14話:もう戻れない
幕間. もう戻れない
業者が仕立てたであろう、ぱりぱりの黒いパーカーとパンツを受け取り、着込んだ。
――実家に戻っても怪しまれない格好といえば、やはりこれだ。
日付が変わるのを待ってから、いつものワゴン車に乗り込む。
「――聖人や聖女にとって、0時を安全な場所で迎えるのは何より重要なの」
今夜もハンドルを握るのは受付に居た男で、後部座席で天使を挟み、マヒルと僕が腰掛ける。
……彼女がしっかり天使の手を握っているのが当てつけのように感じる。考えすぎだろうか。
「実家で何かあっても、蘇れば次の0時は安全なホテルの中――捕らえられないようにだけ、とにかく気を付けて」
「だいじょーぶですー、何かあったらわたしがユウグレ殺す、でーすー」
「……分かった」
自分で死ぬんじゃダメなのだろうか、まあ、あの人の前でそんな勇気が出るとも思えないけれど。
「取りあえず、ユウグレくんは虹彩認証の扉を全部開けてくれれば大丈夫。後の流れは天使に任せて」
「です、でーすー」
繁華街のネオンが流れ、車は都心の大通りを進む。
実家に近付いていくのが如実に分かり、景色が知ったものに変わり、気が滅入っていく。
「……一個、質問していいですか」
「あら、前向きで嬉しいわ。なんでも聞いて頂戴」
「僕に聖人って呼ばれる能力があったとしたら……親も同じなんじゃ」
「その可能性は極端に低いわね。有史史上、親から子に聖人や聖女の能力が遺伝した例は皆無に等しい――天使の子どもも、そうじゃなかった」
「……へえ」
思わず声が低くなってしまったのは、嫌悪が拭い去れないせいだ。
そして……嫌な予感まで、したせいだ。
天使は聞いているのかいないのか、目を閉じてマヒルに寄りかかっている。
(天使が産んだ子は、すぐに死んだと言っていた)
(そして、その子に蘇る能力はないと今、はっきり断言した)
「……聖人とか聖女の能力って、病気や老衰は防げないんですか」
「そこまで乗り越えたら、不死の人間が何人も居ることになっちゃうわ。有史史上最初の聖人である救世主さまも、自身の役目を全うした後は天に昇られたもの」
――つまり、聖人や聖女であるかどうかの確認は、病死や自然死では分からない。
(手っ取り早く確認するなら、殺すしかない――)
会ったばかりの美少女と、顔も存在も生涯知らないで終わるであろう男との、すぐに死んでしまった子ども。
……僕とは何の関係も無いのに、胸がざわつく理由は分かっている。
天使に迫られて、瞬間、頭に血が上った理由も突き詰めれば同じで。
(……何も分からない少女を騙して、性の対象にして子を産ませるなんて)
(結局、僕の父親とやってることが同じじゃないか)
鎌倉の別荘でひとり暮らした、僕が産まれた日に死んだ母親を勝手に思い浮かべて、重ねる。
(写真で見た姿は、本当に単なる少女だった)
(それこそ、天使が今着てるようなセーラー服だって、似合ってしまうくらいの)
「――……」
目を閉じ、じっとしている天使に視線を向ける――
初めて見た時の、強烈な既視感が蘇った、気がした。
……何故だろう。
「質問はもう終わりかしら?」
「あ、はい――」
「そう、良かったわ。――もう、目的地に着くから」
「!」
思わず身を乗り出すと、窓の外は、何度も歩いた通りに変わっていた。
……学生時代、毎日通学に使っていた道だ。
友人の一人に恋い焦がれ重い足取りだった帰り道、一度だけふたりきりで行けた買い食い、少しでも一緒に居たくて実家を素通りした、いつまでもこの道が続けばいいと思っていた……
「とうちゃーくっ、ですねーっ」
(……本当、この声。情緒も何も全部壊してく……)
ぱちりと目を開いた天使は、楽しげに足をばたつかせ、言葉を続ける。
「さあーっ、さっさとやっちゃいましょう、でーすーっ」
そういえば、大学に進学した初恋の相手は、去年SNSに彼女との写真を載せていたっけ。
そして、僕は……
きっともう、戻れない。