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Ace of thin ice  作者: 小鳥遊
吸血鬼編
21/32

打ちのめされるような衝撃

 ある時俺はふと思った。

 世の中の事柄とは、坂道の小石に引っかかった、転がる岩のようなものなのではないかと。大変な重量をもったそれ、あるいは羽のように軽いそれ。いずれにせよ、事象というのはほんの些細なきっかけ(衝撃)によって急激に速度を上げ、それを止める事は誰にもできず、ただその勢いが失われるまで転がり続け、一つの終着地点へと到達する。それが俺達のいう”出来事”なのだ。

 それによって生まれた様々な感情は、岩の表面が削った地面のようなもので、長い年月をかけ修復されたりされなかったりする。

 その岩を支える小石は時にいともたやすく蹴飛ばされ、そうすると人の道の上を岩が遠慮なく転げまわることになる。

 物事は突然に起こる。

 生も死も、出会いも分かれも、大宇宙の一瞬にて発生する。

 俺はそう、ふと思った。

 それは俺達が晶に出会った次の日の朝の事だった。


 俺は俺の周辺を取り巻く環境の変化に、ひどく違和感を覚えていた。

 あまりに急で、あまりに早い。

 激流の中で、必死に流されまいと大木に噛り付く俺の姿を想像した。鏡を見た時だった。


 晶の言う、妖精。

 彼女達は無意識のうちにこの地球に現れ、人に紛れ生きている。

 その存在は通常人には見えず、しかし例外的に、彼女達が”見られたい”と思った対象、もしくは妖精に理解のある人間は、その姿を認知できる。

 雪女や口裂け女(座敷わらしなんかもそうかも)は、目撃された妖精が伝承となったもの。彼女はそれを俺達に伝え、そして彼女に触れることでその事実を示した。


 物語は収束する。

 大岩を転がす坂道の傾斜は、際限なく急なものとなり、ある時思い出したかのように緩やかなそれへと変化する。そして岩は止まる。



 俺はその日も当然学校へ行った。

 前日の午後に何があろうと、学生は朝になれば学校へ行く。

 教室に着けば、中原と門出がご立腹のご様子であられ奉りました。

「岸辺! おい! おい! ひどいぞ!」

「そうだぜ岸辺。俺達は怒ってんだ。ブチギレってやつよ」

 理由はまあ、分かり切っている。俺は昨日中原と門出をほったらかして如月を追いかけた。そのことに対して友人が怒りをあらわにするのは当然の事と言えるだろう。

「ちゃんとLI●Eで謝ったろ。悪かったよ、急用が出来ちまったんだ」

「嘘だね! 岸辺に急用なんて出来るはずがない! 万年陰キャのボッチだろ??」

「そーだそーだ」

 くっ……。中原ならはまだしも、門出には絶対言われたくない言葉を……。だが事実は事実なのでくそお、言い返せないのだ。


「あ、そういえばさあ」

 門出が突然に話を変える。

 彼女はいかにも気まぐれに話を変える。

「岸辺さ、結局鈴奴先輩に会いに行ったの?」

 ドキリとする。

 俺は門出に頼み込んで彼女に会う事になった。門出を説得した理由は七不思議の話を聞くため。……だが実際、彼女は吸血鬼であり、浦芝埠頭で無残な死を遂げた。

 彼女は……しんだのだ。

 さて、ここでの問題は、門出になんと返すか? だ。うまい返しが思いつかない。

そもそも門出は鈴奴が死んでいる事を知っているのか? いや、知っているとは思えない。ドルルーサは人の死を隠蔽する組織なのだ。きっと彼女の死は、いつか誰かが気付くまで、当たり前のように宙を漂うのだろう。


「鈴奴ってあのヤバめの人か? 髪の毛赤い人。ギャルだろ? 何で雪が」

 中原が俺達に問う。

「こないだ私が学校の七不思議を教えてもらったんだよ。そしたら岸辺が直接話聞きたいって言うからさ、教えてあげたんだよ」

「えぇ? 雪もそっち行っちゃったのか……」

 門出がそれに答え、幸いにも話の中心は二人の間に展開された。

「そういえばあの先輩見てないなあ。かなり目立つ見た目してるのに」

 ドキリとする。それもそうだ。彼女を門出がが学校で見かけるはずがない……彼女は死んでいるのだから。

「今日は来てるかなぁ。また話聞きにいこっか! よぉし、いくぞ?? お前ら付いてこい!」

 そう言って門出は中原の腕をつかんで立ち上がった。中原は「うえぇ」と呻きながらも追従した。

「ほら、岸辺も! 何暗い顔してんのよ」

 彼女は爛漫な笑顔を俺に向けた。まぶしかった。

 俺は彼女の顔に陰が差す瞬間を見たくないから、門出について行きたくもなかった。

 だが俺は仕方なく腰を上げた。それよりも二人に、俺の様子が通常でないことを悟られたくなかったからだ。

 そうして俺は再び2-Bへ向かった。そこに何の意味もないと分かっていながら。



 鈴奴朱音という人間について俺はどれだけ知っているだろうか。

 彼女のクラスメイトや友人といった、親しい人間達が知っている彼女の一面を俺は何も知らない。しかしながら、俺は友人達の知らない彼女の一面に触れた。それは友人達が決して知り得ない、彼女の大きな部分だった。

