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30話:妹と僕


終幕. 再会の日



 BABホテル海外進出十カ国達成記念パーティーは、盛況だった。


 国内外から多くの政財界関係者、芸能人、その他宗教指導者やらどこぞの社長やらがお出ましになって、夜通し乱痴気騒ぎの様相を呈していた。


「――聖者様」

「聖者様だ」

「ああ、あの真っ黒な髪がエキゾチックで神秘的で、――」


 最初の一年は地獄だった。

 何度も何度も何度も何度も死のうと思ったけど、出来なかった。


 次の一年は少しずつ慣れて、心が麻痺していった。


 三年目になると、僕は名前を捨て『聖者』と呼ばれるようになった。

 心を閉じたら閉じた分だけ、楽に身体が動くと知った。

 自己も中身も何もなくとも、堂々としていればそれだけで信仰されるのだと知った。




 ――そして、四年目の春。


「ああ、君がウチの聖人か。ここ数年の活躍ぶりは目覚ましいと聞いているよ」

「……勿体ないお言葉、恐縮です。一宮、レイジ会長」


 初めて僕は、かの人(・・・)と出会った。


 でっぷりと肥え、脂ぎった顔がぎらつく如何にもな好色家――だったら分かりやすかったけれど、中々どうして、小綺麗なスーツで身を固め、爽やかな笑みが板に付く若手政治家じみた出で立ちだった。

 そういえば今は、BABホテル社長である妻も顔出しをして所謂おしどり夫婦のような売り方をしていた――なんて、ふっと思い出す。


「どうだね、君は未だに女遊びを拒否していると聞いたが――君ほどに優秀な聖人の遺伝子を残さないのは、世界にとって損失だと思わないか」

「そう……ですね。僕としてもこのままではいけないと思っているのですが、如何せん相手が」


 一宮レイジは笑いながら僕の肩を何度も叩き、愛人のうちで最も序列が低く、最近は飽きかけていると噂の女性を僕に紹介してきた。

 僕は頷き、夜が明けるまでの間にマンションの場所を聞き出し、愛人が居る部屋のキーを手に入れた――


 それからは、数珠繋ぎに人と人を繋いでいった。

 僕は男も女も騙し、宥め賺し、時には脅し、時には力尽くで、けれど細心の注意を払って、ことを進めていった。途中で裏切られて消されそうになったこともあるし、売られかけたこともあるし、でも――


 そういうことは全部、些細な出来事だった。







 ――六年目の、夏の終わり。


 連日の熱帯夜だった。

 僕は二十五になった筈だけれど、二十歳から一向に背は伸びなかった。


「げほ、ぇほ、こほっ、……」


 最近、蘇っても万全の状態に戻らない。

 血を吐いている状態で蘇って、その日のうちに死んで、ただでさえ0時の状態を再現されて蘇ったら血を吐いているのに、さらに肉体再現が不十分で出血量が増えるから、最近はそれを周囲に隠すので必死だ。


