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第四話・テオルギウス

「ギー、あなたは人を救う人になりなさい」


 そう呼ぶのは今は亡き母一人であった。

 テオルギウスは夢を見ていた。

 幼い頃の夢だ。

 これは彼がの生き方を決めるきっかけとなった日の。あの幼き日の記憶。


「あなたもきっと、あの人やお義父さんと一緒で怖い顔をしてるけど本当は優しい。ギーも将来そんな顔になるのでしょうね。ふふ、嫌な顔をしないの。お母さんはね。あの人みたいな顔が好きなの。だからね、ギー。誰かを守れるだけ強くなりなさい。権力やお金だけじゃなくて身体も心も」


 そうよく言う母は生まれつき身体の弱い人だった。

 けれど、彼の知る中では日々を前向きに楽しむことにおいては母は誰よりも優れていた諦めるという言葉を知らない人だったと記憶している。


 彼は恵まれた肉体と言うのもあったのだとは思っていた。

 だから母の言葉のように身体も精神も鍛えた。

 成人を迎える十六歳になる頃には素手で猪とやり合い、今となっては熊でさえ投げてみせる。

 挙句、偶然とはいえ魔獣すら退けた実績を持つ。現国王陛下が密かながら王国最強として名を上げているのがテオルギウス・フラムメント辺境伯である。

 王都で彼を知る者は学院生時代の彼の体格しか知らぬ為、更に鍛え上げられた鋼のような肉体を見れば思わず声を上げることだろう。

 その巨体を持ってして器用な体捌きに優れた敏捷性を持つ。

 圧倒的なパワーと様々な武具に精通した使い手であり、その腕前は一流のものすら唸らせる。

 心技体を兼ね備え、魔術まで使える才能を有する傑物。

 これで彼が王国の政に興味があれば今の王国内の貴族の勢力図は大きく変わっていたことだろう。

 貴族の誰もが手を出せず触れない不可侵の存在がフラムメント辺境伯である。


 かつて彼に首輪を付けてみせた二人の令嬢がいたが、一方は不幸な事故で亡くなってしまった。

 もう一人は、今、この国を実質的に制御し操っているエイダ第一王女であった。彼女のことが嫌いな貴族は彼女のことを残り物だとか行き遅れと呼ぶがバレたらどうなることやら、である。


 そんな彼は今、独り身である。

 数々の噂を持ち、第一王女とも懇意にあって彼の強面もあり、帰属の間では不可侵であったがフラムメント辺境伯と関係を持てると言うのはどんな家にとっても大きなことであった。

 フラムメント辺境伯と所縁を持つ為なら娘は妾でもなんでもいいと言うような親までいて、中には家を追い出され投げつけられるという娘までいた。帰る当てもなくそば付きの従者もなく金もない。仕方ないので屋敷で働かせて稼いだ金で帰ってもらおうとテオルギウスは考えた。

 甘い、蕩けるように甘ちゃんな考えであるが、年下で丁度エレナやシャーロットと同い年のような娘がいて親に捨てられたような子に冷酷に対応出来ない。そこが彼の欠点であるが、同時に美点でもある。

 屋敷で働くことになった子は三名程いるがどれも彼の優しい言葉と逞しい腕と厚い胸板の抱擁を受けて励まされテオルギウスへと忠誠心と言うか盲目的信仰心で彼や屋敷の為に働いている。

 先代のフラムメント辺境伯の頃から働く使用人達は若い子の増加に喜びこれなら安心して引退まで働けそうだと笑顔になった。まさか生きていくために働き出した彼女たちが生涯この屋敷で働くことになるとはこの時、予想すらしていなかっただろう。



 そんな彼の目下の悩みは、この家で彼と家族のように親しい二人の少女に嫌われた可能性であった。全くもってそんなことはないのだが。

 以前であればソファーの横に座ることも手を握り歩くことも何も抵抗なく受け入れていた彼女たちが恥ずかしいとなんだと言って少しずつ彼と距離を置くようになり、それに合わせて成長期と言うのもあって日に日に女らしくなって入っているのだがそれ以上に大人らしくと言うと彼の感じているところとは齟齬があるが、美少女と言うだけでは片付けきれない魅力を持ち始めていた。

 テオルギウスはこうなることを望んでいたはずなのにも関わらず、頼れる友人たるエイダに「あの子たちに好きな相手が出来たかも知れん。俺はそいつを殺すかもしれない」とかなんだとか遠回しにそのような内容の手紙を速達で出したが、全て読まれることなく破り捨てられたのは言うまでもない。故に返事はない。

 しかし、仮に彼女たちに想い人が出来たとしてそれはそう祝うべき立場のはずだ、なのにどうしてこんなにも心がザワつくのだろうかとテオルギウスはその巨体に似合わぬ純粋無垢で初恋をした乙女が意中の人が別の人に夢中である時のような心境で二通目の手紙を書こうとしては筆を置いていた。

 それが親バカから来るものだと理解しているのは屋敷に勤める執事や料理長など娘を持つ者たちだけであったが、敢えて遠くから辺境伯を見て裏で自分たちも娘の結婚の時はあーだったよな、とゲラゲラと笑った。

 しかし、笑っているのは男たちだけではない。メイド長などはエイダが彼の相談に乗らなかったとばっちりとして彼が生まれた頃から彼を知っており長年この屋敷に勤めてこれほど表情筋を制御するのを試されたのは初めてのことだった。


