第09話:怪異ノ破
「なんじゃ。何をじろじろと見ておる」
あやめがむっつりとそう口にしたのは、ある朝の登校の刻である。
毎朝毎夕、登下校で律義にいつも迎えに来ては、ぴたりと付き添って護衛をするが日課となった。そんな普段通りの光景かと思えば、実に奇妙な変化がひとつ。
「いや、なに……髪型を変えたのか?」
「む、ちょっとだけだ」
「そうか?」
「そ、そうじゃ! ちょっと結っただけじゃろが!」
だがあやめが変えたのは髪型だけではない。結い上げた後ろ頭には、大きな髪留め。それは彼女の名と同じ、薄紫の菖蒲色をしている。
無遠慮にジロジロとその姿を眺むれば、あやめは小さき口を尖らせた。
「こ、これは貰うたんじゃ!」
「ほう」
「ほれ、同級の女子じゃ。いつぞやの『しょっぴんぐもーる』でな」
「ほほう」
「に、似合うじゃろって云われて、その……」
白磁の如き木目細かな頬を徐々に赤くしつつ、もごもごと口籠り始めおった。
友人よりの貰い物をきちんと身に着けるとは。この鬼娘、なかなかに義理堅し。そうして小器用に結い上げたこの髪型、馬の尻尾のようで少し違う。確か――
「それで『ハーフアップ』にしたんだな。よく似合うじゃないか」
「はっ、『はーふあっぷ』などと呼ぶな!」
ほう、男勝りの悪鬼如きが、この単語を知っておるとは。
さてはさては、クラスメイトの女子から教わったか。
「では、それはなんだ?」
「これはえっと、えーっと、あ、髷じゃ」
「マゲ?」
「そ、そうじゃ? サムライの真似事よ。この方が幾分マシじゃろ」
サムライの真似事で髷?
元服前の前髪立ての事でも云っているのだろうか。
「無理がある」
「ぐ、ぐむっ。ええい、う、うるちゃい!」
苦情を申し立て奉ろうとして、またも鬼娘は噛みよった。
俯いて押し黙ったが、長き髪で隠れた顔は恐らく真っ赤であろう。
「お前、ますます悪化していないか?」
「し、しとらん! 妙な事を抜かすでない!」
そもそもその容姿と体型で、威厳を保とうと口を利くのが如何ともし難し。我を張らず、在るがままを受け入れれば、問題は自ずと解決しようものを。
にも拘らず男子であった過去を未だ捨てきれぬと見えて、悪鬼以前の斯様な口を利こうとしよる。この鬼娘、実に愚か也。
それにしても――これを一人で結い上げるとは、髪結いがなかなかに上手いとみえる。その上、クラスの女子から可愛い髪留めまで頂戴して付けるを見るに、そちらも上々仲良くやっているようだ。こうして漸うクラスに馴染みつつある事に、あやめは気付いているのか、いないのか。
貴之はそれ以上黙して語らぬこととした。いちいち指摘して二律背反に陥らせても、やれ面倒なことよ。沈黙は金、雄弁は銀である。
振り返れば平凡な日々。今まで散々気を揉んだ災厄とはそも何ぞや。
そう、この時まで『或る怪異』に巻き込まれようとは、一顧だにせんことであった。
◆ ◆ ◆
貴之とあやめが一緒に登校して、すぐのことである。
朝の騒がしき教室内に少女が一人、あやめの席近くにぽつりと立った。
長い前髪に顔の隠れたこの少女。三人組の女子が一人、雪である。
青褪めた顔色をして、如何にも気分が優れぬ様子である。
「おう、どうした雪。一人とは珍しいの」
「……渚たちが、倒れた」
莞爾として話し掛けたあやめの双眸が、俄かに鋭さを増した。
聞けば、事は昨日の放課後に起きた――そう語る、雪の詳細はこうである。
昨日の放課後。渚ら三人は、何時もの様にショッピングモールへ立ち寄った。その時までは、何ら変わらぬ普段と同じ光景である。
だが事は突然訪れた。ウィンドウショッピングを楽しんでいた二人――渚とゆかりが急に倒れ、意識を失ったのだと云う。
「雪は大丈夫じゃったのか」
「私は……ピロティのベンチに、いた……」
普段から大人しい性格の雪は、騒々しさをあまり好まぬ。
その日は偶々混み合っていた店内に入らず、モール中央を通る吹き抜けの回廊にて、ひとり静かに本を読みながら、渚たちを待っていたのだと云う。
