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Ace of thin ice  作者: 小鳥遊
吸血鬼編
4/32

悪魔が来たりてホラを吹く

ちょうど十二時。チャイムが鳴った。

 普段ならドアスコープから訪問者の顔を確認するが、今はその必要もなさそうだ。

 多分来たのはあの二人だろう。それくらいドアを開ける前から分かっている。ガチャ。ほら。


「やあ」

 やはりそこに居たのは昨日の二人、霧峰岬と亜里堅妍治だった。

「メモは読んでくれたかな」

「ええ。俺も話を聞きたかったので。入ってください」

 一応彼女達は命の恩人――だと思っているので、家の中へと招き入れる事に関して抵抗は少ししかない。

 俺が誘うと亜里堅と霧峰は顔を見合わせ、素直に玄関へ入り靴を脱いだ。


「コーヒーでいいですか」

 俺は二人をリビングの椅子へ座らせ、もてなす姿勢を見せた。

「気を使わなくていいよ。話はすぐに済むからさ」

 そう言われたが、とりあえずブラックコーヒーを二つ出していおいた。

 コーヒーを置くや否や霧峰は口を付け、すぐにカップを戻し、口を開いた。

「早速だけど話をはじめさせてもらうよ。君は身を以って体験しただろうけど、吸血鬼は実在する。それは君も納得してもらえたかな」

「あの吸血鬼があなた達の仲間でないなら、現実として受け止めざるを得ません」

 あえて嫌味ったらしく、性格の悪い反応をしてみた。

 するとそれに対して反応したのは今日もやはりここまで寡黙な亜里堅だった。

「フゥー。無理すんなよ。もう分かってんだろ」

 バレてる。

 俺の残り僅かな常識の抵抗も、亜里堅にはあっさり見抜かれてしまった。亜里堅の言葉を聞いた霧峰の様子を見るに、彼女も分かっていたようだ。

「信じられない気持ちも分かるよ。でも、これは現実。これが現実。昨日私達は一切合切の嘘を付いていない。いいね?」

「……分かりました、分かりましたよ、ええ。それで、話を続けてください」

 信じがたい事をそれでも耐え切れずに、俺は話を進めるよう促した。

「じゃあ改めて吸血鬼についてきちんと説明するよ。昨日は最後まで話せなかったからね」

 嫌味の応報か? なんて。すみませんて。昨日は怖かったんですもの。仕方ないよね。

「その前にさ、君は疑問に思わなかったかな」

「何がですか?」

「君は間違いなく吸血鬼なんだ。その事実は多分、揺るがない。それじゃあ君はなぜ吸血鬼に襲われたのか、気にならなかったかな」

 そ、そうだ。その事実こそ、俺が吸血鬼でない確固たる証拠じゃないか。昨日襲ってきた奴が本当に吸血鬼なら、なぜ俺を襲う? 答えは一つしかない。俺が吸血鬼じゃない、それだけだ。

「……って思うだろう? ところが違うんだ。君も過去の私も、固定観念に囚われていたんだよ」

 一呼吸おいて、話を続ける。


「簡単な話だよ。吸血鬼が襲うのは吸血鬼だけなんだ」

「何ですって?」

「そもそも、吸血鬼を吸血鬼たらしめるものが何か分かる? 不思議な事にね、襲われた吸血鬼の死体の組織構造から体の器官の至るまで、人間と何ら変わらないんだ(勿論爪や牙なんかは別として)よ。ある一点を除いてね」

 吸血鬼を吸血鬼たらしめるもの? 人間との差異ならわかる。あの爪も牙も、人間とは全く違う。カメとうさぎくらい違う。彼女が問うているのはそのもっと根本にあるものの話だろう。 分からない。 不思議なクイズの答えを求め、数秒フリーズした俺を見た霧峰は、俺が答えを出す前に話を再開させてしまった。 

「答えは血。正確に言えば、血液中のヴリコラカスという物質だね。吸血鬼にはそれがあるんだ。これが私達人間と吸血鬼の明確な、そして唯一の違い」

「ヴリコラカス?」

 テレビでやっている、ほんとは怖い系医学番組でも聞いた事の無い名前を耳にした。

 それにしても、化物と人間の違いがそれだけ?

