第一話・エルフ
これまでとは少し違った感じの蛇足。
テオルギウス・フラムメント辺境伯は、この一月ほど事あるごとに「静かだ」と呟いては使用人たちに手紙か何かは来ていないかなどと尋ねた。
この所毎日それであると使用人たちは苦笑する。
雪が溶け日差しはより暖かくなり草木の緑が美しい春となり、エレナとシャーロットが学院へと通う為に王都へと向かった。彼女たちが出て行ったその日から屋敷はなんだか少し静かになった。
けれど、七年前のように悲しみが支配していたような静けさではない。
そんな日々のことであった。
メイドの一人が慌てるようにして執務を終え、中庭にて筋トレをしていたテオルギウスの元にやって来たのは―――……。
◇
「フラムメント辺境伯に我々の森を守って頂きたい」
それだけ言うと腰を曲げて頭を下げたのは金髪碧眼の絵に描いたような美女で耳が横に長く美男美女が多いと言われるエルフであった。
それに対してテオルギウスは顔を顰める。
「確かに……一応だが、精霊の大森林の周辺を管理するのは僕のフラムメント領になってはいる……が、どうにも解せぬ話だ。国の歴史資料によれば、王国と森の民は建国の際に互いに娘と長男を婚約させ、滅ぶ時まで互いに必要以上の干渉はせずまた何があっても互いの住処を侵さないという永久条約……と言うよりは契約があるではないか?そちらには恐らくは何かしらの事情があるのだろうが、差し支えなければ包み隠さず全てを語ってもらえるとこちらとしても助かるし、僕としても全容を把握しないことには協力は出来ない。それと可能であればこの件は国王陛下に連絡も一報を入れておきたい」
突然、そんな事を言われても困る。
テオルギウスは事情を話せとエルフの美女に言う。
そう言われて美女エルフは佇まいを改めて、話を仕切りなおすように質問を投げかける。
「先ず、この国以外での私たちへの認識をご存知でしょうか?」
「失礼な発言をお許しいただけるならば口にしますが。……国境付近に住んでいるだけあって色々と耳にはする」
隣国やそのさらに奥に位置する人種絶対主義の国では、森の民であるエルフへの扱いや彼らと暮らす精霊や妖精へと扱いも酷い。宗教的に否定するので基本的にその国の国民は悪しきものと信じている可能性があるし、その癖、上位貴族などは美男美女の多いエルフを捕らえ性欲のはけ口とする。
戦争などしていれば、彼らは魔力が人の数倍はあるので魔力袋と呼ばれ手足の腱を切り、魔力を絞り出し魔術を使う為だけの道具として使っている。非人道的であるが、彼らは人間以外の種をヒト種とは認めていない。本当に欲望を吐き出す為のどうぐであったり、魔力袋としてしか考えていない。故に大陸中央にある彼の国より東は基本として亜人種が多い。思いの外、亜人種にとって彼の住まうこの国は目には見えない山脈のような役割なのかも知れない。
「我々の森にエルフや精霊を攫いに来る輩が増えたのです」
なんとなく予測できた彼であったが、まさか自分の領内に入りそんな事をする輩がいるとは思いもよらなかったので少し驚きを隠せないでいた。
「……それが、本当なら僕としても確かに見過ごせない事案だ。精霊の大森林は一応、我が国の領土だ。そこに住む民もまた我が国の国民だ。どこに流しているのかは―――想像するのは容易いが、どうやら見せしめる必要があるみたいだな」
「で、あればこそ西にさえその武勇をさが伝わるテオルギウス殿のお力をお借りしたい」
本来であれば、力など借りる必要はあまりないはずだが、警告するにはそれなりの名前と立場が必要となる。
他国からして見れば、エルフを攫おうとするならエルフがお前らを討つ!と言ったところでたかがエルフが一笑されるだけだが、これが王国のテオルギウス・フラムメント辺境伯が賊を討つ!となれば軍事力も資源も豊富な王国に喧嘩を売るバカはいないので手が出しにくくなると言う話である。
名前だけ貸せば済む話かも知れないが、見せしめの時に顔が必要だろうと言うことでテオルギウスが動く必要があると判断する。
