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Ace of thin ice  作者: 小鳥遊
吸血鬼編
15/32

暴力的世界へようこそ!

 鈴奴朱音(すずやつあかね)は何者か? 分からない。

 ただ彼女は知っている。ドルルーサの事を、霧峰岬の事を。

 そして私達は偶然にも彼女を釣り、私達は彼女に釣られたのだ。

 彼女は……鍵だ。この吸血鬼事件(恐らく)最大の鍵。

 そして彼女は……ピース。絶対に逃してはならない。できる限りの情報を彼女から得なければならない。

 しかし――

「なぁせんせー。こいつ、大事だよな? 手足として使ってるもんな? 多分貴重、なんだろ? お互いにさぁ、いいコマだぜ。……違わない」

 彼は人質。

 鈴奴は私達の関係も察している。

 確かに彼は貴重だ。彼女の目的は分からないが、彼の命もまた優先的に守る必要がある。

「オーケイ。君の要求は何だ? 状況は理解してる。手っ取り早くいこう。君はそういうタイプだろ?」

 私は両手を上げ、出来るだけ彼女を刺激しないよう挑発する。

「うーん、分かりやすくて助かるぜ。でもその前にサァ、せんせーが持ってる通信機の類と、胸元の物騒なソレ、こっちに渡して貰える、よな?」

 そう言って彼女は手でピストルを作り、肩に担いだ岸辺君のこめかみに押し当てた。

 示唆と脅迫を孕んだそれを受け、私は素直に従うのだ。思うところはない。

 私は指示通り全ての機器を彼女の足元に放り投げ、最後にホルスターに入った拳銃を足で滑り飛ばした。

「ほんとに持ってるとはね……。ま、そうか。なるほどナァ」

 彼女は拳銃を拾い上げ、感嘆を漏らし、腰に差す。

「で、この機械は壊しちゃあまずいのかな?」

 余裕のある、自分が圧倒的に上なのだと言いたげな表情で、彼女は自身の足元の端末等を足で遊ぶ。

「……それとそれは破壊されると仲間に連絡がいくようになってる。それは壊しても平気だよ」と、私は機器を指差し言う。

 癪だが、仕方ない。

 彼女はそれを聞き、なお疑う事は止めていない様子で、数秒見つめた後、それらを全て屋上の隅へ蹴り飛ばした。そうして私の顔を見てヘン、と笑った。

 ……本当に何が目的なんだ。

「さて、次は移動だ。下に車があんだ。そこの非常階段から降りるんだぜ。そこからなら誰にも見られねえ。おら、早く」

 彼女に急かされるがまま非常階段へ向かい、下り始める。


 しかし車まで用意しているとは。良くわからないな。

 それにしても彼女は何者だ? 私達の事をどうやって知り得たのだろうか。

 やはり吸血鬼なのだろうか。状況に鑑みればそうとしか考えにくい。わざわざ人質をとり、今から行われるのは実質的な拉致に他ならない。私がこの学校に来た事によるフィッシング、彼女は吸血鬼だと結論付けるに十分だ。

 ――いや待てよ。彼女が吸血鬼なら、なぜこの時間にわざわざここに私を連れ出す必要がある? それも岸辺君を使ってまで。人質を確実に取りたかったとしてもだ。吸血鬼の力の使えない日の照る今よりずっといいはず。

「……君、吸血鬼なの? 私達の事どこまで知ってるのかな」

 彼女が素直に答えてくれるとは思わないが一応聞くだけ、というやつだ。

「質問には後で答えてやんよ……いくらでもサァ。私はなんというか……そういうの好きだからな」

 以外と前向きな返事。

 しかしそれは――

「これだ。今から言うところに向かえ。これをせんせーが運転すんだよ、出来んだろ? そんなに遠くねえよ」

 黙々と巡る思考を遮り、鈴奴が指さす黒いバン。

 気が付けば非常階段を下り終えて、私達は駐車場のすぐ傍に位置していた。

 車のキーを手渡され、やはり私は彼女の指示に素直に従う。

 私が運転席に座ると、彼女は後部座席に乗り込み、岸辺君を置いてその横に座った。

「彼起きないかい? もしそうなれば君は困るんじゃないのかい」

 軽口をたたく。私にはまだ余裕があるのだと。こんなシチュエーションの時、実は一番大事なのは精神的余裕なのだ。焦りや不安といったマイナスは常にミスを呼ぶ。そしてそれは連鎖を重ね増幅し、人を破滅へと至らしめる。