 ……能力の劣化を、気付かれる訳にはいかない。

 僕が限界だと気付けば、またBABは焦って新たな聖人・聖女を探し始めるのは想像に難くない。


「ゥゥ、んん、ゥ、んぐ――」


 猿ぐつわを噛ませた男が、無様な声を漏らす。

 一点物のスーツを纏った精悍な身体は、頭から足の爪先まで震えていた。


「――大丈夫です、会長。虹彩認証を突破したいだけなんですよ」

「セキュリティを突破したかったら本人を連れて行けって、……マヒルさんが生前、教えてくれたんです」


 標準的なBABホテルの数倍は大きく豪勢で、BABホテルに泊まったことなどない人々が住んでいそうなタワーマンション。

 縛った男を台車に乗せ、エレベーターを昇っていく。

 最上階に到着して、瞳を無理やり開かせ認証を突破する――電気式の扉が、開いた。


「んぐぉ、ゥゥ――」


 手を縛った男を床に転がし、今度は両足を縛り付ける。

 こんなところで殺して死の恐怖から解放してしまうのは、あまりに楽をさせるようで面白く無い。


「ッ――僕だ」


 玄関から叫んだ。返事はない。

 けれど空調は効いていて、中は程良く涼しい。


「ユウグレ……近衛、ユウグレだから――居たら、返事をしてくれ」


 久しぶりに口にした名前は、死んだ人を呼ぶのと同じ感覚だった。


 長い廊下を歩いて行く。

 いくつかある寝室やバスルーム、トイレを確認するが誰も居ない。時折背後から男の呻き声が聞こえる以外、マンションの一室は静まり返っている。


「……居るんだろう、ここに」

「頼む、居てくれ……」


 天使とは、呼びたくなかった。

 鼓動が早まるのを押さえ、必死に耳を澄ませ、捜索を続ける。


「居るんだろ、なあ、」


 広々としたリビング、ダイニングスペースに繋がるオープンキッチン――


 返事はない、物音はしない。


「ずっと、探してた――会いたかった」


 最奥部にある、キングサイズのベッドが置かれた寝室――誰も居ない。


 けれど確かに、誰かの温もりが残っているような気がした。


「……出て来て、くれ……」


 沈黙が、落ちる。

 ……誰の、気配もしない。


 ここまでして、結局会えないのだろうか。絶望的な気持ちになる。


「……」

「…………」

「………………。このままじゃ僕、生きてるのか、死んでるのか分からないんだよ」


 素直な感情を吐露したのは、六年ぶりだった。


「もう、このまま死んだらいいって、そうしたら楽だって、何度も思った。一度鎌倉の海で死んでるんだからそれでいいのに、って。死んだ方が、よっぽど楽だって……でも」

「……でも。……でも……」


 ずっと忘れられない、言葉があった。

 短すぎる、彼女(・・)と過ごした日々で聞いた言葉たち。


「死ななければ生きてる。……死なない限り、人は生きる。僕たちは殺されても、殺されてもまた、息をしてしまう。し続けてしまう」


 身体も心も、僕は二十歳のままだった。

 久しぶりの本気の言葉に、普段はもっと流暢に嘘を吐く癖に、やけにたどたどしくしか、口が動かない。

 ……辛くて苦しくて胸が潰れてしまいそうで、呼吸困難になりそうなくらい、喉を詰まらせながら、喋り続けた。


「――ひとつだけ、どうしても伝えたいことがある」

「きっとまた君を困らせてしまう、何の救いにもならないと思う、僕は自分勝手だ、それでも」

「それでも、どうしても伝えたくて、僕は――ここに、来たんだ――」


 ……かたり、と。


 壁際から、音がした。ウォークインクローゼットの中だ。


「ッ、――!」


 情けない程気が急いて、転ぶくらいの勢いで踵を返し、戸を開ける――


「……、――……」


 小さな塊が丸まって、小刻みに震えていた。

 泣いていると分かったのは、床にべっとり着いた顔がしゃくり上げるように動いていたからだ。


「っ、…………」



 駆け寄って腰を折り、床にぺたりと頬を付ける。

 彼女と同じ、目線の位置にする。


「――……ヴ、ゥ」


 出来損ないの、マスコットの声にもなっていなかった。


「ゴロ、ジデ」


 忌み嫌われる怪物が無理やり言語を覚えて、人間の物真似をしようとしているような、潰れきった喉が辛うじて鳴る音だ。


「ジニダイ……モウ、イヤダ、…………」


 顔の半分が腫れ上がって、変形しているとようやく気付いた。

この痕は、数日で付けられるようなものじゃない――今更殺して0時の状態に戻しても同じだし、そもそも今の彼女に蘇りの力がどれだけ残されているかも怪しい。


 ――僕は、サバイバルナイフを取り出した。錆び付きかけている、思い出のものだ。


「バヤグ、ジデ…………」

「……今まで、二回も君を殺した。一度目は鎌倉の海で、無理やり一緒に溺死させた。二度目は自殺しようとしたところを君が突っ込んできて、僕は生き続けられた……だから」

「だから、このナイフは、殺す為の武器じゃない」

「……?」


 僕の言葉に、彼女が僅かに戸惑った気配が伝わる。


(……ここに辿り着くまで、一宮レイジの情報は散々集めた)


