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17話:少女と僕

 僕を長年支配し抑えつけてきた父親が、天使に頭を垂れていた。


「どうか、この老いぼれをひと思いに連れて行って下さい。さあ、早く」


 そして、祈りを捧げてすらいる――この男が、何かに縋るなんて姿は想像もしていなかった。


「ふえ……ぇ、ぇえ? いーですよね、マヒルもころしていーって言ってたし、ごご本人さまもこう言ってるので、でーす」

「っ、待って……」

「――ずっと、ずっと会いたかった。アサヒ(・・・)


 父親が……いや、頭を垂れた、ひとりの哀れな男が呟いた。


「――…………」


 全ての時が、止まったような気がした。


(――そうだ、アサヒ(・・・)だ)


 懐かしい、少女の名前だった。


(どうして、今まで気付かなかったんだろう)


 気付かないようにしていたのか、いや、そもそも何度か写真で見ただけの相手をすぐ思い出すなんて無理があるのか――


(天使と初めて会った時から感じていた、あの妙な既視感の、正体は)


 天使がナイフを振り上げていた。

 手を伸ばし一歩を踏み出そうとした、その瞬間にはもう振り下ろしていた。

 気付いた時には、父親の首からだらだらだらだら、赤黒い血が流れていた。


 断末魔は、聞こえなかった。


 僕はまだ、一歩も動けない――……




「はあーっ、おわりましたーでーすーっ。それじゃ最後に、ユウグレころして、」

「――知ってる?」

「んーっ?」


 扉に寄りかかった僕の横で、天使が首を傾げる。

 その頬には、何人分もの血飛沫が飛び散っていた。


「黒崎アサヒって、聞いたことある?」

「くろー、あさー……? 知らないですー。誰かのお名前、でーすー……か?」


 身体を伸ばして、リラックスした様子で応える姿は、嘘を吐いているようには思えない。


「――十六歳で僕を産んで死んだ、僕の母親。それが、黒崎アサヒ」

「ふえー……?」

「君は……、黒崎アサヒによく似てる。もうちょっと大人になって、髪を真っ黒に染めたらそっくりだ――」


 ――今更、鼓動がどんどんどんどん早くなる。


 目の前には、老いた男と、精悍な中年男性と、ふっくらした中年男性の遺体が、三つ転がっている。

 僕もこれから天使に刺され、横たわる遺体のひとつになる筈だった。


(天使は……この子は、一体何者なんだ)

(ここまで似てるってことは、黒崎アサヒの、親戚筋とか……?)


 しかし訴訟の時既に、彼女の親類は全員死んでいた、筈だ。


 いくら晒し者にしても文句を言う縁者が居らず、尚且つ外見が美しいことで裁判の旗印とされた少女を、父親は手籠めにした。

 その事実がゴシップ誌により暴かれた当初、住民達は一斉に近衛家当主を罵ったが、あくまで体裁上は少女自身の意志であり、大手マスコミは取り上げられないと分かるやいなや、自分や家族の為の闘争に集中した。


 ――身寄りのない少女が一人裁判から抜けたところで、悲しむ人は居なかったのだ。


「……君は。自分の親とか、産まれについて、何か聞いたことは?」

「ほあ、何か色々聞いてくれて嬉しいなー、ですけど。わたしは産まれた時から天使なのでー。家族は、これからユウグレとなるだけですーよ?」

「そう、マヒルに教わったのか」

「ほんとー、なのですよ。わたしは産まれた時からマヒルが面倒を見てくれて、家族は誰もいなくて、だから、家族は必要で、ですのでー、わたしはずっと、誰かに、家族になってほしくて。マヒルが、ユウグレは運命のひとだよって――」

「何だよ、それ。マヒルに言われただけじゃないか」

「違うですよ」

「そんな訳、」

「違うです」

「……っ……」

「そのショーコに、ユウグレが殺されたくないなら、殺さないです」


 サバイバルナイフを床に置き、ぷるぷるぷると、何度も天使は首を振った。

 実に可愛らしい仕草なのかもしれないが、顔に散っていた血がとろりと肌を伝っていく姿は、なんだか哀しかった。


「僕を殺すのは、マヒルの命令なのに……そこまで?」

「はーいー。そこまで、です」

「……なんで……」

「えーっ、わからない、ですか?」


 大きな目をぱちぱち瞬かせ、天使は笑った。


「ユウグレは、わたしに何もお願いしなかった、です。わたしに、お祈りもしなかった、です。マヒルはずっと、家族はムショーの愛だって言っていて、わたしは、意味がわからなかった、おねがいにこたえるのが愛だとおもってた、だってマヒルも、ほかのひともみんな、わたしがおねがいにこたえたら、すごーく、すごーく、喜んだですよ? ……でも」


 澄んだ瞳が、僕を見据える――思っていたより何倍も強い、揺らがない目だった。


「ユウグレに会って初めてこういうことかって、知ったです。ユウグレはわたしから何もとっていかない、何ものぞまない、何もしない」

「だから――びっくりしたです。これが、家族なんだって、おもったです。マヒルがいってたこと、ほんとだったです」

「――そんなの、」


 その先は言えなかった。

 言葉が、出て来なかった。


(そんなの、当然なんだよ。きっと、本当は普通のことなんだよ)


 でも、僕の家族はそんなんじゃなかった。

 条件付きの愛しか与えて貰えなかった。


 天使もきっと、『天使』で居続けることが彼女の存在意義だった。


 ……当然で普通の家族は、どこに居るんだろう。

 当然で普通の幸せは、どこに在るんだろう。


 僕は、天使にとって必要な存在なのだろうか。

 誰に何と言われようと、近衛アキヒトは、黒崎アサヒを愛していたのだろうか。

 黒崎アサヒは自分自身の意志で、好意を持った上で、近衛アキヒトを受け入れたのだろうか。


(いや、……そんなの全部、全部、綺麗事だ……)


「……ユウグレ?」


 頬がやけに熱くて、濡れて、一筋、細い涙がつたっていったとわかる。


「僕が、天使に何も望まないのは」


 何故か、自分の声はカラカラに乾いていた。


「――天使のことが、好きじゃないからだよ。ごめん」

「……。そこが、好きなんですー……って、わがままですねー」


 うつむいた美少女は、皮肉げな笑みを漏らした。

 何故だか不意に、彼女が大人びて見えて――




 ――プルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル

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