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Ace of thin ice  作者: 小鳥遊
吸血鬼編
2/32

私の話を聞け

 俺は霧峰岬に話があると言われ、後ろに佇む高圧的な男――亜里堅妍治の放つ無言のプレッシャーの前に逆らうことも出来ず、大人しく近くの喫茶店へと入店したのだった。彼らの所作の一つ一つは必要以上に落ち着いて見えた。交互に前に出している足はファッションショーの手本として展示できそうだったし、歩幅は正確に三足分だった。それにしても、もう初夏に差し掛かろうという六月中旬だというのに、きっちりとボタンを留めたシャツに身を包みいかにも凛とした姿勢の女と、少し気崩したスーツを身に着けやけに威圧感のある大男が、こんな平凡な男子高校生に何の用があるというのだろう。

「あの、話って何ですか」

 とりあえず言われるがまま席に座った俺が恐る恐るそう尋ねると、目の前の猫目の女性はお冷を一口飲み、叩きつけるようにコップを置いた。


「唐突だけど、君は吸血鬼って知ってるかな」

 なんだ?

 このショートカットの女性は突然何を言い出すのか? 吸血鬼? もちろん知ってる。人間の生き血を啜り恐怖に陥れる西洋の伝説だ。ただし架空の。

「私達がこの渋谷に紛れ込んでいる吸血鬼について調べ始めて、もう二年になる」

「は?」

 この人は大真面目な顔で何をふざけているのか? 吸血鬼は架空の存在だ。西洋に伝わる伝説の存在。日本で言うところの河童だとか雪女だとか、そういった存在。それがこんな東洋の島国に居てたまりますか。

「何の話ですか? 吸血鬼なんて存在するわけないでしょう」

 何となく、このままだと流れ流れて幸せになる壺だとか、イルカの絵だとかを買わされそうだと思ったので、そうなる前に席を立とうとする。ほんと、東京は怖い所だべ。かっぺにはまだ早かったか? 引っ越し二か月でこんなのに捕まるとは。

「オカルト研究部なんてものに所属してるくせに、随分と遊び心のない事言うんだな」

 俺が立ち上がろうと、隣の椅子に置いていた鞄に手をかけた時。今まで寡黙を貫いていた金髪短髪男が雰囲気に似合わないハスキーな声でそう言った。

 ……何だって? なんて言った?

「申し訳ないけどあなたの事は勝手に調べさせて貰ったよ。

 岸辺雪(一六)。身長百六十七、体重五十二。高校入学と共に地元から離れて一人暮らし。同じく上京した中学からの友人二人に誘われ、三人でオカルト研究部を創立。学力運動共に平均的。友好関係はも広くも狭くもなく、最近では人気バンドのグッズ集めに熱中。一人暮らしってのは少々珍しいけど……人間としてはいたって平凡だね」

「なっ!」

 俺の個人情報、地元の事から近況までなんでこいつらは知ってるんだ?

「あなた達何者なんですか。け、警察呼びますよ」

「そう構えるなって。俺達は別にお前を揺すりに来た訳じゃねえよ」

 男が明らかに警戒している俺をあやす様に言う。

「そうだね。まずは私達の説明からしないといけなかった」

 そ、そうだ。こんな素性の分からない人達に自分の情報をあらかた知られて、動揺しない人間がどこにいるだろうか。この世のどこを探したっている訳がない。俺はただの高校生なんだ。

「改めて私は霧峰岬。こっちのでかいのが亜里堅妍治だよ」

 霧峰と名乗るその女性。隣に紹介された男性は亜里堅。声をかけられた時にも聞いた名だが、もちろん俺には心当たりの無い名前だ。とんでもねえ。

「私達はドルルーサという組織の構成員なの。もっとも、君みたいな高校生は知る由も無いだろうけどね」

「え、ドルルーサ?」

 突如飛び出した聞き覚えのあるようなないような単語に反応すると、二人もまた俺の様子に少しの感触を覚えたようだ。

「なに、お前知ってんのか」

「は、はい。いや、まあ、噂程度ですけど。あれでしょ? 警察が動けないような事件を秘密裏に解決する為の集団みたいな。学生の間じゃちょっとした都市伝説みたいな扱いですよ」

 オカ研内やクラスの端々からちょこちょこ耳にしたことがある。

 秘密組織ドルルーサ。

 ただし、その内容は聞くたびに変わっている。政府を裏から操っているとか、私立学校の八割がドルルーサによって経営されているとか、三角錐に単眼のマークがシンボルだとか。その尾びれは大きかったり小さかったりするが、基本的にとてつもない権力を持っている事になっている。

