明けの星、暮れの太陽
「準備は出来たね」
私の問いに妍治は頷くことで応えた。
「はづき、例の物は出来てる?」
「ええ、出来てますよ。作るのに一週間もかかってしまいましたけどね。ハッキリ言って面目ないです」
はづきは私達の前に茶色の紙袋を差し出した。紙袋の中から出てきたのは三丁のダブルアクション式短銃。見た目は普段携帯しているものとほぼ違いないが、これはわざわざはづきに作ってもらった、私達の切り札だ。
「仕事はむしろ早いくらいだよ。急な注文だったのにありがとうね」
はづきは照れ臭そうに笑った。
私達が『妖精の草原』に行ってから一週間。スマイル製造の犯人はすぐに特定できていたが、私達は吸血鬼に対して明確な対抗手段を持ち得ていなかった。鈴奴の時のようにいけばよいが、今回対峙する相手はおそらく、鈴奴の言う”主”。対策は十二分にしといおいて損はないだろう。吸血鬼に対する明確な対抗手段、それがこれだ。
「時間が足りず、弾は六発しか作れませんでした。片桐さんにも渡してください。使い方は普通の物と同じです。当て方も同じ。これで私も仕事からしばらく開放ですかね?」
「いや……もうしばらく働くことになるよ。はづきも妍治も」
私はそう言って拗ねるような顔をしたはづきを見た。
「……妍治、煙草を一本くれないかな」
「あん? 煙草は止めたんじゃなかったのか?」
「こんな時くらいいいさ」
私は妍治からマールボロを一本貰い火をつけた。
煙草を吸うのは何年ぶりだろう。もう覚えていない。
久々に吸った煙は私の肺を満たし、脳を巡り、体中に染み渡った。嫌いな感覚ではなかった。
それじゃ行ってくるよとはづきに言い残し、私と妍治は本部を出た。
これからいよいよ元凶に会いに行く。そこから先をどうするかは決めていない。私は『――』の目的を知らないからだ。『――』が何をしたいのか、その態度によっては、どちらかが命を落とすことでしか解決できない問題かもしれない。とにかく、事件の解決方法は照らされている。あとは完遂させるだけだ。
私達は片桐と落ち合い、先程の銃を渡した。片桐にも当然『――』の名前は伝えてある。彼の性格的に、教えてしまうと一人で勝手に行動してしまうのではという懸念もあったが、流石に片桐といえど今回の事件の重大性は理解していたようだ。この切り札の完成まで動きは見せなかった。腕に付けた時計は午前八時二十分。片桐と三人、準備を終えた。
そして私達はとある場所へ向かった。今だ謎のままの謎全ての回答を見つける為に。
その日は朝から妙に胸が騒ぐ一日だった。
『妖精の草原』に行った日から、霧峰さんからの連絡は一切なかった。教師と生徒として彼女に会う事も無かった。霧峰さんはなんの挨拶もなく聖ストゥルヌス高校から姿を消していた。あまりにも自然に居なくなっていたため、あれだけ人気であったにもかかわらず、彼女の存在が無くなったことに気が付いていない生徒も多かった。英語の担当は本田先生に戻っていた。
とにかく、霧峰さんからの連絡は来ないのだ。スマイルを材料である血液――その持ち主の特定がまだ出来ていないからなのか、はたまた俺にはその正体を教えないつもりなのか。霧峰さんに電話もかけてみたが、彼女がその着信に反応することは無かった。だから理由が後者であるという疑念は当然増していった。それでも、俺から何かアクションを起こすことはできず、ただドルルーサからの連絡を待つしかないのだ。
「おっす、おはよう雪。今日も辛気臭え面してんな」
