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Ace of thin ice  作者: 小鳥遊
吸血鬼編
26/32

永久に終わることのない告白①

 俺は意味もなく走っていた。何が目的か、俺は渋谷に向かって全速力で走っていた。どこに向かうのか、何がしたいのか。まるで獅子から逃げる荒野の野生動物のようであり、あるいは雑魚を食らわんとする鯱のように、俺はただ何かを求めて走っていた。ただし、俺の目的は不明瞭な漠然としたものでしかなかった。深海の暗闇の中で、その何かであり何でもないものを手で探っているのだ。それ以上でもなくそれ以下でもなかった。

 渋谷に行くと、平日の午前中だというのに多種多様な人間達がそこに居た。それは以前ショウウインドウ越しに見た人々と何も変わらなかった。強いて言えば無個性なスーツに身を包んだ男性が多いくらいだった。しかしあくまで極彩色の街並みが、俺の目に痛々しい程に飛び込んできた。騒々しい色々や様々が、私達はここに居るのだと、生命を振り絞り叫んでいた。

 その普段見慣れたはずの強烈な光景を目にしたとき、俺の中にすべき事がハッキリと分かった。根拠など全く無かったが、世界の霧が一斉に晴れ、一筋の道が見えたように感じた。

 俺は晶に会わなくてはいけない。

 それが俺のすべきことなのだとハッキリと理解した。その目的は俺が設定したものではなかった。神のようなものが決めた運命ともまた違った。俺の人生という一つの道の、細分化しない大きな道だった。そしてそれは転がる岩の傾斜をさらに急にするための、絶対必須の条件だった。

 俺は神泉にある廃病院へと走った。昼に見ても少しおどろおどろしい、ある種風格のある建物だった。その病院の入り口には、俺がここに来ることを分かっていたかのように晶が立っていた。俺は何故ここで立っているのかと訊いた。彼女はなんとなくここに居なくてはいけない気がしたから、と言った。俺がすべきことは分かっていた。俺は彼女の手に触れた。そして、再び『妖精の草原』の事を考えた。それがあの地に行くための条件なのだと、誰に教えられたでもなく感覚で理解していた。


 彼らがこの世界に現れたのは、二人の山崎門出がいざ私や妍治に襲い掛からんとするその時だった。

 仲良く瑞樹さんと手をつなぎ、岸辺君は二番目に死んだ山崎門出の傍に立っていた。彼はまるで理解出来ないというような顔をしていた。その姿を確認した山崎門出の動きも止まった。そのおかげで、私は一旦彼女達から岸辺君の居る方向へ距離をとることが出来た。それは妍治も片桐も同じようだった。

「か……門出? 何してんだ……こんな所で。そんなに増えて……どうなってんだ? 門出……おい、門出。なにが起こってる? 門出。なあ、門出。なんでドルルーサと戦ってる? お前って……そんなに沢山いたっけか?」

 岸辺君はこの光景を見て、虚ろがかった目をしていた。それはおそらく少年のこころのキャパオーバーが示す当然の現象だった。

「き、岸辺……」山崎門出もまた、移ろう目で彼を見た。そして観念するように言った。

「嫌な予感はしてたんだよ。あんたが教室から出て行った時……ここに来てしまうんじゃないかって。私の嫌な予感はよく当たるんだ。最悪だよ。もう」

「そうだ門出! お前教室に居ただろ!? ここに居るのはなんでだ? いや……それよりも! 何なんだよこの状況! どうなってんだ! 何が起こってんだよ! 説明しろ!」と岸辺君は吠えた。

 彼の情緒は計り知れないほどに不安定だ。彼が叫ぶことには何の違和感もない。それよりも不思議な光景が目の前に広がっているからだ。私はこの異常な状態にすでに慣れてしまっていたが、そもそも人間は一人しかいない。それが今のこの空間ではどうだろうか。同じ人間が八人いて、二人は死んでいる。しかもそれは彼の親友なのだ。気をおかしくしない方が不思議というものだ。

「岸辺君……君には言うべきか言わないべきか……迷ったよ。君の気付かない間に事を済ませ、君の前から姿を消すつもりだった」

 その私の言葉には嘘偽りは無かった。私達は本当に、彼の日常から居なくなるべきなのだと思っている。

「山崎門出もその意見には同意してくれた。彼女も君にはそんな姿、晒したくなかっただろう」

「聞いてねえっすよ……霧峰さん。門出が? まさか……ハハ。そんなわけないだろ。こいつはただのオカルトマニアだ。バカで……バカみたいに明るくて……たまに鋭いこと言ってみたりするけど……俺と中原と三人で……ずっと一緒に居たんだ。なあ、おかしいぜこんな状況。こいつが吸血鬼……? それも……主格犯? そんなわけないだろ」

