5.ささやかなひととき
フェリクスと正式に婚約してから数ヶ月。エレノアは、普段と変わらないような、けれど何かが変わったような日々を過ごしていた。正式に婚約した以外に唯一変わったところは、頻繁にフェリクスが屋敷に訪れるようになったことだろうか。
そして今、エレノアはフェリクスと紅茶を飲みながら談笑している。最初のうちは緊張と困惑でいっぱいで、談笑している余裕なんてなかったが、こうやって他愛ない話をして過ごしていくうちに、だんだんとフェリクスの前で緊張することがなくなった。
(けれど、確かエレノアはゲームではフェリクスに関心を全く持たれていなかったはずなのに、どういうことなのかしら)
『ああもう、あんたはフェリクス君に関心すら持たれてないのになんでヒロインの邪魔してくるのよ!やり方がいちいちイラつくし〜!』
姉がそう話していたのを聞きながら、何故そんなにイラつくゲームを熱心にプレイしているのだろうと不思議に思っていたことを、今でも鮮明に思い出せる。姉曰く、散々嫌がらせをされた後にする断罪イベントがとんでもなく爽快で、癖になってしまうのだという。
「そういえば、明日は王妃様が主催のお茶会の日に行く日なんです」
お茶会といっても、まだ社交界デビューをしていない幼い貴族の子息、令嬢を招待して行うもので、格式ばったものではない。いずれ否が応にも出席することになるお茶会への練習のようなもので、交流の機会も兼ねていると聞いた。
「ああ、明日だったか。緊張しすぎずに楽しんで来い」
無表情なのに、その優しい声の調子でエレノアのことを本当に思って言ってくれているのだと伝わってきて。フェリクスは常に無表情なのが普通なので表情はあまり変わらないが、最近は声音で今どういう感情なのかがなんとなくわかるようになってきた。
(もしかしたら、結構わかりやすい人なのかも)
そう思うと、なんだか可愛く思えてきて、自然と笑みがこぼれてしまう。
「はい、もちろんです!あ、お茶菓子のクリームが口元についてます」
エレノアは自然な動作でフェリクスの口元についたクリームを指先でとり、そのまま自分の口元に持っていく。
「とれましたよ、フェリクス様…」
そう笑顔でフェリクスの方を見ると、どうしたのだろう、無表情なのは相変わらずだが、頬を少し赤くして、耳は真っ赤に染まっている。何か変なことでもしただろうかと首を傾げ、フェリクスに問いかける。
「え、と。どうしたのですか?」
「なんでもない。今はこっちを見ないでくれ」
「フェリクス様、それではわかりません。言ってはくれないのですか?」
そんなに誤魔化すことではないと思うのだが。言ってくれないとどうしてそんなに頬を赤くしているのかがわからない。そんな思いを込めながらじっとフェリクスを見つめる。
「……あんたに、さっきクリームをとってもらっただろう。それで、」
(そんな風に照れた感じで言われたら、なんだか私まで照れちゃうじゃない。さっきまでは全然平気だったのに)
よく考えると、こんな行いは侯爵令嬢としてあるまじきことだと今更ながら気付き、恥ずかしさや何やらで顔が熱い。
そして、フェリクスはこんな風に取り乱すことのない人だと思っていたが、案外そうでもないようで。やっぱりまだ10歳の少年なんだな、と少し親近感のようなものを感じる。
(どこか違う世界に住んでる人みたいに思っていたけれど、そんなことはないのかもしれないわね)
「フェリクス様も、照れることがあるんですね」
「どういう意味だ」
「思ったことをそのまま言っただけですよ?」
小さくため息をつき、苦笑するフェリクスの姿は、いつものどこか大人びた笑みではなく、年相応の少年の笑みだった。