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1話:恋人と僕

 中学生の頃、初めて送ったメールがラジオで読まれた。


『親に自分を否定された。おかしいと言われた。死にたい』という、今思うと歴代の中学生がありとあらゆるメディアに送り続けて半世紀は経っているであろう、ありふれたテーマだ。

 オバサンパーソナリティふたりは散々『死んじゃ駄目だよ』と連呼した後、『駄目な理由は自分で考えて』と言った。


 僕はそこで聞くのを止めてしまった。


 どうして、生きる理由を自分が決めなきゃいけないんだろう。

 声だけ馴染みのオバサンでもいい、ひと目で怪しいオジサンでもいい、通りすがりの他人でいい。


 ただ、誰かが生きる理由を与えてくれれば。

 何の意味もなく呼吸を続ける自分を、許せる気がした。





















0. すべての終わりで、始まりの日



「心中するなら、真夏の海が良いなぁ」


 恋人が言った。

 僕は笑った。

 断る理由がなかったせいだ。


 今まで生きてきた十九年、いや後もう何ヶ月かで二十年になる人生ってこんなもんだったのか。これが正直な感想だった。


「ねぇ、それが一番いいと思わない?」なんて、鼻歌でも奏でる調子で、次のデートは海水浴ねとでも言った調子で、大鍋を割り箸でかき混ぜながら恋人が続ける。


 多分今日の昼食も少し茹ですぎた味の薄いパスタで、陽当たりが悪くないことだけが売りのワンルームは電気を点けなくても明るくて、たったひとつのコンロを見据える背中はいつも通りに見えた。終わりのない夏休みのような青春の日々は、いつか終わる。先が見えない自分の人生は、そろそろピリオドを打つには充分に思えた。


「……うん。良いんじゃない」


 だから僕も、いつも通りに頷いた。更には、やるなら早くしよう、とまで言った。


 七月も終わりに入ったら、真夏の海には浮かれた学生が大量に押し寄せるよ、砂浜でバーベキューして深酒して花火して大声立てながら海に飛び込む奴等なんて死ぬ直前に見たくもない、だから真夏は却下、恐らくは人もまばらな、梅雨もまだ明けるか明けないかの頃が丁度良い。そう付け加えて、決行を前倒すくらいが関の山だった。実のところ、心中が早かろうが遅かろうが大して違いはなかったが、何となく、言いなりになって死に方まで決める風が嫌だった。当然、二十一歳の恋人は断らなかった。たかだか二十年ちょっとの人生で、一年の差は大きい。なんだかんだ言って、年下の僕には甘いのだ。


「一番近い海って、どこなの? 東京湾とかお台場とか、ああいうのじゃなくって、ちゃんとした海らしい海だよ」

「え……どこだろう。伊豆とか熱海とか――は、結構遠いし。横浜……は、お台場みたいなもんか」

「へぇぇ、横浜とお台場ってイコールなんだぁ」


 僕のやけに曖昧な言葉にも、恋人はいちいち頷いてくれる。


「……大分類的には。でも多分、横浜の奴が聞いたらキレるから言わない方が……あっ、そうだ」


 ぱっと頭に浮かんだのは、一度だけ行った()()の別荘。高台のお屋敷から見えた景色。……尤も、僕が幼いうちに売り払われたあの屋敷の意味が分かった時が、初めて実の父親に吐き気を覚えた時だったけれど。


「――鎌倉」

「え、鎌倉?」

「うん、鎌倉」


 いざ鎌倉ってこういうことだろうか、いや違う、なんて思いながら言葉を続ける。


「鎌倉なら近いし、ちゃんとした海、あると思う」

「へぇ、鎌倉かぁ。最寄り駅まで、いくらかかるのかなぁ」


 特徴的な、ほんの少しだけ鼻にかかったような間延びする声。上京してきて三年以上経つのに、未だに大抵のことは無知で、知ろうとも思わなくて、そして大抵のことは東京出身の僕が知っていると信じて疑わない――

