第2話 ハウスメイドの朝
「おはよう、ナシロ。もう起きないと……」
「んん……」
耳元で誰かが囁く声が聞こえる。
誰かがボクを眠りから醒まそうと……起きてと、優しくユサユサ揺らしている……
誰だろう……?
誰だか知らないけど……まだ眠いんだ……
「もう……ちょっと……だけ……」
ボクを起こそうとする誰かに抵抗する……
だって、朝日が程よく差し込んで、とても暖かくて、気持ち……
「グゥ?」
ぐぅ……
「もぅ……ダメだよ……またメイド長に怒られちゃうよ?」
え……? メイド長……?
……
…………
「そ、それはマズいっ!」
バッとボクは飛び起きるようにベッドに立上り、慌てて周囲を見回した。
「もう、やっと起きた。早く行かないと、朝ごはん抜きになっちゃうからね! じゃあ、わたしは仕事があるから、もう行くね?」
「あ、あぁ…ありがとう、リルル……」
そう言ってリルルはグゥを連れ立って部屋を出て、自らの持ち場に向かって行った。
ボクはまだ少しぼうっとする頭を振って、ベッドの脇に置いてある制服に袖を通す。
ここは、アトラハン子爵の住む館にある、使用人が暮らす一画にある二人部屋で、ボクとリルルはこの部屋で共に寝起きしている。
スルナ村からこの領都アトラに着いてから、ボクたちはこの館に連れて来られ、そのままここで住む様に言われて、もうひと月が経過した。
当初は、子爵さんの考えでは客人待遇としたかった様だけど、騎士団長を始め、子爵さんの右腕だと紹介された家令さんなどの反対を受け、使用人見習いとして受け入れられる事になった。
これには訳があって、団長さんも家令さんも、なにもボク達の出自の身分が低いとかそういう理由で反対している訳ではなく、むしろボク達の身の安全を考えて、そう提案してくれたようだ。
子爵さんの館に着いた時、ルークさんから道中の街などで、ボクらを攫おうと狙っていた輩がいた事を伝えられたのだろう。
自領の内部に、外部に情報を漏らした者がいるのは恐らく間違いがない事が判り、大人達は皆苦い表情を隠しきれない様子だった。
紹介された騎士団長さんはルークさんのような優男ではなく、質実剛健という言葉がよく似合うオジサンで、身体もかなりゴツい。顔には髪と同じ金髪の立派な髭を蓄えており、それが野太いがシブい声と相まって程よく威厳を演出している。
ちょっと興味を引かれたので、断りもせずにマナー違反かもしれないけど、魔導書でステータスを確認させてもらった。
――――――――――
【名前】 モルディ・サンドック
【年齢】 44
【性別】 男
【所属】 アトラハン子爵領騎士団 団長
【状態】 良好
【基本レベル】 33/33
【魔法レベル】 3
【魔法色ランク】 橙:3
【習得魔法】 ランク1…【土球】【土壁】
ランク2…【地揺】
ランク3…【全鎧】【大蛇】
【武術流派】 護橙流
【魔技クラス】 礎級
【習得魔闘技】 無双陣
――――――――――
わぁ……さすがに団長さん。すごく強そう……っていうか固そう。
魔法や武術の能力からすると、相当守りに強そうで、こういう能力の人は大体、倒すのにめちゃ苦労するんだよなぁ。
相性ってのもあるし、ルークさんとどっちが強いのかはわからないけど、どっしりと威厳のあるモルディさんの方が、断然騎士団長という役職がしっくり来るよね。
対して、家令さんの方は細身でシブイご老人で、戦闘力はあまりなさそうだけど、先代のアトラハン子爵の頃からこの領を支えてきた才人だそうだ。……きっと名前はセバスチャンじゃないだろうか。
――――――――――
【名前】 トマス・ダンディマイヤー
【年齢】 62
【性別】 男
【所属】 アトラハン子爵家 家令
【状態】 良好
【称号】 伝説の家令
【基本レベル】 52/58
【魔法レベル】 ――
【魔法色ランク】 ――
【習得魔法】 ――
【武術流派】 ――
【魔技クラス】 ――
【習得魔闘技】 ――
【特殊能力】 駒王
――――――――――
……おしぃぃ! セバスさんじゃなくてトマスさんだったかぁ!
この人も何やらただ者ではない雰囲気がヒシヒシと伝わってくるが、なんだ、この『伝説の家令』って!? 『駒王』ってなんだよ!? 超クールじゃね!? どんな能力なのか、ちょっと後で【鑑定】しておこうっと。
ちなみに【鑑定】は、赤1黄1紫1の複合魔法で、人や物、魔法や特殊能力まで、様々な事がわかってしまう超重要な魔法だ。魔導書にも詳細が載っていない様な事柄が判別できるので、“情報”という面でさらに完成された能力を手に入れてしまった。
ともかくも、これからはこの人達にとてもお世話になるんだし、ボクが代表して言葉の限りを尽くしてきっちりと挨拶をかましておいたら、二人とも頬が引きつっていた。その後にリルルがしどろもどろになりながら一生懸命挨拶をすると、引きつっていた頬が緩んでいた。……なぜだ、納得いかない。
後でルークさんからそれとなく聞いたんだけど、複色持ちの魔法使いはとにかく数が少なく貴重で、どこの領でも引く手数多で、合法的な引き抜きや報酬を準備しての勧誘はもちろん、裏稼業の者達を使った非合法な連れ去りや、一番酷い方法として、他国やライバル領の力を削ぐ為に暗殺する事件すら頻発しているという。
その様な懸念から、ボク達の存在は出来る限り秘匿しておきたい、という事らしい……例えすでにある程度漏れているとしても。
それに、グゥの事はどうやら漏れていないらしいという事で、そこまで全ての情報が流れている訳ではなさそうだという判断で、これ以上は漏らさないように徹底させたいようだった。
以上の事を鑑みて、めでたくボクはアトラハン子爵家の“ハウスメイド見習い”として、そしてリルルは“キッチンメイド見習い”として雇われるという形になった。
……いや、まあ、ただ保護されるだけで遊んでていいよって言われるのもちょっと居心地が悪いけれども……何だか思ってたのと違う展開になったなぁ。はっきり言ってしまえば、遠慮したい。
何が一番遠慮したいかって?