教室の門をくぐるなり、中原に罵倒される。こういう日はきっといいことが起こらないのだ。大体お前だってしけた面してんじゃねーかといおうとしたが、こいつはうーむ、中々に整った顔だ。ムカつく。イケメンが。
「岸辺ってホントにモブみたいな顔してるよね。エキストラAとか、そんな感じするよ」
「うるせえなあ、なんだよ朝っぱらから。今日は俺罵倒の日か? かわいそうだぜ俺」
下らない、いつもの会話の中、俺の胸騒ぎ――腕を伸ばしたら掌が見えなくなりそうなほど深い霧――が俺の体の中を満たしていた。ただしそれは言葉にするにはあまりにも不透明でぼんやりと存在しているモノであった。
「なーんかほんとに岸辺大丈夫? なんか死にそうな顔してるけど」
「だよなあ。最近ずっとそんな感じだぜ。なんかあんのか?」
「え? そうか? 別に大丈夫だよ。なんだ門出がUMAの話以外口にすると気持ち悪いな」
そんな俺の様子を門出と中原は見抜いていた。
俺の心の一物を彼らは察知していた。俺はそれがうれしかったが、それを隠していることに妙な後ろめたさを感じていた。「なんだよー!」と門出は頬を膨らませ起こる様相を見せた。俺は非常に癒された。
そんないつもの朝の風景の中、教室のスピーカーから、教師の事務的な音声が流れた。『1-Cの山崎門出さん、職員室まで来て下さい。繰り返します――』それは門出を呼び出すアナウンスだった。
「え? なんだろ。いやだなー。なんかやらかしたかな」
「おいおい、門出は雪以上に成績悪いからな。そろそろ退学じゃないか?」
そのアナウンスは俺の中の形容しがたい胸の騒めきをさらに大きくした。中原達の軽口は、まるで水中から聞く波の音のようにぼんやりと遠くに聞こえた。「じゃ、行ってくるよ」と門出は出て行った。
私達は『――』と接触した。私達が『――』の正体に迫っていた事を『――』は特に驚かなかった。むしろ、如月から聞いていたので覚悟はしていたと言った。そして『――』は思っていたよりもずっと私達に対して害悪な人間――吸血鬼――では無かった。ちゃんと出会う事は出来たし、その場で暴れだすような事もしなかった。ただ、私達は『――』の目的を知る必要があり、そして止めなければならないので、詳しく話をしてもらう事にした。『――』はそれも拒否しなかった。吸血鬼なりの自信というものがあるのだと思えた。
そして私達はもう一度『妖精の草原』に赴いた。
SHRの始まる直前に門出は帰ってきた。「提出物出してなかった! そんなの放送しなくてもいいよねぇ?」と憤っていた。それは俺もそうだと思った。ものの十分で終わる話の為に、校内放送する必要あんのか? という疑問は当然俺の中にも中原の中にもあった。まあ、そういうところも我が聖ストゥルヌス高校の特徴……もとい変なところなのかもしれないな。
なんて思いつつ、俺は背後から、中原の適度にカールのかかった髪を見ていた。胸中に蠢く得体のしれない靄は未だ晴れないどころか、より一層その灰色を濃くしていた。
妖精の草原には、以前と変わらず燃えつきた機械が転がっていた。
「それにしてもだよ。君みたいな人間がこの事件に絡んでいるとはね。それもかなりの重要人物だったなんて。以前会った時は全く気付かなかったよ」
「私だってさあ、あんた達にここまで知られるとは思ってなかったよお。ホント如月、使えない奴」
「たまたまの偶然さ。運が私達を君の元に運んだんだ。さあ、色々聞かせてもらうよ。」
『――』の丸眼鏡がきらりと光った。
「覚悟は良い? 吸血鬼――いや……山崎門出」
*
「まず単刀直入に聞こう。君の目的はなんだ? スマイルで吸血鬼を増やし、君は何がしたいんだ?」
