日常の二人
この土日、というか金曜と土曜のせいで、せっかくの休日だというのに疲れが取れるばかりか、悩みの種が一つ、いや五つくらい増えた。
しかしまあ、学生ってのは月曜日になれば否が応でも日常へと引き戻されるもので、とにかく俺は一度件の吸血鬼から離れられる――
とはいかない。流石に。
登校中の電車でも、SHR前の友達との談笑中も、俺の頭は吸血鬼の事で頭いっぱい。胸いっぱい。これが恋ですか?
日曜日をまるまる潰して反芻した結果、土曜の話し合いの内容は一応納得できた。彼女らの態度からしても、まあ真面目に話しているんだろう事はよく伝わった。
だから、俺が吸血鬼だという話も信じる事にした。とりあえず。一旦ね。
彼女らの話だと、俺の血液中にはヴリコラカスが入っていて、それは二年以内に混入した可能性が高い。
しかし俺には心当たりがない。そしてそれが、この吸血鬼事件の解決のカギである。と、俺は考えた。
我ながら中々いい性格してるよな、なんて思った。普通見ず知らず(ほとんど)の人間家に入れるか? やべー事してたよね。とか、あれ新手の詐欺だったらやべーよ。強盗とかだったらもっとやべーよ。とか。まあ、いろいろ考えてそうじゃないだろう、という結論に達したんだけど。
分からない。
ぐるぐるぐるぐる。
ぐるぐるぐるぐる。
考えても分からない事と、考えたら分かりそうな事が入り混じっていて頭が痛い。
授業なんて、内容を右から左へ聞き流している内にいつの間にか終わっているもので、気が付けば昼休み。
「岸辺! ご飯食べよ!」
「ん、おう。あれ、中原は?」
「今ジュース買いに行ってるよ。先食べててって。ててて」
俺の昼飯は、門出と中原と一緒に食べることになっている。
山崎門出。文学少女。彼女が読んでいる本はもっぱらUMA、オカルト、心霊、都市伝説のようないかがわしい代物ばかり。他には何が攻めで何が受けで……とか、よくわからない世界のもの。常に俺達と昼飯を食べているので、実は女友達いないんじゃないか? という疑問を秘かに抱いている。
「おーっす。雪の分も買って来たぜ」
数秒後、そう言いながらコーラを投げ渡してきたくそ野郎(炭酸投げんな)。
中原言彦。スポーツ万能で、切れ長の目と生まれつきの茶髪はかなり目立っている。その容姿から入学当初から女子からの人気が高いが、本性は極度の手首足首フェチであり、「ど」が付くほどの変態なのだが、その事実を知る者は多くは無い。
二人とは幼稚園来の友人で、齢十六の今まで常に傍にいた、正真正銘の親友だ。
俺達三人はオカルト研究部の、たった三人の部員。今年設立された部で、勿論門出の申し出。活動内容はもっぱらオカルト研究の名を借りた駄弁りで、こんな部が許されるのがこの学園の良いところといえるかもしれない。
「あ、そういえば雪、ストラップ買えたのか?」
「そうだそうだ。ちゃんと買えたよ。悪いな、掃除当番変わってもらっちゃって」
「そうだよ! 大変だったんだからね! お礼は駅前のケーキでよいよ」
むふー、と鼻息混じりに山崎がいう。駅前のケーキ屋といえば女子高生に大人気で、平日休日問わず常に長蛇の列ができている事で有名な店だ。そんな店に一介の男子高校生である俺が並べと? 山崎門出、恐ろしい女よ……。
「おいおい門出。雪にそんなことさせてみろ、ストレスで胃が爆発して死んじまうぞ」
「岸辺はうさぎか何かなの?」
いつもは悪い結果を引き起こす中原の茶々のおかげで、今日はどうやら罰ゲームからは逃れられたようだ。爆発まではいかずとも、できればあんな列には混ざりたくない。
当の鬼畜めいた発案をした本人はというと、既に話の方向性を変え、ツチノコを見たとか、首なしライダーが居たとかで、一人盛り上がっていた。
「まーた始まったよ。いつもの門出が」
「君達はまだ分かってないのかね? 未確認生物のロ・マ・ンが? もう名称からして素敵だよね、未確認! 確認されていないので”未”確認!」
こうなると門出は長い。聞いてもいないオカルト話を延々垂れ流す、さながら人間ナイアガラの滝とでも言えよう。
しかしよかった。今日の犠牲者は中原のようだ。目をらんらんと輝かせ、いかにUMAが素晴らしいかを説く門出に一度捕まれば、もう彼女の気が済むまで解放される事はない。
中原が目線で俺に助けを求めているのが見えたが、巻き込まれる訳にはいかないので、すまん中原。許してくれ。
