第15話 幕間 ある男の話
「残りの金は渡せんな。成功報酬だと言ったはずだ」
領都アトラ南東部のある一画には、様々な日陰者が集まるエリア、所謂スラム街と化している場所がある。
その中の古い建物の一室で、机に脚を乗せて椅子に座っている男が、黒いマントの男に向けてニヤニヤしながら、タバコの煙を吹きかけている。
「それにな、タカダ。お前以外全員捕まったらしいじゃないか。そんな大失敗しておいて、よくまたここに顔を出せたな? もうお前さんはこの業界じゃシゴトはできんぞ? 少なくともこの街じゃな」
黒いマントの男はタカダと言うらしい。
「えー? だって、あんな無能なヤツらを揃えた元締めのアンタのせいだよね? 普通に考えて。それを僕のせいにされても困るなぁ」
元締めと呼ばれた男の顔がピクリと動く。
「なんだと? いい度胸じゃねぇか。お前はもうこのスラムじゃ表歩けねぇようにしてやろうか?」
「いやゴメンゴメン、つい本音が出ちゃった。謝るから、お金ちょうだいよ?」
相変わらず無表情で淡々と話すので、謝っているようには誰が見ても思えないだろう。
「失せろ。それともここで消してやろうか?」
元締めの男がそう言うと、後ろに控えていた護衛らしき大柄の男が一歩前へ出た。
「そんな事言われたらさあ……普通殺したくなっちゃうよねー」
タカダはそう呟くと、護衛の男にいきなり飛びかかり、男が意表をつかれて身体が硬直している間に、懐に忍ばせていたナイフで首を切り裂いた。
「ごふっ……」
男は首から夥しい量の血を流しながら、その場に崩れ落ちた。
「き、貴様!? 何考えてやがる!? こんな事して、この街で生きていけると思ってんのか! あらゆる組が地獄の果てまで貴様を追いかけて殺すぞ!」
元締め男が激昂し、タカダに罵詈雑言をぶつけるが、当の本人には何も響いていない。
「それはちょっと普通に面倒だなあ。全部殺すの大変そう……」
タカダはほんの少しだけ額にシワを寄せて、こらから起こる事を思ってため息を吐いた。
「お前……一体何なんだ? 死刑宣告されたのと同じなんだぞ? わかってるのか!?」
「ん? そうなの? でもそれって、アンタの死刑宣告でもあるよね?」
「な、なんだと? お、オレに手を出してみろ、ウチの組が黙ってねぇぞ!!」
「アンタを殺しても殺さなくても、どっちでも黙ってないんでしょ? だったら殺すよね? 普通」
無表情に迫るタカダを前に、元締めは恐怖の表情で後ずさる。
「ま、待て……! わかった! お前の事は誰にも言わない!裏の情報網には流さない!だから―――」
「いやいや、さすがにそれは信じないから、普通」
◇◇
黒いマントを被った男が、スラム街の路地をフラフラと歩いている。
「あー、どうしよっかー。ハラ減ったけどカネもらえなかったしなー」
……
…………
その男は孤児だった。
物心ついた頃にはすでに一人で、親もなく、面倒を見てくれる者もおらず、自分が誰なのか、それまでどうやって生きてきたのかも思い出せないまま、ただスラムの中で途方に暮れていた。
幸い……かどうかわからないが、男には他人より丈夫な身体と、魔法に対する耐性、そして高い身体能力が備わっていた。生まれてからこの方、何にも恵まれなかったが、これだけは恵まれていた。
子供だった男は、何も分からないまま、ただ生きていくために、他人の物を盗んだ。
時に成功し、時に失敗し、見つかって失敗した時には大人達にしこたま殴られた。殺されそうになったことも一回や二回ではない。
盗み以外の事も色々やった。ゴミ漁り、空き巣、強盗、そして殺人。
そうやって、その子供はなんとか生きてきた。
しかしいつしか、子供から感情が抜け落ちて行き、何があっても表情が動く事は無くなって行った。
ある時、男の元に仕事を頼みに来た男がいた。その男はある犯罪組織の一員で、生きのいい、頼めば何でもやってもらえる捨て駒を探していて、ちょうど条件に合った者をたまたま見つけた。
その男の仕事、ある別の犯罪組織の構成員を殺すという仕事を、その子供が成功させ、それからその組織や、また別の組織の仕事をいくつかこなすようになっていった。