すると不意に、目の前の景色がなにやら揺れた。
ゆらり、ゆらり。
顔を上げてよく見ると、周囲の空気を巻き込んで揺れる景色は、まるで陽炎の如し。
最初は地震か、若しくは立ち眩みでも起こしたのかと、雪は思うた。だが忽ち店内の店員が、客が、続いて親友たちが、ばたりばたりと気を失い倒れてゆく。
そうしてショッピングモール内へと、俄かに騒ぎが広がった。
「の、のぅ雪よ、二人は無事なんじゃろうな!?」
声を震わせて問うあやめに、寡黙な雪はこくりと頷いた。
雪曰く、すぐさま救急車で運ばれた二人は、病院で検査を受けたが、特に異常は見られない。強いて云うなれば、ストレス若しくは疲労による失神ではないか、とは医者の見立てである。心配しに病室のベッドへ見やれば、渚とゆかりは、精も魂も尽き果てたかのようにぐったりとしている。ぐったりとしているが無事である――とのことであった。
あやめはそう聞いて、ようやっと安堵の表情を見せた。だが動揺は心残りて、心中や如何許りか。気持ちを隠さんとしていたが、貴之にはもうバレている。
ホームルーム後、渚らが倒れたという一報は、忽ち校内を駆け巡った。
雪に助力を頼みつつあやめが聞き込んで廻れば、渚ら二人ほどではないが、夙に集団で気分が悪くなる、疲労を感じるなどの事象は顕現していた。
警察による現場検証は何度か行われたが、瓦斯や毒物、薬物といったものは一切検知されず。超常現象、都市伝説と街の噂になりかけているとのことである。
聞き込みは杳たる有様であったが、あやめは凛として断じた。
これは『怪異』である――と。
まさしくこの症状は、妖魔の類に精気を吸われたに相違ない。
最近つとに『怪異』の色は増していると感じてはいた。感じてはいたが、よもや貴之ではなく同級生を襲うとは。あやめはそう云って歯噛みした。
「よくも、赦さんぞ……」
あやめは静かに呟いた。
大いに怒りを押し殺しているのが、よく分かる。
「鶏口牛後は、我が下僕。じゃが轡を並べるは、我が同胞ぞ」
この男――否、この鬼娘は、妙なところで義侠心が強い。
どうやら鬼眷属の仲間意識は、尋常ではないと見える。
「儂の下腹が苦しい時に、助けてくれた恩人たちじゃ……仇を討たねば、気が済まぬ」
そう云って、ハーフアップの上で揺れる髪留めに触れた。
◆ ◆ ◆
放課後の暮れなずむ教室内に、あやめと貴之が二人で居残っていた。
何とかせいと急いて責っ付くところを、有無を言わさず引き止めたのだ。
露骨に苛つきを隠さぬあやめに対し、貴之は泰然と云い放つ。
「さて、あやめよ」
目を細め、穏やかな表情で、超然とした態度。
あやめはそれを見て、ハッとした。あの日あの時、想像を絶する程の苦痛と屈辱を与えた時と同様の、あの貴之がここに居た。まるで導師か仙人と同等の力を見せる時、彼奴はこの口調と仕草をしてみせる。
たらり――元は悪鬼であったあやめの額を、背を、冷たい汗が流れ落ちた。
「解決の糸口が次々と見えているじゃないか」
「……?」
貴之が懐から紙を取り出して、ぱんっと大仰に広げたそれは、大判の地図。
その地図をよくよく見るに、赤と青のシールが貼られている。
「なんじゃ、これは?」
「これを見てわからんか、あやめ」
呆れ声でそう云われたあやめは、細い顎に指を当て篤と眺め入り、漸う気付いたようだ。
これはいちいち足繁く報告しに来るあやめの情報を基に、怪異があったと貴之に伝えた場所を、貴之自らが地図上に状況を整理し纏めたものである。
「ほほう! なんじゃ貴様、なんやかやとちゃあんと儂の話を聞いておったか!」
あやめはそう云うと、ぽわぽわと頬を赤く上気させ始めた。この悪鬼、女子の身分と成ってより、気分が顔に出やすい様である。いや、元よりそうやも知れぬが、あの転生前の厳つかった容貌を思い出すに、どうにも分かりかねる。
そんなあやめに貴之は「これでも気付かぬとは仕方のない奴だ」という表情をしてみせた。まるで不肖の弟子に対し師匠がみせるかの如き表情である。
