探偵ナイト・ハイ・スクール②
中原と門出が新島浩二と佐倉紗季についての噂を持ってきたのは、俺達のクラスのカレーが出来上がる直前の事だった。
「いやあ、大変だったよ。こうも難しいものなんだね、情報収集ってのは」
「こっちもだ。スマイルについて知ってそうな人が居ても、中々口を開いてくれなくてよ」
校庭に区切られた1―Cスペースで寸胴かき混ぜ係に任命された俺に、やたらとニコニコした門出と、対照的にどっと疲れた様子の中原が声を掛ける。
「お前らまだ聞き込みしてたのか? 点呼誤魔化すの大変だったんだぞ」
「でもねぇ、耳寄りな情報、あるよ」
丸眼鏡をギラリと光らせ、門出は妖しく笑う。そして胸元から使い込まれた「㊙ノート」と書かれた手帳を取り出し、パラパラとめくり始めた。なんてステレオタイプな収集家なんだ、と俺はツッコミを入れたくなった。
「ええと……あった。スマイルに関していろんな生徒に聞いてみたところ、佐倉紗季って人の名前が浮かんだよ。佐倉は3―C組で、一年のころは大人しく勤勉な生徒だったらしいんだけど、徐々に人間性が変わっていったみたい。彼女の周りでスマイルって単語を耳にしてる同級生が何人かいたよ」
「人間性の変化……。スマイルってそういう作用があるんだろうか」
「具体的には攻撃的というか、すぐ怒るようになったみたい。麻薬だからそういった事も起こるのかもよ、知らないけど」
3-Cの佐倉。かなり有用な手掛かりかもしれないぞ。流石山崎門出、出来る女だ。
「俺の方は3ーDだ。名前は新島浩二。野球部の副キャプテンで、一年前まで、かなりの俊足で名を轟かせていたらしい。が、何が原因だか徐々にスピードもスタミナも落ち、今では見る影もないってよ。こいつも同じく、何人かのクラスメイトがこいつの周りでスマイルって言葉を聞いてる」
「体力の低下か……。いかにもって感じだな」
それにしても、どうなってるんだうちの3年は。思っていた以上にガッツリじゃないか。
「で、司令塔サマの方はどうなんだ? 何か収穫は?」
「全く……。俺にはおまえらみたいなコミュ力も人脈も無いんだ」
「無能」
「なんの役にも立たんな雪は」
「うるせえ」
門出の容赦のない悪口が、ぐさりと刺さる。
「じゃ、カレー食ったら二人んとこに話聞きに行ってみっか」
中原の発案に乗り、ひとまず腹ごしらえをする事にした。
3-Dの新島。野球部……。なぜ野球人は麻薬に手を染めてしまうのだろう? 某ビッグスターの話題が記憶に新しい。もしかしてリスペクトでもしているのだろうか。
なんて下らない事を考えながら、俺達三人はカレーを配膳の列へと並んだ。
*
日本のカレーは偉大だ。料理未経験者でも簡単に作れてしまう上に、たいがいうまい。在日外国人が最初に作るのはカレーだとか、いつか読んだエッセイに書いてあった。
そう、たとえ砂埃舞う校庭で作られようとも、うまいものはうまいのだ。
俺達は使い終わった紙皿をクラスごとのゴミ袋に捨て、さてどうするか、と一息ついた。
現在時刻は午後七時半。まだ空は少しだけ明るさを残している。イベントとしての本日の行程は終了し、定められた就寝時間である午後十時まで、各自自由時間となる。
本当にカレーを作っただけだった。レク的なものなんて一切なかった。これは本当に行事といえるのか? 夜間校内修学泊なんて厳めしい名前から「カレーを囲むお泊り会」に変えればいいのに。
「よし、じゃあとりあえず噂の二人を探してみるか。佐倉と新島のどっちから行く?」
中原が大きく伸びをしながら言う。
それを受けた門出はきょろきょろと背伸びをしながら辺りを見渡した。
「三年は半分くらい校舎に戻っちゃってるねえ。こりゃ手分けして、見つけた方に話を聞くのがいいかな」
そう言われて、俺も校庭をぐるりと見てみる。
なるほど、分からんが、言われてみれば三年生が少ないような気もする。この人混みの三年生成分が良く分かったものだ。さすが山崎門出。
三年生にしてみれば毎年行われるこの行事は三回目、さっさと校舎に帰りたくもなるのだろう。
そうして門出の発案により、門出は校舎を、俺と中原は校庭を探す事となった。
しかし簡単に探すと言っても、一学年二百八十人、全校生徒だけでも九百人近くいる中からたった二人を見つけ出す必要があり、三人で手分けすると言ってもなるほど中々に苦労する作業なのだ。
新島は左眉に大きな傷跡、佐倉は左手首にやけどの跡があるらしく、見ればわかるとの事だった。
中原と門出から聞いた二人の特徴を基に目に映る人間全てを確かめてみるが、太陽が暗がりに身を潜めつつある今、グラウンドのライトだけではやはり易々とはいかなかった。
それでも何とか一通り探し終え、グラウンドには二人ともいない、という結論に達した俺は、携帯で中原を呼び出した。
中庭で一度落ち合おうと約束し、中原は五分後にやって来た。
「見つかったか?」
「いやダメだった。校舎の方に居るのかもな」
「そうだな。もしかしたら門出がもう見つけてるかもしれない、行ってみよう」
そうして俺達が校舎入り口に向けて一歩踏み出した時だった――
それは、鈍い音。
振り返って初めて理解する、何かが落ちた音。
俺達の後方に堂々たる姿で槍を掲げる自由の象徴。その右手に握られた槍先に――
貫かれている。
何が? 狼狽える中原が「それ」を指差して呟く。
「お……お……お、おい、あれ新島……だ。し、死んでる……」
教室の明りに照らされたそのシルエット。丸められた頭髪に、左眉に傷跡。中原から聞いた特徴に合致する。口から洩れるのは消え入りそうなうめき声。周囲に夥しくまき散る液体。ヒタヒタ、ぴちょん。
思わず目を反らして、校舎を見上げた。三階、いや四階の窓が開いている――。落ちたのだ。そうとしか考えられない。
「な、中原、先生だ……。呼んできてくれ、お、俺、腰が抜けちまって」
悲鳴さえ上げられ無いながら、俺は中原に頼んだ。中原も情けない声で返事をして、よろよろと校舎の影へと消えていった。
中原の姿が見えなくなった、ほんの数秒後。
新島の死体から目が離せないでいる俺の視界の端に、何かが落ちてくるのが写った。再びドサリ、という音が聞こえる。嫌な予感がした。
「それ」が落ちた中庭の植え込みに、俺は四つん這いで恐る恐る近付いた。茂みを掻き分け、「それ」を目にした時。
「ひっ!」
今度こそ、声が出た。
そこにあったのは、まるで老婆のようにしわしわになったおそらく女生徒の、おそらく死体だった。
俺はほぼ無意識に、しかし半分確信して、それでも戦々恐々と「それ」の左手首を見た。
嫌な予感は的中した。
そこに広がる、特徴的なやけどの跡。これは佐倉紗季だと、容易に理解できた。
人間、何をされたらこうなる? 全身が、鶏ガラと例えられる程こけており、骨と皮だけ、というに相応しい有様だった。
あまりの出来事に一周周ったのか、少し冷静さを取り戻した俺はその左手に何かが握られている事に気が付いた。
彼女の身に何が起こったのか、しわくちゃの手を広げてみる。
「こ、これは――」