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絆の道

絆の道 - 心の友に捧ぐ

作者: 神田 佳

本年4月に熊本大地震が起きた時、私は九州よりはるか遠く関東圏にいました。


しかし、発生時には不気味な地震による揺れを感じ、ひやりと背筋が寒くなり、すぐにインターネットで地震情報を調べました。


最大震度6弱、規模もマグニチュード5を超えた甚大な被害が九州を襲ったことを知り、私は

他人事とは思えず徹夜して過ごしました。


日頃からご厚情いただいている八ヶ岳南麓天文台にいる古くからの知人は天文学者でもあり、沢山の新星を観測していた天文学の道を歩んでいますが、大地震の予兆を科学的に捉えた次期から彼は以降の人生を大きく切り替え、地震予測の研究に勤しみ、全国各地の観測に周り、研究に余念がありません。


(八ヶ岳南麓天文台での地震研究については、著者名は串田嘉男さんのお名前でご出版されています。ご興味がありましたら検索してみて下さい。)


熊本を襲った大地震について、地震発生直後からすぐに私は八ヶ岳南麓の串田さんを思いましたが研究の妨げになるため、連絡はせず私も人道支援のあり方を見つめながら関東の研究所にいました。

おそらくは彼も胸を痛めつつ、学者である以上は人を救いたい使命感に駆られ、八ヶ岳南麓で徹夜しているであろうと至極簡単に分かりますから、凡人の私も何かせねばならないと考えていたわけです。


前置きが長くなりましたが4月16日の熊本大地震がなければ、私はこの詩を綴ることはなかったと、書き終えた今、思います。


被災地を支援する今、振り返れば人道支援の草の根活動をして生き、どれ位経過しただろうかと我が道を振り返ってみました。


私については大体20代には人道支援の道を目指し、あがきもがき、恥をかき、働きながら、20代には動物愛護家、30代には人道支援家として、細くたよりない自分の小さな道を歩き、なんとか人道支援の道無き道を生きていけないか彷徨い歩きながら生きて来ましたが、未だ、自分の足元すら迷う日々です。


最近は非常に世間も殺伐となりました。

更に熊本県は4月に大地震が起き、人智は到底、及ばないものが自然の叡智だと改めて感じます。

しかし、人の心の希望には不可能を可能にする力もあると思わずにはいられません。

それは、やはり人から人へと繋がる深い絆にも感じますし、継承して下さる先人達が残した詩にも多々感じます。


私に自然の叡智、人智について教えてくれたのは、古き時代を生き、詩を残した土井晩翠や宮沢賢治ですが、土井晩翠の詩集は杉並区高円寺の古本屋で手にして深く感銘を受けました。


その詩集も人に貸したきり、次は神田神保町を探して二冊目を買いましたが、これも人に渡したきり、今は絶版となりました。

土井晩翠を通して学んだ事を今、咀嚼出来ているかは私には到底「咀嚼した」とは申し上げらればしません。


しかしながら、本年に起きた熊本大地震に関わりながら被災地の人と繋がりを持ち、僅かながらの支援をしている今、わたしが詩人として生きるならば、詩を書く事で被災地に希望を伝える事が私なりに今出来ることではないかと考えずにいられませんでした。


