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7話:衝動

 三角座りも出来ないようなサイズの浴槽に、熱湯にも近いシャワーの粒が降り注ぐ。


(熱い、痛い、……うわ、人間の皮膚に戻ってく感じ、する――)


 人間結局どんなに異常事態でも欲は消えず、寒い身体を温めたいという原初の欲求にもまた、勝てないらしい。

 皮膚に湯が染み込んでいくにつれて、ようやく、どくどく脈打つ心臓の音が聞こえてくる。


(少なくともユニットバスに内鍵は掛けてるし、ここには誰も入って来ない)

(……ああもう、動きたくない、熱いシャワーに打たれて溶けて全部なくなれば良いのに)


 シャワーの音と感触、その熱に集中し、余分なことを頭から排除する。

 人工的な香りが広がるシャンプーを、頭皮に塗りたくる――


 僕なりに長い時間をかけて風呂を堪能したものの、すぐに終わりは訪れた。

 髪など乾かす気にもならず、タオルで身体を雑多に拭く――濡れそぼって脱ぎ捨てた黒い服の隣に、新品の下着と真っ白なシャツ、スウェットの上下が置かれていた。


(いつの間に……)


 彼等からしたら『新しい服をどうぞ』という配慮なのだろう。びしょ濡れの服を回収しなかったのは『僕が驚き、警戒するだろう』という心遣いなのだろう。


(……いや、こんなの全部憶測だ)


 天使とかいう美少女だって、少女に餌付けをする女だって、何ひとつまともじゃない。

 そんなの、さっき確認したばかりなのに。


 きっと、清潔な服を身に着け全身真新しくしてしまった方がいい。

 けれど今、都合よく真っ白な自分になってしまったら、僕が僕じゃなくなってしまいそうで、いや、自分から風呂を要求しておいて今更こんなこと、勝手すぎるかもしれないけど――


 なんて散々逡巡した結果、下着だけ真新しいものに変え(下着の色だけは何故かグレーなのも大きかった)、ドライヤーで無理やり生乾きにした黒パーカーとパンツを身に着けた。本当、我ながら中途半端な奴だ。

 濡れた服は、当然のように気持ち悪くて……


(……他に、もうやることがない)


 恐る恐る、ユニットバスの扉を開ける。


「――……」


 小さな窓から、差し込む光……

 夜が、明けていた。


 窓の外は薄ら白く変わっていて、紺色とのコントラストが美しい。

 やうやう白くなりゆく山際、少し明かりてってこういうことか、尤もあれは春だけど――なんて思うくらいには落ち着いた心持ちで、僕は誰も居ないシングルルームを眺めた。


 ビジネスホテルの明かりは、陽の光と比べて初めて弱々しさに気付く。

 案内された客室は、天使の部屋からふたつ下、十三階にあって、調度品はさっきの部屋と全く同じ――私物らしきものは見当たらず、枕元に置かれていたデジタル時計で、今は午前四時過ぎに陽が昇ると知った。


(あれ? 日付……)


 心中を決行した日から、一週間近く進んだ日が、機械的に表示されている。


(僕は溺れて、死んだと思ったらまた溺れて、そのうち『天使』とかいう美少女が助けに来て、でも一度目は僕が彼女も溺れさせて、二度目にようやく、……)


 その間に、日付が進んでいた? ……まさか、そんな。

 今更のように、心臓が早鐘を打ち始める。


(落ち着け、落ち着け……とりあえず、今の状況を確認しよう)


 ここは、本当に単なる、BABホテルの一室だ。

 ベッドに腰掛け、白んでいく景色をぼんやり眺める。


 ……遠くに見えるのは、教科書やテレビで見る特徴的な白亜の建物……そうか、ここは『BABホテル国会議事堂前』。鎌倉の海で溺れていた筈の僕は、いつの間にか東京の中心に居るらしい。


 身を乗り出して見た夜明けの街並みは、人通りもなく静まり返っていた。

 規則的に埋められた街路樹が、動かない化け物のように点々と佇んでいる。

 振り返って、改めて部屋を見渡す。さっきと同じく 『聖なる書で成功を掴む-Best Ambitious Bible-』 『BABホテル会長・一宮レイジが教える幸福のルール』があって……


(そうか、Best Ambitious Bibleの略でBAB……)

(いや、胡散臭いな)