「であれば任せて頂こう。実は今は亡くなってしまったが、私の母はかつてエルフに助けられた恩義がある。今度はその息子たる僕があなた方を助ける番だ」
そう言って立ち上がり、美女エルフに向かい手を伸ばす。
「フュリアスだ。面倒な話を受けてくれて感謝するよ」
「何、少し身体を動かしたい気持ちもあったから、こちらこそだ」
テオルギウスの大きく力強い手にエルフの小さく白い手が包まれる。
体を動かしていたテオルギウスの手は暖かく体の芯に熱が届きそうな気さえして少しだけフュリアスは不思議な気持ちになった。
◇
鎖帷子に革の装備を身につけ背中に大きな大剣、腰に二本の長剣を差して軽装と言い放ったテオルギウスが森の中で、森の民と呼ばれるエルフの足について行く。
地面を踏みしめ、跳ねるようにして駆けるその巨体は脅威である。
まさか自分が全力ではないとはいえ、森の中で人間に後を追われる事があるとは……と驚きを隠せず最初は本当に人間か、と聞いてしまったほどだ。
何でも、本来は余り使わないが魔術で脚部と体の芯中心部を強化し本来の身体能力よりも飛躍的に上昇させているのだという。そのような魔術を使える時点で疑問に思うべきであるが、その魔術を本人が普段使いは体を堕落させるだけの術だと言っているのが、何をよくわからない事を……とフュリアスからは続く言葉はなかった。
大森林の中を走り続けること一時間かそれ以上しかして二時間はかかっていない。木の根が地面を覆うためこのように自らの足で走るしか精霊の大森林の中を移動する手段はない。
エルフへの協力を終え戻るまでの仕事は全て筆頭執事に頼んでいるので問題はない。二人目の息子が婿入りするのに必要なものを買う為にボーナスとして帰ったら何か渡すと約束したら嫌がる顔を喜色に変えてくれた。
そんなこんなでたどり着いたのは初めて来る森の民の街と呼ぶべき栄えたエルフの里であった。
「フュリアスか?王国の英雄を連れてくるから一日はかかる予定じゃ?……後ろの、人間は?」
街の近くの木の上から見回りの兵か美男子が降りて来て声をかける。
「お疲れさま。この人がテオルギウス・フラムメント辺境伯よ。想定以上に英雄と呼ばれるだけはあったって訳みたい。私は大婆様のところにこの人を連れて行かないといけないから、ジョシュアは見回りをしっかりね」
そう言ってフュリアスは街の中へと進むのでそれにテオルギウスも続く。
どう言うことだよ、と顔を顰め続けるイケメンが一人取り残される。
それもそのはずだ。かつて人間がこの精霊の大森林を歩いて来た際は早くても四時間は時間がかかっている。
それが朝に出た彼女が昼過ぎには目的の人物を連れて帰ってくるというのは早過ぎるのだ。
街へ入るとテオルギウスは小さな半透明な女性の姿をした人型に纏わり付かれた。
『このニンゲン、気持ちがいい』
『優しい』
『心地いいの』
そう言う者達の小隊は可視化した精霊たちだ。
テオルギウスの肩や頭の上に座ったり立ったり飛び回ったりしていた。
そんな光景を黙ってテオルギウスはそういうものだと受け入れる。
「始めて見るが、こんなにも人懐こいものだとは王国の著書にはなかったな」
「…………」
絶句するフュリアスを他所に返答は彼女らから来る。
『特別ー』
『あなたは他のと違うー』
『ドワーフみたいー』
きゃっきゃっと姦しいが、ここでしか味わえないというか会うことがないなら煩わしく思うこともなく楽しむべきであると考えるのが彼である。
「さ、話し合いは時間が多い方がいい。早く先ほど言っていた大婆様と言う方のところへ連れて行ってくれ」
「あなた、本当に変な人間だわ……」
フュリアスはそれだけ言うと深く考えることが間違いな気がして疑問を今は捨てることにした。
精霊たちにとってテオルギウスの周りは猫が夏に避暑地を見つける達人のようなもので、猫のいる場所は快適空間と言う感じに彼女ら精霊のいる場所は心地よい場所であることが多い。
人間の住む場所にはない濃い魔力が溢れる場所。
