第25話 早朝の異変
まだ夜も明けきらない未明、月の光も届かない、暗い森の中を進む人影があった。
フードを被った若い男が、ランタンを手に持ち、ビクビクしながらも歩を進める。
手元に持っている小さな明かりは、森の中ではいかにも頼りなく、まさに一寸先は闇という雰囲気だ。
「まったく……なんで俺がこんな役目……村の宿屋で酒飲んで気持ちよく寝てたってのに……叩き起こしやがって」
暗闇の中で感じる恐怖を誤魔化すように、男は悪態を吐き、己に課された役目をさっさと果たすべく、先を急いだ。
村を出て西の森に入り、本人は相当進んだつもりかもしれないが、実は森に入ってからあまり進んでいない。
恐怖が時間の感覚を狂わせ、夜の森が距離の感覚を狂わせているのだろう。
男は主人から、なるべく森の奥で使えと渡されたアイテムを懐から取り出した。
まだ実際には1kmも進んでいないのだが、暗闇に囚われた男にとっては、十分“森の奥”だ。
男の手のひらに乗っているのは、夜の闇の中でもなお黒々と輝く、宝玉の様な物。
「よし、これで……終わりだっ……!」
男はあらかじめ言いつけられていた通りに、それを地面に向かって強く投げつけた。
地面にぶつけられた黒い玉はその見た目に反して、割れることなく、ぐにゃりと形を歪ませ、表面を覆う薄い膜が破れ、黒い靄が、周囲に勢いよく溢れ出た。
「うわっ……!? な、なんだコレは……!?」
ひと目で良くないモノだとわかるそれを、触れたり吸い込んだりしないように、男は慌ててその場を飛び退った。
しかしソレはまたも見た目を裏切り、靄は野放図に拡散することなく、ある程度ひと固まりになったまま、何かを探すようにしばらく辺りを漂い、その後森の奥に向かってかなりのスピードで駆け巡って行った。
「な、なんだかよくわかんねぇが、これで戻っていいんだよな……?」
わけもわからず、息をひそめて様子を伺っていた男であるが、ひとまず己の役目は終わったと判断し、その場を離れ、来た道を引き返すように歩き出した。
わずかに東の空が白んできたが、今だ暗闇の中にある森の中を、村に向かって男はいそいそと歩いていた。
本来ならば、この様に無防備に明かりを照らしながら森の中を移動する人間など、森の魔物とってしてみれば「襲ってくれ」と言って歩いているようなもので、ここまで男が魔物に遭遇しなかったのは、ほとんどあり得ないぐらいの奇跡だ。
しかし最後の最後で、その幸運はついに尽きた……というより、清算された、取り立てられたと言うべきか。
ちょうど森を抜けて、草原を村に向かって歩き出した所で、男が何かの物音に気付いて振り向いた瞬間――
―――グォォォオオオオオ!!!
「ギャアアアア!!!」
――結果として、男が生きて村までたどり着くことはなかった。
◇◇
ん……んぅ……?
何かの物音が聞こえたような気がして、ボクは目を覚ました。
窓の隙間から差し込む日の光の明るさからして、まだいつもの起きる時間ではないような……こんな朝早くから何事だろうか。
眠い。
ボクの安眠を返してくれー……。
寝ぼけまなこで起き上がり、窓を開けて確かめようとして――
ドンドンドンドン!!!
誰かが家のドアを激しく叩く。
「村長!! 大変です……!! 村長!!!」
この慌てようは、普通じゃないな。一体何が起こっているんだろう?
ボクが部屋を出てドアを開けようと思ったが、音に反応して飛び起きた村長さんが、寝室から出てきて、慌ててドアを開けに向かった。
リルルは……部屋から出てきていない所を見ると、まだ寝てそうだな。
「なんじゃ、マイロか。どうしたんじゃ、こんな早うから?」
「ま、魔物が……魔物が出ました……!」
マイロさんはかなり息を弾ませていて、話すのも一苦労の様子だ。
そう言えばこの人……どこかで……あっ、草原で助けてくれた守備隊の一人だ!
