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10話:聖女降臨

2. 再生の日



「――もう少しで着くわ」

「ッ、――……!?」


 肩を叩かれ、身体を起こそうとしたところで何かに阻まれる——シートベルトだ。

 僕は、車に乗っている。……車窓から、等間隔の街灯が次々と流れ行く。


「ユウグレくん、ちゃんと覚えてるかしら? 寝てたところを起こしに行って、車に乗せたらまたすぐ眠っちゃったの。爆睡ってやつね」

「そう……ですか」

「ほんの少しはBABホテルに慣れてくれたのなら、嬉しいわ」


 薄暗い後部座席の隣に座っているのは、今日知ったばかりの女性、マヒル。

 ぴったりしたワイシャツとタイトスカートに今は襟付きのジャケットを身に着けていて、それがBABホテルの制服らしい……襟に『BAB』の銀バッジが付いているから、そう思った。


「……うん、時間も良い感じ。ここまで来れば、そろそろ目的地が分かるでしょう」

「――……」


 点々と流れていた筈の明かりが、ぷつりと途切れた。


(あ……そうか)

(高速道路を、降りたところか)


 窓の外にはぽっかりと暗闇が広がり、煌々と輝く月光が、照らされた道明かりがぼんやり暗闇に写し出されて――


「……鎌倉の、海?」

「ええ、正解よ。付け加えるなら、今日の深夜0時過ぎまであなたが溺れてた海岸」

「次の日の0時――ああ、後一時間を切ってるんだけど――になると、天使が海の上で蘇るの」

「は?」

「こらこら、そんな顔しないの。ユウグレくんだって、蘇ったでしょう」


 マヒルはやっぱり、判に押したような笑みを浮かべ穏やかなトーンで喋り続ける。


「……何、言って」

「あなた、海の上で0時を迎えてから死んだでしょう? だから、毎日0時に同じ場所で蘇って、その度溺れ死んでたの。0時時点で陸の上だったら、もっと早く保護出来たんだけど」

「――何、……」

「よく思い出してみて。心当たり、あるでしょう? ……私が単なる狂人に見える?」


(見えるか見えないかで言えば、……狂人に見えるけど)


 毎回毎回、ぶつりと、命が潰える感覚はあった。

 なのに気付けば、いつの間にかまた海で溺れていた。

 シングルルームに置かれていた時計を見たら、心中した日から五日は時が進んでいた。


(……毎日死んで、毎日0時に蘇っていたとしたら説明がつく……いや、何考えてるんだよ。そんなのいくらなんでも非現実的すぎる、いや、今の状況における現実的って何なんだ……)


「まだ信じられないって感じよね。分かるわ」

「――だけど、安心して。今から奇跡を見せてあげる」


 車は音もなく、砂浜に面した路肩へと止まる。


(……同じ場所だ。ここは今日、僕が天使のボートで上陸した、――)


「――え?」


 見知った筈の、景色が変わっていた。思わず目を見開く。


「ふふ。驚いたでしょう」


 人気のなかった筈の場所に、数十人もの人だかりが出来ていた。


「皆、BABの関係者よ。天使の奇跡をひと目拝みたくて来てるの。ちなみに見学の順番は、天使が毎日蘇ったとしても一年待ち――凄いわよね」


 毎日蘇ったとしても――

 つまりそれは、毎日天使が死んだとしても、ということだ。


「……怒ってないんですか。僕が、天使を。その……」

「殺してしまったのは、ちょっとした事故でしょう? それに天使は、蘇るから」

「私達にとっては、日常の景色よ」

「そう、ですか」


 蘇るなら、何度殺しても許されるのだろうか。死さえも、『日常』に堕ちるのだろうか。

 少なくとも、僕が耳元で聞いた断末魔からは、苦痛に歪んだ表情からは、死の苦しみを在り在りと感じたけれど――


「さあ、そろそろ時間ね。沖に出ましょう」




 何隻ものボートが沖から現れ、砂浜に集まっていた人々は次々に乗り込んだ。

 小さな子の手を引いたラフな服装の男女も、身なりの良い老人も老婆も居る。


 けれどその誰もが何処か思い詰めた表情で、会話もなくじっと夜の海を見詰める姿は異様だった。


「私達はこっちよ」

「あ、はい――」


 促され、乗り込んだのは天使が操縦していたのと同じ型のボート……今回は帽子を目深に被った男が操縦役を務めている。


 マヒルと僕だけが乗り込み、沖に出た。

 何もない海上を、次々とボートが同じ方向へ進む光景は、やっぱり僕が知る日常とはかけ離れている。


「――残り一分。場所も恐らく、この辺りで問題ないわね」

「……」

「蘇る時はね、死んだ日の0時に居た場所で、0時の状態で蘇るの。どの国に居ても、その国の標準時の午前0時――不思議よね」


 さっきから、ずっとマヒルばかり話しているのが気に掛かる。


(きっと僕から相槌を打ち、分からないところを積極的に尋ねた方が気分は良いんだろうな……)


 いや、別にマヒルに好かれる必要はないし、と言い訳しつつ耳だけは傾ける。

 十数隻のボートは今やどれもが寄せ集まって停まり、思い思いにたゆたっていた。


「治癒能力とは全く違う、肉体再現(・・)能力。まさに奇跡としか言い様のない、それが」


 ――ふいに、周囲がどよめいた。


あなた達(・・・・)、『聖人』の力よ」


 ――とさり、と。


 軽い軽い何かが、甲板に打ち付けられる音がして。


(っ、あの子――!)