「ちょっと中原! 聞いてるの? それでね、吸血鬼がね――」
全く興味関心を示していなかった俺の耳に、衝撃的なワードが飛び込んできた。思わず音を立てて反応してしまう。
何? 吸血鬼? 何で門出がその事を――
いや、その手の話好きの門出のことだ。噂くらい耳にしていてもおかしくない。俺は一度落ち着き、あくまで冷静に聞く。
「門出、吸血鬼の噂ってなんなんだ?」
「おお、岸辺君。興味がおありかね」
門出が茶化す様に言う。
俺がそれを無視すると、対して門出は心底嬉しそうに語り始めた。
「最近ね、渋谷の近くで吸血鬼見たって人が結構いるんだ。話によると凄い勢いで人を追いかけて、捕まったら生き血を全部吸われちゃうんだって!」
「ほ、他には?」
「いやぁ、それだけだよ。それに吸血鬼に襲われた人は今の所居ないみたいだしね」
それを聞いて少し安心した。やはり彼女は本当に噂程度にしか知らないようだ。それにしても、襲われた人が居ないのに捕まったら血が吸われるって……あまりにも適当すぎないか、都市伝説。
ま、満面の笑みを浮かべる門出を前に、まさか襲われた張本人が目の前にいるだなんてことは口が裂けても言えないよね。
「くだらねーなぁ。なんで雪そんなに食いついてんだよ」
「案外岸辺が吸血鬼だったりしてね」
へへっと笑いながら二人が俺を見ている。
――バレた?
二人には気付かれて居ないだろうが、彼らにそう聞かれた瞬間、俺の鼓動は密かに空想上の三十二ビートを刻み始めていた。
気付かれた?
……言ってしまおうか? こいつらなら、どれだけ驚いたところで他言はしないでいてくれるだろう。親友とはそういうものだ。俺達は互いに信頼しているし、されている。支えあって生きてきたといって決して過言ではない。
関係は変わってしまうかもしれないが――
「……え、岸辺、まじ?」
「雪? おい、何黙ってんだよ」
彼等の言葉が耳に入り、俺は現実へと引き戻される。
何を考えているんだ俺は。俺は俺の事もきちんと理解できていないのに二人を巻き込もうとしたのか?
俺が吸血鬼だという事実は受け入れた。しかし、金曜日の時こそしなかったものの、もし俺があの怪物へと変貌したら? 二人の横で暴走したら? だめだ。それだけは避けなければならない。
それに、ドルルーサだとかいう集団にも、絶対に二人を関わらせてはいけない。違うか? 何故なら彼らも俺と同じくらい得体のしれない存在なのだから。
「な、なーんてな! びびった? んなわけねーだろ」
慌てた取り繕い方だったが、意外にもそれは功を奏
したようだった。
二人は安堵としてやられた、という表情を見せた。
その後やはり門出は「怪奇! 日常に紛れ込むUMA!」なんて見出しでB級週刊誌に掲載されていそうな話を、昼休み終了まで延々と吐き出し続けた。
「口裂け女が――、単眼娘が――」中原も相変わらずうんざりした表情で聞き流している。
今日は(いつものことだが)もう門出の話に身が入らない。
都市伝説は都市伝説。空想に生まれた存在ーー
いや、もうそうとは限らないのか。俺が吸血鬼ならば、もう伝説は伝説ではないのだ。
ぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐる
とめどなく溢れる思考の泉。循環する思惟の水流。
答えは出なかった。
*
午後の授業も全く集中出来なかったが、特に問題はない。六限後のSHRが始まっても関係ない。
自分の中で解決させたはずの、俺自身への疑問を払拭できないでいることの方が問題だ。
そうだ、そうだろ。俺はもう吸血鬼としての俺を受け入れたんだ。
と、ある種自分を洗脳する。その上で、しかしそうなった原因とやらをはっきりさせないと納得しない自分の一面も認めるべきなのだ。
そして俺は、何度も行き着いたはずの結論に再度辿り着いてしまう。幼少の頃の話ならまだしも、ここ数年のことで思い出せないのだからしょうがない。やはり俺に吸血鬼になった理由は分からない。
俺に分からない事でも、こいつらなら分かるかもしれない。俺は共に半生を歩んできた二人の親友の顔を思い浮かべる。
巻き込まないと決めたばかりだが、これくらいなら大丈夫だろう。ただの友達から、急に変なことを尋ねてくる友達へとジョブチェンジするだけだ――
そう思い立ち、俺は後の席に座る中原の方へと体を向ける。
しかしながら、中原への質問は叶わなかった。なぜか?