 近寄ると、2冊の奥に見たことのない雑誌が置いてあるのに気付く。

 名前は『The Bible Town』……また聖書……そうだ、BABホテルはとある宗教法人の隠れ蓑だとか外郭団体だとか、そういう噂をネットか何かで見たことがある。

 欧米ではメジャーな、救世主を教会で崇める、あの一神教――保守らしき人達は欧米諸国の破壊工作だとか海外の教会に金が流れるだとか良くない噂を流すけれど、この国の殆どの人間は、コスパを第一に考え何も感じずBABホテルに泊まっている。

 シンヤに『ライブの時泊まるの、ここで良いよねぇ』なんて言われた時、僕はツインルームのあまりの安さに驚愕したものだ――


「――ッ」


 シンヤとの思い出を振り切るように、リモコンを手に取る。何か細工がされているかと思ったけれど、至って普通にテレビは点いた。


 最初は海外チャンネルで、肌の色が違う人間達が馴染みのない国のニュースを英語でまくし立てていた。


 この国の公共放送チャンネルに変える。早朝のニュース番組は、高校生が行っている環境保護活動を取り上げていた。


 民放にチャンネルを変える。朝のニュース番組は、昨日行われたという有名アイドルグループのライブを映し出していた。


 また違う民放のチャンネルに変えると、野球選手がホームランを打ち、両腕を高く天に突き上げていた。


 ――……いつも通りの見飽きたニュース、風景、アナウンサーが淡々と読む児童虐待のニュース、コメンテーターの沈痛な面持ち、芸人の笑顔、お喋り、――……


(……おかしいのかもしれない)


 あの少女と、女だけじゃない。


(もしかしたら、僕だってとっくに……)


 だってそうだ、訳の分からない奴等に命を助けられてホテルに連れて来られて、こんなに淡々としてテレビを見てるって……きっと、普通じゃない(・・・・・・)


 唐突に、高校時代の同級生と話したくなった。

 浪人が決まり、シンヤと出会った後で徐々に疎遠になっていき、半年以上誰とも連絡を取っていない。


 世界は何も変わっていない、ならば僕自身も未だ同じ世界のパーツの一部と確かめたかった。

 けれど生乾きのパーカーもパンツもポケットは空っぽで、スマホは海に落としたかシンヤが回収したか知らないが、とにかく持ち物は何もない。

 電話番号なんて覚えていないし、交通費も勿論ない。

 シンヤは僕を突き落としてからいつものアパートに戻ったのか、それとも荷物も整理していたし別の場所で暮らすのか、知りたい。

 けれどこんな都会の真ん中から県境ぎりぎりのシンヤの家まで歩いて行ける訳がない、そもそも道が分からない。


 実家ならもう少し近い筈だけど、そこに待っているのはまた、かつてと変わらない地獄だ――


「――なんだよ、もう。何なんだよ……」


 頼りない掠れ声で、せめてもの虚勢で顔を歪めながら呟く。


(僕は……もう、おかしくなっているのか?)

(それとも、おかしいのは……この、世界の方なのか?)


そうだ、考えてみれば、死んで生き返った世界が今までの世界と同じなんて保証は何もない。


 このまま部屋に居るとおかしくなりそうで、咄嗟に部屋を飛び出した。

 廊下は無人で、跳ねるようにエレベーターの下三角形を連打した。

 やってきたエレベーターに先客は居なかった。


 機械的な到着音、一階でエレベーターは止まり扉が開く……


(……あっぶな)


 フロントでは、さっき見た初老の男にマヒルが話しかけていた。

 男性が何度も何度も相槌のように頭を下げている姿は、彼女の方が目上の人間だとはっきり分かる――


 慌てて扉を閉め、地下駐車場へと行き先を変え――誰も見当たらないと確認して、僕はエレベーターを降りた。


 いくつか停まっている車の影にいちいち隠れながら、外を目指す。

 ……入口のところに警備員らしき男は居たが、足早に通り過ぎると何も声をかけられなかった。


(出られた……)


 駐車場の出入口ははホテルの裏口らしく、車が停められた場所とは景色が違った。


 左右は延々と小さな雑居ビルが続き、真向かいには青黒い茂み、石段、そして大きな鳥居……何やら立派な神社があるらしく、否が応でも鎌倉の景色がよぎってしまう。僕は鳥居に背を向けて、訳も無く走り出す――

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