 そんなだからその存在を信じていない者がほとんどで、俺も下らないと聞き流す側の一人だ。

「何だその話。そんな権力ある人間がこんなところに居る訳ないだろ」

 俺が聞いた話を二人に素直に伝えると、亜里堅は声をあげて笑っていた。霧峰もクスクスと口に手を当てた。

「ま、全部が全部間違いってわけでもないけどな。表に出せない依頼を解決する集団だってのはその通りだ」

 自身の肩を軽く揉みしだきながら亜里堅が言う。

「はぁ……。実在するんですね。とりあえずあなた方の事は分かりました」

 信用はしていない。ドルルーサの事も正直あんまり信じてない。それでも俺はここから早く解放されたくて、一旦彼等に話を合わせることにした。

「それで話を戻すよ。私達は吸血鬼を追ってるの。君は知ってるかな」


「この渋谷の裏で、全身の血を抜かれて死んでいる人間が居る事を」

 勿論そんな物騒な話は聞いた事が無い。そんなことがあり得るのか。たとえヤのつく仕事の人に関わった人がそうなっていたとしても、それこそただの高校生の俺がその世界を知っている訳無い。

「ま、そうだよね。私達が無かった事にしてるのだから」

「無かった事? 人が一人死ぬ出来事を無かった事にできる訳無いでしょう。そもそも警察がーー」

「それが出来るんだよね。とにかく、それを起こしているのが吸血鬼って訳。私達はその吸血鬼の謎を解明したいんだ」

 俺の疑問を遮り、霧峰が話を続ける。

「まあ、分かりました。それでなぜ俺にそんな話を?」

「そうだね」

 すっかり空になったコップを右手でカラカラと回しながら霧峰が一息置く。


「単刀直入に言うと君は吸血鬼だ。私達はその正体が知りたいのだよ」

「……は?」

 俺が?

 俺が吸血鬼?

 馬鹿だ馬鹿。

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけこの人達の話を真面目に聞いてしまった俺が馬鹿だった。

「可能性があるって話だ。ま、ほぼ確定しているがな」

 亜里堅が追い打ちをかけてくる。

 正直言って非常に気分が悪い。戯言だと分かっていてもなんだかムカつく。

「吸血鬼か否かを判断する材料は、血の中に混じっている成分。君の学校はこのあいだ血液検査を行ったでしょ? それに君が引っかかった。吸血鬼に襲われるのは――」

「もう結構です!」

 俺は千円札を机に叩きつけ、閑散とした喫茶店内には気弱な怒号が響く。

 その行動に流石に霧峰の口も止まったようだ。目の前で怒鳴ったというのに表情は微動だにしていないが。

 横の座席に置いていた鞄を肩にかけ、結局、俺は何も注文することなく店を出た。

 スマホが指すは八時半。帰るころには九時。最悪だ。明日が土曜日で良かった。

 苛立つ足取りで俺は交差する横断歩道を渡った。



 *



 賑やかな街並みを通り過ぎ、周りにはアングラな店や小汚い居酒屋が増えてくる。

 あーあ、せっかくダルジィーのストラップ買えていい日だと思ったのに。

 腹の中を雷雲が這いずっているようなムカつきを抱え、俺は怠い足取りで帰路についていた。しかしそれでも十数分歩くうち、俺の頭は多少冷静さを取り戻した。

 よく考えれば、俺の個人情報を握っている人間にあの態度はまずかったかもしれない。思わず飛び出してしまったが、もう少し大人しく話を聞いておいた方が良かったかもしれない。


 そんな不安と後悔に苛まれていると、目の前の角から突然出てきた人の肩と俺のオデコがきれいにぶつかった。

 早足で歩いていたことが災いしてか、結構な衝撃でしりもちをついてしまう。

「いててて。すみません」

 謝りながら、今日はよく人にぶつかるなあ、これじゃ幸運だなんて言えないぞと己の昂りを撤回していると、俺にぶつかったと思われる人の手が眼前に差し出された。

 どんな恐ろしい目に合うかと一瞬覚悟したのだが、意外にも好意的な反応に俺は素直にひんやりとした手を掴み、腰を上げる。痛んだ尻を軽くはたきながら、初めて衝突した相手を目にした。そして俺は少しひるむ事になる。