テオルギウスが身体強化の魔術で消費した魔力があっという間に回復するような場所であり、彼としてもこのような場所があったのか、とかこう言うところを神聖な場と言うのかも知れないなどフュリアスの後を歩きながら独り言を呟いた。
ちなみに人里などにあるこのような濃い魔力がある場所は基本的に聖地と呼ばれ国などに厳重に管理をされている。
エルフの里の中心にある大きな樹木と建築物が一体化した教会のような場所に案内される。
天井は高く、壁の所々で淡い光を放つ不思議なものが部屋を淡く照らし天井はガラス張りかまたは特殊なものなのか和らげられた日の光が天から差し込んでいる。
「早かったのぅフュリアス」
幼い声がその場に響いた。
彼が視線を前に向ければ、高級感あるローブを着込んだ幼女が自身の身の丈ほどありそうな金髪を左右に広げながら玉座のような椅子に腰掛けていた。
「なるほど、貴女がこの里の長か……」
この時、魔術を使った影響もあってテオルギウスは魔術に敏感になっていた。なっていたからこそ、この幼女から溢れ出る桁外れの魔力量に気が付けた。
人間ならば体が耐え切れず崩壊してしまうところだ。テオルギウスやエイダは人間にしては魔力が多い方であるがエルフや目の前の幼女を目の前にすれば微々たる量である。コップに対して浴槽というような違いだ。
そんな魔力量からその見かけに騙されてはいけないと理解した。
彼が自分の正体をしっかりと見抜いたの感じて幼女はテオルギウスを褒め称える。
「その若さで彼我の実力差を把握出来るとは素晴らしいな。恐らく白兵戦ではお主に勝てる者はこの里にはおらんだろうが魔術を使って良いならばそこから妾の元に来るまで五回は蘇っても殺し切れる自身はあるのう」
走れば五秒とかからないだろう距離で幼女はそう断言する。
それに対して二歩目を踏み出す頃には恐らく塵にされるだろうと予測していたテオルギウスは蘇っても苦痛は苦痛だろうから襲う前に逃げるだろうとしてその幼女の予測を内心正しくはないと考える。
そもそもからして戦うのが間違いな相手だ。
「それに妾もそなたの噂は聞いていたがホラ話と思っておったのじゃがな……存外、誠なのかものうフュリアス。そなたはどう感じた?」
話を振られた彼女の方をテオルギウスが見て見れば膝を床に付けて顔を下げていた。名前を呼ばれてようやくその顔を上へとあげたようであった。
「全力ではないとはいえ……エルフの私に森で追いつける他種族が存在することが驚きです。それと嫌でも視界に入ると思いますがドワーフ以外でこのように精霊から気に入られる人間というのを私は初めて目にしました。正直、本当に人間なのか怪しいところとも感じています」
「……さり気なく、酷い言いように思えるのですが」
苦笑しつつテオルギウスがフュリアスの言葉に、自分は普通の人間だと言うかのように反応をするがスルーされる。
「くくく、フラムメント辺境伯の一族はどの代も人間にしておくには惜しいなんらかしらの才能やらを持っているが良くも悪くもそなたはフラムメント家の集大成と言えるわけなのかも知れぬな。いや、別にそなたをバカにした訳ではなくな個人的な付き合いのあった初代フラムメントの事を思い出して笑ってしまった許せよ、当代」
そう言って笑う幼女の目はテオルギウス越しに誰かを見ているように思えた。幼女の周囲にいる精霊たちが彼女の頭をよしよしと撫でていた。まるで慰めているかのようだ。
「さて、きっとそなたとしても長期間屋敷を留守にするのも問題であろうし素早く話し合いをするとしよう」
「ああ。改めて自己紹介をさせてもらうが、王国のこの辺りの領を任されているテオルギウス・フラムメントだ。よろしく頼む」
そう言って握手を求めると幼女は快くその大きな手を握って、名乗り返した。
「妾はこの里の統括をしておるハイエルフの―――ユキコ・フラムメントじゃ、よろしく頼むぞ」
「よろし、……はあ?!?!」
その幼女の名前にテオルギウスは思わず冷静さを失い声をあげてしまった。また彼女の家名は知らなかったのかフュリアスまで目を丸くして二人を見比べた。
ハイエルフの幼女ユキコはいたずらが成功した子供のように満足気に微笑んで見せた。