第12話:蠢動 ★
あやめたちが狐火の群れを相手に、大立ち回りを演じ終えた後――
駅前のショッピングモールとは線路を挟んで反対側、都市計画通りに区画整備されたと或る一角。高層階のビルディング建ち並ぶその場所に、一際目立つ建物がある。
跳びぬけて背の高いこのビルは、海外資本の国内有数の最高級ホテルだ。
海外からの要人-VIP-をも宿泊すると云う最上階は、誰もが羨むスイートルーム。解放的な窓の外は、街の夜景を一望できる最高の展望を誇ると云う。
高価な調度品揃うスイートルームには、ケチな物など何一つない。当然、この部屋を借りる主もだ――今日というこの日、そこにあるは、赤いドレス姿の女であった。
その女、げに妖艶な容姿。
魅惑的な肢体を誇る、一切の欠落なき絶世の美女である。
見たところ、欧州が出自の者であろうか。
真白き美肌に白銀に近き金髪。胸元の際どく開いた赤いドレスを身に纏い、百万ドルは優に超える夜景を背にす。高級品の一部であるか如き自らが肢体を、黒塗りは牛皮の高級ソファーへと深く沈めたり。
「それで?」
鮮やかな紅を引いた形よい口唇が開くと、げに艶やかな声が転び出た。瀟洒なドレスの裾から覗く、真白き香木の様な足を組み直して、再びどこぞへと問う。
「どうして手ぶらでありんすか?」
照明を落とした薄暗き部屋は、入口のドア付近――
誰もいないと思われたそこに、風体如何にもなチンピラ男が突っ立っていた。
揺ら揺らとその身を揺すり、身分相応、如何にもな卑下た愛想笑いを浮かべて、何の芸もなく、ただ棒立ちで存在だけだ。見たところ歳は若い。だがその表情、土気色の肌から精気は失せ、どこか虚ろな目の色をしている。明らかに正常ではないと、一見して判るほどに。
この男、嘗て嶄九郎の配下に属した若手チンピラが一人である。
あの日、あの惨劇の夜を境に突然組織を解体されて、どこをどう流れ着いたやら。嶄九郎の手を離れた今は、この女の元に身を寄せているらしい。
「へ、へへぇ……どうも邪魔が、入りやして……」
瞳の焦点定まらぬまま、錆びついた笑顔を浮かべてチンピラは答えた。
その様子に目をくれることなく、絶世の美女は仄かな微笑を浮かべたまま。優雅な仕草でサイドテーブルに手を伸ばすと、そこには血の色にも似た葡萄酒がある。
手に取りて酒で満たした葡萄酒杯を頭上まで掲げたれば、不可思議な色彩を放つは、げに魅惑的たらん也。
やがて麗しの朱き口唇へ、みるみるうちに吸い込まれし液体は、彼女が喉を鳴らせるたびに、まるで悦びに打ち震えているかのようにゆらゆらと揺れた。
そんな彼女の美貌に吸い込まれたか。前掛かりにのめり込んだチンピラは、ゴクリと喉を鳴らせ、益々前へ前へとつんのめりながら美女の仕草に酔い痴れる。
魔性の妖艶――
其はいずれ、より深き闇の底へと堕ち逝く……それは東洋に伝わる魅了の妖術。
このチンピラは、紛うことなく狐に取り憑かれていよう。
取り憑きし狐とは、千年の時を経た妖狐。妖狐とは、人に仇成す妖怪がひとつ。
九尾の尾を持ち、権謀術数、森羅万象。様々な術を以て人を惑わす。
太古、この妖狐を以てして、金毛白面とはよく云ったもの。
艶やかな金色の髪に、白磁の如き滑らか也し透明な肌。その中でも一際精緻に整う美貌たるや、そんじょそこらの美女では手に負えぬ。
よくぞ化けに化けたるや、見た目は欧州、白人種が如き容姿である。
その姿、まさに傾国美女、朱唇皓歯。
歴史に名高き楊貴妃が美貌とは、斯くやである。
絶世の美女がその蒼き瞳より放つ不可思議な光彩は、狐火の灯篭りにもよく似た怪しげな炎が宿る。その瞳を見たチンピラは、水面を揺蕩う流し灯篭に魅入ったかのような表情で、薄笑いを浮かべた。
美女はその様子を満足げに眺めやると、たわわな巨乳はその谷間を見せびらかす様に、前のめり気味に身体を揺すり起こして問うた。
「さて……その邪魔とやらを、妾に申せ」
するとチンピラは、喜び勇んで堰を切ったように語る。その姿、まるで燥ぐ駄犬が如し。今にその舌が伸びて、本物の犬に成り下がらんばかりであった。