「落ち着かんか。とにかく中で座って息を整えてから、詳しい話を聞かせてくれい」
「そ、そんな、ヒマはありません……! オレもすぐに戻らないと!」
マイロさんの様子からすると、尋常じゃない事が起きているようだ。
「なに……? どういうことじゃ……!?」
「あれは、ただの、魔物じゃ、ない……! ハァ……ハァ……隊長が、森の主だって……!」
森の主……!! スゲェ、そんな魔物まであの森にはいるんだ!?
「ば、バカな……!? 森の主さまじゃと!? 主さまは魔物ではない! 村を襲うことなど無いはずじゃ!!」
「オレにはわかりませんが、西の森から、とにかくヤバい魔物が襲ってきてるんです! 今はリニーの魔法を頼りに、守備隊全員で守ってるけど、あの様子じゃ……そんなに持たない!」
「わ、わかった。村の皆を避難させよう。ワシが代官様の屋敷に避難できるように交渉しに向かうから、マイロは村のまとめ役の者たちに話を伝えに行ってくれ……!」
なるほど、この村で一番頑丈で、一番大きな建物はあの代官の為に建てさせられた館なのは間違いない。
今はタイミング悪く、本人が滞在中だが、この一大事になんとか協力してもらおう、という事だな。
「わかりました……! 後の事は頼みます! では!!」
マイロさんは伝えるべきことだけ伝えて、乗ってきた馬に乗って、村の中心部に向かって駆け去って行った。
「こうしてはおれん、とにかく屋敷に頼みに行ってくるでの! おまえは、リルルとナシロを頼むぞ!」
「は、はい、まかせておいて……! あなた、頼むわね……!」
「ナシロ、聞いた通りじゃ、リルルをたの……ん? ナシロはどこへ行ったんじゃ!? ……ナシロ!どこじゃ!」
「さっきまでそこにいたのに……」
「あ、あやつまさか……!?」
◇◇
すいません、村長さん、何も告げずに出てきてしまって。
言ったら絶対止められると思ったし、状況を聞いた限り、話をしている時間も惜しいので、後で必ず全部お話しますから。
そうだ。
これからボクは魔物を何とかしに行くつもりだ。
魔法使いがリニーさん一人という現状では、守備隊だけで守り抜くのはムリだろう。
ボクが行った所で状況が変わるかわからないけど、ボクにはどうしてもこのまま何もせずに知らん顔はできない。
ただの5歳の少女なら何の責任感も意識しないだろうが、周りからはそう見えていても実際はそうではない。
何もかも終わってから、自分には何かができたはずだ、なんていう気持ちにはなりたくないんだ。
「【権能蒐集】!!」
確か、魔物が出たのは西の森だと言っていたよな。
今ボクがいる、村長宅があるのは村の東のエリアで、村の反対側まで出なければならない。
これから普通に走って行ったんじゃ、到底間に合わない――となれば……
「【風走】!!」
橙と緑の魔法力を解き放ち、魔導書の中に登録してある中から、一つの魔法を発動させた。
これは【橙1緑1】の複色魔法で、文字通り身体が風に乗ったように早く移動することができる。
ただし、細かい方向転換やスピードの変化をつけるのは難しく、あまり短距離の移動には向いていない。
なので戦闘用に使うというよりは、こうやって離れた場所に急いで行きたい時に使う魔法だろうと思う。
【風走】を発動させたボクは、まさしく風に乗って走ることができ、100メートルの世界記録並みのスピードで、長距離を走り抜けている。
途中で何人かの村人にすれ違ったので、物凄く驚かせてしまったが、今は緊急事態という事で勘弁してほしい。
村の中央広場を抜け、西側のエリアに入り、さらに駆け抜けて西の柵まで到着すると、守備隊と思われる人たちが数人いて、二人ほどは倒れている。
【風走】を解除し、足裏で地面を滑りながら、土煙を立ててブレーキをかける。