「このヴリコラカスってのは不思議な性質を持っていてね。まず一つ。日光量が少ないとき、他媒体に流れるヴリコラカス同士がある程度近づくと、血液中のそれらが作用し、各器官を一時的に異常発達させる。君も見たでしょ? あの爪と牙。あれがまさにそうだよ」

 確かに、昨日の最初にぶつかった時のおじさんの口には、多分牙なんて生えていなかった。あの時はまだ日が昇っていたから、彼は吸血鬼化しなかったということだろうか

「もう一つ。ヴリコラカスを含んだ別の血液を低温と高温にして混ぜた場合、高温のヴリコラカスが低温の方を吸収し、活性化したんだ。そしてヴリコラカスの密度が上がり、より純度の高い吸血鬼になる」

 ……? どういうことだ。

「つまり、吸血鬼の血を別の吸血鬼が吸うと、強力な吸血鬼に成長するってことだ」

「それが吸血鬼が吸血鬼を襲う理由、ですか」

「そう。勿論本人に聞いたわけじゃないから、仮説の域を越えられないんだけどね」

 なるほど……? 吸血鬼達は他の個体の中にあるヴリコラカスという物質を吸収するために襲っている。

 一応理由として筋は通っているように見える。

「でもそれなら、放っておけば勝手に数は減少していくんじゃ?」

 俺が言うと、ずっと俺の目を見て話をしていた霧峰が、肘をついて横の壁に視点を移した。

「それはそうなんだけどね。彼らは食事の後片付けをしてはくれないし、それにーー」

 それに――なんだ? その続きを言わずに、霧峰は一旦話すのを止め、コーヒーを啜った。

 そうすると誤魔化すように、今度は亜里堅が口を開いた。


「とまあ、今の話で吸血鬼の定義、そしてお前が何故吸血鬼と言われるのかが分かって貰えただろ」

「俺の血の中に、その物質が入ってるって事なんですか」

 改めて口にすると信じたくは無い。

「そうだ。この間の血液検査でお前が引っかかったんだ。しかしだな――」

 亜里堅はサングラスをかけているのでいまいち感情が読み辛いが、なんとも訝し気な表情をした。多分。

「過去の被害者(吸血鬼)のほとんども、ドルルーサが一年以内に血液検査をしているんだ。しかし彼らは特に引っかかることなく人に紛れ、殺された。そしてお前の幼少の頃の検査結果にも、異状は見られなかった」

「……どういうことです」

「俺達にもはっきりとしたことは分からない。だから、ここで二つの仮説が生まれるんだ。

 一つ。吸血鬼は後天的なものであり、何らかのタイミングや出来事によりヴリコラカスが発生、もしくは混入する。

 一つ。吸血鬼は先天性であるが、ヴリコラカスは通常その存在を見つけられない。しかし、死後またはお前に限ってはそうではない」

「でもね。この仮説はほぼ成り立たないんだ。

 一つ目の仮説だと、現在存在するであろう吸血鬼は、私達が血液検査を行った後に吸血鬼化したことになる。明確な根拠はないけど、その可能性は極めて低いと思う。そもそも私達は吸血鬼が存在しているから彼等を探し始めたわけだからね」

 リレー式に話者が亜里堅から霧峰へと交代する。

 なるほど、理解するのに時間を要したが、加害者が存在して初めてドルルーサは動いた。つまり、彼女らの血液検査以前から吸血鬼は存在して居たはずなのだ。

「もう一つの方は、初めて被害者が出たのがつい二年前であるという事。先天性ならもっと過去に被害者が出ているはずだからね」

「それじゃあどういう事なんですか」

 要領の得ない話運びに、若干の苛立ちを覚える。

「ああ。ここから導き出される結論は――」


「吸血鬼は後天的な物であり、何らかのタイミングや出来事によりヴリコラカスが発生または混入し、かつ通常その存在を見つけられない。死後とお前を除いてな」

「つまり吸血鬼は元々はただの人間だった、という事になる。君も含めてね」

「……俺が例外ですか」

 大きく息を吸って、そして吐いた。真剣に話を聞くために体に入っていた力が少し抜ける。

「そう、君はいろんな点で見て異端なんだ。生きている人間の血液からヴリコラカスが検出されたのは君が初めてだし、君は昨日吸血鬼化していない。こんな人間――いや、吸血鬼は初めてなんだよ。だからここ近年で君に思い当たる節が無いかを聞きたくてさ」

「心当たり――」

 俺が吸血鬼化していない。それなら俺は吸血鬼ではない可能性もあるのでは? と、今初めて気づいて、それを武器に反論してみようかとも思ったが、やめておいた。彼女達にとっても特例だというのなら、どうせろくな情報は貰えないだろう。

 諦めて俺は天井を見上げる。

 四人家族を照らせる大きさの照明が、俺の黒目に光を射す。まぶしすぎる光に目を閉じる事すら忘れかけてしまう。

 俺は頭の中を巡り、思い当たる節とやらを探る。

 普通に友達と遊んで、普通に受験勉強して、普通に合格して、普通に引っ越してきた。それが俺だ。この年での一人暮らしは珍しいと言えば珍しいが、(霧峰の言っていたとおり)別に俺自身がどうこうって訳じゃない。