「私はそこまで馬鹿じゃねぇヨ。しばらく眠っててもらえるよう、いいもん飲ませてあんだよ」

 ま、そうだよね。別に期待はしていなかった。一切。ただいつの間にそんな小細工を。階段を下りている途中だろうか。

「ウダウダ言ってねえで発進しろ。行先は――」

 行先は蒼浦埠頭第四倉庫――。


 *


「着いたよ。ここが第四倉庫、間違いないね」

 車から降りると、海特有の潮の風が吹いていて、髪は撫ぜる肌がこそばゆい。

 鈴奴朱音によるとこの第四倉庫は普段使われていないらしく、また、他の倉庫や港からも距離があり、まず人には見つからない。

 確かにこの倉庫がある埋立地だけ異常に孤立しており、すべての陸にはその姿を隠すようにコンテナが積まれている。

 まさにうってつけというわけだ。

 

 ……私はここで死ぬ。殺される。

 少なくとも彼女は私を始末するつもりであり、それは間違いなく目的の一つであろう。彼女が私の質問に対して好意的な態度を示したのはそれが理由だ。これから殺す人間に対して冥土の土産というやつだ。私はそういう事は一切しないタイプだが気持ちは分かる。

 しかし私とてここで死ぬのは本望ではないのだが、さてどうしたものか。どうしてやろうかと鈴奴をにらむ。

 岸辺君を肩に担いだ彼女また、私をじっと見つめていた。

「反抗的な目……。嫌いじゃないけど嫌いだよ。うん、嫌い。これ付けろ」

 そう言って彼女は鞄から鉄の輪――手錠を取り出し、差し出した。

 私を拘束する為のそれ。

 なぜ私が自ら付けなければならないのか。こういうのって普通脅している側が無理やり装着させるものだろう。

 私が抵抗するそぶりを見せていないからか? ずいぶん舐められたものだ。もちろんここでふざけないで、と突っぱね、岸辺君を奪い取る事も出来るけど……。

 私は手錠を受け取り、体の後ろで手首にはめる。

 抵抗する気ならもっと前にやっている。従順、従うんだ、彼女に。今は。

 カチャリ、という音が聞こえた瞬間、鈴奴の口角がにやりと上がる。何もかもが私の思い通りだ、目の前の女の命運は今私が握っているのだ、という底意地の悪い歪んだ笑みを浮かべ、勝ち誇った悪人面を晒している。

 事実、私はもはや彼女の言いなりになる他なく、唯一の手である足だけでは彼の奪還も、その後の逃亡も無理というものだ。いかに悔しかろうと焦燥に駆られようと、私にできる事と言えば必ず来る逆転の機会をじっと草影で身を潜め待ち焦がれる、それだけだ。

 これは大変な危機ではあるが、絶好のチャンスでもある。

「ついてきな」と鈴奴が親指で示す倉庫の入り口に、私は彼女の後ろをついて行く。腕を振れないので歩き辛い。鈴奴は私がついて来ているかどうかを確認する素振りを見せることなく、悠々と前を進んでいる。こいつ、どこまでも……。


 倉庫には鍵すらかかっておらず、中に入れば埃の混じる空気が鼻を透かし、しかし意外にも差し込む茜日によってクレーンや積まれた木箱がその存在感を示し、照明には及ばないものの、高校の体育館程度には光が行き届いている。


