恋愛期限
声が聞こえる…
愛しいあなたの声が…。
遠くなる意識の中…妙にはっきりと聞こえるあなたの声を聞きながら私が思い出していたのは今から1年半前のこと……
私はその頃人生で初めての日記をつけ始めていた。
文の書き出しは…
8月5日(火)曇り
私はもうすぐ死ぬ。
…これが人生で初めて書いた日記の一部。
そう私は死ぬのだ。私の病名は…急性リンパ性白血病。
この病気は血液のガンらしい。
他にも先生が何かもっともらしい説明をしていたが、どれもこれも私の耳には入らなかった。
ただ白血病という言葉だけが何度も何度も頭の中を駆け巡るだけだった。
…まるで壊れてしまったテープレコーダーのように。
最初はただの風邪なんだと思っていた。
微熱と体のだるさ…でも確実に私の体は壊れ始めていた。
体のだるさを感じだしてから2週間位たった頃、私は久しぶりに友達と遊ぶことになり着替えるために重い腰を上げた。
「今日はお気に入りのTシャツにしようかな」
独り言を言いながらTシャツを着ようとした時、ふと下を見ると以前友達がプレゼントしてくれたキャミソールが見えた。
(お、今日は暑いしこれにした方が友達も喜んでくれるかも。)
持っていたTシャツを置きまだ新しいキャミソールを着た。
チクチクと繊維が肌に触れるのが気になるけど結構可愛いかも…新しい服を着ると、自然に背筋が伸びオシャレに力が入る。
(この服に合うピアスとブレスレットがあったな…)
しばらく考えてから机の上や引き出しを開け閉めするが見つからない。
どこに入れたんだろう?
(最後に使ったのは確か終業式の日だから…洗面台?)
時計を見ると約束の時間まであと30分しかない。
ここから約束場所までは自転車でも15分はかかる…急がないと間に合わない。
ダッシュで洗面台まで行き、急いでピアスとブレスレットを探し出して付けようとする。
すると視界の端のほうに何か赤いものが見えた。
「なにこれ…アザ?」
私の記憶の中には、アザができるほど体をぶつけた事など最近はないと記録されていた。
しかし私の腕には確かに大きなアザがあるのだ。
不思議に思い体中を見てみると、右腕に2つと左腕に大きなアザと小さなアザ…両足に合計5つのアザがあった。
しばらくの間呆然としていると携帯がなった。
友達からのメールのようだ。
時計を見ると約束の時間を30分も過ぎていたが、私は遊びに行く気にもなれず友達に謝りの電話をしたがひどく怒られてしまった。
次の日は一日中テレビを見ながら過ごした。
何を見ていたのかは覚えていない…ただ好きな歌手が熱愛発覚で世間を騒がせている、というどうでもいいニュースだけは耳に入った。
それからしばらくした頃、私は頻繁に鼻血に悩まされるようになった。
さすがに母親も気付き始め、病院に行くようにとすすめられた…本当は自分でもおかしいと気付いていた。
それでも病院に行かなかったのは、知るのが恐かったからなのかもしれない。
そう…自分でもはっきり分かるほどに私の体は普通ではなかった。
そうして私は日記を書き始めるきっかけとなった8月1日を迎えたのだ。
その日は雨で、自然と気分も落ち込んだが病院に行くからと早めの朝食を済ませ着替えをしていた。
アザは相変わらず私の体のあちらこちらにあり、その事がさらに気分を沈ませる。
病院に着き、診察券を出してからしばらくすると名前が呼ばれた。
私は小さい頃から病院が嫌いでよく逃げ出そうとしたものだったが、今日はことさらその感覚に襲われ気分が悪かった。
沈んだ気分のまま看護婦に指示された通りの診察室に入ると、そこには私とさほど年も変わらないであろう若い看護士がいた。
背は多分170ちょっと位で、顔立ちは派手ではないが目鼻立ちが整ったすっきりした感じだった。
(あ…かっこいい人だな。白い制服がよく似合ってる)
するとその看護士が言った。
「先生患者さんですよ!急いでください。」
声まで私の好みの看護士に呼ばれ、パタパタと靴音を鳴らしながら一人の医者が診察室に入ってきた。
優しい感じの先生で話し方も好きだった。
なにより面影が大好きだった祖父に似ていた。
おもわず
「おじいちゃんに似てる…」
その言葉に驚いた母親に頭を叩かれ先生と看護士さんに笑われてしまった。
「はは、おじいちゃんか…ニックネームにでもしようかな!」
そう言いながら私の体のアザを見る。
母親と私に交互に症状を聞き始めた先生は、さっきまでとは別人のように看護士を呼び何かを指示し始めた。
「恐い…。」
おもわず私がこぼした言葉に先生が反応して、子供のように母親にしがみつく私を見た。
「心配いらないよ…念のために検査をするだけさ。」
その言葉とは裏腹に先生の顔は困惑していた。
まるで目の前で何かの事件を目撃してしまったかのように。
そしてあきらかに診察室の空気も先生達の態度もおかしかった…ああ、だめなんだ私はそう思った。
検査は数日かかると言われたので私は入院することになった。
私の担当についてくれたのは、おじいちゃん先生とあの看護士さんだ。
名前は悟さん…年は教えてもらえなっかったけどまだ若いと思う。
検査のあいまに話をすると、とても気分が良くなり病院に居るのも忘れて安心できた。
こうして数日後に検査が全て終わり結果が出ると両親が呼ばれた。
まず診察室に両親だけが呼ばれ、何か話しているようだったが聞こえない。
悟さんが必死に私に話しかけているせいだ。
30分位経つと私も呼ばれた…きっと両親はこう言われたのだろう。
「娘さんへの告知はなさいますか。」
そして、「はい。」と答えたに違いない。
おじいちゃん先生がこう言った…「あなたの病名は急性リンパ性白血病です。この病気は……」
先生の声が聞こえない、両親が見えない、私はどうなるの?
