フィッシング・フライ
朝届いていたメールをしっかりと読んだ後、俺は校門をくぐる。
今日の俺はやる気に満ち溢れている。何故か? 昨日手にした、鈴奴って人の情報。不思議そうな顔をした門出に渋々教えてもらった新たな手掛かり。
本名、鈴奴朱音。彼女についての周囲の評価も、身体状況(霧峰さん調べ)も特に問題は無かったが、一応霧峰さんの見張りの上、俺が接触する。
まあ彼女が件の怪人なんちゃらの発生源かどうかは分からないが、貴重な情報源だ。
意気込みは十分、時は放課後。
俺はやるぜ俺はやるぜ。
そんな訳で、門出と中原との付き合いそこそこに俺がやって来たのは2-B。
制服の襟には、バレないようにドルルーサ特製の小型マイク。今も陰から霧峰さんが見ている。
それでなくても緊張する上級生の教室。気負いとは裏腹に笑う膝を叩いて、教室のドアをノックする。
鈴奴さん、呼ぶとこちらを向いた赤髪の女生徒。
うわぁ、目立ってる。この髪色、その着崩した制服。
これが許されるのも我が聖ストゥルヌス高校の長所と言える……のか?
俺の元へ近づいてきた彼女は気怠そうに「誰だ? 何の用だ?」と尋ねた。
「ああ、ええと。あの、俺オカ研の岸辺って言います」
「オカ研……? ああそういえば昨日も何かあったな。噂の話か?」
「え、ええ。詳しいと聞いたので」
そう伝えると彼女は納得したようで「あんなののどこがいいんだか」と目を細めた。
「ま、いいけどアタシ、クラスの奴に聞かれたくないからさぁ。場所変えたいんだけど」
わざわざか? そういうキャラじゃないんだろうか。それならなんで噂を門出に教えたりしたんだろう?
聞きたい事が増えたが、黙って大人しく従っておこう(まさか聞くのは失礼だし)。
それにしても確かに、オカルトなんてものからは遠く離れた見た目だなぁと、俺の前を歩きだした彼女のギャルギャルしい格好を見て思う。いや、ギャルとも違う穿った見た目。
パンキーな鞄も彼女の雰囲気とマッチしている。
後ろから遠慮なくじろじろと見ながら付いて歩いていると、彼女は淡々と歩き続け、ついには屋上の扉に手をかけた。
普段は施錠されているその扉。もちろん理由は安全の為。『高校に入ったら屋上に上がれる』という入学時の俺の純粋な心を打ち砕いた、罪深き門だ。
開くのか? と疑問を問おうとした時。
あろうことか彼女は扉に向けて前蹴り、もといヤクザキックを繰り出した。
響いたのは女子高生が蹴りで出せるとは思えない、体に流れる重い重い音。
「え……大丈夫なんですか」
色々と……。
あまりの唐突な出来事に思わず素で聞いてしまう。
「大丈夫だ。お前がチクらなきゃな。それに二回目だしっ……な!」
そう言いながら再度蹴りつけると、ついに扉は壊れ、飛んだ破片が悲しい悲鳴を上げた。
こんなことをすでに一回やっているのか……。もしかして昨日か?
「開いたぜ。来いよ」
俺は『開いた』という言い回しに違和感を覚えながらも、諦めて彼女に続いた。
確か霧峰さんが他の先生から聞いた話じゃ、外見や言動とは裏腹に真面目で、成績もずば抜けて優秀だそうだが……。
問題行動の擬人化だぞ、今のところ。
それにしても、どうしてここまでして屋上でなければならないのか?
屋上ほどでないにしろ、人目のつかないところなどいくらでもありそうなものだが。
「ところでさぁ。お前、釣りってやった事あるか?」
「……は?」
何だ、突然。釣り? スズキとかタイとかの、あの釣りの事か?
確か昔、父さんに連れられて川釣りに行ったことがあったっけ。
釣り餌を付けるのに凄く苦戦した覚えがある。子供の時から虫、苦手だったんだよなあ――
……って、なんの話だ? 俺は噂話を聞きに来たんだが。
「まあ聞けよ。釣りってのはいいもんなんだぜ。特に大物を釣り上げた時なんかもう、絶頂もん、分かるよナァ」
「まぁ、分かりますよ。でも、獲物がかかるまでじっくり、いまかいまかと待つのもまたいいもんすよ。醍醐味ですね。じっくり」
「分かってんじゃん、そうなんだよ。性には合わないがそれもまたいいんだよな」
で、それがどうしたのかと、俺の周りをウロウロと動く彼女に問う。
「いやぁ、誰だって好きだよね。噂もさ。特に気になって仕方ないあの子の恋の噂とか――」
「計画に集う邪魔者とか、サァ!」
鈴奴はそう言うと、岸辺君の首筋へ一つ、鋭く鈍い手刀を繰り出した。
呻きの一つも上げず、彼の体はオオイカリナマコのように力なく倒れこみ、鈴奴がそれを抱え込んだ。
一瞬だった。
流れるように滑り、的確に彼から意識を抜き去った。
あまりに見事だったので、私は彼女が”攻撃”したのだと気付くのに一瞬の時間を要した。
「動かないで! あなた何してるの!?」
扉の内側に潜んでいた私は勢いよく飛び出し、鈴奴をけん制する。
岸辺君は!? 腕に抱かれる彼を見る。
どうやら気を失っているだけ……遠目に見ての判断だが、死んではいないのは確かだ。
一方彼をそうさせた当の本人はというと、突然の私の出現に眉一つ動かさず、ただ私を見つめている。
「せんせー、新任の人だよね。確か、霧峰せんせー。……釣りは好き?」
そして口を開いたと思えは、私の質問を無視して彼女が聞き返す。疑問文を疑問文で返すなと学校で教わってないのか?
しかもその話、すでに私は聞いている(盗聴だけど)。
「何の話かな。私見たよ、あなたが彼に何かしたところ。あのドアもあなたがやったのね」
「まあそう凄まないでサァ。気を楽に持とうぜせんせー」
剣幕な私に対してケロリケロリとした態度で彼女は笑ってみせる。
「……」
彼女……計画と言っていた。
彼女は……岸辺君を”攻撃”した。
「釣りって、いいよ。うん、やっぱり。そうだなァ、気分がいい。釣れるんだぜ? 適当でも」
「釣り……」
――岸辺君はどうやら『釣り』ってやつが上手いらしい。見事釣りあげてみせた。この間は新島と佐倉を、そして今は目の前の彼女を。全く、君って運がいいんだ。いや、悪いね。
私達が至らなかった結果に、君はいとも簡単に私達を誘ってみせた。
「なぁせんせー。ドルルーサの……霧峰岬せんせー……」
彼女は……。