 倉庫の最奥へ着くなり、鈴奴は岸辺君を肩に乗せたまま、再び私の足元に何かを投げた。金属がコンクリートを滑る音がした。それが何かを認識し終える前に「足錠だよ。足用。足枷……。お前はそれを付けざるを得ない……現実だ」と彼女が教えてくれた。

「おっと、それじゃ付けられないか」と言い、彼女は岸辺君を丁重に着地させる。

 箱の陰に隠れ、シルエットとなった彼に鈴奴が何やらゴソゴソとしている。そして聞き覚えのある金属音が二つ。どうやら彼もまた、いや、彼は正真正銘自由を”奪われた”ようだ。

 それが終ると彼女はローファーの音を響かせながら私の元へと近づいて、自分で投げたその足錠を今度は拾い上げた。

 そしてかがみ、私の足にそれを装着する。

「不用心だね、こんなに近づいて。私はそれを付けられる瞬間、君の延髄に蹴撃だって叩きこめるんだよ。その隙に彼を拾って逃げ果せたかもしれない。かもしれない運転は大事なんだよ、未成年」

 丁重に煽る私に、彼女はおそらく眉一つ動かさずに答えてみせる。

「――あえて付き合ってあげるけどサァ、それを本気で言ってるなら、お前はアタシの想像をはるかに凌駕した本物のバカだぜ。何の為にアタシが自分の事語ってないのか……分かってんだろ?」

 ……彼女に付けられたそれは手首を縛っているそれとは違い、長さが私の肩幅ほどあって多少自由が利く。とはいえ、精々座った状態からたち上がるのがやっとで、足を上げたり走ったりする事は許されない絶妙な長さだ。

「さて、と。まずはお前の質問に答えてやるよ」

 一息置いて立ち上がった鈴奴はそう言いながら、鼻頭が触れるほどに接近する。そしてその両手で私の頭を挟んだ。彼女の茶色い瞳を、基本明るいこの倉庫内では鮮明に見ることができた。

「何、キスでもしたいのかい」

「いいかもナァ、アタシほどじゃないが、お前もなかなかいい筋いってんよ」

 自画自賛している彼女の顔は、先程まで気にも留めていなかったが、なるほど中々に整っているといえる。近すぎてなんとも言い難いというのは置いておいてだ。


 しかし不思議な事に、鈴奴は見つめあったまま、一切のアクションを起こそうとしない。

 その奇妙な沈黙が溶けたのは、私が彼女の行動言動ともに未だ理解しておらず、私の顔をよく見に来たのか? まさか本当に接吻を交わしに来たんじゃないだろうな、というある種違和感のある焦りを感じ始めた時だった。


 ダークブラウン、鬱蒼とした森の中で深夜に見る松の木の鱗のようだった彼女の瞳の色が少しずつ、流れ出でて酸化した血液をガラス板に乗せて太陽にかざした、そんな色へと変貌し始めた。

 やがて彼女のその眼光は私のよく知る、しかし私が初めて感じる類の気高さを持った、吸血鬼のそれへと変化したのだった。


 妖艶とさえ思えるその瞳で鈴奴は私に告げる。

「お前はアタシに何者か? と聞いた。答えてやんよ、私は吸血鬼、お前たちが嗅ぎまわってる吸血鬼だ」

 やはり――。予想通りだったから、特段驚く事ではない。むしろ、彼女がこの状況に立っている今、最も妥当だといえるその理由。

「だけど――吸血鬼。君って意外と大したこと無いんじゃない? たった一人の女をここで拘束するためにわざわざ人質を取って移動して、ずいぶんと回りくどいね。もしかして恐れてる? もしかしてビビってる? 案外小心者だったり? 君に本当に力があるのならもっと強引に出来たろう。所詮吸血鬼……影でコソコソ蠢いてまともに正体を現せやしない。まるでゴキカブリ、下等生物じゃ――」