頭で考えるよりもはるかに早く、
「生きられますか?」
そう聞いていた。
それを聞いた両親は静かに震えた。
先生達はいたたまれない、という顔をしながら私に説明しようとしたが私がひどく動揺している事に気付きこの言葉にとどめた。
「アナタが生きる手助けをさせて下さい。」
この言葉を聞いた時、私の体はもう治らないと直感した…ショックなはずなのに涙は出なかった。
むしろ“生きている”そう実感するくらいリアルではなかったのだ。
8月8日(金)晴れ
今日から治療が始まった。
私の治療には化学療法が用いられる…少しでも長く生き延びることと引き換えに失なったのは、長い間大切に伸ばし続けた髪。
髪が抜け始めると眉毛もまつ毛も抜け出した。
どれも女として生まれた私には耐えられない。
毎日が苦しくて苦しくて、周りに当り散らすなど日常茶飯事になり始める。
親は面会にも来なくなってしまった。
神様に見捨てられ、ついには親にまでも愛想をつかされてしまった。
そう思った私は死を選ぶことを決めた。
(こんなに苦しみながら、変わり果てていく自分を見るなんて…絶対に嫌だ。)
しかしこの部屋は無菌室。
外部からは物が持ち込めなかったため、私の手元にあるのはお守りにと先生に頼み込んで持ち込んだ祖父にもらった手鏡だけ。
これを割って破片で…そう思い鏡を力いっぱい叩きつける。
ガシャーンッ!
耳障りな音が病室に響き渡る。
その音を聞いて、悟さんが慌てて駆けつけた。
そして私が手首に当てている破片を見て、全てを理解したようにこう言った。
「これ大好きだったおじいちゃんの形見なんだろ?だめだよ…こんなこと考えたらおじいちゃんきっと悲しむよ」
そう言った悟さんは少し涙目だった。
「このままじゃ病気に負けちゃうよ。生きる目的を見つけたら?」
その言葉に…今まで泣きたくても泣けなかった私は救われた。
(生きる目的?神様にも親にも見離されたこんな私でも…生きていいの?)
涙が止まらなかった。
止めたくなかった生きていると…私はまだ生きて温かい涙を流せるんだ。
私を見捨てた神様に見せ付けてやりたかった。
私は“生きている”。
そして悟さんにこう提案した。
「私の生きる理由になって下さい。」
きっと漫画やドラマならここで、二人は好き合っていて付き合うことになった。
なんて感じになるんだろうけど、現実はそう上手くは行かない。
返事は当たり前だが「ごめんなさい」そしてこう「他にはないの?」
私は恋をしたことがない。
今まで生きてきた16年間で一度も。
中学生の時は部活に熱中するあまり、恋愛とは間逆の道を歩んでいた。
高校生になったら!と思ってはいたがこの人だという人には出会えていないまま。
このまま終わるのは嫌だった。
いつもならここで引き下がっただろう…でも今は。
「じゃあ、期限を決めてっていうのはだめですか?そしたら二度とこんなことしない。」
(これじゃあ脅迫だよ…)
私はたった今口にした言葉を後悔した。
「…期間は?」
「ぇえっ!?期間ですか?あっと、ぇ〜…」
まさかOKがもらえるとは思っていなかった私は驚いた。
「…い」
「何?い??」
「い、一年半は?」
「長すぎだよ、結構欲ばりなんだね」
そう言って悟さんは笑った。
こうして私達の期限付きの恋愛が始まったのだ。
8月16日(土)雨
頭が割れるように痛い…お腹が苦しい。
誰かこの副作用をとめて…今日は悟さんにも会えないしつまらない。
はやくこの部屋から出たいよ。
最近は日記にこんなことしか書いていない。
化学療法の副作用は思いのほか私を苦しめた。
腹痛や頭痛は毎日のように私を襲い、吐き気も常に私を追い込んでいく。
そんな生活の中で唯一の楽しみが悟さんと過ごす時間だった。
もちろんデートは出来ないので病室で話すだけ。