また、詩人ならばその使命があるのではないかと考えたこともあり、稚拙ながらも詩にしたためてみたものがこの連結句調の散文詩です。

人に公開するに当たり、後に自分が恥ずかしくなるであろう覚悟もしましたが、恥じぬよう、悔いないよう、素直に綴ったつもりではおります。


この詩を読んで下さるどなたかが、少し、

人生を歩む「心の友」に出逢えた気がしたならば、筆者にとって詩を刻んだ甲斐があります。

しかし、なんだかつまらないな、と思う方は

そっと素通りいただけたら、これも筆者には幸せに思います。



時には悲しみ

時には感謝し

愛別離苦の人生を

道無き道を行く


明るい未来を

信じて歩み

振り向いては前を向き

道無き道を切り開くように

草をかき分け

なんとか歩むこの旅路


一歩づつだが

道標を探しながら

悲観もするが一筋の

希望の光がある限り

なんとか信じた道を進むこの旅路


僅かで良い

道に笑顔の種を撒けたなら

幸せだ

ささやかで良い

道に優しさの種を

撒いていけたなら

幸せだ


自分勝手に歩ませてもらい

この旅路は少々狭いが

道がないわけじゃない


そんな旅の日誌の一頁を

同じような道を歩み

同じような優しさを持つ

心の友に捧げたい


ある日、私は心の友に

美味しい菓子を持ち会いに行った

悲しい心を抱え

美味しいお菓子を持っていった

友は受け取らなかった


それはそうだ

空腹の私を見る友が

受け取る筈はない

食べたくなる筈がないと

わかった私です


ある日、心の友に

物騒なニュースを伝えに行ってみた

複雑な心を宥めつつ

知恵を共有しに行ってみた


友も私も気分が沈むが

帰りに明るいニュースも

伝えたかった

けれど明るいニュースを

考えてはいなかった


しかし私は

心の友のいる所に寄る前に

自分のために自動販売機で

安いジュースを買っていた


いつも外れてばかりの自動販売機

数字がなぜか何時もと違う

見ると当たりのラッキー数字が並んでいた


こんな事もあるのかと

嬉しびっくり、もう一本

美味しそうな檸檬ジュースを選べた

神様はジュースをくれた

嬉しびっくり些細な事だが

どうせ当たらないと文句を言っていた私は

過去の私になり

たまには当たるから価値があるんだと

今なら言える人間になりました


当たりが出た時、横には

会社員が一服しに来て

何やら携帯を取り出して

私は幸せのお裾分けをするには

違う人が

求める人が良かろうと

会社員の横を素通りをして

当たったジュースをバッグに入れて

心の友に会いに行きました


悲しいニュースを笑いながらは

語れないが

沈んだ顔で別れたくはない

思案して黙る私は

ふと当たったジュースの事を思い出し

帰り際、心の友に

笑顔でこう伝えた


今日は良いニュースもあるんです

今さっき自動販売機で

ジュースが初めて当たったんです

世の中というものは

一日に悪いニュースもあれば

ちょっとは良いニュースも

あるものですね

タダでジュースが貰えたので

良かったらこのジュース

お飲みになりますか


心の友は心底嬉しそうに

笑顔で振り返り

自分はいりませんから是非に

あなたがお飲み下さいと

受け取らなかった


それはそうです

悲しい気持ちに沈む私が

ジュースを飲んで喜ぶことが

何より心の友は嬉しいのだなと

わかった私です


つまづき転び

迷いながら学びながらの

一期一会、出逢う

人の優しい心を知る度に

一人歩むこの人生の

一人歩むこの道に

心の友がいると知り

心の友を大切に思うのです


広い世界で

同じように歩く

まだ逢っていない心の友も

きっといるでしょう


本を綴ったある人も

間接的に共通の誰かと

絆がある様子です

いつも世のため人のため

汗水たらして歩む人


なかなか直接逢えないけれど

優しい心を持つその人も

私にとっては

大切な道標

絆を繋ぐ心の友

同じ被災地を歩む友


未だ出逢えない

広い心を持つ心の友よ

いつか何処かの土地で逢えたなら

その時はとびきりの笑顔を贈りたい

何故ならあなたは希望の道標

素敵な本を書いているから


私は安く本を買えたので

何かお礼をしたいと思う

しかし美味しいお菓子や缶ジュースより

とびきりの笑顔を届けたいと

自分勝手に思っています


空腹で出会えばきっと

何かしら食べ物を分け合うでしょう

無ければあるまで欲しいものを

探しに走るでしょう


その思い出が一瞬でも

幸せな心の糧になれば嬉しい

その思い出が一瞬でも

暗闇を一筋照らす希望の灯に

なれば嬉しいのです


まだ見ぬ心の友へ

いつかあなたが人づてに

この手紙を

いつか読む日が来るならば

とびきりの笑顔になってくれるだろうか

私はとびきりの笑顔になるでしょう


読んでくれようとくれなかろうと

私は道無き道を歩みます

ただひたすら謝りながら

ただひたすら隅っこを歩きながら


希望と愛の灯を探しながら

希望と愛の灯を灯しながら


絆をたよりに

何とか生きるこの旅路、この人生

今日という一日の命があるのも

ひとえに出逢った一期一会の

心の友のおかげです


名も知らぬ人もいる

名を尋ねなかった人もいる

けれど皆それぞれに

優しい言葉を伝えてくれた

優しい心を伝えてくれた


今この道に立ち

私が何より幸せに思う事は

未来が未知数だと教えてくれた

学問の師がいて

この道を歩めること

未来が未知数だと教えてくれた

心の友がいて

この道を歩めるということです


私を生かしてくれた全ての人が

心に灯を灯してくれました

希望という灯です


今、生きている全ての人も

希望という灯があるでしょう

消えそうな炎かもしれませんが

優しい心と愛を大切にしているなら

きっとその人とは

心の友になれそうに思っています


そんな友に出逢えるようにと願いながら

私は今この道を歩いています


命ある限り希望があり

嘆きは喜びに変わる

そう信じて歩んで欲しい


時には悲しみ

時には感謝し

愛別離苦の人生を

道無き道を行く

名も知らぬ心の友に捧ぐ



20代後半で私が有り金をはたいて世に発刊した処女作の詩集「一番星」は殆ど今は入手不可能になり、今、心の師、心の友に配る事が出来ない事を申し訳なく思います。

また、二冊目の詩集もいまだ発刊には至っていません。


曖昧な記憶を辿るようで申し訳ないのですが、処女作の「一番星」をまとめ上げ、前書きに

およそ下記の事を書いたように記憶しています。


「私にとって詩とは呼吸のようなものであり、

呼吸のように詩を紡いでいく事が人生」だと。


相も変わらず私はいまだに私は詩を紡いで生きていますが、原稿用紙ではなく今はデジタルの小さな画面に、文字を打ち込み詩を紡いでいます。


他の詩につきましても、随分とデジタル文明社会になり、いつの間にデータが破損し、消え失った詩が多々あります。


その欠けて消えた詩が大量にある事も実感しながら、今回は失った詩の分も含めて、全ての人に全ての思いを伝えようと、それは我儘と知りつつ、今の精一杯、自分なりに心に刻んだ言葉を新たな詩として綴りました。


この、なんとも、つたない散文詩を読んで下さる方がちょっと新しい友に出逢えた気になりましたならば嬉しく思います。


また、私の詩活動を励ましてくれた優しい心の友、前作「にじいろの物語」を読んでくださった心の友がいたおかげでこの詩を綴ることが出来ました事にも、心から感謝申し上げます。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2016年6月初旬


紫陽花揺れる丘の上の研究室より。

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