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Ace of thin ice  作者: 小鳥遊
吸血鬼編
28/32

永久に終わることのない告白③

「分かった……まあ、分かったよ。門出が一人、二人、三人……門出はその溶媒機でお前自身をさらに増やしたんだな? そして計画――って言ってたな。その計画ってのは何なんだよ。スマイル? それが吸血鬼を増やすためのものなんだろ? それで吸血鬼増やしてどうするつもりなんだよ」

 そう。私達が真に知りたいのは、吸血鬼を増やして、山崎門出が何を企んでいるのか? それに尽きる。彼女が順調に進行中と言っていた計画、それが何かを突き止めるために私達は今まで働いていたのだから。

「うん……そうだね。岸辺にそう聞かれたら、答えなくちゃいけないよね、私。うん……聞かせたくない人達もいるけど……。言うよ。全部。私の十年間の計画を……私の人生を」

 山崎門出は諦めたようにそう言った。どうやら私達が求めていた答えというのは素直に聞かせて貰えるようだ。ただ、彼女がいくら岸辺君に負い目があるからと言え、彼女にとってそれほどまでに大きい事なのだろうか? 吸血鬼である事を隠していた、ただそれだけで彼女は自身の計画を話してくれるものなのだろうか。

「これは例の赤い皮の本に書かれていた事なんだよ。妖精ってのは、加速的に増えていくんだ。岸部達はその事実を把握してた?」

「知らねえナァ……俺達の知らない間に妖精はドンドン増えてってるってのか?」

「その通り……妖精は今、この瞬間にも数を増やしている。勿論妖精界から迷い込んでね」

「妖精を増やすことが門出の目的なのか……?」

「妖精を増やすのはあくまで手段……。目的の前にさ、そもそも何故妖精がこの世界に迷い込むのか? 君達は把握してるの?」

「し、知りません! どうしてこの世界にボク達は迷い込んでしまうんです?」

 瑞樹さんが耐えられなくなったかのような勢いで訊く。彼女の様子にはある種の必死さのようなものすら感じられた。

「人間界――人間の住む世界を便宜上そう呼ぶことにするよ――と妖精界は基本的に決して交わる事のない世界なんだ。当然と言えば当然だよね。私達の認識できる世界線の上には妖精界は無いんだから。……ただある条件下において、妖精界から人間界へ(あるいはその逆へ)一方通行の道路が敷かれることがあるんだ」

「ある条件……」妍治が言葉を嚙み潰すように聞き返す。彼は山崎門出の勿体ぶった言い回しに少し苛ついているようだ。

「人間界に”異物”もしくは”妖精”が存在する事だよ。それらがこの人間界に存在するとき、”妖精の輪”が開かれるんだ。”妖精の輪”に誘われた妖精は人間界へ、人間は妖精界へ……。ただし、あくまでこれは一方通行みたいでね、妖精の迷い込む数が増えたからと言って、その逆も増える事は無いんだ。ま、遥か昔のいわゆる神隠しが各地で続出したら、向こう側で”妖精の輪”が開かれたって事になるんだろうけど」

「純不純の生物……異物。スマイルによって吸血鬼になった人間や、もしかしてコピーされた君もそうなのかい?」

「ご名答だよ霧峰さん。オリジナルの私はおそらく妖精だけど、私のコピーは異物と言えるかもね」

「それで門出……妖精の数が加速的に増えるってはどういう事なんだ?」

「妖精の輪は広がるんだ。穴のような認識をしてもらえればいいよ。人間界に存在する妖精・異物の数が増えれば増えるほど、妖精の輪は広がる。穴が広がればそこを通る妖精も多くなる。するとまた輪は広がる……っていうことだよ。妖精の輪がよほど大きくなければ、妖精が迷い込むことなんて滅多にない。異物や妖精が数人いた程度じゃね。だけど私がスマイルを流行らせて以降、数は増えている。根拠があって言ってるわけじゃない。だけど確かにそうなんだ。妖精は妖精同士、感覚で存在を把握することが出来る、日に日に私が肌で感じる妖精の数は増えている。具体的な数値は出せないけどね」