 謝罪の言葉一つなく、やはり品定めをするような目で俺を見つめているその男は、俺が昼間ぶつかった男と同一人物だった。

 見た目は普通のサラリーマン。中肉中背のサラリーマン。しかし俺を見るその眼は確かに常人のそれではない。暗がりでハッキリ確認はできないが、虚ろで、仄かに赤みがかかっているように見える。

 俺は男から確かな異常性を察し、とにかく離れようと試みる。しかし――

「うおおおッ! 痛いッ! 何だコイツ! この……この力は!」

 仲良く握手の形になっていたサラリーマンの握力が、俺の手を締め付ける。握りしめられる手が悲鳴を上げる。

 俺が何とかその手を離そうと奮闘していると、男の顔がゆっくりと俺の顔に近付き、口元に光る牙を覗かせながら、冷淡な声でこう言った。

「チ……スワセロ」

 全身に鳥肌が立つ。首筋がピリピリと騒めく。

 気が付けば俺はその男の胸にキックを放っていた。武術の心得などない。しいて言えば小学生の時に一番好きな漫画が空手漫画だったことくらいだ。そんな俺の蹴りでも、無我夢中で数発入れれば、何とか握られていた手を離す事くらいは出来た。

 この男は霧峰の言っていた事、そしてその態度と言動から、俺の中で吸血鬼以外の何者でもなくなった。

 俺は後ろによろめく吸血鬼を確認しながら、すぐ横の路地へと走り出した。

 こうして、俺と吸血鬼との命がけの鬼ごっこが始まったのだった。



 *



 絶対絶命とはまさにこの事だろう。

 後ろは壁、横にも壁。どうしてこんな道が生まれたのかは分からない。袋小路。入り口があり、そして出口があるから道なんじゃないのか? もはや俺の思考は壁のことでいっぱいだった。思考が壁に支配されることなど今までの人生には無かったはずなのに。俺は自分がなぜこんなにも壁に関心を抱いているのか不思議でならなかった。この現状が俺にそうさせているのだ。それしか逃避する相手がいないのだ。

 終わった――。

 肩で息をする俺に対して、静かな余裕すら感じる吸血鬼の立ち振る舞い。

 その距離は数メートル。だめだ。もうだめだ。いっそ戦ってみるか? もう一度蹴り飛ばせれば、逃げる事が出来るかもしれない。俺が? もう一度吸血鬼を何メートルも蹴り飛ばして走り去れるか?

 たぶん無理だ。この疲弊した体にいくら鞭打っても、それは出来ない。火事場のバカ力は一度だと相場が決まってる。

 俺はあの霧峰という女の言葉通りに、全身から血を垂れ流して死ぬことになるのだろう。

 母さんごめんなさい、反発してばかりで、上京なんかして。門出、中原ごめんな。オカ研、もう続けられそうにない。そしてああ、こんなことなら霧峰とかいう女の言う事をちゃんと聞いておけばよかったーー


 そうして俺の思考が諦観に支配された時。

 俺の前方向、吸血鬼のさらに奥から軽やかな足音が聞こえたかと思えば、吸血鬼の首筋に何かが目で追えない勢いでぶつかり、その体は壁へと叩きつけられた。

 思考を止めていた俺は、一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 目の前に立っているのは、俺に人生を諦めさせた吸血鬼――


 ではなく、正体不明の小柄な女性、霧峰岬であった。

「危なかったね」

 吸血鬼と同じように月光を背後に、彼女はそう言った。

 彼女は先に壁に叩きつけた吸血鬼へと目をむける。勢いよく立ち上がるそれは、ダメージがまるで入っていない事を俺達に告げた。普通の人間なら打ちどころが悪くなくても、意識の一つや二つくらい昇天する程度の衝撃だった。これが吸血鬼の力なのか?

「妍治!」

「あいよ~」

 霧峰が大声を上げた瞬間、彼女の後ろから大柄な男、亜里堅が現れる。この巨体がどこに潜んでいたのか? などと俺が気にする間もなく、亜里堅が霧峰に大きなナイフを投げる。

 大きなナイフ、いや、サーベル? 刀といった方が良いかもしれない。

 それを手にした霧峰は、立ち上がった吸血鬼に向かって振りかかり――


 いとも容易くその首を跳ねてしまった。

 幾万の血管と幾億もの細胞が破壊された「ザシュッ」という綺麗な音が闇夜へ溶ける。

 飛び散る鮮血と、切り離された頭部が転がる様を見て、俺の意識はそこで途切れた。

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