それは今、まさしくボクがいそいそと着替えているこの服―――そう、メイド服だ。
しかも、以前海外ドラマとかで見たような、ちょっと地味な感じのヤツじゃなくて、時代考証がどうなっているのか小一時間程問い詰めたいぐらい、ムダにヒラヒラが付いてる派手目なヤツ。まさか子爵さんの趣味とかなのか? ……スカートもちょっと短くてスース―してどうにも落ち着かない。
ご存じの通りボクの中身は元男子大学生と幼女が融合しているが、どっちかと言うとかなり奈城の意識に引っ張られている。
そんなボクには、やっぱりスカートはかなり敷居が高い。村でも頑なに拒否してきたし。
しかし同時に、ナシロとしては可愛い服が着られて嬉しいという意識も、自分の中を探ると確かにあるんだ。
多重人格とはちょっと違うと思うんだけど、何とも不思議な感覚で、言葉で上手く説明できないんだよなぁ。
だからボクとしては、もう開き直ってナシロの感じている気持ちに身を任せてしまうのが、自らの精神衛生上、一番安定する事がわかってきたので、その辺りはもう気にしないことにした。
……というか慣れてきた。人って、自分で思っているより環境に慣れるもんだよね。
気付いたら、今ではちゃんと可愛く着付けられているか気にしている自分がいる。……それに乱れているとメイド長がうるさいし……
ボクは手早く着替えを済ませて部屋を出て、共用の洗面所で顔を洗い、身だしなみを整えて、使用人たちが使う食堂へと急いだ。
◇◇
「おはようございます」
館の奥側、半地下にある食堂に入ると、そこには既に多数の使用人たちが思い思いに朝食を摂り、食べ終わると慌ただしく仕事に向かっている。
ボクもハウスメイドの仕事が始まるまで、そう時間があるわけではない。さっさと席に着こう。
10人掛けのテーブルが二つ並んでいるが、この時間に席はほとんど埋まってしまっている。空いている席は―――
「おおい! ナシロ! こっちこっち!」
キョロキョロとしているボクに向かって、声を上げて手を振る者がいる。
「ありがとうございます、ヨンディさん。おはようございます」
礼を言って、空いている隣の席に座る。
彼女はヨンディさんといって、ボクの6つ上の女の子だ。
一年前からこの子爵家のハウスメイド見習いとして働いていて、ボクの指導メイドとして、仕事を教えてくれたり、この街や子爵家の事を教えてくれたり、色々面倒を見てくれている、とてもありがたい存在だ。
「気にすんな! お前の面倒見るのは、アタシの仕事だからよ!」
ヨンディさんは活発で勇ましい12歳の女の子で、性格もかなりサバサバしているので、ボクとしてもすごく話しやすい先輩だ。
ヨンディ先輩と朝の雑談を交わしていると、ボクの前に食事が運ばれてきた。
「はい、朝ごはんだよ、ナシロ。今日はお芋のスープだよ」
「ありがとう、リルル。今日もおいしそうだね」
リルルはキッチンメイド見習いとして、この子爵家の台所を取り仕切るコック長の預かりとなり、皿洗いや使用人に出す料理の下ごしらえ等を手伝っている。
ちなみにグゥは台所にはさすがに入れないので、リルルの仕事中はキッチンの隣に用意された部屋でゴロゴロしているか、たまにどこかにふらっと飛んで行って、次の日の朝にはリルルのベッドに潜り込んでいるという様な、勝手気ままな聖獣ライフを満喫しているようだ。
「おっと。おいでなすったぜ」
ヨンディさんが食堂の入り口から誰かが入って来たのを見て、パッと座席から立ち上がりながら、ボクに合図をくれる。
周囲の使用人たちが全員立って、ボクも立ち上がりながらそちらの方へ目を向けると、ちょうど入って来た女性とバッチリ目が合った。
30代前半で、その切れ長の目からは少しキツい印象を受けるが、その厳しさはむしろ自らへと向かっている様な、背筋がピッとした利発で物静かな女性だ。……ちょっと怖いけどその厳しさは公平で、みんなからは尊敬されている。
「おはようございます、メイド長」
目が合った手前、無視するわけにもいかない。
メイドらしく、片足を斜め後ろに引き、膝を軽く曲げて挨拶をする。
これも最初はかなり苦労したけれど、メイド長の厳しい指導のおかげで意識せずとも出来るようになった。
「おはよう、ナシロさん。……今日は、問題はないようね」
上から下まで、ボクの姿をジロリと眺めてひとつ頷くと、
「さあ、あなたたちハウスメイドは食事を摂ったらいつもの場所に集合ですよ。遅れないように」
そう言って、食堂横の台所にいるコック長に話をしに行こうとして、立ち止まった。
「……そうそう。ナシロさん。あなたは食事が終わり次第、居間に行きなさい。旦那様がお呼びです」
「えっ? 子爵様が……?」
「えぇ、それと、お嬢様がいらっしゃるそうです。粗相のないようにしなさい」
お嬢様、すなわちアトラハン子爵さんの次女、アインベレーナ・ブル・アトラハン。
―――彼女は“番号006”を持つ、五人目の【加入者】だった。
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