「で、でも。なんでここ渋谷なんです? ボク達妖精は引き寄せられるようにここに来てしまった……そこには何か理由があるんです?」

 瑞樹さんが再び山崎門出に問う。瑞樹さんもまた、この世界に迷い込んでしまった妖精であり、恐らく彼女は帰りたいのではないだろうか。もといた妖精界とやらに。

「多分、今ある妖精の輪が開かれた場所がここだったからじゃないかなあ? 私も調べたんだけど、はっきりしないんだよね。今からおおよそ百年前、一度は閉じていた妖精の輪が再びここで開いたようなんだ。その理由と、その時トリガーになった異物が何なのかは分からない。だけどそれから今に至るまで、妖精の輪は開きっぱなしなんだよね。私を吸血鬼にしたあの吸血鬼も、その妖精の輪から迷い込んできたもので間違いないと思うんだ」

「ちょっと待て、妖精の輪は閉じる事が出来るのか?」

「勿論だよ岸辺。開いた扉は必ず閉まるんだ。人間界から妖精、そして異物が全て居なくなれば妖精の輪は消滅する。ま、これも赤い皮の本に書かれていた事なんだけどね。日本においては江戸末期に消滅したようだよ」

 山崎門出がそう言い切った後、しばらく誰も声を出すことが出来なかった。恐らく岸辺君は深い混乱の中にいたし、瑞樹さんはいまだこの状況に少し戸惑っているように見える。私達はというと――

「くっだらねえなあ。妖精の輪? それがあったとして、本当に広がっていたとして、だ。この世界に妖精を増やして、つまるところお前は何がしたいんだ?」

 妍治が苛ついた口調で挑発するように訊く。ここに来てからというもの、妍治の様子(ついでに片桐も)にどこか違和感がある。脳の奥に引っかかったものが取れないような、そんな不快感を抱いているように思える。



「この世界の崩壊だよ」

 彼女は明朗かつハッキリとした口調でそう言った。彼女の目的――先程から薄々と気付いてはいたが――それを直接彼女から聞くことが出来た。

「何言ってんだ門出!? どういう事だよ!」

 岸辺君はその意味を理解出来ないと言うように怒鳴る。

「いい? 岸辺。妖精ってのは利己的で自己中心的で身勝手で独善的で傍若無人なんだよ。そんな妖精がこの世界の大半を占める様になってみなよ。世界情勢がどうなると思う? 各国家はそのものの存在を保っていられると思う?」

「妖精にだって……まともな奴はいるだろ! 晶は少なくともそうだ」

「彼女が特別なんだ。人間界に迷い込んだにも拘らず、人間と行動してる妖精なんて異端中の異端だよ。私に言わせれば、彼女は最も人間に近い妖精なんじゃないかな」

「それにだ、山崎さん。妖精が大量に増えたとしても、普通の人間はその存在を認知できないんじゃない? それで混乱は本当に起こるのかな」

「分かってないなあ。それほどまでに妖精が増えれば、もはや見える・見ないの問題じゃないんだよ。一つで不思議な出来事も、同時多発的に起きれば不可解なんだよ。各地で爆発的に行われる妖精たちの”悪戯”。特に人間達には見えない方がいいかもね。見る事の出来ない存在からの、時に命を直接脅かす悪質な”悪戯”。世界は混乱しない訳がないんだよね」

「お前の思惑通りに妖精は動くのかネェ?」

 片桐が挑発的に呟く。もちろんそれに山崎門出は反応しなかった。彼女は(勿論私達も)、そんな状況になれば実際世界が混乱する事は分かっていたし、そしてその計画が彼女曰く順調に進行しているというのなら、世界自体が今危機に瀕している事も順当に悟っている。それでも、私達が今できるのは、山崎門出から出来る限りの情報を得る事だ。

「ひとつ疑問があってさ。この街に単眼娘って噂が流れてるのは山崎さんも当然知ってるよね。彼女は妖精……なのかな?」

「うん? 単眼娘? 彼女も多分、妖精だよ。私だって彼女に直接干渉した事は無いはずだからね。ほら、彼女なんか人間に害を及ぼす妖精の代表だよ。彼女自身に敵意があるのかは知らないけど、その能力は人間に間違いなく悪影響をもたらしてるでしょ?」