 脊髄に任せた罵倒の羅列、大半が大した意味のないだろうそれら。

 普段は口数の少ない私のたっぷり罵詈雑言フルコースは、肉を壁にたたきつけたような弾けた音と、橦木で打ち付けられたような顔への衝撃で一時中断と相成った。


 殴られたのだ。


 私の体は鈴奴の振りかざした拳の勢いそのままに、見つめ合った位置から大きく左方へと吹き飛んだ。

 殴られたのは顔、それなのにまるで一トントラックに轢かれたかのように全身にずっしりと重く、余韻さえも体中を何往復と響いている。

「……安い挑発、分からねんだアタシ。ノってやったけどよ、その余裕。どこから湧き出てんだ? 分からねえ。お前今の状況理解してんのか? 恐怖と絶望で歯が奏るハーモニー、聞けるんじゃないのか?」

 鈴奴――いや、もう彼女は鈴奴朱音という人間ではなく、吸血鬼というただの”存在”だ――は体をユラユラと陽炎のように揺らめかせながら、地面に這いつくばる私との距離を縮めている。

 手足を拘束された私がやっとの事で立ち上がり、バランスを取ったころには彼女もまた、私の目の前に立ち聳えていた。

「なんダァ、震えてんのか? 口だけか? アァ?」

 私の様子を見てか、吸血鬼は些か機嫌が良くなったようにも伺える。ゲンキンな奴だ。

 今にも鼻唄でも歌いだしそうな勢いで、彼女は私のみぞおちへ重い一撃を与える。

 やはり圧倒的な質量を押し付けられるような衝撃が腹部を中心に広がり体を巡る。内臓の全てがプレス機に潰されたと錯覚するほどに圧迫され、その内容は吐瀉物として排出される。体はインパクトの方向へ吹き飛ぼうとするのだが、それを吸血鬼は許してくれなかった。

 膝をついて崩れ堕ちる私の髪を、彼女は鷲掴みにして離さない。私の口からはどす黒い体液がひとつ、またひとつとこぼれてはコンクリートに染み込んでいく。声のような何かも、口の隙間から溶け出しては倉庫の虚空へと消えていく。

「おおっトォ、死ぬな? お前からは聞くことがあんだ……。まだ死ぬなよ……」


 吸血鬼はしゃがみながら私の頭を持ち上げ、再び鼻頭が危うく触れそうになる。

 彼女の顔は変わらず美しく、むしろ先程より活き活きとしているようにすら見える。対して私はどうだろう、もう彼女はいい筋いってるとは言わないのではないか。

「お前から聞くべきこと……。ドルルーサの事。お前ら何者なんだ? 日本の歴史にいつの間に介入していたお前らァ! 構成人数は? どこに本拠地がある? 何が目的だ? 私達はお前らが普段どこに身を潜めているのか探したんだ。見つからねえ、何者なんだ?」

 吸血鬼は捲し立てるように問う。しかし問いというには答えは求めておらず、ただ疑問という形の苛立ちを叩きつけるようにも感じられる。

 私の脳はそれらを一つずつ理解していくものの、それに答えようとは思わなかった。振り絞る力は、逆に私の質問の為に使うのだ。

「逆に聞くよ……君は何者なんだい……。渋谷に溢れる吸血鬼とは違う、理性がある……コントロールしている、その力……。君が黒幕か……私は死ぬんだ、最後に教えてくれたっていいだろう……グフッ」


 先程から気になっていた、彼女の力。今まで見てきた吸血鬼は、それ同士が呼応し、そして一方が死ぬまで理性は失われたままだった。稀に我を失わないものもいたが、その思考回路は相手の血を吸う、というごく単純なもののみであった。

 しかし彼女は身体能力を変化させ、性格も大きく変わっている訳ではない。その力を使いこなしている。確実に目的を遂行するという確固たる意志はあるものの、確かな人間性を残している。

 彼女は吸血鬼の中でも特異なんだ。


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