「へへ~、単刀直入だなあ? それを話す前にあんた達が知らないことを、まず教えてあげなくちゃあいけないっすよ」
「ありがたいね……。そうやって素直でいてくれると、無駄に血を流さなくても済むかもしれない」
「まずだよ。この世界に三種類の生物がいるんだ」
「三種類?」
「うん。まずは普通の生物、この世界で種族を問わず生を受けた、聖なる生物。人間だとか、犬、猫、蛇、鳥、草木や微生物。大半がこの世界を占めてるんだ。次に妖精。あんた達ももう知ってるだろうけど『妖精の世界』からこの世界に入り込んだ、純不純の生物。彼らは各々自分のやりたい事だけをやる、自己中心的な生物。妖精の数はどんどん増えている。加速的にね」
山崎門出は私達の目の前を円を描くように歩きながら言う。彼女の精神状態はいたって落ち着いて感じられた。まるで焦っていないように感じられた。
「そして最後に、『異物』だ」
「『異物』?」
聞きなれない単語に、妍治が反応する。妖精とはまた別の意味を孕んだその言葉は、当然私にとっても初めて聞く言葉(この場で使う意味として)だった。
「『異物』は、この世界における不純な存在。人為的に作られた生命体だとか、元人間の吸血鬼――スマイルのユーザーはこれに当たる。私の目的は、この不純の存在、『異物』を増やす事なんだ」
「質問の意図をよく理解してねえみてえだナァー、クソガキ。岬ちゃんが聞いてるのはそういう事じゃねえ。その『異物』……増やしてどうするか? 聞いてるんだぜ」
山崎門出は片桐の言葉を聞くと、ぴたりと歩くのを止めた。空手の所作のような、綺麗な緩急だった。彼女は私達の顔を見比べ、そして少し笑った。嘲りを含んだ、小馬鹿にした笑いだった。
「そうだよねえ。やっぱりその先、気になるよねえ」
不穏な空気が流れた。私は無意識に少し身構え、彼女の反抗的な部分に対抗する準備を整えた。山崎門出は再び歩き出し、今度は私達から離れ、今は亡き機械の方へと向かった。私達三人はそれを止めようとはしなかった。ただ、彼女の動き一つ一つに神経を研ぎ澄ませ、まずは観察の期間としていたからだ。
「でもさあ、私としてはだよ。ここまでやって来たんだ。苦労の日々があったわけさ。あーあ、こんなになっちゃって。頑張って作ったのになあ」
山崎門出は黒く煤の塊となった機械を優しく撫でた。まるで我が子を愛おしむ母親の愛撫のようだった。
「私の目的をさ、赤裸々に話せばさ、あんた達は私を止めるでしょ。それはもう許せないんだよね。私を止めようとするのなら、私はあんた達を殺す。そうなれば私の目的を知るものは(如月を除いて)私だけになる訳だよ。それなら……話す意味なんて無いよね。手順は省略しようドルルーサ。計画を邪魔しようとするあんた達と、遂げようとする私。分かりやすい構図さ。相容れないなら……肉食だよ」
「やっぱりそうなるんだね……。いいよ、付き合ってあげるよ。ただし、私達が生き残った暁には、君の全てを吐いてもらう。今度こそ、洗いざらいね」
山崎門出との距離はおおよそ十メートル程。臨戦体勢を取る私。もちろん妍治も――と彼を見ると、妍治は何やら心ここにあらずといった風で、何か深い深い記憶を探っているように見えた。
「ちょ、ちょっと妍治。なにしてんのさ」
「あ……悪い。大丈夫だ、問題ない」
少し気にはなったが、妍治はすぐに体勢を整えたので、彼の言うように問題はないのだろうと判断した。片桐はいつもの如くポケットに手を突っ込み、余裕綽々だというような様子だったが、彼のスタイルなのでこれも問題なし。
そうして構えた私達を前に、山崎門出も”その力”を解放した。