 東京出身の奴なら、地元の人間ほど東京タワーには登らないし雷門は観光客でごった返してそうというイメージしかないし、小さい頃から知ってる沿線と区が一番で、歳を取ってもそのエリア外には出ようとしない感じ、分かってくれると思うけど。


 とにかく恋人にとっては僕が東京出身の若者のすべてで、僕にとっては恋人が地方出身者のすべてだ。


「え、五百円とか、千円とかじゃない? 知らないけど」

「幅広すぎぃ」


 どぼどぼどぼ、と恋人が鍋の水を勢い良く捨てる。ここから五分も経てば、醤油とコンソメの味がして、ウィンナーとキャベツの切れ端が混じった柔らかすぎるパスタが出てくる筈だ。

 恋人の匂いがするシングルベッドから身を起こすと――やっぱり今日も、同じ料理で。


「はい、どうぞ」

「ありがとう。いただきます」


 小さな折りたたみ式テーブルの上に、いつもの皿が置かれる。いつもの通り、床にあぐらをかいてスパゲティをかきこむ。


「……美味いよ」

「良かったぁ」


 お世辞にも上質な原料を使った品のある味とは言えない、つまり()()()()()()()()()()にあるこの料理が、密かなお気に入りだ。


「ユウグレって、好きだよねぇ。このパスタ」

「うん、まあ、……うん。美味いから」

「それしか言わないなぁ。まぁ、良いけど」


 甘ったるい言い方をすれば半同棲、何の味付けもせず言えば入り浸りのヒモ、家事全般頼り切っている自覚はあるから、通り一遍にしても料理は褒めている。改めて恋人の方に視線を向けると、一畳にも満たない台所が前より片付いて見えた。


「……そういえばさ、最近、荷物少なくなった?  断捨離って言ってたけど」

「うん。そのつもりだったからね」

「そのつもり、だったんだ」

「だよぉ」


 ふいに言葉が途切れる。

 僕の知らない隣人がドアを開け閉めして、階段を下りる気配が伝わる。


 六畳一間のワンルーム、恋人は背を向けたまま。

 低い天井に南向きの窓ひとつ、開けると長細いベランダがあるけど使っているところは見たことがない。水回りは無理やり押し込んだみたいなユニットバス、一言で言うと上京してきた学生が住む典型的なアパート、そのまんま。


 この価格帯で南向きは凄いと力説されたけれど、僕にとっては狭くて、生活感があって所帯じみた長居できる部屋――ただ、それだけ。


 淡々としてるね、とはよく言われる。非情な奴だとも、やっぱり実家がそういう奴は違うなとも、あからさまに同級生から言われたこともある。

 でも、僕は僕なりにこの部屋が好きで、恋人も好きで……それが生まれとか育ちとかで勝手に他人から定義されていく様は、あまり好ましくなかった。そして僕自身、僕の中の都合の良いところだけ甘える醒めた部分に、目を向けないようにしていた。


 パスタをかきこみながら、恋人の背中と言葉を交わす日常の光景。オチも意味もなくだらだらと続く心中の話は、歪んだピースを無理やり嵌め込んだジグソーパズルみたいで、本当に正しくないのかも、より正しいピースを探す気力も、僕にはない。


  死ぬのが決まったのは、たった数分前、二浪目が決まった報告をした後だった。


 ――もう何か、生きてる意味ないなって。

 ――じゃぁ、心中する?