それからタカダという名前を名乗り、金になる仕事はそれこそ何でもやってきた。なぜタカダと言う名前にしたのか自分でもよく分からないが、なんとなくしっくり来る名前だった。
…………
……
血に濡れた黒いマントを羽織った男が、スラム街の路地を当てもなく彷徨う。
時折すれ違う人はいたが、良からぬ目的以外で、この地区では自ら他人に関わろうとする者などほとんどいない。
人が血まみれで歩いていようが、チラリと見るだけで無言で通り過ぎて行く。
下手に関わろう物なら、自分の身に何が起こるか分からない。
しかし、当てもなく歩き続ける男の前に、スッと音もなく誰かが立ち塞がった。
「キミ、中々おモしろイね。ふんふン……よーしキーめたッ!おめでトう!あなタがえらバれました〜!!」
厄介事の匂いしかしない、血に濡れたマントの男の前に、平然と立って話しかけたその人物は、細身の身体に異常に長い手足を持ち、男なのか女なのか分からない中世的な風貌で、顔には作り物のような笑った表情を貼り付けている。
「……あ? なんだお前……何か用? てゆーかお金くれない? 誰か殺して欲しいヤツとかいたら殺してあげるからさー」
「お金ほシいの? うーーン、多分、だいジょうぶじゃないカなぁ……お金ナんて、これかラいくらデも稼げルよ!」
そう言うと、その人物は、黒くて丸い小さな玉を手のひらに乗せてみせた。
「この飴玉ヲどうぞ! きっトおいしイよ!」
「あ? なに、飴くれるの?ラッキー」
タカダは何も不審がる事なく、誰かも知らない者から受け取った飴をためらう事なく口に放り込む。
「なにコレ普通にうま。ねーもっとないの?」
「んー、あルんだけど、キミにはコれしかあげらレないなぁ……って言ウかやめた方がイいよ、うん」
「そうなの? じゃー仕方ないかー、どもありがとなー」
タカダは平坦な声で一応の礼を述べて立ち去った。
「キシシ、どうなルか見ものダねー!楽しませテくれるカなあ!」
作り物のような顔をニタリと歪ませ、タカダの後ろ姿を見送っていた。
◇◇
「さーて、これからどうすっかなー。この街にこれ以上いても仕方ないしなー」
口の中で、見知らぬ人物からもらった黒い飴玉を、下の上で転がしながら、タカダは頭の後ろで腕を組んで歩いていた。
ガリッ―――
腹の足しにはならないが、とにかく空いた腹に何かを送り込みたくて、味わう事もそこそこに、飴玉をかみ砕いて飲み込んだ。
すると―――
腹の中から、何かが全身を駆け巡って行く、強烈に不快な感覚が沸き上がって来る。
「ぐぅぅぅっ!!!」
ここ数年間ほど、何が起きても変わる事のなかった表情が、困惑と苦悶の色を映し出す。
自分に何が起こっているのかわからないが、全身が熱くなり、立っていられなくなって路上にうずくまってしまった。
全身から、黒い靄の様な物が吹き出し、身体全身を覆っていく。
その様は、まるで黒い繭のようだ。
もしこの場で第三者が見ていれば、その繭から生まれるモノは、この世界にとって良くないモノだと直感したであろう。
黒い繭の中で、一体何が起こっているのか……血管の様な管上の物が脈を打ち、繭全体が収縮を繰り返している。
そして―――
繭の中から手が、腕が飛び出し、そして顏が出て、ついには全身が出てくると、破られた黒い繭は再び靄の様になり、男の身体に吸収されて行った。
「―――ハァッ、ハァッ……!!」
息が乱れ、うずくまっていたが、やがて息を整えて立ち上がる。
「なになに、あの飴玉腐ってたの? なんか息苦しかったんだけど」
先ほどまでの苦悶の表情が嘘だったかのように、スッキリした顏をしている。
「……え? なにこれ? これって……」
タカダが自分の掌を見ると、黒に近い紫の光が沸き出すように輝いている。
「あー、そういう事? おっけー、面白いじゃん」
面白いと思っているのかどうかわからないような表情で、独り言を呟くと、顔を上げて歩き出した。
そうして、誰にとってもいないに等しい存在の男が、また誰にも知られることなくこの街から消えた。
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