ダイヤモンド・クイーンズ
ここは渋谷。流行とファッションの最先端の街。個性も没個性も揃った数々の人々が、せめぎ押し合いながら歩を進める。駅前の犬にもモアイにも常に外国人観光客や人待ち人が集っている。繁華から少し離れれば大人の店や雑な飲み屋が立ち並ぶ。老若男女が一堂に会する異質ともいえる空間だ。
俺達三人は今そんな渋谷にいる。何故か? 服だ。服を買いに来たのだ。俺のではない。俺だって人並み(だと思う)には身だしなみに関心はあるが、今日はそうではない。渋谷1〇9にいるのもコイツ、山崎門出の買い物に付き合っているがためだ。
「みてみて中原! このカーキのジャケット! かわいくない? こっちのデニムと合わせて大人の女性って感じ? 私階段登っちゃう?」
「あーハイ、いいと思うぜ」
「適当かよ。岸辺はどうよイケてない?」
「とてもいいと思います」
「おい! お前らなんだ! 構え! 私に惚れろ!」
門出が店内でエキサイトしている。俺としては正直レディースの店にいるだけで恥ずかしい部分があるので、そろそろお外に出たいのだが。
「つってもよ、中原はともかく俺は女子のファッションなんて分からんのよ。女子のいうカワイイもいまだに理解できてないんだぜ」
「あ、それは私も分かってないから大丈夫。”カワイイ”はノリだよノリ」
「雪はモテねえからなぁ。残念。門出ー? 俺に任せとけー? 惚れねえけどな」
「というか門出、前も服買ってたよな? 今着てるそれ、こないだのやつだろ」
「そういうとこやぞ岸辺ちゃん。女の子のファッションは賞味期限が早い! 今着てるのはリバーシブル。カワイイでしょ」
「リバーシブルなんて流行ってたのかァ? それは知らなかったなあ。俺も所詮は男ってことか……」
中原が肩を落とした。お前が気に病む必要がどこにあったのか? 門出は不思議ちゃんだが中原も中々に変な奴だよな。まともなのは僕だけか?
二人仲睦まじく和気あいあいとしているのを横目に、俺は一人ベンチに座りマネキンの肩からショーケース越しの人波を眺めていた。それは派手であったり地味であったり奇天烈であったりあるいは猫であったりする。様々な有象無象が流れを作り、流れに逆らいながら歩いている。
その中に一人。
明らかに異質な存在。着ているのは何の変哲もないただのスーツ。日本人の平均より少しだけ高い身長。しかしいくら周りの群衆の中に混じろうとも、隠し切れずに滲み漏れる確かな異彩色。
如月だった。
見間違いではない。気が付けば俺は、中原達に声をかける事すら忘れて奴の後を追い、俺もまた、この街を灰に彩る染料となって、極彩色に仄暗い空の下に溶け込んでいたのだった。
*
「分かった。すぐ行くよ」
私は携帯を素早くしまった。
「片桐、妍治。如月だ。岸辺君が渋谷で目撃したらしい。行くよ」
そう言うと私は彼らの反応や返答を待たずテーブルを発った。
「如月を? 岸辺が? 何だってあいつはそんなにも遭遇するんだ。 俺達があんなに探して見つけられなかった奴をか?」
妍治のある意味当然の疑問も私の耳に届いてはいたが、それにも言葉を返しはしなかった。というより、私自身その違和感にも似た疑問に対する明確な答えを持ち合わせていない、というのが実際だった。
ドルルーサはその歴史の足跡としてセキュリティ会社の様々から恩があり、その関係で情報収集能力はその他に比べ特に優れていると言える。そして妍治と私はドルルーサの生きる歴史とも言え、しかしそんな私達ですら如月を発見できていないのだ。ならば何故? ただの高校生である岸辺君が彼にそう何度も遭遇できるのだ? それはおそらく彼自身に聞いたところで分からない事なのだろう。
謎が解決するとも思えないが、私達には如月を捕まえる。つまるところそれしかできる事がない。
*
岸辺君はやはり大変に優秀であった。
彼は如月に気づかれることも見失うことも無く、私達が到着するまで電話で位置を知らせ続けてくれた。
「よおガキ、お前中々やるじゃん。強いぞ?」
片桐が開口一番岸辺君を褒めた。彼の性格に鑑みて、それは中々に珍しい行動だった。
「ええ、ありがとうございます。偶然ですが」
「それで、如月が何をしてるのかわかる?」
「今のところただ歩いてるようにしか見えないですね」
服屋の角から、大通りを悠然と歩く如月を岸辺君が目で指差す。
「普通に歩いてるじゃねえか……。人目に触れないなんてどころじゃねえ、全く隠れる気がねえぞ」
「妍治達……あんなのも見つけられなかったの?」
「おいおいおいおいおいおいおい。冗談じゃねえぞ岬ちゃん。俺達があんなあからさまを見逃すわけねえだろ」
「ま、なんにせよだ。これであいつは街灯の監視カメラに写ってるはずだ。バッチリ拝んでやれるぜ」