 岸辺君は山崎門出にすがる様に聞いた。

「悪いね……岸辺」山崎門出はバツが悪い風に答えた。岸辺君の顔に走る絶望がより一層色濃くなった。

「何でだ……? いつからだ? 俺らを騙してたのか? 吸血鬼、だったのか? 新島も佐倉も……鈴奴もお前が原因だったのか?」

「新島達は……あんたを襲わせない為に殺したんだ。新島の血は私が返してもらって……人間のそれに変えておいた……。あんたが襲われないためだったんだ」

 山崎門出はうつむき、そして奇妙な沈黙を生んだ。

「ドルルーサ……一時休戦だよ。話すよ……全部」

 山崎門出は少し戸惑った後、そう言った。その言葉は信じるに値すると判断した私達は、戦闘態勢を解き、岸辺君の元へと寄った。その場にいた六人の山崎門出の内、五人は二つの死体を抱え、出て来た時のように山崎門出の影の中に消えていった。そこに残ったのは、禍々しいオーラの消えた女子高生、山崎門出ただ一人。

「この世には三種類の生物がいる……。普通の生物、妖精、そして人為的に作り出された生物――『異物』」山崎門出はぼそりと、言葉を一つずつ慎重に選ぶように話し始めた。

「私の父は科学者だった。理研に勤め、その中でも随一の頭脳を誇る、誇るべき父だった。家庭はあまり顧みない父親ではあったけど、家族に対する愛をお母さんも私もちゃんと感じていた。他よりはほど大きい家を構え、その中で三人で暮らしていた。土地だって恵まれていた。治安は良かったし、裕福な家々が並び、秋になれば隣家のカキの実を小鳥たちが食みに来た。私はその土地と、そして我が家が大好きだった。父の書斎には山のように本があった。まるで図書館の一角のように、理化学以外の本も多種多様に取り揃えられていた。幼少期の頃の私には、(もちろん絵本以外は読めなかったけど)その無限にも見えた本たちが遊び相手であり、教師だった。私達の家族は一般的に見て幸せな家庭だった。お金には困らなかったし、お母さんの愛に育まれ、父の深い父性に包まれていた。

 だけど、そんな幸せな家庭も長くは続かなかった。お母さんが殺されたんだ。強盗に入られ、抵抗の末に腹を刺されて死んでしまった。私が五歳の頃だった。後に知ったことだけれど、犯人は黒い世界と繋がりのある人間だったから、その事件自体が闇に葬られた。私は漠然と理解していた、母が死んだという事実に泣け暮れた。ショックを受けていたのは当然父も同じだった。その事件を機に、父は変わってしまった。家の研究室に籠り、一人何かの研究に明け暮れる日々だった。私は家で一人放置され、ぽっかりと開いた心の空白は書斎の本を読むことで埋めようとしていた。当然当時の私には到底理解できるものでは無かったし、そもそも文字すら読めてはいなかった。だけど、その中の一つ。数多の本の中に、やけに一つ、不思議な存在感を放つ本を私は見つけた。私は脚立を使い、隠すように置かれていたその本を手に取った。その本は本というよりかは、誰かが書いたレポートを一冊にまとめたもののようだった。種類の違う紙にびっしりと文字が書き込まれ、それを紐でくくり、赤い皮の表紙で飾った本だった。そこには『妖精に関する記述』と書かれていた。何故かその本の文字だけは、五歳の私にも難なく読めた」

「『妖精に関する記述』と書かれた本……?」

 片桐が眉をひそめた。彼には何か思い当たる節があるようだった。しかし、山崎門出はそれに反応することなく話をつづけた。

「その本には妖精についての全てが書かれていた。『妖精』の定義、人間世界との関わり、その歴史。手書きの本だったから、何を書いてあるのかが分からない部分もあった。でも、とにかく妖精については事細かに書かれていた。あくまで言うけど、私にその文字を読む事は出来ていなかった。その文字は記号として私の中に滑り込み、そして刻印を打つように一つずつ確かに染み込んでいったんだ。

 『妖精』は『妖精界』の住人。『妖精』は人間の歴史に遥か古代から寄り添ってきた。時には人間にとって善行を働き、多くの場合は悪行を働く。ただしそれはあくまで人間にとってであって、妖精からすれば、ただの悪戯に過ぎないなんてことも多い。妖精は悪戯が生きがいなんだとそこには書かれていた。人間世界にすむ妖精の生態についても、分類ごとに詳しく書かれていた。人間の家畜を食べるもの、草を食み水を飲み生きるもの、空気中の成分を摂取するだけでいいもの。様々について、まるでそれらと親交を深め、観察して書かれたようだった。私はその本を読み耽った。母親を失った子供は、その心の空白を埋めようと、必死に別の何かに没頭するんだ。子供、特に幼少にとっての母親の存在は、半生の大部分を占める大きな大きなものなんだ。それは他の何かを代替にすることは出来ないんだ。当時の私はそれに気付くことも無く、ただ目の前の文献を読むことに没頭していた。

 妖精について書かれた本は、まるで魔法のように私の心を鷲掴みにして離さなかった。それは私の防衛本能――あるいは逃避行動――なのか、それとも本当にその本には何かしらの魔力が込められていたのかは今でも分からない。ただ私は朝も昼も、寝る間を惜しんでそこに書かれた文字を追い、理解しようとしていた。私が睡眠を取ったのは、か弱い精神力に限界が来た時だけだった。何者かが私の意識の幹を掴み、根元からごっそりと奪い取っていくんだ。そして私は目が覚めるとまた本を読んだ。父はご飯を用意はしなかったから、私は何も食べずに妖精についての理解を深め続けた。そして私も食を必要とはしなかった。私にとっての最大の優先事項は、赤い皮で括られた分厚いレポートを読み明かす事だった。