 ――え。

 ――心中するなら、真夏の海が良いなぁ。


 交わした言葉なんて、その程度。

 恋人が死にたい理由はよく分からなかったけれど、苦学生だし、親は居ないと言っていたし、一所懸命に頼めばいつでも一緒に死んでくれそうな、明るいけれどどことなく幸薄そうな、何事も諦めていそうな雰囲気のある人だから、特に追求はしなかった。


「それで、交通費。いくらかなぁ。バイト代からどれくらい取り分けておこうかなぁ」

「……調べるから。ちょっと待って」

「はぁい、大人しくパスタ茹でてるよぉ」

「あー、……ごめん。いっつも先に食べてて」

「いいの、こっちがそうしたいから」


 二人分を一気に茹でられる鍋がないとかで、いつもパスタは一人で先に食べる。こんなに入り浸っているんだから大きな鍋くらい買おうかとも思ったけれど、料理を作って欲しいと強請っている感じに見える気もして、結局止めた。


 普段デートに行くのとまったく同じ要領で、いつも待ち合わせる駅から決行場所までの乗り換えをスマホで調べる。始発を使ったら八時過ぎには現地に着いて、一日中観光地の海を楽しめる筈……

 そう伝えると、いくらなんでも六時前に起きるのは酷だ、と恋人がごねた。僕は年下として、早く寝ればいいだけなのにとかなんとか形だけの軽口を叩いた末、結局は昼過ぎに最寄りの駅を出る列車を選んだ。


 長々と海を楽しみたい訳ではない、らしい。

 交通費は、千五百十円。二時間かかるしそんなもんだろう、と思いながら金額を告げる。


「えぇ、千円チャージしても足りないんだぁ」


 返ってきたのは、がちゃがちゃ調理器具をいじくる音と溜息。


「足りるよ。大体、五百円くらいは意識しなくてもお金入ってない?」

「お坊ちゃまのユウグレ君と違って、こっちは苦学生ですからぁ。いっつも最低料金は入ってることを祈りながら、改札にタッチしてるの」

「……。お坊ちゃまの浪人生より、そっちの方がよっぽど立派だ」

「あっ、自覚はあるんだぁ?」

「無い訳ないだろ」

「あはは……拗ねないのぉ」と笑う恋人が、煮立った鍋を再びかきまわした。


 僕を『二浪生』とは一度も言わない、やさしいひとだ。

 一浪目が決まったすぐ後、やけくそになって新宿を彷徨っている時に出会った。


 最初のうちは、僕が得意気に各主要駅の構造に始まり、恋人をして魔境と言わしめた新宿駅の乗り換えテクニックなんかを話していたけれど、今はもう、新宿駅と新宿三丁目駅がどれくらい離れているかも知っていて、駅の路線図は見上げず、スマホで経路と料金を調べ、カードに必要なだけ小銭を入れるんだろう――


「なら、決まった分だけぴったりチャージすれば」


 決死の思いで毎度千円札をチャージしていた恋人に、十円単位でチャージが出来る方法を教えたのも僕だった。


「そうするよ。十円玉を使い切る、ちょうどいいタイミングだね」


 ほとんど空にしたパスタ皿から頭を上げて、窓際に置かれたブリキの缶へと視線を向ける。徐々に部屋からものが減っていく中でも、錆び付き、ひしゃげたこの缶だけは変わらなかった。溢れんばかりに積み上げられた十円玉は、数千円くらいは余裕でありそうだ。


「これ、全部使い切るどころか余るんじゃない」

「余らないと思うけどぉ」

「……もし余ったとしたら、どうするの」

「んー……、じゃあさ。残った分で駄菓子買って海で食べようよ。余っても、無駄だから」

「……確かに。無駄だ」

 やさしい恋人の『無駄』という言葉は、なんだか必要以上に強く響いた。

「それ言ったら、残すもの全部無駄だけど」

「あはは、言えてる。ここも事故物件になるのかなぁ、ゴメンナサイ大家さん」


 鼻歌のように謝りながら、どぼどぼどぼと、再び恋人は湯を捨てる――

 ようやく、もう一人分のパスタが出来上がる。


 死ぬのなら、腹の中に入ったばかりのパスタも、恋人が夜にまとめてする食器洗いも、食後にする筈の行為も全部、全部無駄だ。


 人生を終わらせる片道切符が、ひとり千百数十円。

 高いのか安いのか、僕にはちっとも分からない。



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