21話:逃避行の果て
「……わたし、何にもできないですか?」
「もう充分、してくれたよ。何も出来ない僕に、価値があるって言ってくれた。ここまで連れて来てくれた。それで、充分――」
シートベルトを外し、助手席のドアを開ける。
小銭の全部と、サバイバルナイフだけは持って、無造作にズボンのポケットへ詰め込む。
ぽかんと僕を眺める少女の胸元は、真っ赤に染まっていて――
「これ、着てってよ。……取りあえず、血は隠せるから」
黒のパーカーを脱いで、天使に渡した。BABから支給されたインナーシャツは、白の無地だった。
「隠す……ですー、か?」
「うん。きっと、びっくりされるから、その方がいい」
「……ありがとー、ございます、です……」
「いいよ。敬語じゃなくって」
「……。ありがとー、……」
パーカーを受け取り俯いた少女は、照れたように笑っていた。
その様子は勿論綺麗で、可愛いと思う。
……きっと普通に女性を好きな男が、美人な猫とか、愛らしい赤ちゃんとか、そういうのを見た時と同じ感覚で、綺麗で、可愛いと思う。
(聖人とか聖女とかを全部抜きにして、この子と幸せになれたら)
きっとマヒルもBABグループ全体も喜んで、少なくとも天使は幸せになれたかもしれない。
……僕には、眼前の血塗れの少女を、幸せにすることが出来たのかもしれない。
(それでも、僕は――)
今際の際に、父親が発した言葉の意味を確かめたい。
――今はただ、それだけだ。
公園に降り立ち、ワゴンの扉を閉めた。
天使は追ってこない、ワゴン車も動かない。
でも、もう振り返るつもりはない。
(ここから、遠い記憶にあるグループホームまでは歩いて十分くらいの筈だ)
(実家のことについて、連絡がまだ入ってなければ、面会くらいは確実に出来る、……)
「いやあ、気持ちが良い朝ねえ」
「これからどんどん暑くなるものね。今朝くらいが有り難いわあ」
公園の一角に、十人足らずの集団が入ってきた。
杖をついた男も居る、中年くらいの女も居る。
エプロン姿の若い男女が二、三人毎に付いて、てんでばらばらな格好をした男女に、にこやかに話しかけている――
中に一人、無表情で車椅子に乗った老婆を見かけた。
灰色の髪に鋭い眼光、切れ長の目……
しかし、彼女の腰は大きく折れ曲がり、うつむいた顔についた瞳は何も捉えていないように思える。
「ユリノさん、お花咲いてますよお。綺麗ですね」
「……」
「あんまり気に入らなかったかな」
車椅子を押す女性が差し出した花から、老婆は顔を背けた。
花は……萎れかけた、白い、小さなものだった。
(――……あの、人は)
僕は――信じられない心地で、その集団に近付く。
「――近衛、ユリノさんですか」




