15話:父親と僕
ここからラストスパートです
4. 僕と天使が殺す時
自分の身長より遙かに高い、白亜の門扉。
中の邸を一切見せないことに拘った構造は、近付くものを威嚇するのに充分だ。
「うわーっ、おっきーですねーっ」
「渋谷の一等地にこんな広いお屋敷って、本当にあるのね。羨ましいわ」
「……一応言っておきますけど、ここも、車を停めてある車道も、あそこの監視カメラに全部写ってます」
「ああ、大丈夫よ。事が終わったら全部燃やすから」
「そうですか――」
車内でマヒルから聞いた、ざっくりし過ぎている計画を思い出す。
「――近衛アキヒトに近付きさえすれば、暗殺するのはそう難しいことじゃないわ。歳も歳だし……問題は、その前の警備の多さだったの」
「そこを僕が突破して、あの人の前まで行けばいいんですね」
「ええ、出来そう?」
「普段は僕への用事は、使用人に伝言して終わりですけど……捜索願を出しているなら、怒り狂って会いに来る可能性は高いです。最悪、こっちが使用人に頼んで呼び出して貰えば、なんとか」
「ありがとう、心強いわ。あの男と対面出来たら、後は天使に任せて」
「はーい、任せられました、でーすーっ。お屋敷の中に入れたら、わたし隠れますー」
「私は車の中に待機しているから、緊急時にはいつでも声をかけてね。死亡後にはすぐあなた達と逃げて、事後処理も対応するわ」
(……そう、結局全部は人任せ。僕はただ鍵を開けて、親のところに行くだけ)
つくづく、変なことに巻き込まれてしまったと思う。けれど、あの男の命ひとつで多くの人が救われるなら、それで良い気もする――
どちらにせよ、今更僕に拒否権はない。後戻りも、出来ない。
車から降りた僕と天使、そしてマヒルで見上げた門は、実家で暮らしていた時より遙かに厳めしい造りに見えた。
「……僕が門を開けると、使用人が二十四時間待機してる管理事務室に連絡が入ります。あの人は休んでる時間だから、普段なら朝に報告が行くけど」
「今はどう動くか、分からないってところね。それじゃ、何かあったらいつでも連絡して」
「わ、――」
ふいに投げられたものを受け取ると、旧式のタッチパネルがない携帯電話だった。
「音声通話機能しかない携帯よ。私の番号だけ登録してあるから使って」
「ありがとうございます」
「――念のため言っておくけど、警察や誰かにかけたところで」
「分かってます。……助けを求めるような人も居ないので、安心して下さい」
「そう。――ひとつだけ訂正しておくけど、あなた達が助けを求める相手は居るわ。私よ」
「……っ」
頼りない、小さな携帯電話を僕は握りしめた。
マヒルも、天使も、きっと悪い人間じゃない――何だか無性に今、そう思いたかった。
「はーいー、ですっ、マヒル」
「行ってらっしゃい。ちゃんと、帰ってきてね」
ひらひら手を振り、マヒルが車へと戻る。
スライドドアが閉められたらもう、スモークガラスの中は見えない。
「開けます」
門扉の脇にある認証用虹彩カメラを起動させ、その前に立つ。
『――認証、完了シマシタ』
何の苦も無く、鉄製の扉が開いた。
深呼吸をして、一歩、実家へと踏み入る。
「……ユウグレ、気を付けてーっ、です」
囁くような声を残し、同時に中へ入った天使が見えなくなる。
背後から物音がしたから、何処かに隠れたのかもしれない――
僕は一人で、目の前を見据えた。
門から玄関へと続く道は、およそ数十メートル。
沢山の樹木や草花が植えられ、季節を感じる造りになっているが、僕は何ひとつとして名前を知らない。父親が自然を愛でている様子を見たことも無い。
母屋の扉に、手をかける。
僕と父親の虹彩を認証した場合のみ、建物の扉も勝手に開くようになっている。
(……落ち着け、落ち着け。まず玄関で会うとしたら、警備員の足立か使用人の中野だ)
(多分あの人の起床時刻までは自室待機になるだろうから、とにかく上手くやり過ごして、天使の侵入が気付かれてないか、さり気なく確認して……うん、そうしたら、朝にあの人と会うだけで僕の仕事は終わりだ。後はもう、何が起こっても知るもんか――)
厚い母屋の戸の前で、どれくらい立ち尽くしていただろう。
門扉を開けたのに動かないでいると、それこそ親に報告されるかもしれない。
その可能性に気付いた僕は、ようやく重い扉を開けた、――――……
「――――…………」
そして一歩入ったきり、扉に手をかけたまま全部の動きが、止まる。
(なん、で、)
目の前に――
「――ユウグレ。生きて、いたのか」
父親、が。近衛家当主、近衛アキヒトが、居た。
「……ぅ、ぁ、」
一瞬で、積み上げていた思考が、組み立てていた動作が崩壊する。全身からざあっと血の気が引いて、なのに心臓だけは音を立て、僕は指一本動かせず、意味のない音が漏れた――
「良かった」
(――え?)