「な、なんだ!? 新手か!?」
倒れている人のそばで周囲を警戒していた男性が、いきなり現れた人影に警戒を強める。
「ボクはナシロと言います! 魔物はどこですか!?」
「お、オマエ!? こんな所でなにをしている!?」
よく見たら、隊長さんだった。確かサイさんという名前だったはずだ。
ちょうど良い、時間がないが、できるだけのことは聞いておこう。
「魔物はどこですか? どんな魔物でしょうか?」
「は? アレは魔物じゃねぇ、グリフォンて聖獣だ! いいから早く逃げろ!」
自分の質問には答えてもらってないのに、ボクの問いに答えてくれるなんて律儀だなぁ。
まぁ、子供がこんな所に平然と現れて思考停止してしまっているのかもしれないけど。
それにしても、グリフォンとは……これは予想以上にやっかいな相手だな……
「しかしなんでまた聖獣様が暴れてんだ……こっちが手を出さなきゃ人を襲ったりしないはずだろ……!? ばぁさんの話はウソだったのかよ!?」
森の主とか言ってたから、ナニとは言わないが年老いた巨大な猪とか、人語を操る巨大な白い山犬とか想像してた。
グリフォンと言えば色んな創作物に出てくる常連の生物だが、大体かなり強い部類の魔物として描かれているよなぁ……あ、ここでは聖獣か。
「くそ、この忙しい時に余計な手間を取らせてくれる! おい、誰かこの子を連れて行け!」
ドゴォォオオオン!!!
その時、一際大きな音を立てながら、村を囲む柵の一部が破壊され、それに引き摺られる形で周りの柵も倒壊してしまった。
「グルルゥゥウウ……」
倒壊した柵の向こうから、唸り声を上げながら、大型の生物が現れた。
そんな場合ではないのは分かっているけど、その美しさに圧倒されてしまった。
なんてキレイなんだ……
大型の象ほどの大きさで、黄金色の羽毛に覆われた体躯に純白の羽根、黄金のくちばしを持つ白い鷲の頭。
鮮やかな翡翠の瞳が、こちらを睥睨している。
確かにこれは魔獣というより聖獣だな……
「すまない、これ以上は抑えられない! 村の避難はどうなっている!?」
グリフォンの向こうから、身体を引き摺りながらも何とかこちらに来ようとしている人達がいる。
その中でも一番怪我が酷そうな人……あれは、リニーさんだ……!
「まだマイロが戻って来てねぇ! どうなってるのかオレにもわからんが、おそらく避難はまだ始まったばかりだ! おめぇら! もうちっと踏ん張るぞ! ここを抜かれたら終わりだぞ!」
隊長さんが守備隊の皆に発破を掛けると、リニーさんや他の隊員達も、怪我を押して立ち上がった。
「な、ならば……まだ……倒れるわけには……! 大地より生まれし橙の力よ、我が敵を砕く一塊となれ!【土球】!!」
リニーさんが本気で放った【土球】は、以前見せてもらった時とは比べ物にならない速度で、グリフォン目がけて射出された。
しかし聖獣に当たる寸前、【土球】がまるで見えない壁に阻まれた様に、聖獣の身体に当たることなく四散してしまった。
まるで風の刃で土が削られたような……
「クッ……! や、やはり無理か……!? しかし、諦める訳には……!!」
リニーさんが再び詠唱を始めた所で、グリフォンが動いた。
「グォォォオオオオオ……!!」
咆哮を上げた瞬間、グリフォンの身体から緑色の光が迸り、口から緑の光を帯びた空気の塊が射出された。
先ほどのリニーさんの【土球】より二回り以上も大きく、濃厚な密度の魔力が込められた風の暴力が、リニーさんに向かって恐ろしい勢いで襲い掛かろうとしている。
自分に迫る絶望的な力を前に、戦意を喪失してしまったように、リニーさんは呆然と立ち尽くしていた。
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