 一瞬目を離してしまったのかと勘違いするくらい、自然に、風景の中に少女の肉体が現れ、僕が今乗っている(・・・・・・)ボートの中で倒れている――


「聖女さま」


「聖女さま!」


「ああ、神よ……!」


「奇跡だ……復活の奇跡だ!」


 周囲のボートから、怒号にも近い叫びが、感嘆が漏れた。


 ある者はボートから落ちんばかりに身を乗り出し、ある者は拳を突き上げ、ある者は腰を抜かし、むせび泣く者まで居る様子で――そして、彼等の中心に居るのは、自他ともに天使と呼び、今は『聖女』と崇められる少女――


 僕から見れば、見目はとんでもなく美しいけれど喋り方が怪しくダミ声の、変な女の子。

 小さな身体を丸めて倒れている、貧相な身体の線をした少女。


「……ほら、天使。目を覚まして、皆さんにご挨拶して頂戴」


 ボートの先で片膝をつき、マヒルが天使の身体をさすった。


「ぅう……ぇほっ、ごほっ、がふ、ぅ」


 呻いた少女は、口からごぼりと血を吐き出す――


「っ、ちょ」

「――大丈夫よ。いつものことだから」


 思わず駆け寄ろうとした僕を、マヒルが手できっぱり制す。


「――う、ぅぅ……」


 口から溢れる血を拭いながら半身を起こした天使に、マヒルはそっと囁いた。


「いつものよ」

「――……」


 天使は、何かに憑かれたかのように立ち上がる。

 両の手を胸の前で組み合わせ、今までとは違う、低い、低い声で喋り始める。


「天にまします我等の父よ、願わくば(なんじ)の名は聖とせられ爾の国は来たり。爾の旨は天に行わるるが如く、地にも行われん――」


 人々は今や、何も言葉を発しない。

 各々の船で跪き、うつむき、天使に向かって両手を合わせる――

 乗ったボートの船頭もマヒルも、同じ姿勢だ。


 まるで、少女そのものが神とでも言うように、彼女の言葉に聞き入り、感じ入り、祈りを捧げている。


(これが……奇跡?)

(マヒルが僕に見せたくて堪らなかった、天使が起こす奇跡……?)


「……目立つわ。跪いて、祈って」

「――……」


 釈然としないまま膝を折り、祈り続ける天使を、見上げる。


「天使もあなたも、殺されると蘇るでしょう? そういう人を私達は『聖人』と呼び崇めるの。天使は女の子だから『聖女』さま」


 そう囁いたマヒルは、訳知り顔で微笑んだ。

 ……今までのホテルマンめいた笑みとは違う、どこか人間くさい笑いだった。


「歴史上の出来事として、二千年前に起きた救世主(メシア)さまの復活は知っているわよね。救世主さまは、有史史上最初の『聖人』だった――そして、ユウグレくんも」

「神に選ばれし、他者には絶対に殺されない(・・・・・・・・)人間なの」


 ――絶対に、殺されない?


(そんなの、詭弁だ)


 だって僕は、天使をこの手で殺した。

 包丁が柔らかな首を割く感触が在り在りと残っているし、肉の合間から骨が飛び出していた光景はトラウマになりそうだし、何より、彼女は苦しそうだった――


 断末魔は痛々しく、顔は痛みで歪んでいた。

 僕を助けてくれた時だって『デキシは苦しい』と言っていた。


「――アーメン」

「「「「「「「「「「「「アーメン」」」」」」」」」」」」


 天使の声に合わせて、数十人もの声がこだまする。目の前の奇跡に感じ入り、心動かされ、厳かな静謐さが海上を包み込んでいた……


 けれど、天使の唇には、拭き取った後の血がこびり付いている。


 ――死の苦しみは、克服出来ない。

 けれど、殺される限り蘇る。これをマヒルは、BABの関係者達は『奇跡』と呼んでいる――


「――何だよ、これ」


 僕はぽつりと呟いた。マヒルが一瞬、責めるような視線を寄越したけれど何も言わなかった。


「……ユウグレ!」

「あ、――」

「来てくれたんですねーっ、嬉しい、でーすー」


 ……ゾッとした。


(どうしてこの子は、僕に、こんな無邪気に笑いかけるんだ)


 全く、意味が分からない。

 理由が分からないまま寄せられる好意は、シンヤの時と同じだ——

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