 そしてその時は来たんだ。それは私がその本を見つけて(多分)四日目の事だった。私の肉体は当然の如く疲労の果てに衰弱し、次に意識が刈り取られようものなら私はきっと二度とは戻ってこれない、そんな状態だった。本は九割ほど読み終わっていた。

 朦朧とした意識の中で、私は見た事のない女性の姿を確認したんだ。中世ヨーロッパの貴族のようなドレスを着て、腰まで届く綺麗な金髪だった。蚕の繭のように白い顔には、しわ一つ存在しなかった。まるで絵本で見た、魔法のかかったシンデレラのような、高貴で完璧な淑女だった。その顔つきや佇まいから、年は三十半ばに思えた(しかしその時点ですでに私は、彼女が実際には三十半ばではない事、そして彼女には年齢なんてまるで無意味である事を悟っていた)。

 彼女は父の書斎の一角で、まるで私に見つけられることを待っているかのように佇んでいた。私の家の中には父と私しかいなかったし、女中なんてもちろん雇っている訳がなかった。だけど私はその女性がそこにいるのは至極当然のことであると理解していた。朝になれば太陽が昇り、夜になれば沈む。それくらい当たり前の事なのだと。本棚にもたれかかる様に座っている私から見ても、彼女はひどく弱っているように見えた。彼女の血色は良かったし、呼吸も正常そのものだった。それでも彼女は、死を寸前に迎えた荒野の肉食動物のようにギラギラとした目をしていた。私も彼女も生の淵から踵を浮かしている状態だった。そんな彼女は、栄養の失調で細くなった私の四肢を、品定めするようにまじまじと見つめていた。そして彼女は私の元へとゆっくりと歩き、近づいた。舐める様に滑らかに、そして悪戯をする時のような僅かな邪悪さを抱えながら、彼女は私の元へたどり着いた。

 彼女は私の耳元で、私は吸血鬼なのだと言った。私は特に驚かなかった。彼女のもまた、赤い皮の本に姿そのままに記されていたから。そして彼女は次に、彼女がもう死ぬ事を私に伝えた。最後に、私に吸血鬼の力を継承すると言った。彼女曰く吸血鬼とは、脈々と受け継がれる妖精の類であり、その次の後継者に私を選んだようだ。理由としては、私が妖精への理解を示し、そして彼女――吸血鬼――の血が求める憎悪……絶望……怨恨。私にはその素質があるとの事だった。私は当然それを断固として拒否した。とは言っても、私がその時した拒否行動は、嫌だと口にしただけだった。それが弱り果てた私にできる最大の抵抗だったからだ。私は吸血鬼なんかになりたくは無かった。私の中に負の感情があるのは理解していた。それはお母さんの死、その犯人、育児放棄をした父(それでも私は父を愛していたが)に起因するものだった。それでも私は吸血鬼になってまで生きながらえる事より、このまま死を選びお母さんの元へと行きたいという考えが勝っていた。しかし私のささやかな抵抗は当然吸血鬼の行動を変える事は無かった。吸血鬼は動かない私の首元にそっと牙を立てた。そして彼女は私のナカに何かを注入した。サラサラとした清らかな水のように感じた。恐ろしいのは、彼女の歯が付けた傷も、体内への異物の混入も、一切の痛みを伴わなかった事。むしろ快感だった。体中の組織が書き換えられていく感覚。文字だらけになったノートのページをめくる感覚。綺麗に並べられた本棚を崩す感覚。並べている途中のドミノを倒す感覚。そんな破滅的といえる心地よさを私は味わっていた。私に何かを注ぎ込む吸血鬼の肌はみるみるうちに萎み、しわくちゃな和紙のように変わっていった。

 そして次に私が目を覚ました時。私の体は私のものでは無くなっていた。……といっても、私の意志で手と足は動いたし、精神は非常に落ち着いていた。手に持っていた赤い皮の本は何処にか消えていた。それと同じに、吸血鬼の姿もそこにはなかった。本は彼女がどこかに持って行ってしまったと思った」

 彼女――山崎門出――はそこで一度話を区切り、大きく息を吸った。

「かくして私は吸血鬼になったんだよ。岸辺……黙っていて本当にごめんね。出来れば一生隠しておくつもりだったよ」

「じゃあ俺達が出会うより前から。お前は吸血鬼だったのか? 初めから……俺と中原はずっと騙されていたのか?」岸辺君は震える声で訊いた。

「そういう事になるね……そして私の話にはもう少しだけ続きがあるんだ……良かったら聞いてほしい」

 山崎門出は岸辺君の目を見て言った。彼は何も言わずに頷いた。

 彼女の独白はまだ続くようだった。ドルルーサの私達には話す気が無かった事らしいが、岸辺君へは告白したい様だった。常々、彼は状況を変える力があるようだと私は思った。

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