「確かにね……彼女は私達の記憶を消してしまう。君が彼女に干渉していないと断言できないのは、君も彼女に出会っている可能性はあるからだね?」

 山崎門出は声を出さずに肯定した。山崎門出――彼女自身が妖精なのか異物なのかはハッキリしないが――にも、妖精の能力は発揮されるようだ。

「待てよ門出……そもそもお前はなんでこの世界の崩壊なんか企んでんだ……お前は俺達の住むこの世界を憎んでるのか? 俺達がいるこの世界を、お前はなんで苦労までして崩壊させたいんだ。教えてくれよ門出……」

「岸辺……」

 岸辺君の言葉はその都度山崎門出を動揺させている。

「私は……この世界に復讐したいんだよ。お母さんを殺した犯人がいる世界に、犯人が捕まらずにのうのうと生きていられるこの世界に。お母さんを失った父が理性をも失なった……その原因を作ったこの世界に。私は復讐を誓ったんだ。齢五年のあの時にさ」

 そんなことで、と私は言えなかった。彼女の境遇を知っている今、私には言えなかった。私がそう言えないのは彼女の境遇を知ったからだけではないのだが――

「さて、と。問答はこの辺でいいよね? 私ももう疲れちゃったし、岸辺を巻き込んだ事は本当に悪いと思う。岸辺は殺さないよ。だけどドルルーサ……あんた達に教えたことは全部無駄になるんだ……私が今、ここで殺すから」

 山崎門出は大きく深呼吸をして、やはり一つ一つ確かめる様に言った。そして再び彼女の周りにはどす黒いオーラが現れた。影からは山崎門出が現れる。一人、二人、三人……。九人目の彼女が出てくるまでに十秒もかからなかったと思う。それは彼女の殺意の現れだった。彼女は間違いなく私達を殺し、そして弱肉強食と彼女が言った通りに、私達を淘汰しようとしているのだ。

 私達は再び身構える。私達だって彼女にすんなりと殺されるわけにはいかない。正直なところ抵抗する術は非常に細い。件の銃弾は残り四発しかないし、体術で三対一の吸血鬼に勝てるとは思えない。私達の希望とは――

 私は岸辺君をちらりと見る。情けない話だ。この状況を打破できるのはやはり私達ではなく、一介の男子高校生、岸辺雪君しかいない。

 私はそう思っていたのだが――意外にも山崎門出の動きを止めたのは妍治だった。



 *


 一人あたり三人の山崎門出。妍治と片桐と力を合わせても、体術では一人の山崎門出すら殺すことが出来なかった。それなのに状況は逆転、私達は圧倒的に不利な状況に置かれているのだ。ゆらゆらと陽炎の様に体を揺らしながら、いざ私達に飛びかかろうとしている彼女達。そんな危機的境遇を一時的に制したのは、妍治の一言だった。

「こ、声だ……」

 妍治は私のすぐ横で、重い雪山の底から宝を発掘した時のようなひらめきめいた声を上げた。その言葉は山崎門出を一瞬戸惑わせた。妍治の言葉は彼女の興味を多少引いたのだろうと私は思った。

「声?」「何言ってんの?」「死への恐怖で気でも狂ったの?」山崎門出は口々に言う。

「声だよ……。ずっと引っかかってたんだ。今日初めてお前の声を聴いた時から、俺はその声にずっと引っかかることがあった。どこかで聞いたことのある声だ……そう思っていた。思い出せなかったんだが……今、思い出した」

