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Ace of thin ice  作者: 小鳥遊
吸血鬼編
13/32

バタフライ・タトゥーの女

霧峰さんの行動は早かった。

 俺がアントレに行った日から、なんと翌々日には我が聖ストゥルヌス高校の教員として、壇上で自己紹介をしていたのだ。

 近く産休に入る英語の先生が体調を崩し、急遽との口実だった。担当はもちろん一年生。

 片桐さんが言っていた通り、そのルックスと小ささが功を奏して、朝礼後の男子達は彼女の話題で持ちきりだった。


「なあ(そそぎ)。あの人ってあの事件の時にいた人だよな?」

 高橋先生のSHRが終わるや否入れ替わりで入り、教卓の周りに人だかりを作っている霧峰さんを見て中原が言う。

 男子だけでなく女子にも笑顔を振りまいている(あんな顔も出来るんですね)彼女は、一見ただの小さくて笑顔の綺麗な先生だった。

「ああ。そう言えばそうだったな。どこかで見た気がすると思ったんだ」

 中原の問いかけを受け流す。我ながらうまい対応だと、惚れ惚れする。

「にしても、あれだけ惨たらしい事件があったのに、学校は通常運転かよ……。うっ、思い出したら気分が……」

 そう言うと中原は口に手を当てた。どうやら、新島のことを思い出してしまったようだ。

 無理もない。大人であっても、あのスプラッタを目の当たりにすれば、一生モノのトラウマになることは避けられない。

 この中原でさえ、はるかに卓越した精神力を持ち合わせていると言えよう。

「大丈夫か? 今ならまだ授業開始前に保健室行けるぞ。先生に言ってきてやろうか」

 いつもはこういうノリでふざける中原も、今回ばかりはマジなようだ。青白い顔を半分隠し、「た、頼む」と呻いていた。

 良し。良しじゃないけど。中原には悪いが、これで霧峰さんに近づく口実ができた。

 俺は席を立って黒板に近寄り、群がるガヤの外から霧峰さんを呼ぶ。

「霧峰さ――」

 おっと、危ない危ない。

 ここでの俺と霧峰さんは、あくまで一生徒と教師であり、彼女は「先生」なのだ。

「霧峰先生、中原が気分悪くて保健室に行きたいそうです。その、あいつはあの事故見てるので……」

 白々しく言い直し、先生・・にそう伝える。

「あー、岸辺君、かな。分かりました。なら保健室までついて行ってあげてくれないかな。私まだ場所理解しきれてなくて」

 彼女もまた、俺と名簿を照らし合わせながら、さも今名前を把握した風に装って俺に指示した。

 このやり取りがなんだか秘密を抱えた大人のようで、俺は内心のニヤニヤを隠し切れなかったみたいだ。中原に肩を貸しに行ったとき、門出に「何ニヤけてるの。気持ち悪い」と罵られた。


 俺が中原を保健医に預け、教室に戻ってきた時には、授業はすでに始まっていた。

 席に戻る俺に、霧峰さんがプリントを手渡してくる。今回の授業で使うもののようだ。

「残念だったねぇ、岸辺。あの先生の自己紹介、面白かったよ。結構クールな人かとも思ったけど、冗談も言うんだねえ」

 椅子に座れば、隣の席の門出が囁いてくる。

 あの霧峰さんがジョークを…… き、気になる。冗談とかユニークとかいう言葉から一見正反対の位置にいる、そんな人だと思っていたのに。

 惜しいことをしたな、なんて思いながら、先ほど手渡されたプリントに目を落とす。

 今日は文型とやらをやるようだ。SだのVだのCだのが、びっしりと並んでいる。英語に明るくない俺はそれから逃げるようにプリントを裏返す。

 そこにもやはり、これでもかと文字が並んでいる。一瞬気が滅入りそうにもなったが、俺はそのプリントの隅に小さく、『昼休みに職員室へ』と書かれていることに気が付いた。

 見覚えのある筆跡、霧峰さんから俺ヘのメッセージだろう。

 思わず俺が顔を上げると、生徒達を見渡している霧峰さんと目が合った。すぐに逸らされたが。へへ。

 シャーペン書かれたそれを消しゴムで消しながら、俺はやはり口角が上がっていたようで、またも門出に罵られたのだった。




 *



 霧峰さんの授業はとても分かりやすかった。どれくらい分かりやすかったかと言うと、本来の英語教師である本田先生はもう二度と帰ってこなくてもいい、なんて声が上がるほどだった。

 彼女の授業を受けた他のクラスの生徒達も同じことを言っているようで、どうやら霧峰さんは対外的にも内面的にもすっかり受け入れられたようだ。

 たった一日の、それも数時間でここまで生徒達に好印象を与えるなんて、彼女はやはりただものではない。入学早々自己紹介で盛大にスベった俺は、そう感嘆するほかなかった。


 時刻は一二時四〇分、待ちに待った昼休みだ。

 いつもならただ腹が減ったって理由で心待ちにしているこの時間だが、今日は違う。門出の昼飯の誘いを断って、霧峰さんに会いに行くのだ。

 普段学校外で会っている人間と、密かに連絡を取って学校内で落ち合う。それだけのことがどうしてこんなにもわくわくするのだろう。

 コンコンと、軽快なノック音が職員室前の廊下に響く。「失礼します」と断って扉を開けて中を覗くと、そこでもやはり霧峰さんは数人の先生に囲まれ、何やら談笑している様子だった。