一限目は終わり半ばの休みの時間だった。胸騒ぎは段々と吐き気へと昇華していった。内臓をムカデが這いずり回っているような感覚。一時限目は現代国語の授業だった。今日はいつも以上に身が入らなかった。俺は体中がうずき、何かをしなくてはいけないという気分になった。それは退屈な授業からの逃避感情だったのかもしれない。だがその時俺は、こんな所にいる場合じゃない、俺には行かなくてはならない場所がある、という根拠の無い絶対的な意思が芽生えていた。たまらず俺は席を立ち、荷物をまとめた。どうしたと聞いてくる中原に、俺は気分が悪いから帰ると言った。嘘では無かった。
俺は自分が何をしたいのかも分からず、教室を出た。その時、俺の腕を掴む人がいた。門出だった。どうしたのと門出も中原と同じように尋ねてくる。俺は同じように帰ると答えた。門出は手を放さなかった。ある種の必死さを感じた。だが、俺はその門出の違和感以上に、何かをしないといけないという強迫観念に憑りつかれていた。俺はその手を引き離し、学校から逃げた。七月手前の照りつける太陽がまぶしかった。
吸血鬼へと力を顕現させた山崎門出の見た目は、明らかに異質だった。いや、姿には何も変化はない。ただ彼女の周りの空気――雰囲気――は私が過去に感じたことのない禍々しいものになっていた。色で表すのなら黒。彼女の周りを纏わりつくように存在する質量の無い外套のようだった。スカートで抑えられていたシャツは自由の身になり、彼女の下腹部ではためいている。彼女の大きな目はメガネの下で紅蓮に光り、しかと私達を射抜いている。ピリピリと弾ける感覚が首筋を突き刺すように撫ぜた。それは彼女の持つ圧倒感が引き起こす、警戒の証だった。
「悪いけどあなた達は殺す。命を懸けてかかってきてよね」
彼女はそう言うと、私との距離を一気に詰めた。私がそれを理解できたのは、私の首筋に彼女の牙が立てられた時だった。
「うっ……」
彼女に噛まれれば、吸血鬼になるのか? なんて意識が生まれ、私は彼女の顎を拳で叩いた。本気で殴ると、彼女は私の首筋から離れ、距離をとった。私の血は間一髪、吸われてはいなかった。
「惜しい……もう少しで眷属に出来るところだっ――」
山崎門出が喋る途中、片桐が背後から彼女の首に蹴撃を与えた。身長差のある片桐の足技は、門出の頭をそのまま地面に叩きつけれた。並みの人間、いや吸血鬼であれど即死する程度の衝撃が、確かに彼女の頭には与えられた。
しかし彼女は地に伏した勢いを活かし、バク転のような動きで、逆に片桐を蹴り返した。それを片桐は腕で防ぐ。足は蹴り上げられたまま、二人は一瞬膠着する。
「おお、黄色かァ。カワイイじゃん。女子高生っぽくてさァ」
「冥土の眼福……だよッッ!」
山崎さんが次いで蹴りを繰り出す。それも防いだ片桐だったが、今度は彼の体は宙を描き、二十メートルほど先にある培養器のガラスをさらに砕いた。
「全く……喋ってる途中じゃん。こういうのってちゃんと棒立ちで聞いてくれなきゃダメでしょ?」
彼女の反撃は、大の大人以上の体重を持つ片桐をあの距離まで吹き飛ばした。吸血鬼の身体能力は人間のそれを遥かに凌駕することは鈴奴からも学んでいたが、山崎門出はそれをさらに大きく上回っていた。
「うーん、それにしても。今の感触。その重さ。そして彼、死んだどころかピンピンしてるでしょ? 良く分からないね」
全くダメージが入っていないのは山崎門出も同じことであった。血どころか傷一つついていない。けろりとした顔をしている彼女に、今度は妍治が殴りかかる。山崎門出はそれを避けず、顔面で受け止めた。妍治の力もまた、一般男性からは並外れたものであるにもかかわらず、彼女は微動だにしなかった(かけていた眼鏡ははじけ飛んだが)。彼女は何も言わずに眼鏡を拾い、ガラスにふぅっと息を吹きかけた。そしてそれをかけなおし、妍治の方を見直した。そして「生ぬるいなぁ」と言った。