「亜里堅くぅん。その話は今必要なのかね? 余裕だねえ……僕は今結構焦ってるんだぜ」

「岬。この事件の謎……以前お前はリストアップしてただろ。それが今、一つ解決したんだ」

「どういう事なの。ハッキリ言ってくれないかな」

「この事件の依頼主だよ。俺が聞いた姿の無い依頼主の声……。間違いねえ。そこの山崎門出だ。二年前……俺達に吸血鬼事件の依頼をしたのは……山崎門出。間違いない」

 それは私にとっても岸辺君にとっても、そして山崎門出自身にとっても衝撃的だった。

「戯言を……そんな訳ないじゃん。何で私が私の計画にトラブルを起こさなくちゃあいけないのさ」

「そんな事ぁ知らねえよ。でも間違いなくあの時聞いた声はお前のものだ。それと……これは今偶然思いついたことなんだが」

 妍治はそう続けて、ジャケットの胸ポケットから、一通の便箋を取り出した。

「それって……」

「ああ。俺達に埠頭での出来事を予言した、あの手紙だ」

 『霧峰岬は殺される』。冠にそう記された、例の手紙。その手紙もまた、差出人不明の、この事件の謎の部分であった。

「これを書いたのもお前じゃあないのか?」

「なにさ、それ。私はそんなもの書いた覚えはないよ。下らないことで時間を稼ごうとでもしてるのか?」

 山崎門出は少し苛ついているようにも見えた。しかし、その手紙に見覚えがない事自体は本当のようだった。

「これは埠頭での事件を俺達に予告してくれたものだ。『霧峰岬は殺される。二十四日夕刻、場所は蒼浦埠頭第四倉庫 』……これを書いたのが誰なのか……そして俺達の密会場所に置いたのは誰なのか? もしかしてこれも山崎、お前なんじゃないのか?」

「……馬鹿じゃないの? さっきも言ったけど、私がわざわざそんなする事メリットがないでしょ。何で私だと思ったのさ」

「その手紙はヨォ? 僕達が夜な夜な会っていた場所、時間、僕達と岬ちゃんの関係を知っていた。そして岬ちゃんが鈴奴を釣る事、鈴奴が逆に岬ちゃんを釣ろうとしていることを知ってた奴にしか書くことが出来ねえんだよ。それに該当する奴は鈴奴、如月、そして山崎門出、お前くらいしか思いつかないんだが?」

「そ、その手紙がそもそも捏造でしょッ」

「妍治達があの埠頭で鈴奴の思惑を潰したのは事実だよ。その陰に手紙があっただけさ」

 山崎門出は分かりやすく戸惑っていた。私達の言っていることが概ね正しいと、彼女も頭のどこかでは察しているのだろう。明確な反論の道具が彼女の中には無く、今現状彼女は黙っている。

「ちょ、ちょっと……亜里堅さん、その手紙、見せてください」

 岸辺君も同様にすこし焦りながら、妍治へ手を伸ばした。妍治は何も言わすに彼にそれを手渡した。

「……な、なるほど。だからあの時亜里堅さん達が居たんですね。……そしてこの字……多分、門出の字だ」

「な……そんな訳ないじゃん。岸辺! 見せて! 持ってきて! 早く!」

 山崎門出は裏付けされていく事実を認めたくないがために叫ぶ。その表情は焦燥にまみれており、岸辺君の言葉が彼女にとってどれだけ重いものなのかが伺える。

「お、おい岸辺……」

「亜里堅さん……大丈夫です」

 鬼の表情をした吸血鬼に、無防備に近づこうとする岸辺君の肩を妍治が掴む。しかし岸辺君はそれを丁寧に払った。ここに居る誰よりも山崎門出に理解が深い彼が大丈夫だと言うのだから、私達はそれ以上静止することは出来ない。妍治は素直に手を放し、岸辺君の背中を見送った。

 岸辺君が山崎門出に手紙を差し出すと、彼女はそれをひったくる様に手にした。そしてそこに書かれた文字を読むと、彼女の顔に浮かぶ困惑は一層色濃いものになった。山崎門出は手紙をくしゃりと握りつぶし、そして戸惑いをぶつける様に破り捨てた。手紙を読んだ彼女以外の九人は、それぞれが私達を睨んだり、歯を強く噛み締めたりと多様な反応を見せていたが、みな斉しく不可解な現実に納得がいかないという感情を孕んでいた。

「確かに……私の字だ……私は紙を綺麗に折れないんだ……。どうなってんのさ……ありえない。ありえないよそんな事……」

 山崎門出はうつむき、手は熊手のように力んでいる。内股の四肢は、彼女の不安と受け入れ難い現実への抵抗を意味している。そんな彼女の様子を見て、岸辺君は振り向き、私の顔を見た。