「岸辺君、前を向きなさい!」
なんて声が教卓の向こう側から届いたからだ。
声の主は高橋先生。小さな体には収まらない程の情熱を持った、誰からも愛される教師だ。
「先生が言ったことちゃんと聞いてた? 言ってみて!」
威厳を出そうとしているのだろうか。ぷんすこ怒っている。その様は威嚇するエリマキトカゲのようで、正直かわいい。
俺が素直に聞いていなかった事を謝罪すると、先生は「もうっ!」と言った後、改めて話を始めた。
「もう一回言うけど、明日は夜間校内修学泊だからね。各自着替えと洗面具を忘れないように! 以上!」
先生がそう言い終わると同時に、委員長が号令をかける。
そうだ、すっかり忘れていた。
夜間校内修学泊。我が聖ストゥルヌス高校では毎年六月半ばに一度、全校生徒が校内で宿泊するという行事が行われる。
目的は新しい顔ぶれとの親睦を深めると共に協調性を養う事らしいが、友達の先輩曰くただのお泊まり会のようだ。
まあ内容がクラスでカレーを作って食べて寝るだけらしいから、そう言われるのも無理は無さそうだ。
そんな形だけの修学も、生徒にとってはちょっとした休息になるので評判は悪くなく、夜間校内修学泊が近づくにつれ浮き足立つ生徒が増えていた。
俺はその存在を忘れてたとはいえ、やはり少し楽しみである。学校に皆で泊まるという非日常感。中々どうしていい行事じゃないか。
そんな思いを馳せながら下校の準備をしている俺に声をかけてきたのは中原だった。
「そういや雪、さっき何言いかけてたんだよ」
「ああ、変なこと聞くんだけどさ、ここ最近俺って変わった?」
中原は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして俺を見ていた。そのまま数秒固まって考え込み、「あ、そういやよ、三週間くらい前からお前、目つき悪くなった気がすんよ」と言った。
「三週間前?」
「ああ。門出と三人でオカ研設立記念だとか言って渋谷行ったろ」
またしても渋谷。
渋谷。
三週間前。三週間前。
粗末なつくりの海馬をフルに活用する。なんだ、たった三週間前? 思い出せ。思い出せ。
……ダメだ、思い出せない。何があったかを思い出そうとするほどに、あそこのラーメン屋が旨かったとか、八百屋の前にいた猫がカワイイとか、関係のない記憶ばかりが浮かび上がってくる。大体、俺を吸血鬼たらしめるような出来事があったのならば、それを忘れるはずが無いのだ。渋谷で何かがあった? そこで俺の様子が変わった?
その可能性があるなら行って探すしかない。これは性なのだ。
そうと決まれば俺はカバンへ乱雑に教科書類を詰め込んで、待てよという中原の声を無視して走り出した。善は急げ、急がば直進、将を射んとすれば将を狙えってやつだ。
「どーしたんだよあいつ」
雪は二言三言交わした後、形相を変えて教室から出て行ってしまった。あの様子だと渋谷へ向かったのか? あいつはときどきああいう事をする。突拍子もないというか、一人で突っ走るというか。十数年一緒にいるが偶に心配になる。まあ、それがアイツの魅力であることもまた間違いないんだけど。
そんな愚痴にも似た俺の独り言に、近くに居た門出が反応した。
「どうしたの中原」
「ああ、雪がな――」
俺は門出に経緯を話したが、雪の行動を面白がる癖のある門出には珍しく、その反応は微妙だった。
「岸辺がねぇ。ま、いつものことか」
門出は雪が出て行ったドアを見つめながら、ただただ静かにそう呟いただけだった。