でもこの時だけは吐き気にも頭痛にも勝てる気がした。
私は本気で彼のことが好きになっていた…この人と外を歩けるようになるまでは絶対に死にたくない。
その甲斐あって私は個室から大部屋に移れるまでに回復した。
だからといって、外に出られるわけではなかったが嬉しかった。
大部屋に移っても、悟さんは忙しい時間をなんとか割いて私に会いに来てくれた。
「おはよう。今日は顔色が良いね…何か良い事でもあったの?」
「別にないよ?悟さんは何か良い事があった?」
そう言うと悟さんは何か不満気な顔をした。
「そういう時は嘘でも悟に会えて嬉しいから〜…とか言いなさい!」
それを聞いて私は思わず笑ってしまった。
笑われたと分かると悟さんは顔を赤くした。
「あとさ、悟さんっていうのやめない?一応付き合ってるんだからさ」
「分かった。じゃあ悟ね!」
「じゃあ俺は君を〜…」
「七海で良いよ。」
「分かった七海ね!」
この会話だけを聞けば、普通の恋人同士みたいなんだろうな…そう思いながら日記を書いた。
8月22日(金)曇り
私にはあとどれ位生きる時間が残されているのだろう。
私はまだ生きたい。
私はひたすら治療に打ち込んだ。
そうしているうち、両親にも感謝できるようになっていた。
悟と過ごす時間の中で私は生への執着を取り戻したのだ。
個室から大部屋に移り、今日普通病棟に移れることになった。
外出はもう少し後まで我慢しなければならないが、私からすれば大進歩だった。
だけど私にとって、悟が喜んでくれたのが何よりの薬となった。
少しの間なら散歩も出来るようになった。
まだ生きられる私は頑張れる…素直にそう思えた。
そして告知から一年が経とうとしていたある日、悟が笑顔で病室に入ってきた。
「どうしたの?」
そう聞くと悟はプレゼントを自慢する子供のように、一枚の紙を私に差し出した。
悟とはこの1年間の間にずいぶん距離を縮めた。
私の中にある悟への気持ちは膨らむばかり…。
「なにこれぇ。」
「ちゃんと見てみなって!!」
「あ…嘘。」
涙が溢れ出した、その紙には私が病気に勝った証が刻まれていたのだ。
「まだ完全に治ったわけじゃないから、学校には行けないけど家に帰れるぞ七海!」
言葉にならない喜びが胸にこみ上げては涙になった…私の命の火はまだ消えていない。
7月23日(水)晴れ
私は勝った。
それから1週間後、私は先生や看護婦さん達一人一人にお礼を言いながら病室を出ようとしていた。
あとは悟だけ…言わなきゃこれからも付き合ってくれませんか?って。
そう思いながら悟の前に立つとまずお礼を言った。
「今までお世話になりま…」
私の言葉が終わる前に悟が言った。
「…半年。」
私は首をかしげた。
「あと半年だよ。まだ残ってるんだからな…」
「良いの?」
「退院したからって俺の事振るのはなしだぞ!!」
そう言って私に紙を手渡すと急いで仕事に戻っていった。
そこにはメールアドレスと下手な字でこれからもよろしく、と書いてあった。
それから3日後、私たちは初めてのデートをした。
映画を見てご飯を食べて色んな話をして…平凡なコースだなとも思ったが、一生懸命考えてくれたんだろうなと思うと嬉しかった。
デートの最中悟は私の体を気遣い何度も足を止めてくれた…私はこの人を愛してる。
そう思わずにはいられなかった。
それからもデートを重ね気が付くと退院してから2ヶ月が経っていた。
最近は体調が良い。
全てが良い方向に向かっている気がして私の足取りは軽やかだ。
2日後には泊りがけでの旅行に出発する。
先生にも了解を得て、悟の生まれた長野に行くことになっている。
「忘れ物は??」
「ん…大丈夫!薬もちゃんと持ったし。」
「よし!それじゃあ出発!!」
見せたい物があるから…そう悟は言っていたけど何なのかな?