 少し気が引けながらも霧峰さんを呼ぶと、彼女は立ち上がって先生達に軽く頭を下げた後、俺の元へとやって来た。

「やあ。来てくれたんだね」

「まあ、呼ばれましたから」

 俺があくまで、呼ばれたんで仕方なく来ましたスタンスで返す。

 すると彼女は、

「でも助かったよ。先生方に質問責めにあっていてね。根掘り葉掘り聞かれて大変だったんだ」

 と、小さく笑いながら言った。

 根掘り葉掘りかぁ。よく考えれば、俺はこの人の事を何も知らないんだな。なんて思ってしまうと何故だか少し寂しいようにも感じて、いい機会だから俺も聞いてみようと、そう思った時だった。

「じゃ、これ持ってくれるかな」

 その言葉と共に突然渡されたのはプリントの山。ずっしりと腰に響く。

「ちょ、何ですかこれ」

「この方が自然だろう? 新米教師と、それを手伝う生徒だよ。私も半分持つからさ」

 そう言って霧峰さんもまた、どこから持ってきたのやら大量のプリントを抱えた。

「それじゃ、どこか人があまり来ない所に運びたいんたけど、いい場所知らないかな」

 流れるように尋ねられ、俺はこんなに大量である必要があるのかという疑問さえ忘れ、答えてしまう。

「え、ああ。それでしたら北館の四階が――」


「ああ、そう言えばあの子はどうしたんだい。ほら、中原君だよ」

 静かな北館の一室で、霧峰さんは紙の束を軽々と机に置き、俺にそう問いかけた。

「早退したみたいですよ。アレを見たんじゃ、仕方ないと思いますけど」

 俺もまた、よっこらせとプリントを置いて、額の汗を拭った。彼女は「ふーん」と、いつものようにそっけなく返した。

 まったく、人当たりのいい霧峰先生はどこへやら。

「君ってさぁ――」と何かを言いかけ、霧峰さんは言葉を切った。

「何です何です。言ってくださいよ」

「いや……いいよ。何でもない」

 それ以降待てども待てども彼女は続きを言う気配が無かったので、俺は諦めて本題を促すことにした。

「それで、俺を呼んだ理由は何ですか? まさか本当にこれを運ばせるためじゃないでしょう」

 中指で山をトントンと叩きながら、本題に入って貰うことにした。

「半分本当さ。この量を一人で運ぶのは、女の私には少々厳しいからね」

 ……嘘だ。この初夏の暑い中、俺と同じ量を持って俺と同じ距離を移動しているのに、汗一つかいていない。まるで平気といった澄ました顔をしている。

少し気にはなったが、ツッコミを入れるのも億劫なので無視することにした。大体、このプリントほとんど白紙じゃないか。本当になんで運ばせたんだ。



「それで、もう半分は当然吸血鬼の事なんだけどね。私がここにいる時点で分かるかもしれないけど、この学校に潜む”Ⅹ”を探る為に、君の力を借りる事にしたよ」

 どうやら、片桐さんの言っていた別の案というのはどうやら見つからなかったらしい。

 仕方がなくって感じだが、俺も捜査に加えて貰えるようだ。へへ。駄目と言われても勝手にやるつもりだったが、公的に許されたということだ。

 もちろん俺だって命は大事だし、危険な橋も渡りたいわけではない。ただ、首を突っ込みたい。

 そう、性。これはもはや性なのだ。

「岸辺くん……顔に出てるよ」

 霧峰さんが呆れた顔でため息交じりに言う。

 おぉ……。まさか顔に出るほど緩んでいたなんて。気を付けなくては。

「あのね、これ遊びじゃないんだよ。一歩間違えれば君も私も殺されるんだ。君は自分のて立場ってものを――」

「わ、分かってます。分かってますって」

「本当? 心配なんだけど」

 なんか霧峰さん、(言ってる内容を除けば)母親じみてきたな……。

 ま、それだけ俺が大切、というより貴重なんだろうけど。

「で、僕はどう動けばいいんでしょうか」

 話を変えるため、従順であるため、指示を仰ぐ。

「それなんだけどね。結局のところ、私達に出来ることって限られてるんだよ。私も立場上、拘束される時間は長いしね」

 限られたこと、か。

「僕にできる事――。事故の日の事を聞きまわるくらいでしょうか」

「そうだね。君は生徒としての、私は教師としての特権を駆使していくのが一番だね」

 俺はそれを聞いて俄然やる気がでたわけだが。かっこいいじゃないか、特権。

 だけど、向かい合った霧峰さんはそうはではないみたいでした。

「でもまあ、そう簡単にはいかないだろうね」

 と、今後の苦労を予測したように、首を振りながら言って見せた。

「どうしてです?」

「だってそうだろう。数日前の夜に、実質、殺人現場だよ。そんなところに居た人物の事なんて、簡単に割り出せないだろう」

 確かに言われてみればその通りだ。