「霧峰さん……この手紙は間違いなく本物なんですね?」岸辺君はあくまで確認だと、私に訊いた。

「誓って本物だよ。君には見せるのを忘れていたけどね」

 岸辺君はそうですか、と答えた。彼の顔には感情が見られなかった。彼は少し間を開けた後、山崎門出に一歩踏み込んだ。右腕を彼女の頭に腕を回し、ぐっと胸に引き寄せる。左腕は優しく彼女の背を包み込んだ。

 それは私が見た中で、最も美しい抱擁の所作だった。

「こうやってお前を抱きしめるのは初めてかもしれないな……。知らなかったぜ……お前ってこんなに温かいんだな」

 山崎門出は岸辺君の胸の中で何も言わなかった。他の彼女達の顔は依然変わらず、私達をしかと睨みつけたままだ。

 時間は無言のまま、この世界の全てを俯瞰するように静かに流れ続けた。その場にいる誰もが、まるで絵画の中の人物の様に動かず、自然さえも存在しないこの空間では、誰もが生きたままのマネキンとなっていた。私達は当然声を出すことも無く、ただ岸辺君と何人かの山崎門出を見ていた。それが動けない私達に出来る唯一の事だった。

「……止めて。私には岸辺に抱きしめられる権利なんてないんだ。私は岸辺と中原にひどい事をした……。優しくされるのはもう、ごめんだよ」

 山崎門出は唐突に、岸辺君の腕を引き離そうとした。女子高校生なりに細く健康的な手で、岸辺君の腕を掴む。しかし岸辺君が彼女を胸の内から離すことは無かった。

「俺達に過去の事を黙っていた事か? 馬鹿野郎。確かにショックではあったけど――」

「――違う。私はもっと……許されない事をしたんだ」

「許されない事?」

 彼女は答えなかった。岸辺君は自分から追及することも無かった。

 先程と同じように、誰もが死ぬ静寂の時間は訪れた。それは山崎門出の緊張の体現の様に感じられた。この世界自体が彼女の血脈の一部であり、ただ静かに、その時をじっと草影で待つように、確かに時間だけを流し続ける。この空間そのものが彼女と彼女を受け入れる岸辺君の為に存在しているような錯覚を受けた。

 そしてやはり同じように、その静寂を断ち切ったのは山崎門出だった。いや、正確には岸辺君に抱きしめられていない、孤独な九人の彼女達。

 まるで宙から吊るされた傀儡の糸が切られたように、一斉に彼女達は倒れた。一瞬の差もなく、彼女達から力は抜き取られ、その体は地面に倒れた。四十数キログラムの肉体が地面に落ちる。私達三人はさすがに動揺したが、やはりそこから動くことは出来なかった。私達は悲劇の観客の様に、岸辺君のいるステージに上がる事は出来ず、静寂の中でその結末を見守る有象無象へと変貌していた。

 岸辺君は山崎門出をいっそう力強く抱きしめた。それは彼の無言の心配であった。

「……岸辺。高校生の子を持つ親がさ、上京したいって子供を素直に送り出すと思う? 特に優秀でも、目的がある訳でもない高校生をさ、寮も無い高校に入れる事を……普通の親が許すと思う? いくら仲がいい友達二人と一緒だからといっても……子供だけでの上京……許す訳ないんだよ」

「ど……どういう事だよ門出」

「あんた達の親さ……もうしちゃってるんだ……ずっと……ずっと昔に。……”眷属”に」

 鋭利なナイフで切り裂いたような空気がその場に走る。岸辺君と中原君の親御さんが、すでに山崎門出に人ならざる者にされている……。十五六の子供にとってそのショックがいかほどのものか、私には想像が出来なかった。似て非なる感覚しか私は持ち合わせていないからだ。

 岸辺君はやはり何も言わなかった。彼女を胸に抱いたまま、何も言わずにその場から動かなかった。心なしか足は震えているように感じた。そしてそれを決して悟られまいとしているようにも思えた。憶測ではあるが、彼は今、自身の心境の波を鎮める事よりも、山崎門出の精神的支柱としての岸辺雪を安定させる事を優先しているようだ。

 岸辺君はより一層彼女を強く抱きしめた。

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