月夜の出会い
今日はいつもより仕事が遅くなってしまったので近道をしようと思い公園を横切っていたのだが、大の字に寝ていた…いや、押し倒されていたと言うべきか。
首にはナイフが添えられている。どこからどう見ても殺される寸前といったところなのだが…なるほど、つまりこれが
「吊り橋効果ってやつなのか」
「ん?なんだって?」
しまった、口に出ていたようだ。
「いや…吊り橋効果だよ。恐怖からくるドキドキと恋愛のドキドキを勘違いするというやつさ」
「へぇ、アタシを好いたってかい?それは嬉しいね。だがアンタはアタシが誰なのかを知らないのかい?」
そう言われて彼女…僕の上でナイフを添えている女性を見る。黒いパーカーに対照するように白い肌、特徴的な外見だが見覚えは無い。
「分からないな…ひょっとしてどこかで会った事があるのか?」
「いや、アタシ達は初対面だよ。でもアタシは世間じゃそれなりに有名なんだけどね」
そんな事を誇らしげに言われてもな…しかし僕はニュースは見ている方だと思っているんだが…
「全然分からないよ、教えてくれないか?」
そう言われて彼女は楽しげに言い始めた。
「まあこの呼ばれ方も本意じゃあないんだけどね、週刊誌とかでは割と騒がれてるよ、“平成の切り裂きジャック”とかって」
「ちょっと待て、そのニュースなら見た事があるけど犯人は男性だって報道されてたぞ」
「アタシが男に見えるかい?警察も無能だね、なんせこのアタシに向かって『危険だから早く帰宅してくださいね』なんて言うんだぜ?」
「分かったからそろそろ離してくれないか?」
「ダメだぜ、アンタは殺すって決めたんだ。でもその前に一つ質問がある」
「質問?毎回殺す前に何かを聞いているのか?」
「そうじゃなくて、アンタはアタシをどう思ってるって?吊り橋効果がどうとか言ってたが」
「…なんだ、そんなことか。ああ、僕はどうやらお前の事が好きみたいだ」
「ふーん、それが自分を殺そうとしてる奴に抱く感情なのかよ」
「確かに、自分を殺そうとしてる奴に抱く感情じゃあないかもしれない。だけどお前、いい表情してるだろ」
そう、こいつは目に殺気こそ込もっているが、終始本当に楽しそうな笑顔なのだ、惚れ惚れする程の。
「へぇ…アンタ面白い奴だな」
「そうでもないさ…そうだ、名前」
「あ?」
「名前を教えてくれないか?」
「今聞くことか?アンタどんな神経してんだよ、本当に面白い奴だな…優だ、ゆう。暦優ってのがアタシの名前だ」
「いい名前だね。ところで苗字と名前、どっちで呼べばいいかな?」
「お前これから死ぬって…あー、どっちでもいいよ。じゃあ苗字で」
「では暦さん?凶行は各地で行われているらしいが、住んでいる所はあるのかい?」
「ねーよ。当然無職だ、それが何か?あとさん付けは止めてくれ。呼び捨てで良い」
「じゃあ暦、僕の家で暮らさないか?」
「はぁ?」
ここで初めて笑顔以外の表情が見られた。
「アンタは何を言ってるんだ?今から死ぬんだぞ?」
「だが僕を殺さなければ衣食住と金を手にできるぞ?」
「…本気で言ってんのか?」
「ああ、僕は本気だよ」
暦は少し長く考えたあと、再び笑顔に戻った。そしてナイフを収め、僕の上から退きながら
「アンタって凄い奴だな、イかれてるよ。アタシ以上に」
僕も立ち上がり
「知ってるよ、自分の事は理解してるつもりなんだ」
と力なく笑った
「アンタ、名前は?」
「あれ?名乗ってなかったか。僕の名前は春日井栄彦だよ」
「そうかい。ハエヒコ、よろしくな」
「よろしく。じゃあそろそろ帰るか」
そうして公園から出て歩いていると警官と思われる人とすれ違った
「お二人、カップルかい?いいねー、だけど最近は殺人事件があるから気を付けてくださいよ。ほら、平成の切り裂きジャックって奴がウロウロしてるらしいですし」
「はーい、気を付けますよ。アンタの方こそ殺されたりしないように気を付けてくださいねー」
と暦は“笑顔で”応えた。
「ハエヒコ、アタシちょっと遅れるなー?」
「僕の家の場所分かるのかよ?待つよ」
「ありがたいねぇ、じゃあちょっと殺ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
空を見上げる、星が綺麗だ。月は満月には少し足りない小望月だった。これからの生活には丁度いいくらいだ。