 困ったなあ。参ったなあ――


 *


 俺の事をこの上なく簡潔に説明するなら「普通」だろう。似た言葉は他にもある。「平凡」「凡百」「平坦」「無個性」「一般的」「非凸凹」……ちょっと無理矢理。どれを当てはめても大きく外れちゃいない。正解だ。

 運動も勉強も顔も身長も体重も精神も人付き合いも、何もかも普通。よく言えば目立った欠点が無い、悪く言えば没個性。少なくとも俺はそう思っているし、人からの評価もおおよそそんな感じだろう。モブAとかモブBとか。大体そんな感じだ。

 とはいえ、俺だってこんな自分が嫌になった事が無いわけじゃない。

 けれど生まれ持った素質も特になければ、のし上がる努力もしないのだから、結局俺は中の下から中の上の範囲に落ち着いてしまう。

 虐げられている奴を見て思った。輝かしい才能を妬まれている奴を見て思った。

 沈まなければ、出過ぎなければいいのに。

 優秀な奴を下から見上げて、落ちていく奴を上から見下ろして、そうやって生きてきた。

 浮きも沈みもしないこの状態が、どうしようもなく心地いいのだ。

 多分それは変えられないし、もう変わろうとも思わない。

 

 ……だからこそ、昨日霧峰岬に俺が吸血鬼――決定的に異端で圧倒的に穿った存在――だと言われたとき、ふざけんなという感情と共に、一方で少しだけ、ほんの少しだけ高揚した自分がいたのだろう。

 

 しかし、心当たりと言われても無いものは無い。

「無いかあ」

 俺が素直にそう伝えると、霧峰は落胆の声色を見せた。

 それを聞くと俺は少しばかりの罪悪感を覚えた。俺悪くないのに。

「どれだけ小さい事でもいいんだ、何かないかな。得体の知れない物を口にしたとか、強いショックを受けたとか、中国の悲劇的伝説のある泉に落ちたとか」

「そう言われましても」

 どれだけ頼まれても本当に思いつかない。どれだけ申し訳なく思っても、嘘はつけない。

「収穫無し、か」

 亜里堅が霧峰の頭に手を置いて立ち上がった。霧峰は座っているとはいえ、比べるとやはり背は高い。しかし図体がでかい、というよりはただ背が高いだけで、いわゆるモヤシだ。ひょろっとしている。昨日は突然の圧倒感に威圧されていかつく見えていただけだったのか。

 霧峰は昨日と変わらずワイシャツに黒のパンツだが、亜里堅は胸元がダルダルのシャツを着ている。

「仕方ないね、今日は帰ろうか。……あ、そうだ、最後に一つだけ。吸血鬼の被害は全て午後八時から午前三時に集中してる。君にはこの時間、外出しないで貰いたい。悪いけど行動は少し監視させてもらうよ。あとこれ、私の連絡先」

 さらりととんでもない事を告げられた気もしたが、それを言及させてはくれなかった。

 霧峰も立ち上がり、胸元から紙切れを1枚俺へと差し出す。

 特徴的なかわいらしい数字列は、冷蔵庫のメモで見たものとよく似ていた。

 俺がそれを見ているうちに、お邪魔しました、と二人は言い、玄関へと歩みだした。

 その背中を見て、俺は彼女達から聞くべきことが沢山ある事を思い出す。聞こう聞こうと思っていた事も、いざ本人達を目の前にすると、何故か頭から抜けてしまう。というか、聞くべきことが多すぎる。俺の知らないことがありすぎる。受け入れるには足りなさすぎる。信用するには少なすぎる。

 すでに地面をつま先で蹴っている二人を留める事は出来なくて、それでも口から一つだけ、どうしても気になっている疑問を吐き出した。

「あの」

 振り返る二人。

「昨日の、その、吸血鬼。どうなったんですか」

 数多の疑問の中から俺がなぜそれを選んだのかは俺自身分からない。

 少しだけあった沈黙の後、霧峰が恐らくにっこりと笑いながら答えた。

 確証が持てないのは、亜里堅が開く扉から差し込む正午の日光が、わざとらしく霧峰の顔を陰らせていたからだ。


「……知りたい?」

 たった四文字の言葉が何故だかとても恐ろしくて、俺は何とも答えることが出来なかった。

 そんな俺の反応を返答として捉えた彼女は、それ以上何も言わず、手をひらひらさせながら我が家を後にした。

 一人残された家の中で、何とも言えない虚無感と、納得し難いもやもやと、それでも心の隅にへばり付くうわずりがぐるぐるといつまでも渦巻いていた。

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