「聞いてくれメイド長、どうやらあの二人に好きな人がいるらしい……日に日に女らしくなって行くから……いや、成長期だから大人らしくなって行くのは当然なのだが」


 と姉にでも相談するように執務室に一人で来て欲しいと言われメイドの誰かが解雇にでもされるのかと思えばそんな彼以外誰もが理解していることを言う。

 新しく入って来たメイド三人ですら七日経たずにその事実に気が付いたと言うのに。

 極め付けは。


「これが世の父親が味わうと言う、初恋はパパだけど、と言うやつなのだろうか……」


 と言う独り言であった。これには二十年以上この屋敷で勤めて来た彼女としても耐え切れず、顔を下げたまま「申し訳ございませんが、新しい子達にこれから教えなければならないことが」と嘘をついて、そう言うことでしたら筆頭執事の方がよい答えを知っているかと、と他人に問題を丸投げして厨房裏に走り込んで大きな笑い声をあげた。

 これが、後にフラムメント辺境伯家本宅の勤務者に伝わる伝説の一つで初恋パパ騒動と名付けられることになった。

 余談になるが、彼が引き金となり執事やメイドたちを試す騒動はこれから彼が結婚するまでなりをひそめるが、結婚後には数々の乙女的迷言を伝説として残すことになる。


 しかして、他人からすれば理解出来て当然な事柄でも彼の立ち位置になると急に分からなくもなるものなのだ。

 身内をなくした少女が親代わりの男性に親愛の情を抱くのは数年もいれば当然と考えるし、出会う前から娘はお前を尊敬しているなんて言われてる子に熱い眼差しを向けられても警官に憧れる子供がキラキラした目で見ているようにしか思えないという訳で、それを自分はこんな幼い子達に雄として愛されてるなんて自意識過剰にも程があるというものであった。


 しかして、このようななんともむず痒い経験を彼は一度体験したことがある。それは彼が今の二人くらいの年の頃になる。


 王都の学院で初めて顔合わせした彼の妻、当時は婚約者であった何処か穏やかな空気を持った少女であったウェンディとの最初の三ヶ月程の頃のやり取りを思い出す。

 テオルギウスとウェンディと彼女の親友であるエイダの三人で過ごしたあの日々は輝きに満ちていた。

 今の二人を見ているとあの頃の気持ちを思い出し、気持ちが少し若くなったかのような気さえしてしまう。

 エイダへの大量告白事件やその巻き添えを食らったウェンディとテオルギウス。

 思い出すと彼は思わず笑みを浮かべるが、その笑みは少し悲しげだ。


「ウェンディ……」


 愛した亡き妻の事を最近になってよく思い出してしまう。

 学院を卒業後に結婚し一年も経たずに死んでしまった彼女。

 けれども育んだ愛情は彼を廃人とは言わないが、それに近い状態にする程の喪失感を与えた。

 今、彼は幸せを感じている。心に余裕ができたがゆえに彼女が隣にいれば。など、たらればと考えてしまう。

 過ぎた時は戻らず死んだ者が再び自分の前で微笑むことはないと知りながら、そんな無駄な妄想が不意に思考を侵す。

 彼は今ある幸せに支えられてはいるが、同時に未だ過去に囚われている。




 ◇


 時折、彼が遠くをこの世ではない何処かを眺めるように見つめていることに気が付いたのはエレナが晩夏にて十二歳の誕生日を迎えた頃であった。

 シャーロットは春に十三歳となって本来ならば学院に通う年齢であるが二人の学年がズレても面倒ということでテオルギウスがエイダに相談しエイダが父である国王陛下に脅し……ではなくお願いをして二つ返事を得てそう言うことになった。

 周囲からすれば一つ年上の少女となるが、シャーロットはそれがテオルギウス様の願いであれば、と父や尊敬する人物に頼まれたというよりは想い人の為にと言うような幸福に満ちた顔で頷いた。

 閑話休題。


 二人の少女はまだまだ子供らしいと言えるが、それでもくびれが出来て丸みを帯びた肢体は未熟生ながら女性の色香を持ち始める。幼さから来る背徳感が純粋な美人に抱く性欲からの興奮に変化していく。

 蛹から出て羽を広げはじめた蝶の成長を眺めているようなそんな気分すら覚えるだろう。

 二人は知りはしないが他人への評価が非常に厳しいエイダをもってして『素材はいい』と言われるほどの容姿の美少女であったエレナとシャーロットが大人びていく様は彼女らを見慣れていない者からすれば恐らく神秘的なものだっただろう。

 この世界には現代社会のような高性能な写真映像記録技術が存在しないのが悔やまれるところであった。


 そんな彼女でもテオルギウスが過去に縛られていると言うのはよく分かっていない。

 事故で家族が亡くなっている、とだけかつて使用人たちから聞いたが詳しいことは知らないのだ。

 だから稀に彼が呟く、ウェンディと言う女の名前が気になった。それは女の勘でもあった。

 けれども、余りにも悲しそうな瞳をする彼にそのウェンディとは誰かと尋ねるのは躊躇われた。

 彼の中で、彼を虜にしているのは、テオルギウスを数年間ずっと見てきたエレナだから言える。

 そのウェンディと言う女性だと。


 だから、エレナは手紙を出した。

 かつてその名前を口にした女性に。


 王位継承権第一位にして現在の国王陛下が第一子のエイダ第一王女に。

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