さて、この妖艶なる美女。チンピラの報告を聞き入るに、どうやら蒼色の石を奪われたザマを知る。かの石を追い求めていた美女にとっちゃ、到底不愉快極まりなき哉。
古代中国より伝わりし術を用いて、チンピラの視覚と記憶をあれよと奪うと、略奪者どもの姿が鮮明に脳裏へ映った。
中でも宿願の石を奪いて丸呑みし憎き相手は、三尺五寸を超える大太刀を、自在に操る『あやめ』なる名の女。それを知り、美女の瞳がきゅるうりと、獣のそれに変わった。
美女の変化は怒りによるものであった。だがチンピラはそれに露と気付かぬ様子。ゆらりゆらりと身を揺すらせて、まるで誘蛾灯に寄せる羽虫の如く、美女の下へと歩み寄る。
「へへへぇ……俺らぁよくやったんで……ご褒美をぉ……」
「ふーふん、ええ子や、なぁ?」
甘く、切ない声で、絶世の美女より吐息が漏れる。
細く長き指を動かし、蠱惑へと誘うように手招きす。
艶めかしい肢体に辛抱堪らず、チンピラが美女を抱こうとしたした瞬間――
「ほほほ……引っ込みなしゃんせ、下郎」
美女はぴしゃりとそう云うと、形良き長い脚で即座に蹴り飛ばす。
どこぞより、ぐりゅん、とへし曲がる音がすると、濁声なる「ぐぎゃあッ!」と悲鳴を上げた。チンピラの顎下あたり、きっと肉と骨がどうかなったのだろう。
違わずその辺りを押さえた男は、ひぃひぃと悲鳴を上げて床をのた打ち回った。
「ああ、たわけ者が。手ぶらで粗相はアカンえぇ?」
「ひぃ、ひぃへぇへへぇ……」
絶する激痛で恐らく夢から醒めたのであろう。状況と訳の分からぬチンピラは、混乱し怒り狂うたようになった。それでも美女は、微動だにせず落ち着き払って言霊を放つ。
「ええ子や、仕事が済んだらご褒美あげるえぇ……」
愛玩動物を懐柔するかの様な猫撫で声でそう云うと、指をぱちん鳴らした。
すると興奮状態にあったチンピラが、急にその身をしゃんと立たせた。まるであれよと顎の痛みも失せたようである。否、そのようなわけなどない。これほどまでに拉げた顔の形をみれば、これは常人ならざる仕業であると云わざるを得ぬ。
その異様な姿に一瞥くれて、まるで気にせぬ様子で美女は、居丈高にチンピラへ命ず。
「ささ、お行き。狩りの時間えぇ……」
そんな高慢チキな命令に、チンピラは喜び勇んで部屋を飛び出すと、いずこへともなく走り去った。ドアの向こうへと消えていく姿は、まるで猟犬が如しである。
だがそれすらも見送ることなく、美女は再び葡萄酒杯へ手を伸ばす。
「やはり、操り人形に細かい仕事は無理じゃえぇ」
その声振りを聞くに、人類と云う種を見下しておるに違いない。
美女は呆れ顔で大仰に溜息を突くと、げに美味そうに葡萄酒を飲み干した。
あからさまに愚弄するは、人の身の儚さを知ったが故である。
人の身など、恐るるに足らず。たかが知れた存在ぞ。
だがこれほどまでに指先ひとつで容易く操らば、それも致し仕方なきことか。
絶世の美女が姿を借りた妖狐は、葡萄酒杯を放り投げると、すっくと立ち上がり、解放的な窓の前にて仁王立ちに階下を見下ろした。
その目下には、煌々と無駄にライトアップされた摩天楼が広がっている。
一瞬、目前に広がる全ての景色を、我が手中に収めたが気分に酔い痴れた。だがそれも束の間。奪還に失敗した蒼色の石を思い出し、鼻白む。
龍脈の流れに乗りて、見失いし蒼色の石。
その痕跡を追い求め、追った妖狐も同じくこの地へ流れ着く。
初志貫徹。我が目的は、必ずや果たさねばならぬ。
そうして流し目で室内をひとつ睨めば、室内のスイッチが一斉に跳ね上がった。
不必要に強力な、備え付けのライト群が無駄なエネルギーを放つ。
一斉に照らす室内の明かりが、美女の姿を浮かび上がらせれば――眼下はビル影の間に間に、巨大な狐の姿を映し出していた。
この街の、チンピラたちを総じて操るは、類稀なる容姿を誇る絶世の美女。
空前絶後の妖艶なるその正体は、時の朝廷をも滅ぼしかねぬ千年妖狐。
其に相対するは、九百九十九もの人を殺めたる、調伏されし千年悪鬼。
さてこの遭遇は、如何なる顛末と相成るか。
ここに居並ぶ皆々様は、確と括目して御覧候へよ。




