蛇足
あれからどれほどの時間が経ったか。魔王はかつての威厳も何もかもを捨て去り、かつて自分を受け入れてくれた人間のことを呼び続けながら、あてどなく彷徨っていた。
「どうしてこうなったのか?我はもう分からぬ」
ふと、足元に光るものが見えた。それは魔王にとって見覚えのあるものだった。
「これは……メイの短剣ではないか。……駄目であろう。アリシアを護る為の武器を、こんなところに放り捨てるなど」
魔王は短剣を手に取る。力を失った後、親身になって色々と教えてくれた、アリシアの侍女、メイ。
彼女の想いが詰まったこの短剣は、持ち主の元へ帰るべきだと思った。
「この辺りは、確か……」
……………… そこには、多くの崩れた墓標があった。
「ここは……そうか、魔王城の近くか」
そこは、魔族たちの墓地だった。魔王軍に所属していた全ての者がここに眠っているわけではないが、それでも大勢の者の名前が刻まれている。
「…………」
「サタン様……?」
「……ん?何か、聞こえたような気がする。人の声のように、聞こえたが……」
「私です!メイですよ!」
魔王の目の前に現れたのは、ずっと呼び続けていた人物の一人だった。
「メイ!!」
「わぷっ!?あ、危ないじゃないですか!!いきなり抱き着いてこられては、私が倒れてしまいますよ!」
「メイ……本当に……本物の……メイなのか?」
「本物ってなんのことでしょうか?」
「お前は、あの時……」
魔王の目から涙が流れ落ちる。
「まぁ、泣いておられるのですね。どうされたのです?」
「……我は、負けた……」
「はい」
「我には何の力もなかった、いや、負けた時点で魔王としての力は無くなったがそうではない……!あの忌まわしき星降りに、我は為す術がなく……!いや……どうして生きて……?!お前は死んだはずだ!」
綯い交ぜになった感情の奔流が止めどなく押し寄せ、言葉がまとまらない。
「えぇ、死にましたよ。間違いなく」
「ならば、何故……」
「私はたぶん幽霊というものだと思います。詳しくは知りませんけど」
「幽霊だと?」
「はい。……私の他には幽霊はいないみたいですし、他の方々は成仏してしまわれたのでしょうかね」
メイの言葉を聞いて、魔王は再び涙を零した。
「……お前は、強いな」
「はい?」
「我は、弱かった。あれほど魔王として、力を失っても威厳だけは失わまいとしていたが、この天災の前には無力であった。そして、我はこの通り無様に生きている」
「魔王様……」
「そんな我に比べて、お前は最後まで毅然としていた。我との戦いでも、自分の死を覚悟してもなお、アリシアを……いやそんなことは、いまやどうでも、いい。お願いだ……お前だけは、残っていてくれ」
魔王の手は震えていた。それほどまでに、恐怖しているのだろう。
だが、その手は優しくメイに触れる。
「魔王様。私は死んでいます。もう、触れられないはずなのですが、どうして先ほどから触られているのでしょう……」
「……我は魔王ぞ。僅かな魔力さえあれば、触れるくらいのことは容易い」
「なるほど。では、遠慮なく」
メイはそっと、魔王を抱き締める。魔王は、そのぬくもりに、更に涙を流した。
「皆はもういない……我を置いて何処かに行ってしまった。我のことを赦してくれたのも、我を受け入れてくれたのも、愛してくれていたのも、友と呼べる存在も……全て……いなくなった」
魔王は子供のように泣きじゃくる。その姿はとても惨めで、哀れに見える。
「どうか、お前だけは残っていてくれ……もうすがるものがないのだ」
「…………仕方ありませんね。アリシア様に忠誠を誓った私ですが、魔王様がどうしてもと言うのなら、もう少しだけ傍にいることにします」
「本当か!?」
「はい。でも、もうすぐ消えてしまうと思いますよ?それでもいいですか?」
「構わん!我がなんとかする!」
……こうして、二人は暫く一緒にいた。
メイが一生の忠誠を誓っていた彼女も、もうどこにもいない。
魔王は、メイと別れたくない一心で、メイの魂を繋ぎ止めようとした。
メイは、魔王がもう二度と悲しむことのないように、魔王の側に寄り添った。
二人の物語は、ここで終わりを告げる。
これから先、どんな物語が生まれるのか。
それは誰にも分からない……。
―――完―――
バッドエンドは好きではないので…。