを出た時の光景がよぎり、駐車場の奥へと走り、進む。


 ――誰も居ない。静かだ。


「っ、はぁ、ぅ、は、っ、はぁ、……あ……」


 奥まで行って、大きなワゴン車の影でしゃがみ込む。


 一度座ってしまうと、もう立ち上がれる気がしない。

 心臓の音がばくばくばくばく、煩い。

 こめかみの辺りがずきずきずきずき、痛む。


 ……包丁が、重い。汗ばんだ手が、ぬるつく。

 ……ふと、足音が近付く。


(こんなの、悪い夢だ)


 僕みたいな他人(ひと)を気にして他人(ひと)に流されるだけの人間に、包丁を盗み走り去るなんて出来る訳がない。そのまま逃げおおせるなんて出来る筈もない。


 ……だからこれは、夢だと思う。現実じゃないと思う。

 考えれば考えるほどおかしなところが多すぎるし、何度も何度も溺死していたし、天使とかいう美少女は非実在ダミ声美少女すぎるし、ああもうなんで気付かなかったんだろう、考えれば考える程これは悪い夢だ、足音が、近付く――


(――目覚めたらきっと、あのシングルベッドの上だ)


 そして僕は味の薄いパスタをすすり、鎌倉の話を聞いてから言う筈だ、『やけに長い、ひどい夢を見た』って――……


 ……だから。


(だから、きっと、こうすれば目が覚める)

(……どうして、もっと早く気付かなかったんだろう)


 両手でナイフを握りしめ、切っ先を喉元に突き付ける……やっぱり怖い、吐きそうだ。

 手元が、ガタガタガタガタガタガタガタガタ、情けなく震える。


「……終わりに、するんだ。いや、しないと」


 きつく目を瞑り、刃を握りしめた両手を高く、高く掲げる。

 深呼吸を何度も何度も何度もして、覚悟を決め……いや、決めてないけど、また足音が聞こえた気がして、勢いでひと思いに振り下ろす――――――


 暗闇の中、風が空を切る音がした。


 同時に、ぐちゃり、と、肉の塊に刃先がめり込む感覚――


 なのに、痛くない。

 どうしてだろう、もっと包丁に力を込める。


「ぅ、ぎゅ、ぁ……」


 か細い、断末魔だった。


「――、え?」


 嫌な予感がする。

 包丁を握りしめた手に、じわりと汗が滲む。


 僕は目を閉じたままで、真っ暗闇の中、鼓動がばくばくばくばくばくばくばくばく耳元で響いて――


「だいじょーぶ、なんです。よー……」


 蚊の鳴くような、苦しげな濁った少女の声。


 ……もう、無視できない。直視、するしかない。


 瞳を、開く。


 まず最初に視界を埋め尽くしたのは――


「――――――、ぁ、ぁ、ぅ……」


 ――鮮血。

 ――そして、赤に染まる純白の髪。


「……だい、じょうぶ……、わたしたちは、しんで、おわりじゃ、……から、……」


 天使と呼ばれる美少女が、僕に向き合い、抱きつくように寄りかかっていた。

 白くて細い首に包丁が埋もれ、血がとめどなく流れ続け、ぱっくり割れた断面からは、骨らしきものも現れていた――


 真っ白な髪が、水色の襟が、セーラー服が赤く染まり、垂れ落ち、コンクリートに血溜まりを作る。


「……ろして、ユウグレ……いたい、から、はやく、」

「……はやく、ころして…………」

「っ、ぅ、あ、ああああああああああ」


 めちゃめちゃに刃物を動かしている。

 肉が食い込んだり、食い込まなかったり、不快な水音が聞こえたり聞こえなかったりして、ただただ、気持ちが悪い。


「ああ、ああ、あああ…………あ……」


 どれくらいの間、滅多刺しにしていただろう。


 恐る恐る手を止めると、とっくに天使は事切れていた。

 美しかった顔は苦痛に歪み、べったりと血が付き見る影もない。

 彼女はもう、何も返事をしない、応えない。


 流れ続ける鮮血がコンクリートを濡らし、つい先ほどまで彼女が生きていたこと、血を巡らせていたことを、如実に示す。


「……なんで……」


 貧相で薄い僕の身体でも、少女の小さな遺体を包み込むには充分で。


「っ、なんで、どうして、こんな……」


 他人の血をべっとり浴びている筈なのに、僕の黒いパーカーじゃ目立たない。

 美少女は血に塗れ首を斬られ、純白の制服を染め死んでいくのに、僕は彼女と同じ色になることすら出来ず――


 ただただ、いたいけな少女を殺しただけの他人だ。


「……何故、こんなことが起きているのか知りたいでしょう」

「な、……」


 声の主が、マヒルという名前なのは覚えた。

 うつむいた視界に黒のヒールが映りこんで、彼女が近付いているのも分かっていた。


 ……けれど顔をあげ視界に映りこんだマヒルが、タオルを差し出した時と全く同じ、穏やかな笑みを浮かべているのは想像していなかった。


「そして、どうしたらこの状況から抜け出せるかも知りたい、ってところよね。死んだらどうにかなる、って思ったのかしら?」

「……なんで、あんた、そんな。落ち着いて……」

「天使とBABグループの力を、信用して貰う必要があると思ったの」

「それならほら、実際自分の目で見て、体感して貰うのが一番でしょう?」


 数メートル先で背筋を伸ばし、両手をヘソの下で重ね、ホテルマン然として立ったまま言葉は続く。


「あなたはこれから、奇跡を目の当たりにする――私達を信じて協力する気になったら、この現実を天国みたいに楽しく暮らす方法を教えてあげるわ」

「……なんだよ、それ」

「問題は、ユウグレくんが思ってる以上にシンプルで単純なの」


 美少女の血溜まりがじわりと広がり、マヒルはさり気なく後退った。


「解決方法は、たったひとつ。しかも、実に分かりやすい」

「あなたの父親であり、あなたを不幸にした張本人――近衛アキヒトを殺すだけ(・・・・)よ」


「ねっ、簡単でしょう?」

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