などと考えつつも内心遠足前の子供のようにはしゃいでいた。
道中も何事もなく、楽しい時間が過ぎていった。
あともう少しで着くと言う悟の言葉にドキドキしていると、急に頭痛がした…嫌な予感がする。
「七海?」
悟の声にはっとして顔を上げると、そこにはコスモス畑があった。
「きれい…」
言葉を失うほどきれいだった。
鮮やかなピンクや黄色…私たちはコスモス畑を歩きながらまた来ようと約束した。
今でもはっきりと思い出せる…本当に幸せな時間だった。
彼の動作の一つ一つがとても愛しくて、私は涙を抑えるのに苦労した。
……その旅行から2週間後の昼、私は激しい頭痛に襲われ倒れた。
9月8日(日)晴れ
再発。
再発の告知の翌日からまた治療が始まった。
以前と同じ病気、化学療法…違っていたのは治療がきつくなった事だけ。
毎日夜が来るのを恐れるようになった。
寝てしまえばこのまま二度と目を開けられないんじゃないかと思うと眠る事さえ出来ない。
そんな日が続き、私は心も体もボロボロになった。
死にたくない…普通でいい、お金持ちじゃなくても幸せじゃなくてもいい。
(ただ普通に生きていたいだけなのに…。)
そんな些細な願いさえも叶わないのか。
世の中は不公平すぎて苦しい。
そんな私を見かねて悟が毎晩病室に来てくれるようになった。
自分だって疲れているはずなのに…そう思うと悟の優しさが憎くなった。
もう見捨ててほしい…なのに悟を好きな自分が許せなくて悟に当り散らす。
それでも彼は私が眠るまで抱きしめて話を聞いてくれた。
「もう死にたい…」
「やめろよ。そんな話聞きたくない。」
私を抱きしめる手がきつくなる。
温かい彼の手はいつでも私を壊れ物のように優しく扱ってくれる。
その手が私は好きだった。でも今の私には重荷でしかない。
「悟は良いよね。これからの未来がある…でも私は死ぬ!だったら早く死にたいよ。このままは恐い。」
私を抱きしめる力がさらに強くなり震えだした。
「死ぬなんて…簡単に言うな。」
震えている声からは、怒りが感じられたような気がした。
「人は生きることを諦めたときに死に負ける。俺はそういう人達を嫌というほど見てきたから分かるんだ。」
その言葉はまるで私に置いて行かないで、と言っているようだった。
9月13日(水)曇り
もう死にたいなんて絶対に言わない。
私は強くなる。
生きよう…悟のために。
でも、私や悟の願いとは裏腹に病状は悪化していく一方だった。
口の中は口内炎だらけで食事も出来ない。
入院前47キロあった私の体重は32キロまで落ちてしまった。
この頃になるとなぜか親戚が頻繁に見舞いに来るようになった。
そして、明らかに元気ではない私に口をそろえてこう言うのだ。
「久しぶり!元気にしていた?早く良くなるといいね。」
社交辞令まるだしの言葉に吐き気さえ覚える。
でも生きなくちゃ…私は生きて悟と幸せになるんだから。
それだけを支えに頑張った…。
どんなに辛くても苦しくても今の私は1人じゃない。
色んな人に支えられて生きてることに気付けたから…悟の笑顔をもっと見ていたいから。
だけど…神様には私の“願い”が届かなかった。
きっかけは軽い風邪。
たかが風邪…でも私には死を宣告されたも同じ。
熱が40度近くまで上がり、頭痛に苦しめられながらも私は生きようと強く思った。
…息がしにくく話す事も出来ない。
(悟に会いたい…一瞬でもかまわない会いたい、会いたい。)
命よりも大切な人。
私の一生をかけて愛した人。
ああ…体が楽になっていく…これが死ぬと言うこと?
そう思った時声が聞こえた。
「…七海……。」
これは誰の声だったかな…。
ああ、悟だ…悟が呼んでいる。
もうほとんど見えない目を力を振り絞って開いた。
するとそこには私にすがりついて泣いている悟が。
会えた……もう行かなくちゃ。
声が聞こえる…
愛しい人の声が…
「まだ期限切れてないんだぞ…好きなんだ。君が居ない人生は考えられない。置いて行かないで…」
ピー…‥・
心肺停止の信号音が病室中に鳴り響いた。
10月5日(金)雨
午後5時14分 私は両親と愛する人に看取られながら深い眠りについた。
ある人が私の事を若いのに可哀相だと泣いた。
でも私は幸せだった…最後の一瞬まで悟を愛し、愛され続けたのだから。
だから私の愛しい人…どうか泣かずに見送ってほしい。
あなたの笑顔が私の力になり希望になる。
これから歩む道も恐くない。
だってあなたの愛に包まれながら歩むのだから…私達の恋愛期限は終わっていない。
これから何度生まれ変わっても必ずあなたを見つけ恋に落ちる。
私達の恋愛期限に終わりは来ない…それが運命でありアナタとの約束なのだから。
あなたの恋には期限がありますか?
長い間お付き合い頂きありがとうございます。
是非感想を聞かせてください!
次回作の参考にさせていただきます。