 人間とは規則性の無いサイコロだ。

 それは吸血鬼だろうと同じであると思った。少なくとも、人間としての生活をしていた鈴奴はそれに当てはまっていたはずだ。

 彼女は人間であり、吸血鬼であった。



 そんな鈴奴は居た。

 2-Bに、はたして彼女は居た。いるはずの無い彼女がそこに居た。

 門出が教室の中の鈴奴朱音を見つけた瞬間、俺の体中から汗が噴き出た。感じたこともの無い悪寒と、名状の無い汗が首筋を伝う感覚が俺の内部からにじみ出ていた。

 繰り返し考えても、彼女は死んだ。彼女の死体を霧峰さん達は回収したと言っていた。おそらくそれはよく解析され、大切に保管されているのだろう。

 俺は俺の人生を転がる岩が加速するのを感じた。


「鈴奴パイセーーン! こんちゃーっす!」

 門出の声で振り向いた彼女は、やはり俺が生前見た鈴奴朱音その人だった。

 深い赤色の髪。周りは黒、明るくても茶色。その中で目立つ赤色。そして凛とした切れ長の目。何もかもが鈴奴朱音だ。

 声を掛けられた彼女は、以前俺が声をかけた時と同じ様に、気怠そうに近付いて来た。

「なんだァ? また変な話聞きに来たのか」

 にこやかに笑う門出、うんざりした様子の中原、脂汗に滲む俺。

 

 なんだ? この状況は。何故鈴奴が生きている? 霧峰さんが嘘をついていたのか? 彼女は実は生きていたとか。いや、ソレは無いか。霧峰さんが鈴奴の生存を隠したいのなら、彼女を学校に来させるはずがない。

 つまり……この事態はドルルーサにとっても予想外……そう考えるのが妥当かな? これは知らせるべき案件。

 しかし――

「いやあーパイセン。最近学校来てましたぁ? もっと面白い話聞かせてくださいよぉ」

「あぁーん? もうねえよ。それに前も言ったけど、アタシはこういう話クラスじゃしねえんだよ」

 門出と話す彼女は、俺への関心があまり無いように感じた。

 彼女が生き返ったにしろ死んでいなかったにしろ、俺繋がりで霧峰さん達と対峙したのだから、何かしらの反応があって然るべきだと思うのだが。

 しかしなぜだ? 彼女はまるで、俺を知り合いの知り合いを見るかのような目で見ていた。

 記憶……?

 覚えていないのか?

「あ、あの……鈴奴先輩? 俺の事、覚えています?」

 俺がそう聞くと、彼女は数秒固まった後、「ああ」と零れる様な言葉を漏らした。

それを言う直前、彼女の目は記憶の引き出しを漁るように考え、そして何かを受信したかのように震えた。

「覚えてるに決まってんだろ? オメーも話聞きに来たやつだろ」

「ちょ、パイセーン。絶対忘れてたっしょ! 岸辺ですよこのモブ顔! 岸辺雪!」

「うるせ。で、結局用は何なんだよ」

「別に用なんて無いですよぉ。最近見かけてなかったので」


 *



「――ってことがあったんですよ」

「鈴奴が? にわかには信じられないね」

 霧峰さんの反応は当然だった。昼休み、いつものごとく逢引をしている途中だ。

「後で見てくださいよ。いますから。確認したいんですけど、彼女の死体は回収したんですよね?」

「間違いないよ。隅々まで解析済みだよ。尤も、かなり損傷した状態だったけどね」

 そう言うと霧峰さんはおもむろに携帯を取り出し電話をかけ始めた。

「……あー、もしもしはづき? 鈴奴の遺体……そこにある? うん……いやそうだよね。とにかくだよ。……うん。ありがとう」

 霧峰さんの、ポッケトに携帯を入れるその無造作は少し苛立って見えた。

「彼女は確かに保管されてるよ。君が会ったその鈴奴は間違いなく本人だったのかい?」

「え、ええ……。あの日見た彼女の姿、そのものでした。見てみればわかりますよ。ただ……」

「ただ?」

「何というか、違和感のようなものはありました。僕の事を、かなり前に一度だけ会った知り合いのように見ていました。何というか、遠い存在のような、でも見たことが無いわけでもない、そんな風に」

「うん……。そもそもだ、彼女は死んでいる。それが生き返るなんてことはあり得ない訳だ。君が見たその存在が本当に鈴奴なのだというのなら、私達が保管している彼女が偽物か……もしくは……」