 結果、こうして四肢が揃っているだけで幸運だった――と思えるくらい、一宮レイジは猟奇的な、生易しすぎる表現をすれば『変態エロ親父』だった。


 きっと、天使は嫌がるだろうと思った。

 変わり果てた自分の姿を好きな相手に見られるのは、誰だって嫌だ。

 それを理由に、僕を拒むかもしれないとさえ思った。


 ……だから、僕は考えた。難しい選択じゃなかった。


 僕は、僕の意志で、決めた。


「顔全部なくすつもりだったから、何か、こんな生温くていいのかって感じなんだけど、――」

「――ヅッ!?」


 やっと顔をあげてくれた、彼女の顔の無事な半分が驚きと恐怖と哀しみで歪んだのと、僕の視界が半分だけ真っ赤に染まったのと、ほぼ同時だった。


「……ぐ、ゥ、い……っ……」


 顔の半分、彼女と逆の方をナイフの切っ先で割いていく。

 彼女の顔が半分元に戻らないなら、同じ分だけの範囲を、彼女以上に、もっと、もっと醜くなるように……


「……ぁぁ、何回死んでも、やっぱ痛いものはずっと痛いよな、本当、……」


 顔の皮膚を、ナイフでぐちゃぐちゃに割いていく。血がぼとぼとぼとぼと落ちて、錆びた刃物が鮮血で染まる。


「ヤメデ! ……モウ、ヤメデェェ」


 嗄れ声で叫ぶことは出来ないらしく、弱々しい声で彼女は泣いた。

 ……白い滑らかな頬と、変色し形が変わり紫色に晴れ上がった頬に、雫が流れる。

 それから、クローゼットの中にある白い上着を手に取り……無論立ち上がる力は残っていない、這うように手を伸ばし上着の裾に手を掛け……僕に投げ付けた。


「あ、ありがと、止血する――声も、いつでも潰すつもりだから」

「イヤ、ッイヤ……」

「……ごめん。心配させて」


 小さな青白い拳が、僕の胸を何度も叩いた。


 顔から零れ落ちた赤い血が、白を真っ赤に染めていく――ああ、ほんの少しだけ背が伸びたかもしれない。


「――六年前に、会えなくなった、あの後。死体を偽造する関係とか何とかで、戸籍謄本を偶然見た」

「そうしたら――居たんだよ、一人。僕と同じ日に産まれ、出生届と死亡届が同日に出された、僕の妹(・・・)が」


 届けを出す時には死んでいた、その名をどうして付けたのかは分からない。


 生前に実母が何かの願いを込めたのかもしれないし、父親が呪いと悔恨の意味で付けたのかもしれない。


 それは分からない。

 何も、僕には分からない、けど……


「――近衛ミメイ。君は、ミメイって名前なんだ」

「意味分かる? 未明は、朝焼けの少し前って意味で……夕暮れと、対になってる」

「……ゥゥ、…………っ、ゥゥ、……ァァ、ァァァァァァ……」


 女の子は泣き出した。

 何もかもなぎ倒していく怪獣のような、大好きな家族とはぐれてしまった幼児のような、無邪気な仕草だった。


「……それで、その」

「本当に改めてで、遅すぎるし、だからと言って別に何の救いもなくて、苦しいことばっかりかもしれないんだけど、でも」


 ……ああ。

 自分の頬を流れ落ちる、血が、熱い。






「――ミメイちゃん。僕と、家族になりませんか」

最後までお読み頂きありがとうございました。少しでもよき時間になっていれば幸いです。

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