「”殴る”ってのはこういうことを言うんだ……っよ!」彼女はそう言いながら(私の時と同じように)妍治との間を一瞬のうちに詰め、そして妍治の腹を殴り抜けた。腰も入っていない、てんで素人の殴り方だ。それでもやはり妍治の体は大きく後方に飛ばされ、呻きを上げた。片桐も妍治も特殊な戦闘訓練を積んでいるのに、圧倒的な彼女の力はいとも容易くそれを踏みにじった。山崎門出は妍治がダメージを負いながらも、二本の足で立っている事に不思議そうな顔をしながら、今度は私を見た。その目はまるで蟻を踏み潰すときの子供のように無邪気で、そして邪気に染め上がっていた。彼女は(当然ではあるものの)私達を本気で殺そうとしている。そしてそれがあくまで簡単な作業であると、彼女が確信しているのを私は悟った。
私は懐の銃に手をかけた。これはもう私達の格闘能力ではどうする事も出来ない。明確な差があるのだと理解したからだ。それは妍治も同じだった。おそらく、少し離れたところに居る片桐も同じ考えだった。
はづきに作らせた特製の短銃。見た目は普通のものとそう変わらないが、特性は弾にある。ただの鉛玉とは違い、この銃弾にはヴリコラカスの機能を停止させる効果がある。これが体を貫けば、直ちにその吸血鬼の血液中のヴリコラカスは死滅する。普通の吸血鬼ならその瞬間に命を絶ってしまう。街中で使うには幾分リスクが高いが、ここではその問題はなさそうだ。むしろ問題は、これが吸血鬼に当たれば即死してしまうところにあり、何かを聞き出せるような状態にはならない事だ。しかし、この状況はそんな事も言っていられない。私はホルダーから銃を取り出し、彼女に向けた。
そもそも当たるのか? 当たったところで彼女の体を弾丸が貫くことが出来るのか? そんな不安を抱きながらも、私は彼女に向ってトリガーを引いた。
「ぐっ……?」
一発の発砲音の後、はたして銃弾は吸血鬼に命中した。彼女の体を弾は貫き、血の雫が垂れた。彼女ほどの反応能力を持っていれば、弾丸を避けることなど容易いだろう。彼女はただの銃だと勘違いしたのかもしれない。弱者に対する情けとして避けなかったのかもしれない。いづれにせよ弾は彼女の体に当たり、彼女の血液を順当に蝕んでいった。命中と同時に山崎門出は苦しみにまみれた呻きを上げはじめ、数秒のうちにその体を地に伏した。霞んだ喘ぎを漏らし、口から白濁した泡を吹き、やがて彼女の体は動くのを止めた。その反応は生命の音が消えたときのものだった。
私はもう一発、今度は普通の銃で彼女を撃った。彼女の体は衝撃で跳ね、そしてやはり動かなかった。私は妍治と、こちらに不機嫌そうに戻ってきた片桐とアイコンタクトを取り、山崎門出に近付いた。彼女の吹く泡には少しくすんだ赤が混じり、血の出る腕の傷は弾丸が空けた穴のまま塞がっていなかった。
「死んだのか……?」
「多分ね。悪いね。撃たざるを得なかったよ」
「仕方ないぜ岬ちゃん。こいつは圧倒的だった」
妍治が山崎門出の亡骸に触れる。彼女は糸の切れた操り人形のようにぐったりと、妍治の意のままに引き上げられた。
「どうするよ……何も分からないまま終わっちまっ――」
妍治が口を開いた時だった。