「おいおい妍治ィ。消極的か? 今捕まえんだよ。今だ。吐かせるんだよ全部」
「そうだね。いこう」
そうして俺達は如月を追う事とした。それにしても霧峰さん達が揃いも揃って真っ黒のスーツに染め上げて来た時から、この集団がさぞかし目立つのではないかと思ったが、そこはやはり都会の波。そんな心配はなかったようだ。
先に俺は如月の様子をただ歩いているだけ、と表現したが、それは割と的確であると思った。今も如月は多くの人達と共に、交差点から坂を上って行っている。その歩き方には目的さえも感じられず、まるで天気のいい日曜日にふらっと公園に散歩に来た、そんな様相だった。
「どうする? 今飛び出て捕まえるか?」
「バカだなぁ妍治君は。ここじゃ人が多すぎるだろ」
「この人込みじゃあ紛れ込まれたら終わりだね」
「それに如月は一般人に危害を与えないとも限らないんですよね? 何かこう……いい方法はないんですか」
霧峰さんは少し黙った。
その間にも如月は前方向に歩き続けて、周囲を警戒しているようには全く見えなかった。
「待つしかないね。彼がもう少し人気のない所に行く時を」
亜里堅さんと片桐さんもその案に乗ったようだが、俺は納得いかなかった。確かに俺達に気が付けば、如月は一般人に危害を与えてまで逃げるだろう。それを言ったのは俺だ。しかし何故だ? たとえ被害が出ようとも、ここで如月に逃げられる事の方が問題じゃないのか? 一の犠牲を恐れて百の犠牲を被るくらいなら、一の犠牲を出してでも百の犠牲を防ぐべきじゃないのか。如月の存在というのはそういうものだろう。
俺が言い出した懸念だというのは理解している。だが、それを受け入れた霧峰さん達に納得がいかないのだ。
しかし俺のえも言えぬ感情をよそに、果たしてその時は来た。
大通りを歩いていた如月が、すこし人影の薄い住宅街の方へ足先を向けたのだ。その瞬間走り出したのは霧峰さんだった。続くのは亜里堅さんと片桐さん。俺は体が動かなかった。俺は見ていた。走り出した三人の後姿を。そして俺は初めて彼女らの走りに違和を感じた。
走る音がしないのだ。靴が地面にこすれる音。体重を乗せたつま先が地面を蹴る音。それら全てがまるで聞こえないのだ。
だからどうしたと言われればそれまでなのだが、その事実のおかげでかなりの距離を詰めるまで、如月に振り向くというその動作をさせなかった。
無音で走る三人にどうして如月が気付けたのか。恐らく(推察でしかないが)それは空気の動きだとかかすかな匂いだとか、そういったものから生じる、いわゆる気配。気配のみが如月に彼女らの存在を知らしめたのだ。怒涛の勢いで走り寄る三人を目視した瞬間、同じく如月も前方へと駆け始めた。
走る、走る。俺も走る。
今度こそは捕らえてやると、息を荒げて走った。
如月も走った。俺達が捕まえたいように、彼もまた捕まりたくないのだろう。
如月は俺達が思っている以上に重要な情報を持っているかもしれなし、持っていないかもしない。肩透かしという事もあるかもしれない。しかし、それが分からないからこそ俺達は今走るのだ。
如月は走った。
細い細い道を選んで、俺の視界からはたまに消え失せてしまう。
走る、走る。
ゴミを蹴り、待ち行く人を肩で飛ばし、周りの事の一切を気にせず、如月は角を曲がる。逃げ果せる為に彼は曲がった。かつて俺がそうしたように、追いかけてくるものから逃げる時に人は角を曲がる。それに続いて霧峰さんが亜里堅さんが片桐さんが、そして俺が。
そして、その先で俺が見たのは如月ではなく、地面に尻を付く少女だった。渋谷の地にも見慣れない、綺麗な空色の髪をしていた。グレーのパーカーが地面と馴染み、より一層彼女の存在を際立たせていた。
そして彼女に(おそらく)ぶつかったのだろう、亜里堅さんが彼女の手を取って立ち上がらせているところだった。その奥にはなお走る霧峰さんと片桐さんが見えた。如月の姿はそのさらに先にいるらしく見えなかった。
「悪いなお嬢ちゃん。怪我はないか? 申し訳ないがちょっと急いでんだ」
少女への謝罪もそこそこに亜里堅さんはそう言い、再び走り出そうとする。
それを止めたのは他でもない少女の発言だった。
亜里堅さんに続いた俺の後ろで、その少女は言った。
「あ、あの……すみません!」
つい反射的に振り返った俺達に、彼女は続けた。
「なんだ? 俺達やることがあるんだ。岸辺お前相手してくれ」
そう言って前を向いた亜里堅さんの言う事などまるで聞こえていないかのように、彼女は俺に、そして亜里堅さんに続けた。
「あなた達……一体どうして? あなた達……あの人のこと見えるんです?」
そうして俺達は瑞樹晶に出会った。
彼女との出会い、そして先の質問が、俺達を大きく前進させることになる。