 そんな決定的な瞬間を見た人が居たなら、噂好きの生徒によって、とっくの昔に学校中に広まっているだろう。

 もしくは、消されてたり。なんてな。


「でも、任せてくださいよ。絶対見つけてみせますから」

 そんな心によぎる一抹の不安を拭うように、俺は根拠の無い胸をドンと叩いた。

 なせばなんとかなるだろう。両津〇吉もそう言ってたし。

「ふふっ、頼りにしてるよ。おっと、もうこんな時間か。話が過ぎてしまったね。一旦戻ろうか」

 そう言われて時計を見れば、針達は一時を示そうとしていた。五限開始まで約十五分といったとこだ。

 先に戻るよと言って、言葉どおり霧峰さんはさっさと階下へ行ってしまった。

 あー。そういえば結局、霧峰さんに何も聞けなかったな。いずれ聞けるだろうか、知ることができるだろうか。

 彼女のことを、ドルルーサのことを――。


 教室の自席に戻ると、隣の席では門出が不貞腐れた顔で頬を膨らませていた。

「ど、どうしたんだよ。顔怖いぜ……」

 大方、予想はついているが一応聞いてみる。

「どうもこうもないよ! 中原は早退しちゃうし、岸辺はどっか行っちゃうし、私は見事ケータイ相手にボッチ飯だよ!」

 憤慨する門出。

 こいつ、本当に俺達以外に友達いないのか……? まあ俺も中原もあんまり人の事言えないが。

 花のJKとしてどうなんだろうか。本気で心配になってきた。

「それで岸辺、一体何してたのさ。十年来の親友山崎門出よりも大事な用だったのかい!?」

「そう言われると何だかな……。先生の手伝いに呼ばれてたんだよ。バカみたいな量のプリント運ばされてたんだ」 

 正しくはないが、嘘は付いてない。ホント、あのプリント何の意味があったんだ。

 それを聞いて、門出は相槌を打った後、悪戯っぽく微笑んだ。

「あー、霧峰先生でしょ。妬いちゃうぜ」

 くっ、普段はふわふわしてるくせに、門出は稀にこういう鋭い勘を見せてくる。

 昔からそういうところあるんだよナァ……。野生の勘だとか、シックスセンスとか呼ばれるそれにやたらと優れている。

 羨ましく……はないが、隠し事をしてると一発でばれたりするんダァ……。

「馬鹿言ってんなよ。で、門出は昼休みは何してたんだ?」

 岸辺流格言その一。言及されたくない話題になってしまったら相手に別の話を振れ、これマジ便利。いや、門出くらいにしか通用しないけど……。

 その二は無い。

「私? ケータイに飽きた私は一人寂しく校内七不思議の噂を集めたりしてたよ」

「またか? 前もやってたろ。よく飽きないな」

「いやいやそれがね、新しい話、入荷したんだよ。この学校どうなってるんだろね」

 入荷て。どうせいつものだろうけど、一応聞いておいてやる。

「名付けて、怪人・闇夜のハイカイさん!」

「はぁ?」

 物恐ろしさの欠片もない名前の前に、思わず気が抜けてしまう。

 やっぱり聞くだけ無駄だったか? 俺の興味はすでに授業開始を告げる直前の針へと移行していた。

 勿論俺が聞いていようとなかろうと、それでも門出は喋るのを止めない。

「――あ、そうだ。その怪人ね、あの事故の時の話みたいなんだよね」

 へいへい、もうすぐ授業始まるってのに、こいつはいつまで話す気なんだ? 大体、いつもそうなんだ。俺達の事なんぞお構いなしにこいつは喋り続けやがる――え?

「でね、怪人って名前がついてる由縁がね――」

「ちょちょ、ちょっと待った。その話、誰が発生源なんだ?」

 あの事故の時の話だと? それなら話は別だ。興味関心もりもりだ。

 俺が立てていた肘を崩して聞くと、門出はきょとんとして見せたかと思えば、今度は小馬鹿にするように口角を上げた。

「噂の発生源なんて知るわけないじゃん。だからこそのロマンよロ・マ・ン」

 そりゃそうか……いや、そうなのか? ロマンとか言われてもな。

 ただ噂が立ち始めてから日が浅いなら、一人ずつ辿っていけばもしかしたら。

 時間はかかるかもしれないがもしかしたら。

「じゃあ門出は誰からその話を聞いたんだ?」

「二年の鈴奴先輩だよ。あ、もう昼休み終わるじゃん。ちぇっ、聞かせたかったのになあ」

 門出が時計を見上げてそう言った時分、チャイムが鳴り響く。

 だらしなく伸びていた生徒達は忙しなく動き始め、五限の準備を始める。

 二年、鈴奴。

 何だ、あるじゃないか噂。こんなにも簡単に。生徒の特権の賜物ってやつかな。


 新島と佐倉を殺した”X”。ここから必ず辿り着いて――

 裁いてやる。


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