山崎門出が、妍治の顔に強烈な正拳突きをくらわせた。ただし、山崎門出は死んでいる。今しがた妍治を殴りつけたのは、彼女の影から現れたもう一人の山崎門出だった。死んだ彼女の”影”から現れた、もう一人の山崎門出。私が撃ち抜いた彼女が生きていた、それならまだ幾分か理解がしやすいが、私の前に現れたのは別の彼女だ。私の脳には鈴奴の姿が浮かび上がった。
迂闊だった――。
私と片桐は咄嗟に距離をとり、再び銃を構える。
山崎門出に殴られた妍治は顔への衝撃から、宙に弧を描き一回転した。妍治は受け身を取り、破壊されたサングラスを投げ捨てた。額には切り傷による血が流れていた。
「なにー? この弾。一人死んじゃったじゃんかぁ」
緊張感にそぐわないのほほんとした声で彼女は言った。まるで雨の日に車に泥をかけられて、文句を呟く女子高生のようだった。
「そうだったね……この世に同じ人間は一人……そんな常識に囚われている場合じゃないんだったよ」
「鈴奴の謎の事も、お前に聞けば話が早そうだな」
「ああ、鈴奴パイセンね。彼女は大層役に立つ娘だったよ。今の彼女はもう一般人……仲良くしてあげてね」
山崎門出の雰囲気は依然変わらず妖しいままだった。
「それでだ。お前や鈴奴が何故複数人いるのか、どうせ聞いても答えちゃくれないんだろうナァ?」
「んん、教えないでいいなら教えたくはないね」
「それならだ、お前は何人殺せばその余裕を無くすか教えてもらおうじゃネエか」
「それは教えたくない……ねっ!」
片桐の問答もそこそこに、再び門出が私へ向かってくる。今度は手を手刀の形にし、この身を貫かんと突き付けてきた。私は咄嗟にその手を躱し、彼女の腹部に左からの拳を打ち付ける。だが、彼女はそれに怯むことなく、私の顔に右の肘を叩きつけてきた。鋭く鈍い痛みが顔中に走る。全身の骨が軋むような衝撃、まるで超高層ビルをぶつけられたかのような錯覚に陥った。目の前がくらみ、それでも私は何とか体勢を立て直す。この吸血鬼は危険だ。生まれたての小鹿のようによろめき立つ。そんな私の様子を見てか、妍治の方向から発砲音が聞こえた。咄嗟に私は目の前の山崎門出を押さえつけ、その銃弾に当たるよう仕向けた。
「ぐぅッ!! くっそ! ぐううう」
無理やり命中させた弾丸に、山崎門出は再び苦しみ始めた。
今度は私もすぐに距離をとり、恐らくまた出てくるであろう次の山崎門出に備えた。まずいな、非常にまずい。私達の持つ弾は残り四発……。彼女が残り五人以上出てくるようなら、私達は果たして彼女を抑制することが出来るのか。
そんな懸念をよそに、死んだ山崎門出の”影”から、次の彼女が出てきた。一人、二人、三人。私は目を疑った。一人であれだけの脅威を誇る彼女が、今、目の前に三人。全く同じ顔が、三人いた。
「いやあ、ずるいよ三対一なんて。喧嘩でも相手が三人いたら逃げろっていうらしいじゃん? これで対等だよね」
そう言って、彼女らは同時に私達それぞれの元へ走り出す。何が対等なものか。正直言って、私達の力では彼女と良くて共倒れくらいだろう。彼女らの様子だとまだまだ山崎門出のストックはあるようだ。どうする。一度退散するか? それだけの隙を彼女が許してくれるか? などと考えながら、とにかく私は目の前の彼女の対処に力を注ぐ。だが、その肩の向こうに見えたのは、さらに現れる追加の彼女の姿だった。地面から飛び出し現れる、追加の三人。一人当たり二人の最凶の吸血鬼。彼女達はなにやら焦っているようにも見えた。ただ、そんな些細な感情の揺れ動きがあろうとも、彼女達の圧倒的な暴力性には何の変化もなかった。私は絶望した。
さらに増えた山崎門出が、私達のそれぞれの元にたどり着く直前だった。この私達しかいない『妖精の草原』に、ひとつの希望が差した。