「もしくは?」

 言葉を止めた霧峰さんに聞き返すも、彼女からの返答は得られなかった。

 何も答えずに、ただ黙り込んで何かを考え始めた。

 そんな彼女を横目に、俺はただその時間が過ぎるのを待った。


 ふぅ、と息をついて霧峰さんは持たれていた壁から背を離した。

「とにかく一度私も見ておくよ。これから行ってくるね」

 そう言って彼女は一人で階段を降りて行ってしまった。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。僕も行きます」

 彼女は振り返り答えた。

「ダメだよ。これあげるから、離れたところに居てね」

 霧峰さんは胸ポケットから片耳の小さなイヤフォンを取り出し投げた。そして指で耳を二回トントンと叩き、そのまま階段を下って行ってしまった。

 手元にあるそれは緑のランプが光っていた。

 俺はそれ以上何も言えずに、どうしようもないのでイヤフォンを耳にはめた。


 しばらくすると耳の中のそれから霧峰さんの囁くような声が聞こえた。

 俺は廊下の窓からぼーっと外を眺めていたので、突然のそれには些か驚かされた。

『岸辺君? 聞こえる?』

「あ、ああ。聞こえますよ」

『驚いたよ……。居るじゃあないか……。鈴奴……』

「ですよね? 僕の頭がおかしいのかと思いましたよ。居るんです」

『君は話したんだね? 彼女と』

「まあ、話したと言えば話しました」

『ふむ……。私も今から声をかけたいと思う』


 霧峰さんはそう言うと俺の返答も待たずに鈴奴に話しかけたようだった。

『君、鈴奴さんだよね?』

『はい? 何スカせんせー』

 そのマイクからは鈴奴の声も聞こえてきた。なるほど中々に高性能らしい。

『てかせんせー……臨時の人すよね? ええと……』

『霧峰岬だよ。こないだの話覚えてる?』

『こないだ……? ああ、覚えてますよ』

『ああそう、良かった。……ねえ君ってさ、噂話とか好きなの?』

『何でっスカ? 別に好きって訳じゃぁ……』

『あ、そうなんだ。担当クラスの子が君の話しててね。じゃ、まあそれだけだからら』

『アァ? 何なんすか突然……』

 おそらくそれで霧峰さんは会話を止めたのだろう、鈴奴の声がマイクの音から遠ざかっていった。

 廊下を行く生徒達の声が耳元で騒めいている。


 そのうちに霧峰さんの声が二重に聞こえる時が来た。直前には階段を蹴る軽快な音が届けられた。

「おかえりなさい。どうでした? 会ってみて。実感しました?」

「ああ。実感したよ。彼女は間違いなく私達と対峙した鈴奴朱音その人だったよ。ただ君の言うように違和感は確かにあったね」

 霧峰さんは特に動揺した様子もなく、そう答えた。

「演技か否かは置いておいて……彼女は私達が彼女にした事……あの埠頭に行った事……屋上に行ったことを覚えていない」

 覚えていない、という表現に俺は多少の違和感(もちろん俺もそう言い表したし、霧峰さんにとって深い意味はないと理解しながらも)を抱きつつ、明確な答えを求めた。

「つまりどういうことです?」

「つまり……どういう事だろうね。正直なところ何もわからないよ。埠頭で死んだ鈴奴が偽物……影武者? 分からないね。ただ死んだ鈴奴は間違いなく吸血鬼だった……その事実は揺るがないよ」

 意味が分からない。結局のところ、つまり何がどうなっているのだ?

 死んだ人間は生き返らない。吸血鬼なら生き返るか? 未知の領域の事であるためその可能性を完全に否定する事は出来ない。しかし、彼女は生き返ったというには話がかみ合わないところが多い。つまり……。

 俺はさっき霧峰さんが言い淀んだ事を思い出した。

 おそらく彼女も俺と同じ思考の先に行き着いたのだろう。


 鈴奴朱音。彼女は一度死に、生き返った。もしくは、二人――いた。


 まさか、と思いながらも、人間が生き返る事と同じ人間が二人いる事。どちらも同じくらい信じられない事実ではあるが、ドルルーサが保管している鈴奴の死体がある限り、後者の方がそれとなくリアリティがある。

 もっとも、そんな仮定が生まれる時点でリアリティなんてとうに失われてしまっているのだが。

「とにかくだよ、私はこの由々しき事態を妍治に相談するよ……。どうする? 君も、来るかい?」

「……」

 珍しく霧峰さんは笑っていた。

 俺はとても不思議な気持ちになった。霧峰さんが非情に楽しそうに笑っていたからだ。なぜこの状況で彼女は笑っているのだろう? 

 

 後から気が付いたのだが、その時の彼女の笑みは、すべてを悟ったが故のものだった。彼女はその時、ある一つの答えに到達していた。

 だがしかし、俺にその事実を知るのはずっとずっと、もっと後の、それも、また別の事象が起こった時だった。

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