それを見て憤慨したあやめは、益々意地になり「むむむ」と唸って腕組みをする。
そうだ。用意したこの地図は、あやめの情報を整理したのみ。
実のところこれだけでは、貴之とて何が何やらさっぱり解らぬ。
よって、あやめの推理力に丸ごと投げて預けたのである。
ただ泰然とした態度で、じっと黙して騙くらかす。
謎を解き明かすのは、貴之ではなくあやめの役なのだ。
さて、あやめがこれまで犬ころのように持ってきた情報は幾つかある。
まず、裏の世界に生じているという混乱。
縄張りの内で頻発していたトラブルの主たちは、元の記憶を持っていない。
次に、渚らが巻き込まれた『怪異』。
妖魔の類に精気を吸われたに相違ない、とあやめは云う。
そこで貴之はあやめの言を拾い上げ、いちいち地図にシールを貼ったのだ。
赤のシールは、不良らの溜まり場。または小競り合いのあった場所。
青のシールは、集団で疲労や気分が悪くなったり、人の倒れた場所。
よく見れば、赤のシールは青のシールを追う様に貼り付けられている。
最後のシールは、クラスメイトとあやめが行ったショッピングモール。
その周辺にはまだ、赤のシールは貼られていない。
これを眺むれば、何やら意味を持つ様にも見えてくるが――
そうこうしていると、あやめはハッとした表情を見せた。
「そうか、龍脈ぞ……!」
鬼娘はシールの位置から、その根源の存在に閃いたようである。
だが一介の高校生である貴之は、龍脈と云うものを知らぬ。
「よし、では龍脈を説明して見せよ」
「そんなもん、云わずもがなであろうに……」
「どれほどのものか、理解を示せと云っているのだ」
貴之を術士と思い込むあやめは、自らが試されたと感じたか。
一言一句間違えぬよう、慎重に龍脈を説明し始めた。
龍脈とは――大地の中を流れる大いなる気の道筋を指す。
気は水と同じく高きから低きへと流れるとされ、始点となる山脈の最も高い山を『太祖山』と呼び、最も低きを『龍穴』と呼ぶ。
龍脈は背骨の様な山脈を通りながら河川と同様に支流を創り、泉の如く気の湧き出す『龍穴』に屋敷を造れば、一族に繁栄と幸福をもたらすとされる。
「日の本の国で、『太祖山』と云えば『富士の山』じゃ」
「うむ」
「龍脈は霊峰富士より流れ出でて、この街にはこの様にだな……」
あやめが地図を指でなぞると、地図上のシールとぴたりと一致した。そうしてその指が最後に辿り着くは、ショッピングモールの直上である。
「このショッピングモールが、『龍脈』を阻害している可能性がある」
繁栄した街の下には必ず流れるという『龍脈』――これはどこにでもあるものだというが、霊峰富士より直接通じる本流の龍脈などそうはない。
そこまで説明すると、あやめは「どうじゃ?」と不安そうな顔を貴之に向けた。上目使いに眉根を下げるその表情は、童女の如しでいと愛らし。そこで貴之がゆっくりと頷いてやると、ようやくあやめは安堵の表情を見せた。
はてさて、あやめの推理は兎にも角にも、貴之には気になる点が一つある。
「お前の元居た屋敷も、龍脈の上にあったのだな」
「当然ぞ。龍穴からの気脈を見越して居を構えたのだからな」
「なるほど、それで得心がいく」
「うん、何がじゃ?」
顔にハテナを浮かべていたあやめが貴之の言葉を理解すると、小さく声を上げると急に顔を赤く染めて憤慨し始めた。
さては此度の鬼島一家凋落と衰退と自らの不幸は、龍脈に何ぞ滞りがあったせいではなかろうか。その可能性にようやっと気付いたのだ。
正直なところ、かの事件と関係が有りや無しやは与り知らぬ。だがあやめが勝手にやる気を出すのは、貴之にとって非常に都合の良い事である。
今や『復讐するは我にあり』と況や顔をして、いとをかし。
「さて、あやめよ。行こうか」
「何処へじゃ?」
「なに、事件を解決しに、さ」
きょとんとするあやめを前に、貴之は飄々と云ってのけた。
意表を突かれたあやめはといえば、素っ頓狂な顔をしていた。




